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Parfum  作者: 響かほり
第八章 普段おとなしい人間はキレると危険
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   §



 強制的に院長が運転する車で連れてこられたのは、榊が経営する『聖心会』系列の病院と連携関係を結んだ外部の病院。

 普段は安全運転だけど、怒り心頭だった院長の運転は暴走と言うに相応しく、私は軽く車に酔って頭がクワンクワンしている。

 良く警察に追われず、事故も起こさずに無事にたどり着けたと心底、思う。


「気持ち悪…」


 だけど、そんな私の事などお構いなしで院長は車から私を引きずり出して、私の腕を掴んだまま病院の中に突き進む。

 病院内に入ってすぐ、院長に声をかけて来たのは、恰幅の良い中年の医師だった。

 たしか院長の医大生時代のお友達で、内科医の丸目先生だ。何度お会いしたことがある。

 簡単に挨拶をした後、丸目先生は院長と私を、榊紫苑が入院している病室まで案内してくださった。

 榊紫苑は四階病棟にある特別室と呼ばれる、ホテルの一室の様なキッチンもお風呂も付いた豪華な造りの病室に入院しているらしい。

 特別室は普通の病室とは離れた場所にあり、扉で廊下が区切られている。

 扉の先は、廊下に赤絨毯が敷かれた何とも病院とはかけ離れた異様な世界で、いわゆるお金持ちとか政治家とか、お忍び入院を必要とする人など、VIPな患者様が入られる事が多い。

 だから優雅な雰囲気なのだけれど、男性の錯乱した叫び声が異常に廊下に響き渡った。

 思わず私は、気持ち悪い事も忘れて、廊下の先にある特別室に向かって駆け出していた。


「待て、吉良!」


 呼びとめられたけれど、足を止められなかった。

 怯えるような、威嚇するようでいて救済を求めるその声を、無視なんて出来なかった。

 開いたままの病室の扉をくぐり、私は思わず絶句した。

 榊紫苑が、男性看護師二人に背後から羽交い絞めにされても尚、それを振りほどこうと暴れていた。

 部屋の中は、散々暴れつくしたであろう烈しい惨状。

 ベッドの位置もゆがみ、花瓶も床に落ちて、水は零れて花は踏みにじらられてボロボロ。

 点滴ボトルをつけたまま、点滴スタンドも倒れ、ところどころに血の飛沫や血痕がある。

 病衣を着た榊紫苑の左腕は血で染まり、だらだらと血が滴る。

 恐らく、点滴をしている途中で無理やり引き抜いたのだろう。

 落ち着くようにと男性看護師が大声を張り上げるが、榊紫苑は自由を拘束されたせいでより一層、体を動かして相手を振りほどこうとする。


「あげは…」


 その異様な光景に目を奪われていたら、右隣から美菜先生の声がした。

 声のする方を見ると、体を看護師に支えられた美菜先生が、氷の入った袋を左の頭に当てている。

 美菜先生は、どうしてよいのか分からず困惑したような顔のまま、私を見ていた。


「ど、どうしたんですか!」

「しーちゃん、強引に点滴をされてパニックを起こしてしまったの…それを止めようとして、ちょっと彼の腕が当たってしまいましたのよ」

「ちょっとどころじゃありませんよ、体が飛ばされて壁に頭をぶつけられて、脳震盪起こしかけたんですから。本来は、安静にしていただかないと困ります」


 傍にいた看護師がそう答える。

 納得がいった。だから院長があんなに激高したんだ…。

 そりゃキレますよね、院長。大事な美菜先生が怪我をしたら、私だってキレます。

 偶発的事故だったとしても、かよわい女の人に拳を当てるなんて、ダメ男の極み!


「あっ!近付いたら駄目です!」


 そんな声が聞こえた気がするけど、私はもがく榊紫苑の傍に歩いていく。

 沸騰した頭ではあっても、自分が何をするのかをきちんと理解はしている。


「榊紫苑!」


 持てる肺活量の全てを使って、私は彼の名を一喝するように呼ぶ。

 一瞬、と暴れる男の動きが止まる。

 それと同時に、私は手のスナップを利かせ容赦なく相手の頬にきつい一撃を食らわせる。


「っぅ…何しやがる!」


 叩かれて横を向いた榊紫苑は、ゆっくりと首を動かし鋭い双眸で私を見た瞬間、驚いたような顔をする。


「…吉良…?」

「そうよ。貴方、そんなに暴れ回って何をしているの、美菜先生にまで怪我をさせて」


 一か八かの荒療治で、パニック症状はどうにか止まった相手に、努めて優しくそう声をかける。けれど、優しい言葉はかけなかった。

 私に言われて榊紫苑は周囲を見回し、美菜先生を見て驚愕し、部屋を見渡してから表情を蒼白させた。


「…俺…また…やった?」


“…また?”


 その意味が分からず、それについての返事は出来なかった。

 けれど、彼の顔には後悔の念がありありと浮かんでいたので、咎めることは止めた。


「何がそんなに嫌か知らないけど、とりあえず血を止めましょう」


 暴れなくなった榊紫苑の腕を見、彼を羽交い絞めにしていた後ろの男性看護師に『離しても大丈夫』と、目くばせすると、二人はそっと榊紫苑の体を開放する。

 私は近くにあった処置道具の中から無事だったアルコール綿を取り、血だらけの榊紫苑の左腕を掴んで、血があふれ出る抜針部位をアルコール綿で押さえる。

 押さえた彼の腕は熱を孕んでいた。

 この分だと、かなりの高熱がある筈。


「血が止まったら、まず迷惑をかけた人に謝って、それから体を綺麗にして休みましょう」


 病院の看護師さんが差し出してくれたガーゼで榊紫苑の腕に付いた真新しい血を拭いながら、子供に言い聞かせるように、ゆっくりそう説明する。

 榊紫苑は悄然としたまま、黙って頷く。


「…ごめん」

「それは、私ではなく、後でこの病院の人たちと美菜先生に伝えてあげてください」


 力なく頷いた榊紫苑は、まるで咎められて泣きだしそうな子供のような顔をしていた。

 なんだろう、自分は悪くないはずなのに、変な罪悪感が胸の中に芽生えてしまう。


「痛い所は?暴れた時に、どこか怪我をしていませんか?…ちょ、ちょっと榊さん!」


 榊紫苑の空いた右腕が私の背に回り、体が強く彼に引き寄せられる。

 その状況に、私は自分の学習能力の無さを恨んだ。

 あまつさえ、榊紫苑がTPOどころか、人目さえもわきまえない図太い神経の持ち主だと、未だ以て見抜けなかった。

 この男の腕に幾度囚われたら、私は学ぶのだろう…。

 でも抵抗したくとも、看護師の性で止血途中の場所を離す事ができない。

 それに、榊紫苑の体が震えている。

 熱のせいなのか、それとも心因的なことなのか…。


「…ごめん……やっぱり、貴女じゃないと…俺…駄目だ…」


 迂闊にも意識を他所に向けていた私の耳朶元で、榊紫苑がぼそりとそう呟いた。


「え?榊さん?榊さん!」


 そのまま圧し掛かるように、体から力の抜けていった榊紫苑の体を抱えた。



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