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美菜様の怪我はたんこぶだと言っていたし、男として女性の身体に怪我を負わせたのは、かなり責任を感じている。
吉良が傍にいる美菜様は、わりと普通に会話が通じるから、謝るタイミングも巧く掴めそうだ。
それに、彼女が傍にいれば少しだけ自分に素直になれる気がする。
『私が約束を忘れる前に、元気になってくださいね…あ、いんちょ…』
話の途中で、吉良の声が遠くなる。
『お前、俺の許可なく吉良とデートの約束か?』
代わりに聞こえたのは、不機嫌な従兄弟の声。
どうやら吉良から自分の携帯を取り上げたようだ。
まるで恋人にちょっかいをかけられた男の様な従兄弟の反応が、癪に障る。
「健斗、邪魔しないでくれないか」
自分でも驚くほど、剣呑とした声が出る。
『遊びで吉良に近付くなと言ったはずだが?』
「プライベートの彼女にまで干渉するのか?」
耳元で、健斗が鼻で笑ったのが聞こえる。
『生憎、今は休憩中とはいえ、仕事時間帯なんでな』
そう言い放って健斗は電話を一方的に切った。
本気で俺を近づけさせないようにしてるようで、健斗の行動に小さく舌打ちした。
「おぉー、お前、珍しく怒ってんじゃん」
ちらりと足元を見れば、亮がその場に屈みこんで興味津々で俺を見上げてくる。
何時の間に此処に来たのだろう。
「…何してるんだ、亮」
「え?お前が百面相してる所を観察してただけ」
悪びれも無くそう答えれば、亮はその場から立ち上がる。
良く見れば、亮の後ろで扉の影に身を潜めきれない熊井の姿もある。
眼が合えば、熊井は一瞬驚いた顔をした後、気まずそうな顔をする。
「…クマ、何しているんだ」
「いや、お前が電話の時に席をはずすなんて、女かなって」
「従兄弟だよ」
「でも、吉良さんと話してだろ」
「しかも、食事とショッピングと言う名のデートに誘ってたな?」
「うるさい。さっさと向こうに戻ってくれ」
余計な所をしっかり聞いていた二人を、追い立てるように隣の部屋へ戻し、食事の席に戻す。
「なぁ、さっきの電話で言ってた花って何だ?」
しつこく聞いてくる亮を、俺は鋭く一瞥する。
「土日の休日を俺の看護で潰した吉良に、お詫びで花を贈ったんだ。彼女の職場に。そのお礼の電話を、従兄弟を通じて吉良がかけて来ただけだ」
そう端的に説明をすると、亮は不思議そうな顔をする。
「なに、メアド交換もしてない訳?」
「ただの看護師と患者の関係に、そんなもの要らないだろ」
俺の言葉に、亮と熊井が互いに顔を見合わせる。
「…じゃあ、食事に誘った理由は?」
「…電話の時に言ってなかったか?今回のことで従兄弟夫婦に迷惑をかけたから、体調が戻ったら食事会をする事になってたんだ。それに吉良もどうかと誘っただけだ」
「…二人きりじゃなくて?」
「二人でなければならない必然性があるのか?」
「けど、買い物は二人っきりなんだろう?」
「従兄弟の奥さんと仲が良い吉良なら、趣味を熟知していそうだから頼んだんだよ」
さっきから、何をそんなに食い付いて訊ねてくるのか、俺には理解できない。
「お前が自分から女を何かに誘うのを初めて見たから、俺は、てっきり伊織が吉良さんの事を好きなのかと思ったよ」
「あり得ないだろ」
「そうか?電話中のお前、明らかに惚れた女と喋る男そのものだったぞ?」
「何がどのように」
「いやもう、表情も話振りも、体から滲み出るラヴフェロモンから全て」
亮の言葉に賛同するように、熊井が何度も頷く。
「普段、女の子と話をしている時はクールだなって思ってたけど、今のは優しいと言うか、嬉しそうと言うか…新しい伊織を見た」
吉良の事は気に入っているし、彼女と話をしている時は楽しい。けれど、自分としては亮や熊井に言われるほど、別の女達と態度が違うと言う感覚はない。
そもそも、俺が女に惚れるなんて馬鹿馬鹿しい冗談だ。
「下らない話だ」
俺は箸を持ち食事を再開するが、亮と熊井はじっと俺を見つめてくる。
「…その熱視線、気持ち悪い」
「お前さ、従兄弟と吉良ってナースが仲良く喋ったりするの見ると、意味もなくイライラしたり、モヤモヤしたりしねぇ?」
亮の問いかけに、俺は一瞬、戸惑った。
確かにそう言う感覚があるからだ。特に最近は顕著にその感情変化が現れる。
明白にならないグレーな二人の関係が、仲良さそうな様子を見る度に、俺の心の中を黒く染める。正直、見たくない。
「…確かに、そう言う時もある」
「…お前、吉良ってナースを犯っちまいたいとか、思っただろ」
俺は口に含みかけたお茶を、危うく噴き出しそうになる。
「お前、俺が自分から絶対手を出さないって解っていて聞いているのか?」
「だから聞いてんだろうが…その様子じゃ、ムラッと来て手を出したけど拒まれたってところだな?」
亮は、深いため息を漏らす。
何でこういう所だけ、亮の奴は敏いのだろう。
「寄ってくる女も選んで喰う、自分から手を絶対出さないお前がねぇ…やっぱ確定だ」
「何が確定なんだ?」
「お前、その女に惚れてるんだよ。一〇〇%」
確信を持った強い口調で、亮はそう言いきった。
俺はそのあり得ない言葉に、二の句が継げなかった。