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Parfum  作者: 響かほり
第十五章 情緒不安定は誰の所為?
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「俺は真剣に聞いている。それを、冗談か本気か分からない返事で答える貴女は嫌い」


“何だ、この幼稚なことを喋る俺の口はっ!”


 突発的に子供じみたことを口走った自分に、内心で深い自己嫌悪に陥る。


「それから、健斗や美菜様に気に入られているからって、調子に乗って俺まで手懐けられると思わないことだね」


“だから、何でこんなことを言うんだ、俺は!こんなの餓鬼そのものだろ!”


 背中に冷や汗が流れる。

 頭で考えるよりも先に口を突いて出る言葉に、俺は頭を抱えて悶絶したい気持ちだった。

 俺の矜持にかけて、そんな姿を表に見せることは決してしないが。

 表面上は、仕事上で貼り付けるような平静を装っている。

 だが、普段なら絶対に言わないような言葉が、吉良の前ではつらつらと出てくる。


「私は貴方を『手懐ける』つもりは毛頭ありませんし、自分の身の程も弁えています」


 黙って俺の言葉を聞いていた吉良は、笑み一つ漏らさずにそう俺に言い切る。

 これまで何を言っても、笑うなり怒るなりしていた吉良が、無表情に俺を見据えていた。

 何の感慨も映さないその表情に、酷く胸が抉られる。

 興味も関心もない、存在さえ認めないとばかりに俺を蔑視した父親の表情に、吉良の今の姿が被って息が詰まる。

 クソでもない親父の事を思い出した俺の口から出るのは到底、女性には向けないような言葉だった。

親父に反論するときの様な、心を暗く染める淀んだ感情が湧いてくる。


「弁えてるいのなら、当然、健斗の愛人だなんて浅ましい上に図々しい真似、出来ないだろう?」

「…それは私と院長の問題です。貴方に釘を刺される覚えはありませんが?」


 いつもなら「ありえません」と返答していたのに。

 彼女のそれは明らかに、吉良自身の心情が変っていることを示していた。

 そう気付いて、更に胸が苦しくなる。

 苦しくて息が上手く吸えず、わずかに指先が震えだす。


“まずい、くるか?”


 パニック発作が起こりそうな感覚に、恐怖心がじわじわと俺の肌を這い上がり、侵食しようとする。

 それを誤魔化すように俺は笑う。力のない、乾いた笑いだ。


「健人の何が良いわけ?顔?地位?金?まさか、本気で健斗が好きとか?」

「…」


 吉良は答えない。

 ただ、俺をじっと見つめていた。


「はっ…結局、女なんてどれもあの女と同じだ…」


 冷める。

 健斗にも靡かなかった女なら、少し信じても良いかなんて甘い考えは。

 女なんて嘘吐きで、強欲で、狡賢くて…俺を捨てて消えた母親と、どいつも同じだ。

 俺の母親とは間逆に近い吉良なら、もしかしたら…信じて親しくなっても大丈夫ではないのかと、どこかで淡い期待があった。

 彼女と居る時間は、他の女には感じることのなかった、安らかで楽しい気持ちがあった。

 気負わずに、上坂伊織ではないただの紫苑という人間で居ることを自然にさせてくれた女性ならば…。

 男に媚びない、一人の人間として自分の足で立って生きる。そんな吉良なら…。

 女を少しくらい信じても良いのかもしれないと、そんなぬるま湯につかるような、愚かな考えをしてしまったんだ。

 吉良にイライラしたのは、吉良が悪いわけじゃない。莫迦な考えを起こした自分がまた裏切られるのではないかという、焦りとの苛立ちのせいだ。

 勝手に期待して、勝手に失望して…


“あぁ、これじゃあ、俺が嫌悪した女と同じだ”


 ひどく息が詰まる。

 上手く息が吸えない。吐き出せない。

 胸は押しつぶされるように苦しくて、心臓は暴れ狂う。

 頭は奥から焦げ付くようにジリジリ痛む。

 その場から立ち上がりたいのに、立ち上がろうとした途端、震えた体がこわばってその場に屈みこんで動けない。


“なんでこんな時に…”


 体を丸め、苦痛から逃れるように両腕で体をかき抱く。

 大きく何度も深呼吸を繰り返すのに、息が出来ていない感じがして更に苦しくなる。

 こんな無様な姿、晒したくないのに。


「榊さん」


 顔を上げれば、吉良が傍に居て俺を見下ろしている。

 その表情は険しい。


「…発作ですね。今、院長を呼んで薬を…」


 一目で俺の症状を読み取った吉良は、携帯電話を取ろうと、机に手を伸ばす。

 こんな時でさえ…いや、今だからこそ看護師らしい判断と行動を取ろうとする吉良が、健斗を頼ろうとする彼女が、許せない。

 俺は急いで上体を起こして、吉良の華奢な腕を掴んで止めようとした。

 が、急に動いたためか、体中から血の気が引いて、視界が一瞬真っ白になって世界が揺れる。


「榊さん!」


 堕ちそうになった意識が、鼻梁をついた好ましい花の香りに、かろうじて踏みとどまる。

 体を包む柔らかな感覚に身を預けていれば、視界がぼんやりと戻り、彼女に抱きしめられていることを知る。

 倒れそうになった俺を支えてくれたのだろうか…。


「やっぱり、院長を呼んだほうが…」

「…呼ぶな」

「でも…」

「絶対、呼ぶな…」


 行動を阻むように吉良の体を抱き寄せ、思うように出ない声を呻くように出せば、吉良の体が強張るのが分かる。

 健斗だけは、呼びたくない。

 吉良をただの女に変えてしまった従兄弟が、どうしようもなく憎い。


「あ、あの…院長は呼びませんから…過呼吸なら、袋を口に当てて呼吸した方が楽になりますから、袋を取って来るので離してくれませんか」

 躊躇いがちに申し出た相手の言葉に逆行し、俺は無言のまま自分の腕に力を込めた。

 無意識に、彼女を手放したくないと思った。

 女なんて信用ならないのに。

 何故、吉良を突き放して、此処から逃げ出せない?

 何故、他の女を見るように醒めた感覚で、吉良を見ることが出来ない?

 傍に居てほしい…そうやって膨れていくこの感情は、何だと言うのだろう。


「…分かりました。もう、好きなだけしがみ付いてください。後で、ちゃんと時間外手当を申請しておくので」


 しばらくもがき続けた吉良は、諦めるようにため息をついて俺の背を軽く叩いた。

 仕事だから、遠慮するなとでも言わんばかりに。

 いつもの口調の彼女に、優しくゆったりと繰り返されるその振動に、吉良のその温もりにほっとする。

 波間をたゆたう様な心地好さに、不安も、怖さも、苛立ちも、安らぎの中にゆっくりと飲み込まれていく。

 だが同時に、入れ替わるように俺の心に願うような想いが生まれる。


“どうして、優しくするんだ…嫌いなら、母さんみたいに二度と追いたくなくなるほど残酷に突き放してくれ”


 薄れていく苦痛の中、俺は幾度も心の中で矛盾する言葉を繰り返していた。

 それを願うように、どこかで、そうならないことを願いながら。



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