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Parfum  作者: 響かほり
第十一章 存在の証明
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「…ちょっと…」


 迫った俺から逃げるように座ったままの吉良が後ずさろうとし、俺は彼女の片腕を掴んでそれを止める。

 狼狽と不快感を堪えることなく表情にした彼女は、空いた手で俺の手を振りほどこうとする。俺が強い力で握れば、彼女は視線を逸らさないまま、無言で俺を牽制する。


「俺をその気にさせたいなら、言葉が違うだろ?」

「は?」


 何だと言わんばかりに、盛大に眉間にしわが寄った吉良に顔を寄せれば、吉良は慌てて腕で俺の胸を押し退けようとする。

 が、バランスを崩した吉良はそのまま後ろに勢い良く倒れる。

 咄嗟に無防備に倒れていく吉良の後頭部を守る様に手を伸ばし、片手を床について身体を支えたものの、吉良と一緒に倒れ込む。

 絨毯が引いてあったので、さほどの衝撃にはならなかったが、吉良は自分が倒れた事に驚いていたのか、やや放心状態で俺を見ていた。


「痛い所、無い?」

「…あ…はい」


 怪我も痛い所もなさそうなので、とりあえず安堵する。

 女性に怪我をさせるのも、目の前で傷を負うのも好きじゃないし、美菜様の事があったから余計にその辺に過敏になっていた。


“こうして見ると、吉良、睫毛が長い…”


 何となく彼女を見つめていると、いつの間にか薄化粧をしている事に気付く。大きめの瞳が俺をじっと見据えて瞬きを繰り返す度、くるりと弧を描く睫毛が揺れてその長さを強調する。

 取り立てて美人ではないけれど、いつ見ても俺より年上には見えない彼女の童顔は、女を誇張することなく、つつましい女性らしさを表現する愛らしさが目を引く。

 何と言うか、見ていて安らぐ。


「あ、あの…ど、退いてもらえませんか…」


 気を取られていると、不意にそんな声が聞こえる。

 我に返れば、彼女を押しつぶす真似はしなかったけれど、俺は吉良に馬乗りなるような形のままで彼女を見下ろす形で見つめていた事を思い出す。


「お、押し倒すなら、彼女さんだけにしておいてください」

「…このまま吉良が、俺の彼女になってくれたら問題無いよね?」


 甘く誘うようにそう告げれば、こげ茶の綺麗な瞳が零れおちそうなほど、吉良の双眸が見開かれた。


「な、何の嫌がらせですか」


 警戒した様な視線を向ける吉良の頬を指先でなぞり、俺は薄く笑う。

 そう。彼女が言うように俺のしていることは確かに嫌がらせだ。

 こうでもしなければ、吉良は俺を男として見ないから。


「彼女のお願いを、無下にはしない主義だから、吉良としても良いと思うよ?」

「…どういう意味ですか?」

「美菜様や健斗の為に、俺の不眠症がこれ以上悪化してほしくないと、吉良は思っているんだろ?その為に、俺に色々と改善してほしい事があるだろ?」

「…そ、それはまあ…そうですけど…」

「それって、吉良の個人的な願いであって、看護師としての枠を外れたものだよね?それを看護師としての立場で、彼女でもないのに、俺に押し付けるのはどうなの?」


 俺の問いかけに、彼女の目が泳いだ。

 彼女は、嘘や誤魔化しが下手以前に出来ない人種なのだろう。

 露骨すぎるほど、俺への対応に困っているのがわかる。

 そして、彼女が看護師の立場を逸脱するほどに、美菜様や健斗の存在が大きく、大事なのだと思い知らされる。

 余計に俺の胸の中を、不快な感情が黒く染める。

 俺ばかりがこんな気持ちになるのはフェアじゃない。吉良も少し、困ると良い。


「…俺の気持ちを知りながら、随分、酷い事するよね?」


 憂いた様に呟けば、吉良が息をのんで俺を見る。


「あ、貴方の気持ち?」

「まさか…知らないなんて言わないよね?」


 戸惑いがちに意味深な言葉を投げかけてみれば、吉良は再び視線を泳がせた。


「な、何の話ですか…」


 ばつの悪そうな顔で、俺の言葉の意味を模索して心は此処にあらずと言った感じだった。


「俺は吉良と親しくなりたいのに、貴女はそれを拒絶ばかり…これでも、結構傷ついているんだよ?」

「嘘…反応を楽しんでいるようにしか…」


“余計な所だけ、どうしてこうも目ざといんだ”


 ほぼ即答した吉良に、思わず内心で舌打ちした。

 だが、そんなこと表には一切見せず、俺は寂寞を募らせるように言葉を続ける。


「誤解だよ。俺、自分から女性に手を出すの初めてだから、良くわからないんだよ」

「ど、どう見ても、て、手慣れてますけど…」

「…どの辺が?」

「…無駄にエロい…スキンシップ過剰なコミュニケーションが」


 率直に答えた吉良に、俺の唇の端が挑発するように淫靡に歪む。

 刹那、吉良の体が強張り、彼女の色白な頬が朱に染まる。

 上肢を屈め、吉良の耳元に顔を寄せて俺は囁く。


「言葉を重ねるより、体を重ねた方がより早くより親密になれるだろ?」


 耳朶に唇が触れるか触れない程の距離で、挑発するように言葉を紡いだが、彼女は身じろぎ一つ、言葉一つ返すことが出来ないでいた。

 いや、反応さえできない程、彼女は動揺していた。

 耳まで真っ赤に染め、瞬きどころか呼吸さえも忘れるほど、彼女の心には響いたらしい。

 本当に彼女は俺より年上なのか、こういう所を見ると俄かに信じがたくなる。

 房事に不慣れな感じが、俺の嗜虐心を煽る。


「吉良はそう思わない?」

「お、思いませんっ!」


 途端に吉良が俺を引き離そうと、身じろぎする。

 間近でなければ分からないほど弱々しい、ラベンダーの優しい香りが俺の鼻梁をつく。

 この香りが心地良い。

 調香され無機質に噴霧されただけでは感じることのない、温もりを帯びた感覚。

 目の前の女性から伝わる、甘さと柔らかさを帯びた香りをもっと感じていたい。



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