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Parfum  作者: 響かほり
第十一章 存在の証明
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「さ、榊さん、な、仲良くなる方法が、お、おかしいです!」

「そう?普通だと思うよ?」

「み、耳元で喋らないで下さい…」


 暴れる吉良の両手を押さえこみ、彼女の耳朶に唇がかすめる距離で囁けば、羞恥と怯えの混じった吉良の声が聞こえた。

 逃げられないのに俺の下で必死に身じろぎする相手が、妙に可愛らしくて。もっと、意地悪くしてみたくなる。


「吉良は反応が初心で面白いね」


 上体を少し起こして年上とは思えない相手を見れば、相手は真っ赤な顔のまま渋い表情を作る。


「…やっぱり、からかってるだけでしょ、榊さん」

「可愛くてつい、苛めたくなるんだよ」

「と、年上を捕まえて言う台詞じゃありません」

「赤い顔して照れながら怒る所も、ものすごく可愛いよ?」

「可愛くありませんってば!あ、貴方、ホントに誑しですね」


 泣き出しそうなくらい恥じ入りながらか細く呟いた彼女の姿に、心臓が掴みとられたかのように締め付けられる。

 恥じらいの中に庇護したくなるような弱さと、劣情を駆り立てるような色香が混じり、俺に息苦しいほどの動悸を与える。

 抱きしめ、キスをして、彼女と一つになりたい。

 吉良という存在の全てを、手に入れたい。

 俺から逃れられないように、他の男など目に入らぬほど心を縛りつけたい…

 不意に己の脳裏をかすめた衝動に、一瞬にして心が冷えた。

 急浮上した独占欲という感情に、体から血の気が引く。


“この俺が誰かを占有したい?しかも女を?”


 あり得ない現実を目の前に突きつけられ、頭の中が真っ白になる。

 確かに彼女を気に入ってはいた。

 でもそれは、看護師としての彼女が好ましくて、善いと思っていただけにすぎない。

 決して、今の様な男としてはっきりと吉良を求める感情ではなかった。

 性質の悪い冗談だ。


「…榊さん?顔色が悪いですよ」


 近くにいるのに、遠くに感じる吉良の声。


「…まだ体調が良くなってないんですから、ちゃんとベッドで安静にしてください」


 どうして彼女は組み敷かれても尚、瞬間的に看護師という立場に戻れるのだろう。

 あれほど動揺していた女性の姿は何処にもない。

 何時もクリニックで見せる仕事の顔が、今は酷く嫌だと思う。

 何故、他の女の様に俺に囚われたままでいてくれないのか。


「嫌だ」

「い、嫌って…」

「俺の為に言ってる訳じゃないんだろ?」


 なんだ、その構ってくれ的な子供発言は。と、言った直後に俺は後悔した。

 でも、衝動的に口をついていく言葉を止められなかった。


「俺の調子が良くても悪くても、さっさと俺を置いて帰る癖に」


 不意に、俺を置いて突然消えてしまった母親を思い出して、酷く胸の中がドロドロと焼けただれた感覚に陥って、眉間に深い皺が寄った。

 吉良をみれば、彼女は可哀想なものを見るような目で俺を見る。

 あまりに低俗過ぎることを口にして、吉良の視線にも耐えられなくなり、俺は彼女を押さえつける手を緩め離れようとした。

 が、次の瞬間、俺の体がぐらりと揺れて気付けば俺は天井を見ていた。

 バランスを崩した訳でも、めまいを起こした訳でもない。


「…吉良?」


 彼女が俺の両肩を押さえつけるようにして、俺を覗きこむ。

 その表情は、酷く冷やかだった。

 吉良に押し倒されたのだ。


「何、欲求不満?」


 刹那、俺の額が叩かれた。

 いや、叩かれるように額に吉良の手が添えられたと言った方が正しい。

 心なしか、吉良の手が冷たく感じる。


「…減らず口ばっかり言わないで下さい。変なことを言うと思ったら、やっぱり熱が上がってるじゃないですか」

「熱?」

「貴方は病人なんですから、もう大人しく休んで下さい」

「…添い寝してくれるなら寝るよ」

「しません」


 即答で答えた吉良は、俺から離れ傍で綺麗な正座をする。


「でも、話の相手だけならしますよ?昨日の夜みたいに」


 俺を見下ろしながら苦笑する吉良の言葉を、俺は理解できなかった。


「昨日?」

「覚えてないんですか?私の手を掴んで、話の相手になれって言ったの。榊さん、手を離さないまま、喋りながら寝てしまったんですよ」


 あぁ、そうだ。朦朧とした意識の中で、誰かの手にすがって何かを喋っていた。その最中、俺の顔に滲む汗を拭い、喉が乾けば飲み物をくれた。

 でも、その相手の顔を覚えていなかったし、まして夢なのか現実なのか高熱のせいで分からなかった。

 あれは、吉良だったのか。

 俺が腕を掴んでいたとはいえ、この女性は朝までずっと傍で看病していたのだろう。

 どんな人間でさえ俺の不眠症を癒せなかったのに、吉良だけが熟睡し心地よく長く眠らせてくれた。

 そう思うと、黒く澱んだ胸に潜む感情が温かいものに変わっていく。


「…今度は覚えておくよ」

「ただし、お触りは禁止ですよ?」

「今時、小学生でもキスぐらいするのに?」

「どんな理屈ですか…分かりました。手を握るのだけは特別に許可します。でも、それ以外は認めませんし、貴方に特別料金を要求します」

「特別料金?」

「特別料金で私を満足させられない場合と、手を握る意外の事をした場合は、即刻、院長と美菜先生に今日これまでに貴方が私にした全ての行動を、全て報告します」


 俺が絶対に勝てない天敵を切り札にした吉良に、心底、俺は畏敬の念を抱く。

 健斗的にはグレーゾーンの行動でも、派手な容姿に反して女性の貞操観念に厳しい美菜様判定では、俺がさっきまで吉良にした行為はレッドどころかデッドゾーンだ。

 美菜様に知られたら、俺は間違いなく社会的に抹殺される。そして、高校生の頃に体験した、地獄の様な美菜様流の「躾」で、しばらく再起不能にさせられるだろう。

 しかも、特別料金の適正基準が分からない。下限値を下回る事などあってはならないが、吉良の事だ。高額過ぎても家賃の時の様に絶叫するのだろう。

 仮に、手を握り特別料金を支払ったとして、吉良を料金的に満足させられなかったら、もれなく美菜様からの懲罰コースだ。

 俺に好き勝手させない包囲網が、知らぬうちに出来上がっている。

 これまで俺に好き勝手にさせたのは、この脅し文句を言う為だったのかと思うほどの策士だ。健斗が吉良を自分の傍に置いて働かせる理由が、少しわかった気がする。


「…美菜様だけは困る」

「では、病人は大人しくベッドへ戻ってくださいね」


 くすりと吉良が笑った。

 それは仕事中に見せるさし障りの無い人好きのする笑みではなく、悪戯っ子を見守るような優しく包容力のある女性らしい笑みだった。

 見るだけで安堵出来る温かい笑顔を、もうずっと、どの人からも見ていなかった。


“そうか。俺は吉良にこういう顔をして傍にいて欲しかったのか”


 そんな事を考えた俺は、きっと吉良の言う様に熱に浮かされているだけなのかもしれない。

それでも…

 吉良なら、傍に居ても良い。




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