表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Parfum  作者: 響かほり
第十四章 男の本能∴女は理解不能
75/100

75



「…何しに来たんだ、あいつは」


 院長はそう呟いて、廊下を歩いているであろう亮さんの姿を眼で追っている榊紫苑の背中を押し、座敷の中に一緒に入ると障子戸を閉じる。


「露払い御苦労」

「…お前な」


 尊大な物言いの院長を、榊紫苑は困惑と不快感を示した表情で見るが、当の本人は気にするでもなく、そのまま元居た席に腰を下ろす。


「こんなことで、職場復帰初日の俺を呼び出すなよ」

「嫌なら来なければ良いだろうが」

「お前が『亮が吉良を食事に誘って口説いているぞ』なんて言うから、亮を連れ戻しに来たんだよ!」

「ほぉ?吉良を俺の愛人にしろと言ったお前がねぇ?」


 どこか棘のある院長の言葉に、榊紫苑は鼻で笑う。


「亮が無断で居なくなったせいで、事務所から俺の所にまで所在確認の連絡が来たから仕方なくだ」


 最後の「仕方なく」を強調して、榊紫苑は不機嫌そうにそう言う。

 院長と榊紫苑の間に、心なしか火花が散っているように見える。

 どうして険悪なムードなのか解らないけれど、こんな二人を初めて見る。


「…榊さん、もしかして亮さんが来たから、わざわざこちらに?」


 私の方を初めて見た榊紫苑は、一瞬こわばった表情になったけれど、すぐにいつもの愛想笑いを浮かべた。


「亮が迷惑かけたみたいで、悪かったね。二度と来ないように、締め上げておくから」


 滅多に観ないスーツ姿だからか、榊紫苑は尚更、ホストの様に見える。


「いえ。迷惑も何も、何のために来たのかも分からないまま、お帰りになったので…」


 本当に、彼は何をしに来たのだろう。


「その割には、変な渾名つけられて仲良さそうだったけど?」


 確かに変な名前では呼ばれるようになったけれど、別に亮さんとはごく普通に過ごしていただけ。

 それに、榊紫苑の表情は笑っているけど、私を見る眼は笑っていない。

 何故そんなに彼が不機嫌なのか解らず、無意識に首を捻っていた。


「お前も座れ。どうせ、仕事が終わったから来たのだろ?」

「…人の事見透かしたように言うな。ついでに命令するな。ムカつく」


 榊紫苑は不機嫌を包み隠さずそう言い放ったけれど、帰る様子はなく、亮さんがさっきまで座っていた席に腰を下ろした。

 彼は院長の隣、私の正面になる。


「嫌なら帰れ」

「断る。お前の言う事、全部聞くと思うな」

「反抗期か?」


 院長が鼻で笑えば、榊紫苑は憮然としたままそっぽを向いた。

 院長は気にした様子はなく、榊紫苑は無言のまま、私はどうしていいのか解らず、微妙に重苦しい空気の中、淡々と食事をする羽目になった。

 居心地が悪くて、料理の味も堪能できないし、途中退席しようと本気で考えた程に…。




     §




 一種、我慢大会の様な食事の席も何とか切り抜け、お店を出、駐車場まで来て新たな問題が勃発した。


「榊さん、お仕事あまり根詰めないようにしてくださいね。おやすみなさい」


 一言も言葉を発しない榊紫苑にそれだけ伝え、踵を返して院長について歩き出した時、不意に体が真反対へ傾いた。

 バランスを崩した体は、背後にいるはずだった榊紫苑に真正面から抱きとめられた。

 後ろ手を引かれ、強引に引き寄せられたのだと咄嗟に判断がついたけれど、何のためにこんなことをされたのか、意味が分からない。


「な、何ですか!?」


 慌てて相手を見上げれば、彼は私ではなく院長を見据えていた。


「何の真似だ?」


 怪訝そうな院長の声に、振り返ろうとしたけど、背中に回された榊紫苑の腕に力がこもり、より一層、彼の胸に体が押し付けられる。


「俺の女に手を出すという意味が、分かってやっているのか?」


 嘲笑交じりに問いかける普段より低い院長の声は、明らかに機嫌の悪いときのもの。

 不機嫌な時の院長の怖さを知っている私の背筋に、嫌な汗が流れる。

 どうして院長まで突然不機嫌になったのか、訳が分からない。


「さっさと、吉良を放せ」

「嫌だね」

「あぁ?」


 問い返すような声にドスが効きすぎて、ものすごく怖い。

 院長は普段皮肉屋で弁が立つから、拳の暴力とは無縁そうに見られるけど、本気でキレると言葉よりも拳で語るタイプ。

 この声の感じは、完全にキレる一歩手前。

 私の両親を殴り飛ばしたときの、鬼の形相をした院長の姿が脳裏に蘇り、体から一気に体温が抜け落ちる。


「さ、さささささ榊さん、い、院長を怒らせないほうが…」


 小さく相手の胸を掌で叩いて、院長とにらみ合っているであろう相手に必死でそう訴えれば、榊紫苑はゆっくりと私に視線を向けた。


「俺はもう怒っているけど?」


 口調だけは丁寧だけど、榊紫苑は自らの言葉を証明するように、薄く笑いながらも堪えきれぬ怒りを顔に滲ませていた。


“怖い!怖すぎるっ!”


 美人が起こると怒りが三割増しぐらいに感じられる。こんな怖い人に囲まれて、もう泣きたい気分。


「健斗にも、貴女にも」


 どうして私にも怒りの矛先が向けられているのか、全く分からない。


“私、なにか榊紫苑の気に触るようなことした?”


 ちくりと胸が痛む。

 これまでなら不条理で一方的なそんな言葉、文句の一つでも言えるのに。

 何故だか分からないけれど、私を咎めるような榊紫苑の眼に、心がひどく不安に駆られて落ち着かない。


「今夜は帰さないから、そのつもりでいて」


 低い声で宣告された言葉には、優しさも、淫靡さもない。

 ただ、淡々として冷徹。

 それが、更に私の不安を煽る。

 今日は変。院長も、榊紫苑も…そして私も…。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ