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「ジミーはあれだな、家庭向きタイプっての?良い奥さんになりそうな感じだ」
「内助の功を発揮できる女ではあるな」
「そういう点で兄貴が惹かれそうな感じはあるけど、ジミーとは色恋にはなってねぇ。少なくとも今は」
「だから、これからだと初めに言ったはずだが?」
「…あれ、そうだっけ?」
首をかしげた亮さんの言葉をさえぎるように、院長の携帯電話が鳴る。
スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出すと、院長の眉根がわずかに寄る。
この表情は、『聖心会』絡みの電話だ。
「少し席をはずす」
院長は席を立ち、部屋から出ていく。
障子が締まり、院長が歩きながら電話の応対をして遠ざかって行くのを耳で聞きながら、急に静かになった部屋の中で、亮さんと二人っきりになってしまった。
「…で、ジミーはどっちを選ぶ訳。兄貴か伊…サカキサンか」
神妙なほどに真面目な顔をして訊ねてくる相手に、私は困るしかない。
「選ぶも何も、どちらにも恋愛感情は有りません」
「は?何言ってんの?」
心底驚いた顔をした相手に、私も同じ言葉をそっくりそのまま返したい。
「兄貴や伊…あんたの言うサカキサンみたいな野郎を目の前にして、選らばねぇってどんだけ面食いだよ、ジミー」
顔の良さでカバーできない性格の難は、亮さんにとっては無視事項なのだろうか。
「亮さんは、顔だけで選ばるのは嬉しいですか?」
「遊ぶ女の大半が、その理由で俺に惚れるから別に嬉しくも何ともねぇけど、嫌でもねぇかな。所詮、この顔も売り物だし」
自嘲気味に笑う亮さんは、机に肘をつき、頬杖を突いて私をじっと見据える。
何処となく、憂いを帯びた表情で。
「あいつにしてみたって、体全部が商売道具だ。なまじ色男に出来ちまってるから、それにつられて寄ってくる女も腐るほどいる」
「確かに、お二人はモテそうですよね」
「自分が惚れた女が惚れてくれなかったら、モテたところでどうにもならないんだけどさぁ…俺こんな性格だろ?『こんな人とは思わなかった!』って、何時もふられる訳よ」
確かに、見た目の中性的で何処となく儚いイメージとは違い、随分と愉快な性格をしていると思う。
まあ、この程度のギャップで驚いていたら、院長の下でなんて働けないけれど。
うちのクリニックのスタッフ、殆どがそんな人ばっかりだから…。
「勝手に言い寄ってきて、勝手に俺の性格を妄想して、現実知って幻滅したらサヨウナラ…毎回毎回、慣れたけどさ…女と付き合う度に虚しい気持ちになる訳」
なんだか美青年の愚痴を聞かされはじめた私は、黙って頷いてそれを聞く。
私には解らない事だけど、顔が良過ぎることも決して良い事ではないのだと、難しい顔をして話をする相手を見て思う。
ただ、初対面の人間に、こんな話をしてこの人はどうしたいのだろうかと、疑問にも思うけれど。
「そんなこと繰り返してたら、惚れた女を口説く時、臆病になる訳よ。こいつも結局、俺の顔だけしか見てなかったらとか…解る?告白したくても告白できない、この切ない男心」
「…亮さん、どなたかお好きな人が居るんですか?」
刹那、女の子でも通用しそうな綺麗な顔が朱に染まる。
「あ、あんな男女、す、好きじゃねぇっ!」
照れた上に、自爆した相手に思わず笑みがこぼれる。
「わ、笑うなっ、ジミー」
「あ、ごめんなさい。なんだか微笑ましくて。そんな気持ちになったこともあったなぁって、懐かしくて」
「…懐かしい?何、恋してないのか?」
「していないと言うか…そう言う感覚を捨ててしまったので」
「捨てちゃったって…そんなあっさり…ジミー、まだ伊織くらいの年だろ?俺より年下で、何言ってんの」
「…私、榊さんより四歳くらい年上ですけど?」
亮さんには私が幾つに見えたのか解らないけれど、そう訂正すれば、更に亮さんの顔が驚きで歪む。
「ってことは二十八か二十九!?俺よか、ちょい年上っ!?嘘っ!!」
両手で頬を押さえて、まるでムンクの叫びの様な顔をした美青年は、そのポージングのまま固まった。
「…亮さん?」
「それ、あいつ知ってる?」
「えぇ。ご存知ですよ?」
「ジミー…あんた、地味に綺麗なんだな」
良く解らない事を言って、亮さんは両手を下ろして深いため息を吐いた。
「ま、年齢なんて惚れちまえば関係ねぇけどさ…あんた的に、年下はどうよ?」
「…亮さん。人の話、聞いてましたか?」
「聞いてたよ。けどさ、簡単に諦められないし、捨てられるもんじゃない、コントロール不能だから困るんだろ、恋愛感情なんてモンはさ」
もっともな言葉で反論され、私も言葉に困ってしまう。
「…あいつ見てドキドキしたりしねぇ?口説かれて、何とも思わねぇ?」
いくら榊の人間の口説きを聞き慣れているとはいえ、榊紫苑の様に稀有な美貌を持った人間におかしな口説かれ方をすれば、ドキドキする。
だからと言って、それは恋愛感情と言う訳ではなくて、あり得ない状況に自分がどんどん混乱させられたせい。
むしろ襲われそうでハラハラすると言った方が正しいのだけれど、それをこの人に言っても良いのか解らないので、あえて黙っている事にした。
「そうですねぇ…出来れば止めてもらいたいですね。非常に迷惑です」
精神衛生上、榊紫苑に深く関わることは、非常によろしくないと自分の中で警鐘が鳴りやまない。
「…うゎ…マジで脈なしかよ」
亮さんは悲壮と混乱と、ショックが入り混じったような面白い顔でそう呟いた。整った顔が台無しだわ。
「伊織の何が気に入らない訳?」
「…女性に無節操で、女性をとっかえひっかえしていそうな所…ですかね。しかも、あっさり付き合った人と別れそうです」
刹那、亮さんは左胸を押さえて眉間にしわを寄せる。
「あんたどっかで俺らの事、覗き見してたか!?」
どうやらこの人も、女性遊びが過多な人らしい。
恐らく、榊紫苑よりも人懐っこく軽妙に話をして人の心に入り込んでいく辺り、この人の方が榊紫苑よりも性質が悪い男かもしれない。
「そこは上手に否定しないと、好きな人だったらドン引きされますよ?」
「あ~、ドン引きどころか激怒で、『女なめんな!』って既に鉄拳制裁されたから。ジミーが拳で語る女じゃなくて良かったよ」
何ともコメントしにくい言葉を残されて、私は思わず黙ってしまう。
が、突然、障子が左右に開き、スパーンっという音を立てた。
不躾なその音に、私と亮さんはほぼ同時に開いた障子の先を見る。
そこには、院長とスーツ姿の榊紫苑がいた。
眉間に深い皺を寄せ、鋭い灰青色の双眸は私ではなく亮さんを睨み据えている。
「亮、何してる訳?」
「え?ジミーと交流会♪」
「…ジミーって誰」
地を這う様な低い声音で訊ねる榊紫苑に、思わず怖くて竦んでしまった私を亮さんが指さす。
「いや、あの美味い肉じゃが作る人間と直接、会って話をしてみたくてさぁ」
「仕事をさぼってやることか。さっさと戻らないと、木根さんに殺されるぞ」
「マジ?あいつ気が短けぇ!」
そう言いつつも、亮さんはその場から立ち上がる。
「じゃ、俺帰るわ。お前、仕事終わっただろ?まだ料理途中だから、お前代わりに食べといて。ってことでジミー、お会計はしとくから、ゆっくりしろよ~。またな~」
結局、何をしたいのか解らないまま、亮さんはさっさと退席してしまった。