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「何これ!凄いんじゃね?」
人の家の冷蔵庫を開けた亮は、大きな独り言を叫んだ。
中にあるのは、吉良が作り置きしてくれた、日持ちする料理の入ったタッパーの山。
冷凍庫の中にも、いくつかある。
そもそも、飲み物を冷蔵庫にしまおうとしていたはずなのに、振り返った亮は肉じゃがの入ったタッパーを手に取っていた。
しかも、勝手に蓋を開けてジャガイモをつまみ、口に頬張る。
一瞬、亮の目が大きく見開いて動きが止まる。
が、突然、ものすごい勢いで口の中のジャガイモを咀嚼して飲み込む。
「うめぇ!なぁ、これ食っていいかっ!?」
既に、亮は食べる気満々でタッパーを持って戻ってきている。
「それ、俺の夕飯なんだけどな?」
「かたい事言うなって」
「…この重箱の料理もある事、忘れてないか?」
五段重ねの重箱を置いたテーブルの椅子に腰を下ろした亮は、肉じゃがを諦める様子はない。
いくら男三人だからとはいえ、一回で食べきれる量ではない。
そもそも俺は、食が細い方なんだ。一日一食でも別に空腹を感じない。まあ、吉良の作った料理は、どういう訳か食が進んで毎食でも食べたい気分になるが。
「ま、それは残ったらお前が夕方食べろ」
病み上がりにもならない体調の俺の胃袋に一任しようとする相手に、俺は鼻で笑う。
「なに、そんなに気に入ったの、肉じゃが」
「いや、得意料理が肉じゃがっていう女はいるけどさ、作らせるとホントに得意かよって突っ込みたくなる奴が多くてさ。しかも、肉じゃがって二種類あるだろ?」
「二種類?」
「そ。汁を飛ばしてホクホクにしたやつと、汁に浸ってるやつ。俺、汁がある方が好きなんだよね。汁気がねぇと、ジャガイモがぱさついて詰まりそうになるから。俺が」
同じ料理でも最終形態が違うのかと、俺は初めて知った。
ちなみに、吉良の作り置きしてくれた肉じゃがは汁があるタイプだ。
「これ、作ったのお前の彼女?」
亮の話は、女に料理を作らせた事のない俺には、よくわからない。
「いや。俺の面倒を見てくれた看護師。料理が出来ないって言ったら、作って置いていってくれた」
「他の作り置き料理もおいしかったよな、伊織」
「あぁ」
「料理上手で、品数豊富、食べる順番で整理整頓って…どんだけマメで出来た主婦なわけ」
吉良は味にうるさい俺の従兄弟すら納得させる腕前だ。
食欲の無かった俺でさえ、食の進んだ料理は確かに美味いと手放しに称賛できる。
俺のことを褒められた訳ではないけれど、何となく、吉良が褒められているのは嬉しい気持ちになる。
「彼女、俺より年上だけど、まだ独身のはずだ」
「マジでっ!?ちょ、俺にそのナース紹介してくれ!」
途端に目の色を変えて俺に迫ってきた亮に、俺は冷やかな眼差しを向けた。
吉良の事を紹介なんてしたら、亮の奴、本当に口説きかねない。何年も片思いをしている相手がすぐ近くに居る癖に、その人には手を出さずに他の女との遊びを繰り返している奴に、吉良の事を紹介する気など更々ない。
「…断る」
「えぇー、何でだよぉ」
「彼女は、従兄弟のお気に入りだから。それに、俺が口説いても全くノッてこない」
「…はっ?お前を前にして股開かない女なんているのか?」
明け透けと言うか、失礼と言うか、亮が俺をどう思ってるのか如実に分かる一言に、俺は自然とため息が漏れる。
「俺をなんだと思っているんだ、亮」
「いや、俺が女ならお前に股開くぞ?」
なんだか頭が痛くなってきた。
「…へんな想像させるなよ。とりあえず、飯にしよう。クマ、重箱広げて」
熊井は重ねられていたお重を一段ずつ開いていく。
洋食料理だけが詰め込まれた重箱というのはシュールな光景だ。
そして、その全てが手作りときている。
「亮、お前、料理できたのか?」
「あ?簡単なものなら作れるけど、これはお袋だ。わざわざ頼んだんだぞ」
そして、最後に開かれた重箱の中身に、首をかしげる。
重箱に詰められていたのは、お赤飯。
これだけ和食とは、どういうメニュー設定なのだろうか。
“その話、今度、じっくり聞かせろや。赤飯食べながら聞いてやっから!”
嘘か真か、前回会った時にそんな事を言っていた亮を不意に思い出す。
「…お前、こういう変なネタ仕込むの、止めろよ」
「何がネタだ」
亮はにやりと笑う。
「お前が自分から女に興味持つなんて、祝い事だろ」
それを本気で言っているのが分かるから、なお性質が悪い。
「伊織が女性に興味?」
熊井の瞳に、鋭い光が走る。
女関係の話には事欠かない俺は、一応、マネージャーの熊井には手を出した女のことは話をする。そう言う約束だからだ。
もし仮に俺が下手をうった場合、熊井がマスコミ対応などの処理をしなければならないし、熊井が事務所側から制裁を受けることになる。
俺としても、わりと無理を聞いてくれる熊井がマネージャーから外れるのは痛い。
だから、女関係に関しては、隠し事は一切していない。
トラブルに一番なりやすい女性関係だけは、熊井も完璧に把握していたいようだった。
「俺、その話聞いてないなぁ、伊織」
熊井の視線が、名の通り獲物を狙う熊みたいに鋭いのは気のせいだろうか。