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Parfum  作者: 響かほり
第九章 クレーム・ランヴェルセは甘くて苦い
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   §



 部屋の中にお米の炊けたふんわりとした匂いと、魚のこんがり焼けた匂い、空腹感を誘うみそ汁の香りが広がる頃、俺の従兄弟はダイニングにやってきた。

 その頃には既に身支度を整え、一部の隙もない。寝ぐせの付いた頭の俺とは、対照的だ。

 健斗は、ダイニングテーブルの上に置かれた青菜のお浸しと、鮭の切り身の塩焼き、出し巻き卵を見ながら、俺の前にある空の器を見て、渋い顔をする。


「お前、puddingは許すが、朝から気色悪くなる喰い方するな」


 無駄に良い発音でそう窘めてくる健斗は、俺の隣に腰を下ろす。


「健斗こそ、朝から胸やけするような量じゃないか」


 朝食なんて、寝起きにコーヒー程度の俺には、健斗の朝食量は拷問だ。


「朝しっかり食わねぇから、そんな貧相な体力なんだよ、お前は」

「朝からプリン五つも問題ですけど、朝から二人前もどうかと思いますよ?」


 言い合う俺達の傍に、吉良がお盆を持ってやってくる。

 健斗には大盛りのご飯とみそ汁。

 俺の前には一人前の土鍋に入ったお粥と、別皿で梅干しと焼き鮭の切り身が、蓮華を添えて置かれる。空いた器は綺麗に下げられる。


「まだお腹に余裕があったら食べてみてください…あ、薬だけはちゃんと飲んで下さいね」


 吉良は食事を強要する訳でもなく、そう言って、後から薬を添える。

 俺と健斗の前に食事はあるけれど、吉良の分はそこにない。


「吉良は食べないの?」

「榊さんのベッドのシーツ交換と、部屋の掃除を先に済ませてきます」

「マメだね。尽くすタイプ?」

「金の分だけ働くのは当然だろうが。…おい吉良、みそ汁の出汁、鰹節から削らずに削り節を使ったな。風味が悪い」


 既にみそ汁をすすり始めていた健斗がそう言い放つ。料理の味にうるさい健斗の言葉に、吉良は困ったように首を竦める。


「院長の家なら鰹節を削りますけど、此処にはそう言った調理器具や食材はありませんから諦めて下さい」

「お前の所為か」


 味にうるさい従兄弟が、舌打ちしながら俺を睨む。文句を言いながらも、みそ汁を残すつもりはない様だった。


「調理器具ぐらい完璧にそろえておけ」

「使いもしない物は置かない主義」

「生活能力ゼロ男が」

「食通崩れでいちいち、料理に文句付けるのが好きな男よりましだろ」


 突っ掛かって来る従兄弟に、思わずイラっとする。


「まあまあ。私、掃除に入るので、榊さんはお薬忘れずに飲んで下さい。院長、食器は後で片付けますから、終わったらそのままでお願いします」


 それだけ言って、吉良は俺達の返事を待たずに部屋から出て行く。

 俺はその後ろ姿を何気なく追って見ていた。扉の先に彼女が消えてからも、何となく、そちらを見ていた。

 やっぱり彼女は精神的に、俺よりずっと大人なのだ。

 こういうプロ意識は嫌いじゃない。むしろ好感すら抱く。なのに、心のどこかで彼女のそんな態度が気に入らない。理由が解らないから余計にモヤモヤする。


「次の診療から吉良を外す」


 吉良の事に気を取られていた俺は、健斗の言葉に視線を彼の方へ向けた。健斗は食事をとりながら眼鏡の奥から俺を鋭く射抜く。

 吉良が居なくなった途端これだ。


「そんな真似、絶対に認めないから」


 俺は蓮華を手に取り、湯気を放つお粥をひと匙掬い口に運ぶ。


“うまっ…”


 病院のお粥の様な嫌な匂いも味も、全くしない。お米の甘みと風味がはっきり分かる。

 これなら食べられる。どんどん、喉を通っていく。

 健斗は、箸と茶碗を机に下ろす。


「昨日の一件で、お前は美菜に怪我をさせた。その制裁は受けてもらうぞ」

「…美菜様を怪我させたのは、悪かったと思ってるよ」

「謝罪をする相手が違うだろうが」


 突き放すように健斗は言い放つ。

殺気を帯びた眼光に、健斗が怒りを堪えていたことが容易に知れる。良く、吉良が居る間それを隠していたと思う。

 昨日だって、吉良が居なければ病院の時点で容赦なく殴り飛ばされて、俺も怪我をしていてもおかしくなかった。


「後で、謝りに行く」

「当然だ。だからと言って、お前への制裁は覆さねぇ。吉良は外す」


 不意に放たれた従兄弟の宣言に、自分の眉間に深いしわが出来るのが分かる。


「認めないって言ってるだろ」

「お前の意思など知ったことか」


 俺は乱暴に蓮華を粥の中に置く。


「吉良より使える看護師が居る訳?俺を暴れさせないで点滴できるような人間が、他に居るのかよ」

「居る訳ないだろ」

「何だよ、その嫌がらせ」

「嫌がらせでなければ、制裁にならんだろうが」


 鼻で笑った健斗の言うことは尤もだが、気に入らない。

 よりによって吉良を俺から引き離すなんて。


「それに仕事中、お前が手を出したくなる程、女を感じさせた吉良にも問題はある」

「…は?何だよ、それ」

「勤務中に女を感じさせるような看護師、患者の傍に置けないだろ。お前もそれだけ飯が食えるなら、点滴も必要ない。吉良をこのまま返す」


 俺は思わず、机を拳で殴りつけた。

 吉良に非があるような言い方に、俺は無性に腹が立つ。


「ふざけるな。吉良がその類の女じゃないって、お前が一番分かっているだろ!別に吉良が媚を売るような真似をしたから、手を出した訳じゃない!」

「だったら、何で手を出した?吉良が遊びの恋愛に不向きだと、お前にだって分かるだろ。つまみ食いするほど女に不自由もしてないくせに、何をやっている」


 淡々と訊ねた健斗に、俺はとっさに返事が出来ない。

 …節度を持った吉良の態度が、気に入らなかったから。

 …吉良の優しさが、看護師という職業上の物だから気に入らなかった。

 それは全て、吉良に自分の意思で『俺』という存在に向き合ってほしかったからだ。

 そう思う感情を、どう言えば良いのかわからない。

 健斗は俺をじっと見据え、返事をしない俺に深くため息を漏らす。


「お前みたいな奴が一番面倒くせぇ」

「なんだよ、それ。要は俺が吉良に手を出さなければ良いだけの話だろ。お前に点滴を打たれるなんて、絶対嫌だからな。俺が今日、吉良に手を出さなかったら、診療から彼女をはずすなよ」


 また健斗に何度も針を刺されて、腕が真っ青になる苦痛に耐えるのかと思うと、全身が粟立つ。それだけは絶対に回避しなければ。

 俺の身の安全と精神的なストレス回避の為に、看護師としての吉良を失う訳にはいかないのだ。

 意味のわからない吉良への感情に気を取られている場合ではない。

 そんな俺の焦りとは裏腹に、健斗は嫌味たらしい程に不敵な笑顔を浮かべた。


「この先も手を出すな。あいつは俺と美菜のものだ」


 その一言に、俺はまた訳もなく苛々した。

 でもその理由は自分でも分からないままだった。



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