51 ~紫苑side~
第十一章 存在の証明
『やせ我慢も大事ですけど、ちゃんと弱音を吐く場所を作らないと、気持ちがパンクして心が壊れちゃいますよ?』
何故、彼女がそんなことを言うのか、俺には分からなかった。
生き辛いとか、そういうことを考えたことはなくて。
けれど、これまでの生活に息苦しさを感じてはいた。
「やせ我慢なんて、結構きつい事言うね?」
「そうではないと言い切れます?」
「俺、脆い人間に見える?」
「見えません」
「俺はずっとこのスタイルで生きている。貴方にどうこう言われる筋合いはないよ」
俺の事をよく知りもしないで、ずかずかと深入りしてくるのが、一番嫌いだ。
特に先程、放たれた彼女の言葉は、男としてのステータスしか見ない他の女と違って、俺の心を酷く抉りつけた。
吉良は、困ったように笑う。
「…ずっと気を張り詰めてばかりだから、貴方は眠れないんですね」
「?」
何をどう辿ってその結果に行きついたのか、俺には見当もつかない。
「貴方、表面上は人当たりが良いですけど、人をあまり信用していないでしょ?だから、いつも人を警戒していませんか?」
その正鵠を射た問いかけに、俺は反射的に仕事用の笑顔を浮かべてしまう。
同時に、吉良の人差し指が、俺の顔近くに突き付けられる。
「それです!」
「それ?」
「本音を言わないで、ずっと建前だけ。言いたいことを我慢して、そうやって愛想笑いを浮かべて誤魔化していませんか?」
そうだ、この人は俺の営業スマイルを見抜いていた。なんだか、吉良に俺の手の内を読まれているようで、診療中の健斗を相手にしているようで、やりづらい。
「なに、健斗の受け売りでもしたいの?」
吉良が今言った言葉は、もう十年近く前、健斗の診療を初めて受けた時に言われた言葉とほぼ同じだった。
従兄弟の時は軽く受け流せたけど、彼女に言われるとなんだか腹が立つ感じだった。
「それとも、貴女に俺の本音でも晒せばいいの?」
「私ではなく、榊さんが気を許せる人間であれば、誰でも良いんです。でも、貴方は仲の良い院長にも本音は言わないようですし…」
「…ドSに攻撃材料を渡すわけがないだろ?」
吉良が曖昧に笑う。
「普段なら、そうでしょうね。でも仕事中は人格どころか人間が別物ですから、優しくて頼りになりますよ」
それは健斗を褒めているのか?
とりあえず、吉良が健斗を医者として認めていることは分かる。
だが生憎、俺の診療中は普段の従兄弟の性格のままだ。彼女の言葉を鵜呑みに出来ない。
それに、今の健斗を頼りにする吉良の言葉は気に食わない。
「だとしても、健斗にだけは絶対言わない」
不覚にも露骨に不快感をあらわにしてしまった俺に、吉良は不思議そうに首をかしげる。
「そもそも、吉良は俺に進言しながら、自分は俺の話を聞く気はない訳?」
「貴方にその気があるのなら、仕事中にカウンセリングとして伺いますよ?」
「プライベートではお断りってこと?」
「患者さまとプライベートの共有は一切しません。それに、仕事中の私には守秘義務と言う制約があります」
「それは、吉良は俺との話を秘密にしてくれるってこと?」
「ええ」
「健斗にも?」
「…貴方がそう強く望むのなら、院長にも言いませんし、他言は一切しません。ただ、貴方が何かしらの犯罪で警察沙汰になった場合、警察などに貴方の情報を提供する場合はあります」
「いや、別に警察に世話になる様な事はしていないから、大丈夫だけど…」
流石に、間違っても警察沙汰になる事態はないだろう。
世話にならない様に、細心の注意を払って生きてきたのだから。
「問題は、貴方を大嫌いと宣言した私を、貴方が信頼して初めて成立する話だということです。私は貴方に無理強いするつもりはありませんし、貴方の意思にお任せします」
つまり、仕事上なら話は聞くけれど、それ以外はお断り。
守秘義務で秘密は最低限守られるが、貴方は好きじゃないから相応の覚悟をして望め。
ということか、もしくは、自分からは断れないから、俺が断るように仕向けているのか。
そんなことを言われなくても、俺の答えは決まっている。
「悪いけど、吉良だろうと健斗だろうと、弱音を吐くつもりも本音を吐きだすつもりもないよ」
吉良はただ、頷いた。その答えを予期していたかのように。
「だけど、吉良と話をしたいとは思う」
彼女の大きめのダークブラウンの双眸が一瞬大きく見開いたあと、何度も瞬いて長い睫毛が揺れた。
予想外の事に、どうすれば良いのか分からない様子で。
「前に言っただろ、貴女と話をしていると楽だって」
「…はぁ」
要領を得ない感じで、吉良はそう答えるがまだ頭の上にクエスチョンマークがいくつも浮かんでいるような顔をしていた。
「…それとも、貴女の事が知りたくてたまらないから、貴女の全てを教えてって率直に言った方が良い?」
俺の前に突き出されたままの吉良の手を取り、上坂伊織の口説きモードでそう告げ、軽く手の甲に口づける。
途端に、吉良の大きめの瞳が更に驚きで大きくなり、頬に朱が差す。
「な、なななななんで、て、手に、キスをっ!?」
言葉よりも行動に反応した吉良は、俺よりも四つも年上だなんて全く思えない程、うろたえて恥ずかしがっているのがまるわかりだ。
つい、もっとからかってみたくなる。
「食後のデザートがなかっただろ?」
「え?あ…ゼリーなら有りますよ?」
この期に及んで、吉良はそんな見当違いで真面目な言葉を返して来る。
「そんなものより、貴女の方が良い…甘くて淫靡な貴女が食べたい」
そんな真似をしたら、健斗は有言実行で吉良を俺の診療から外すだろう。けれど、彼女が乗り気になってくれるなら、このまま抱いてしまっても良い。
口説き落とす手段は、言葉だけではない。完全に俺に溺れさせるなら、身体に教え込む方が手っ取り早い。理性的で恋愛の話になると途端に鈍くなる吉良には、こちらの手段の方がより効果的で、背徳であればあるほど、落ちた後は溺れやすい。
俺に溺れれば、吉良の方から俺の診療に付きたいと言わせるのは容易いから。
「俺に食べられてみる?」
間合いを詰めながら、耳まで真っ赤に染めた吉良に、俺は誘う様に熱っぽく囁いた。