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Parfum  作者: 響かほり
第十一章 存在の証明
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「け、結構ですっ!食べても美味しくないです!賞味期限切れでお腹壊しますから、絶対食べないで下さいっ!」


 半ば涙目になって、必死に頸を何度も横に振って拒否の意を露わにする。

 他の女なら、熱のこもった期待の眼差しを込めて俺を見つめて来るのに、吉良には一切それがない。

 年齢に添わず初心過ぎる反応だけれど、何となく彼女らしくて嫌ではない。

 むしろ、吉良のスレていない反応に対して更に加虐心を煽られると言うか、このまま抱き寄せてしまいたくなる。

 思わず彼女に手をのばしそうになり、慌てて自制する。


“だから、吉良にはその気がないだろ。何で、手を出しそうになるんだ”


 その気の無い女は抱かない主義なのに、どうもその自分の意思が吉良の前では崩れそうになる。

 内心で自分を諌め、自問自答してみた所で、答えなどやはり分からない。


「…冗談だよ。仕事が忙しくて、人と約束をして出かけることも最近は全くなかったから、こうしてゆっくり話をするのが楽しいんだよ」

「も、弄ぶの間違いじゃないですか」

「弄ばれたいの?それなら、吉良が賞味期限切れじゃないって、証明してあげるよ?」

「きょ、拒否します!」

「残念」


 俺に靡かない吉良に、どこかほっとする半面、本当に残念だと思う自分が居る。

 あまり苛め過ぎるのも、良くない。


「…ところで榊さん。夜のお仕事を少し減らせないんですか?」


 ホストと勘違いしたままの吉良が、不思議そうに問う。

 まったく、彼女は鋭いのだか鈍いのだかわからない。

 俺としては、都合よく間違えてくれて助かるけれど、俺がどうしてホストに見えるのか謎だ。


「アルコールだってたくさん呑むから長く続けていれば、肝臓を壊しますし…指名を獲得するために、睡眠時間を削ってお客さんに連絡を取ったり、同伴出勤のためにデートしたりするし」


 そう言う理由で俺が不眠症なのだと、吉良は思っているらしい。

 だが、吉良はどうしてそんな内情に精通しているのだろう。


「…吉良、どうしてそんなにホストの事詳しいの?」

「う、え、あ…そ、それは…し、知合いがその…ホストに入れあげて、借金の為に風俗に行っちゃったので…」


 身ぶり手ぶりを用いて、必死になってそう答えた吉良のオクターブが、一つばかり上がっていた。しかも目が泳いでいる。

 この狼狽ぶりは、少なからず嘘をついている。

 多分、吉良はホストの様なウオータービジネスの内情を少なからず知っている。

 それも他人から聞いた情報ではなく、恐らく、自分が見聞した知識だろう。

 俺と違って、吉良は嘘をつくのが苦手なようだ。

 この分なら、俺の本業を知っていてあえて知らぬふりをするというような策を弄すことは出来ないだろう。


“今は騙されたふりをしておいてあげるけどね?後々、じっくり聞かせてもらおうかな”


 吉良が他の男に入れあげていたとしたら、かなり気にくわない話だ。この俺にすらこの程度の反応しかしない吉良を夢中にさせるなんて。

 けれど俺にとって、職業を勘違いしてくれていた方が好都合だから、今は何も言わないでおこう。


「この仕事は人気商売だからね。努力以上に、多少の無理をしないとすぐに干されるから、手抜きなんて出来ないよ」

「…でも、体あっての仕事ですよ?」

「家族も家も捨てて、この世界で骨をうずめるつもりで踏み込んだ仕事だから、妥協はしない」

「…心がけは立派ですけど、今みたいに体を壊すまで頑張るのは駄目です。良い仕事が出来なくなるじゃないですか」


 吉良の様にあまりすれた所がない人間は、ホストや俳優の様に安定性の無い仕事について否定的な見方をするのかと思っていた。

 けれど、吉良は仕事自体を否定するつもりはないようだった。


「仕事を止めろって、説教するのかと思ったよ」

「止めた方が良かったですか?」


 逆に問われて、俺は首を竦めた。まさか、そんなことを聞かれるとは思わなかったから。


「いいや。吉良みたいな堅い人なら、この手の職種を否定するかと思ったから。だから、言わないのはどうしてかなと」

「相当な覚悟をして飛び込んだ道なら、とことんやればいいと思ったので」


 随分とあっさり、吉良はそう答えた。


「それに、労働をしてお金を稼ぐって、どんな仕事でも綺麗事で済まされる事ばかりじゃないし、楽なことでもないですから」

「それでも吉良の仕事は社会的な立場もあって、安定した職業だろ。俺とは違う」


 刹那、吉良の双眸が俺を鋭く見据える。

 怒りを湛えている訳ではない。彼女の瞳は俺の心を見抜こうとしているようだった。


「…榊さん、今のお仕事、嫌なんですか?」

「…どうして?」

「自分の仕事に誇りをもって臨んでいるのなら、そんな台詞は出ませんよ?」


 その一撃は、俺の脆い部分を大きく抉った。

 俺は血の繋がった家族と訣別し、榊という家を捨てて俳優の道を選んだ。

 『榊紫苑』という己自身を完全に捨て、『上坂伊織』として生きていくことを決めた。

 後悔はなかった。

 ようやく窮屈な檻から抜け出して自由を得たのだと、安堵した。

 最初、仕事は容易かった。ただ、望まれるままにそれを演じれば良かった。

 演じることは楽だ。

 子供の頃から、周囲の大人たちの目を気にして『演じる』ことを身につけていた。

 だからなんの苦労もせず、役に入り込むことが出来た。

 母親似の容姿も相まって、勝手にイケメン俳優だなどと持ち上げてくれ、仕事も順調に増えて生活は不自由もなくこれまできた。

 でも、それだけだった。



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