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「売り言葉に買い言葉だ」
「だ、だからってどうしてそんな言葉になるんですか」
「お前、本気で惚れてもいない男に何時までもちょっかい掛けられたいのか?」
「…そ、それは…是非、お断りしたいですけど…」
「大人しく引き下がるつもりがなさそうだったんでな、ついポロっとな」
俺は、自分の煙草を灰皿に押し付けて火を消す。
「ポロって…ポロで出るような言葉じゃないですよ…」
吉良は頭を抱え、むせた後遺症で潤んだ瞳のまま恨めしげに俺を睨む。
他の男なら、夜遅くに一人暮らしの女の部屋にあげられ、煽るような目をされたら、このまま押し倒しているところだ。
特に紫苑の奴なら、やりかねないだろう。
俺ですら、時々理性が危うくなる。
こいつはどれだけ普段の自分の行動が、無防備かを自覚していない。
「いくら口から出まかせって言っても…下ネタすぎます」
「冗談や出まかせで言えるか」
「…言ってるじゃないですか。恒常的に下ネタを」
「そうだったか?」
「そうですよ。それに院長にとって、私は女であって女ではない存在でしょ?」
俺が女を大別する基準は、抱きたい女か、そうではない女か。
だが、吉良はそのどちらにも属さない、抱けない女。
別に吉良に女としての魅力がないのではない。美菜の次に俺の理想に準ずる女だ。女としての魅力は余りある。
抱きたくないと言えば、大嘘だ。
魅力的な女を前に欲望を駆り立てられるのは、男の逆らえぬ生理現象だ。
それを知ってか知らずか、子供の産めない美菜は、俺に吉良を愛人にして子供を作るよう勧めてくる。
俺は子供が欲しくて美菜と結婚した訳ではない。子供が居なくても何ら支障もない。
しかし、古き悪習に囚われる一部の俺の一族連中に、不妊である事を美菜が執拗に揶揄された過去がある。いや、美菜が言わないだけで、今もそのことで色々と陰で言われているのだろう。
本家当主でもない、分家の末っ子の俺に子供があろうとなかろうと、一族の存続には何の支障もないにも関わらず、家庭に入って子供を産むのが女のステータスであるかのように思っている女が、一族には多い。
美菜は美容業界日本トップの西宮グループの次期総帥として、家庭には入らず仕事に専念している。
それが気に入らない、『女たる者、家庭に入って家を守れ』的な古臭い慣習に染まった婆共が榊には多いから、余計に美菜への風当たりは強い。
俺は夫の脛にかじりついて浮気を詮索する女より、自立して働き続ける美しい女のほうが好ましいと感じているし、美菜には自由にするように言ってある。
子供好きな美菜にとって、自分で子供を産めない事実がかなりの心因的な負荷になっている。故に、自分が産めなくても、俺の子供を他の女の腹を借りてでも…と、強く望む美菜の気持ちが解らないでもない。
だが俺も吉良も、美菜の願いを叶える事が俺達三人を、必ずしも幸せにするものではないと解っている。
なにより、吉良には俺に対する恋愛感情が一切なく、俺も美菜以外の女を考える気持は皆無だ。
吉良は、俺と美菜の今の生活を支える軸でもある。
彼女は、矜持が高く本音を吐露しない美菜の数少ない本音を吐き出せる相手であり、彼女の理解者であり、俺の仕事上の最良のパートナーだ。
美菜は妻として女として最良の伴侶だが、吉良は仕事に於いて欠く事の出来ない唯一無二の存在だからこそ、この先も吉良とは男女の関係になるつもりはない。
今のこの関係と均衡が、俺達にとっては最善なのだ。
現状を崩す人間が居るのなら、俺は徹底的に排除する。
特に吉良に群がる男は。
昔の様に、吉良の付き合った男を根こそぎ消し去るなど、どうということはない。
吉良がその男に本気で惚れるような事がなければ…もっとも、それを鈍い吉良が自覚する前に、消すだけの話。
「お前が生物学的に男だったら、もう少し、こき使ってやれて良かったのだが」
「…すいません。今でも十分すぎる過密度ですけど?」
「お前は、女であって女でないからな」
女としての自覚が乏しい吉良の上げ足を取れば、相手は複雑な顔をする。
「そんな女を孕ますなんて、嘘でも豪語して大丈夫ですか?院長、女の趣味が悪いとか、榊さんに思われません?」
「…何の心配だ、それは…あいつはむしろ激怒してたが?そのうち、お前に真偽のほどを確かめに来るだろうな」
俺の最初の言葉に、吉良が理解できないと言った体で首をかしげたが、何かを悟ったように、ぱっと表情が明るくなる。
「榊さんは院長ラブだから、私にちょっかい掛けて引き離そうとしているんですね!」
「莫迦か、お前は」
この分なら、紫苑に口説き落とされる心配はないだろうが、何故、嬉々としてその言葉を放ったのか、理解が出来ない。
間違えるにしても、紫苑の相手は俺じゃなくて美菜だろうが。
「榊さん、美菜先生は苦手みたいだし…ブラコンの線で考えると、年上で色気も無い私に対して、無駄に色気を振りまいた理由が納得できるんですけど…」
「納得するな。仮にそうだとしたら、俺の行動は逆効果だろうが」
「…あ、そっか…院長、そんなヘマしませんよね」
「あいつに付きまとわれるのが嫌なら、俺の嘘に便乗しておけ。人の女を取るほど、あいつも女には不自由してねぇ」
「…便乗って…例えば?」
「借金を後ろ盾に、愛人契約結ばされて子作りする事になりましたくらいで良いだろ」
「…どれだけ過激な内容ですか。でも、少し前まで本当に院長に借金をしていたから、本当っぽく聞こえるし、これなら私でも誤魔化せそうです」
「お前は嘘が下手くそだからな。今からしっかりレクチャーしてやる」
信用させてこそ、その真価が発揮されるのが嘘。幾つもの真実の中に偽りを重ねれば、その嘘は真実の様に輝く。
真実を偽りに変える事もまた然り。
「うわぁ、院長、こんな時間からマジですか」
「マジだ」
ニヤリと笑えば、吉良は困ったように笑って首を竦めた。
お前が俺の傍でずっと笑う事が出来るなら、いくらでも俺は嘘をつき、お前が苦手な嘘をその口から何度でも吐かせる。
それが狡い俺が唯一お前に与えられる歪な愛情だと、お前は気付きもしないだろうが。