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「つまり、その吉良さんの事が気になっていたっていうのは、単に口説き落とせなかったからなのか?」
「あぁ」
実際、彼女が気になった最初のきっかけは彼女の匂いなのだが、同時に俺が口説いても軽くあしらってばかりの態度も気になっていた。
「ま、お前が口説いても落ちないなんて、審美眼が狂ってるか、男嫌いか。あとは特定の男がいるか。だな」
頬杖をつきながら、亮は重箱をつついて俺が考えていたのと同じ見解を述べる。
熊井は腕を組んで考え込む。
「それは…結論を言うと、伊織に対して脈なしって事になるよなぁ…」
「結論から言わなくても、単にそう言う事じゃね?」
「俺としては、そう言う人が看護師で、伊織を看てくれるのは安心できるんだけどな。問題が起きそうにないから」
確かに、吉良なら間違いも問題も起こらない様に、彼女側から配慮してくれそうだ。
「けどさ、お前みたいな女に執着しない奴が、そのナースにちょっかい掛け続けるのって、ちょっと危ないよな」
「…危ない?」
「そ。単に相手をなびかせて、てめぇの矜持を取り戻してポイ捨てするつもりなら良いんだけどさ。お前、そんなタイプだから」
「亮、大概失礼だなお前」
そう言いつつ、亮の話を聞きながら俺は不意に考える。
仮に吉良を籠絡して手に入れたら、俺はその先をどうしたいのだろう。
いつものように、一度抱いたらサヨウナラ?
“…違う。他の女の様に彼女を扱いたくない”
「亮君って、けっこう鬼畜だね」
「え?そう?だってつまみ食いだよ?そりゃぁ、本命なら大事にするけどさ…な、伊織?」
急に話を振られて、俺ははっとなる。
「あ、あぁ…そうだな」
「なんだ?心、此処にあらずって感じだな?あれか、もしかして拙いパターンの方だったりするのか?」
「…拙いパターン?」
「ミイラ取りがミイラって言うの?相手を惚れさせるつもりが、逆に相手に惚れちまってどうにもならないくらい溺れちまうってやつ」
亮の言葉を塞ぐように、俺の携帯電話が鳴る。
この着信音は健斗だ。
「悪い、ちょっと席はずす」
俺は立ち上がり、ポケットから携帯電話を取り出してそれに出る。
「あぁ、俺だけど何か用?」
『でかい薔薇の花を、クリニックに贈りつけてくるんじゃねぇ』
開口一番、健斗は不機嫌候の声音でそう文句を垂れてくれた。
「俺は、彼女の家の住所なんて知らないから、其処の方が手っ取り早かっただけだよ」
ダイニングからリビングに移動した俺は、二人から姿の見えない位置で健斗にそう答える。
どうやら、吉良宛に依頼した花束は無事に届いたようでほっとする。
『休憩時間だから良かったものの、診療中だったら血祭りにしていたぞ、お前』
「そう言うと思って、休憩時間に配送時間を指定したんだよ。それで花はちゃんと、吉良に渡った?」
『あぁ』
そう答えた後、少し無言な状態が続く。
「健斗?」
『…もしもし、吉良です』
俺の耳朶に届いた女性の声に、一瞬、自分の鼓動が止まった気がした。
まさか健斗が吉良に電話を変わるとは思っていなかったし、初めて聞く電話越しの彼女の声が妙に新鮮だった。彼女だと思うと、微妙に脈が速くなっている気がする。
「あぁ、吉良。どうしたの?」
『たくさんのお花、ありがとうございました。お礼が一言いいたくて、院長に電話をかけてもらったんです』
マメと言うか、律義と言うか。吉良のこういう所は嫌いじゃない。
「まあ、貴女の貴重な休みも潰してしまったし…お詫びの気持ちで贈った物だからだから気にしないで。気に入ってくれた?」
『えぇ。こんなに綺麗でたくさんの薔薇の花、初めて頂きました』
「そう。贈った甲斐があるよ」
電話の先で、吉良が微かに笑う。
『ところで、ちゃんと安静にしてますか?ご飯、食べてますか?』
看護師である事を忘れないその問いに、俺は自然に笑みが浮かぶ。
「大丈夫。ちゃんと知合いが監視してくれているから大人しく寝ているよ。今は丁度、仲間が昼飯を持って見舞に来てくれたから、一緒に食べている所」
『あ、ごめんなさい。もしかして食事中でしたか?』
「気にしないで。吉良の声が聞けて嬉しいから」
『…そ、そういう台詞が出るなら、元気ですね』
困惑の中にも安堵の混じった吉良の声が嬉しい。
心配されるのも、悪くないと思う。
「吉良のおかげでね。…俺の体調が良くなったら今度、食事でもどう?」
『食事…ですか?』
「勿論、美菜様と健斗も一緒だよ。…実は調子が良くなったら、健斗と美菜様と食事をしようって話があるんだけど、それに一緒に来てほしくて」
『…それ、私が一緒で大丈夫なんですか?』
声の様子から、恐らく吉良は電話の先で傍にいる健斗に視線を向けて、彼の様子をうかがっているのだろう。
「ほら俺、美菜様に怪我をさせてしまっているから、三人で会うには俺が心許なくて。誰か二人と親しい人がいて欲しいんだ。出来れば、その時に美菜様にお詫びで贈り物をしたいから、一緒にどれが良いか買い物に付き合って選んでもらえると助かるんだけど…」
今回の事で美菜様や健斗にも迷惑をかけているし、怪我させた事に対して二人から執拗なくらい嫌味なお小言が飛ぶのは確実。
出来れば、盾になる様な存在が欲しい。
出来る事なら、美菜様のご機嫌取りも無難にこなしたい。
電話口で、くすりと吉良が笑うのが分かる。
『…そう言う事でしたら、お受けしますよ』
「本当?良かった。助かるよ」
本気で彼女の返事に安堵し、心なしか心が高揚した。