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Parfum  作者: 響かほり
第十二章 芽吹く心の種に
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      §



 その後、ロッカーにもおさまりきらない、存在感絶大な薔薇の花束について、散々、夕診の為に出勤した同僚に冷やかされた。

 ありったけの職場の花瓶にその薔薇の花を飾っても、まだ自己主張甚だしい大きな花束を抱えて、フラフラと徒歩十分の場所にある自分が間借りしているアパートに戻った。

 本当は午後に出勤してきたスタッフにおすそ分けしようと思ったのだけど、一斉に皆から叱られた。

 バラの花の花言葉を説かれ、男からの贈り物を無下に人にあげてはいけないとか、大事に愛でなさいと言われて、やっとの思いで家に持ち帰った。

 だけど当然、家の花瓶に入れてもおさまりきらない量なので、バケツに花を活けてみた。

 恐ろしい事に、それでも薔薇があぶれてしまった。

 悩んだ挙句、余った花は思い切ってお風呂に散らしてみることにした。

 湯を張ったバスタブに、ローズのアロマオイルを数滴垂らし、贅沢に薔薇の花弁を千切って浮かべれば、何気なく高級スパみたいな雰囲気になった。

 せっかくだったので、電気ではなく蝋燭の明かりで幻想的にして、湯船の中でまったりモードに。


“は~、なんだか疲れたなぁ…”


 よく考えたら土日もほとんど寝てなかったし、今日は今日で変な気疲れをしてしまった。

 今日はゆっくり休もう。


“榊紫苑も彼の知合いが介抱しているみたいだから、大人しくしているだろうし”


 花束のお礼も兼ねて、昼休憩中に院長の携帯電話から榊紫苑に連絡をして体調を確認したら、割と元気そうだった。

 レンジでチンすれば食べられるように、日持ちする食事を作って冷蔵庫に入れたから、しばらくは飢え死にすることも無いはず。


“院長も、仕事の帰りに覗きに行くって言っていたから大丈夫…って、なんで榊紫苑の心配をしているのかしら…”


 彼がくれた薔薇の花を目の前にしているから?

 目の前にぷかぷかと浮かぶ薔薇の花を両手ですくい上げ、じっと眺める。

 彼が贈ってくれた花束の一部であった、深紅の花だったその一片たちを。

 お金や物ではなく、度は越したサイズではあるけれど花束をお詫びにした榊紫苑に、どこかほっとしていた。

 金品なんて持ってきたら、彼を間違いなく軽蔑していた。人間として。

 しかも、昨日の今日という行動の速さもそつがない。まだ熱があるのに。

 このあたりの気遣いは、DNAにまでしみ込んだ榊の女好きのなせる技だと思う。


“でも、榊紫苑も色々大変だったのねぇ…家名が大きいと、その分苦労も多いだろうし…”


 榊の暗黙の掟とも言える『医師』の道を拒絶して、生きていくなんて容易なことではないって分かる。

 外科医至上主義の榊は、それ以外のジャンルの医師を蔑視するきらいがある。

 医師であってもそんな態度の榊が、医師以外の職種を選んだ人間にどのような事をするのか考えるだけで怖い。

 医療系以外にも、財閥の榊には一般の企業にも顔がきく。

 榊紫苑が勘当されたとは言っていても、普通の社会人として生きても、何らかの干渉を榊はして来るだろう。

 きっと榊紫苑には、彼らの手の届かない分野でしか生きる道がない。

 狭められた枠の中で選んだ仕事。

 覚悟を決めたとはいえ、自分の意志とは別に生きるために選んだ仕事だとしたら…

 そう思ったら、少し前の自分を思い出してしまった。

 高額な負債を背負ってやりたい事さえ捨てて、ウオータービジネスの中で生きていた自分を。

 誰にも何も言えずに、少しずつ心を病んで眠れなくなって、体を壊して潰れてしまった自分に、榊紫苑が重なって見えた。

 私が運よく回避できた最悪な結末になど、辿りついて欲しくない。

 嫌いで苦手な榊紫苑であれ、どんな人であれ、あの苦しみを味わってほしくなかった。

 だから、榊紫苑が話をすることで心安らかに眠れるなら、話をするくらいの優しさを安売りしても良いのかもと思った。

 看護師としてではなく吉良あげはという個人の意思で。


“…え…あれ…どうして個人的???”


 自分の思考が導き出したものに、私は凍りつき、掌からお湯が零れ花弁だけが手に残る。

 会うのも遠慮したいくらい嫌いだと思っていたのに、今はそこまで嫌いじゃない。

 それは、少しだけ榊紫苑という人間を知ったからかもしれない。

 多分、一過性に同情的なものを榊紫苑に抱いているだけだ。


“…感情移入のし過ぎは良くないわよね…気をつけよう”


 再び両手でお湯を掬い、雑念を振り払うように顔にかける。


『俺は吉良と親しくなりたいのに…』


 不意に榊紫苑の言葉が脳裏をかすめ、顔を覆うように当てた手が止まる。

 明らかに私の反応を楽しむためのものであろう、誘惑を導く言葉なのに。

 どうして今、思い出して激しい動悸がするんだろう。

 どうして看護師として一線を引こうとする自分に、後ろめたさがあるんだろう。


『お前、紫苑が本気で口説いてきたらどうするつもりだ?』


 追うように、院長の質問がよみがえる。

 あり得ないはずの事なのに、院長が言うと現実に起こりそうで怖い。


「院長が変な質問するから、訳わかんない事がぐるぐるするのよっ!」


 ずるずると身を下げて、頭の先まで湯の中に潜り込む。

 恋も愛も要らない。考えたくもない。

 もう人に裏切られて悲しくなるのは嫌だから。

 誰かを特別な思いで見ることも、見られることも怖いから、心をきつく閉じて蓋をしたの。開かないように頑丈に幾重にも封をしたの。

 だから、誰もこの蓋をこじ開けてしまわないで…



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