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Parfum  作者: 響かほり
第八章 普段おとなしい人間はキレると危険
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「おはよ…ひっ…」


 視線を向ければ、白衣に着替えたパート看護師の結城ゆうきさんが、待合室と廊下の狭間で怯えた顔で後ずさっていた。

 その結城さんの後から入ってきた、社会福祉士の五藤ごとうさんが、結城さんとぶつかった。


「おわっ!なに、結城…げっ!」


 二人は、私と院長を交互に見て、顔をひきつらせて固まった。


「おはようございます」

「お、おはようございます、し、しししし師長!」


 にっこりと笑みを零せば、五藤さんが冷や汗を垂らしながら、普段使わない役職名で私を呼ぶ。


「…院長、何やらかしたんで?吉良っち…じゃない、師長ひっさしぶりにブラック降臨してますけど」

「わ、悪い事言いませんよって、はよ、あげちゃんにお謝りやす」

「…お前ら、最初ハナから俺が悪いと決めつけてるだろ」


 結城さんと五藤さんは、ほぼ同時に頷く。


「ほら、滅多に怒りはらんあげちゃんが、こないに怒らはるんです。健斗先生が、いけずしはったんと違いますの?」

「普段、院長に対してキレないで我慢できる方が不思議ですよ。普通だったら、刺されてますって。早く、謝った方が良いですよ」


“どれだけ日頃の行いが悪いんですか院長…”


 二人の容赦ない突っ込みに、さすがの院長もばつが悪いのか、呆れたのか閉口する。

 院長が口撃で閉口するのは、余程、自分の身につまされる事があったか、反撃の計画を立てているか…。


 院長が何を企んでいようとも、私は自分の身の危険―主に榊紫苑―を早急に解消しなければ、身も心も食べられそう。それだけは、絶対に嫌!


「ともかく、貴方の従兄弟をどうにかしてください。お願いしますね、院長」

「…あぁ…分かった…善処する」

「頼みますよ?」

「念押しするな。やると言ったことはやる」


 不承不承といった様子で答えた院長から、私は手を離して乱れた白衣を整える。


「それから、ついでに掃除機もかけてくださいね?」

「あぁ?それの何がついでだ」


 露骨に嫌そうな顔をした院長に、私は容赦なく掃除機を突き付けた。


「師長、それ俺がやらせてもらいます!」

「五藤さんは、やり残した相談室に置いてある資料の整理をお任せしますね?」


 慌てたように五藤さんが私の手から掃除機を取り上げようとしたけれど、その資料整理と言う言葉に固まった。

 土曜日に院内の勉強用資料の整理整頓を伝えたのに、途中で投げ出した状態で机の上にあるのを、掃除で見つけてしまった。あの状態の部屋で、社会福祉士としての相談は受けられないので、早急に片付けてもらわないと。


「お二人とも、お・ね・が・い・し・ま・す・ね?」


 念押しするように、極上の愛想笑いを浮かべれば、五藤さんは壊れた振り子人形の様に頸を縦に振る。


「りょ、了解っす!就業までに終わらせますっ!!」


 対して、院長は短くため息をつく。

 まるで子供のわがままを前にして、呆れかえるように。


「わかった、わかった。やりゃぁ、良いんだろうが」

「院長。私、明日から一週間、有給休暇使用して良いですか?」


 勤め始めてから一度も有給休暇を使っていないから、かなり未消化分が溜まっている。

 私が居なくてもシフトも、おおよその業務も回るようになってはいるけれど、院長の業務だけは私が居ないと、院長が色々困る事になる。

 主に、面倒くさいと言う理由で私に仕事を委託している院長の怠惰が成したツケなのだから、自業自得と言えばそれまでだけど。

 院長は、かなり気難しい。コーヒー一つにしてもマメの分量や水の種類が違うと不機嫌になるし。仕事中は必要なことを最低限しか言わないから、一つの言葉で幾つもの意味を考えて行動しなければ仕事が回らないから大変。

 診療中に滞りが出来ると患者様をお待たせてしまうので、そうなると院長はイライラが止まらなくなる。そうならない為に私たち看護師が診療介助に入るのだけど、月曜日や土曜日の診療は患者様の来院数が格段に上がる日は、忙しさで院長も普段以上に必要な言葉を喋らなくなるので、判断に困る事が多くなる。

 でも、どうすればいいか院長に尋ねるとブリザードが吹き荒れるから、誰も院長に質問が出来なくなる。そうなると、必然的に師長職の私に、判断が回される。ほとんどの事は私の判断でも問題はないし、院長の判断が必要な事項はきちんと院長から確認を取る。

 怖かろうと、其処を押さえて確認をすれば院長は院長の機嫌は悪くならない。

つまり、月曜日と土曜日の診療時間帯は戦場になるので、細かな仕事を引き受ける私が欠けると院長の手が何度も止まる羽目になって、院長の仕事が回らないという構図が出来上がる。


「…掃除機、かけさせてもらいます」


 院長が使ったことのない言葉遣いで承諾の返事をし、私の手から掃除機の柄を奪い取り、手に持っていたコーヒーカップを代わりに私の手に乗せる。

 そして、おもむろに掃除機をかけ始める。

 仮にもクリニックの長が掃除をするという一種異様な光景に、五藤さんも結城さんも掃除を代わるべきか困惑している様子で、院長を見ていた。


「くれぐれも、院長に手を貸さないで下さいね?」

 二人に念押しをすれば、二人はびくっと身を跳ねさせて、何度も首を縦に振る。

「ブラックな吉良っち…じゃない、師長には死んでも逆らいません!俺は俺の仕事を完遂させてきます!」

「ほ、ほなら、うちもそろそろ診察の準備します」


 そそくさと結城さんも五藤さんも、その場から立ち去る。

 入れ替わるように、絢子さんが戻ってきて、院長の姿に飛びずさる。


「ちょっとー!台風が来るっ!?どうしよう、雅樹まさきに傘持たせてないわよっ!」

「うるさいぞ、絢子あやこ


 愛息の身を案じて叫んだ絢子さんを、院長は一瞥しそのまま与えられた役目を無言で完遂させた。




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