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Parfum  作者: 響かほり
第七章 時にはハンターの様に
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“…そういや、ここ健斗の家だったな”


 吉良との口付けの最中、先の行為を望み片手で部屋の扉を閉じ、鍵をかけた時、わずかな理性が俺に重要な事を教える。

 だが、頭の中で派手な警鐘が鳴るのに、心地良く心を浸食する快楽に抗えない。

 いつもなら、主導権は自分にある。快楽に溺れることなく、どこか一線を引いて冷静な自分がいる。

 けれど、吉良とのキスは違う。

 駆け引きを忘れ、彼女の不慣れな口付けに何故だか溺れていく。

 吉良の体を壁に押し付け、長く口づけを繰り返しながら、彼女の首に巻かれていたスカーフを緩めて解く。

 露わになった首筋にある、まだ鮮やかな赤みをさした痣に唇を寄せる。

 いつもの淡く芳香するラベンダーの香り。なのに、今日のそれは貪りつきたくなるほど甘い果実の香のようでもあった。酷く、劣情をそそる。

 彼女の体を太ももから上へとゆるゆると撫でながらひらひらとしたチュニックの内側へ手を忍ばせる。同時に、残した意味を確かめるように自分で作った赤い華を舌で撫であげれば、吉良は媚態を帯びた短い悲鳴を上げ、彼女の体がびくりと震える。

 キャミソールの内側から彼女の肌は滑らかで柔らかく、それでいて贅がない。白衣越しにスタイルが良いと思っていたけれど、実際、そのくびれた腰のラインは申し分のない曲線を描く。

 ゆっくりと彼女の体のラインを確かめながら上昇する俺の手を、吉良が掴んだ。


「…や…です」


 顔を上げれば、朱に染まった顔の吉良が、涙が滲む双眸で俺を睨みあげる。

 表情はどこか熱に浮かされて色香を映し、俺の心を揺さぶる。


「いい加減に…してください…美菜先生と院長に報告…しますよ」

「報告なんて、するまでもないよ。どうせ、吉良の喘ぐ声が部屋の外に漏れるから」

「よ、他所様の家で、何をするつもりですか…節操なし…なんで…こんなキスをするんですか」


 吉良は、体に力が入らないのか、弱々しい声でそうたしなめて尋ねてきた。


「仕事も手に付かなくなるくらい、理性食い破るくらい、俺の中に貴女が居るから」


 寝不足で思考がおかしくなった訳でもなければ、美菜様の電話が全ての発端でもない。

 あれは、引き金にすぎなかったのだと分かる。

 美菜様に牽制された時、頭では理解できても、感情が吉良との関わりを断つ事を拒絶していた。

 それは、吉良が俺にとって、都合のよい有能な看護師だったからではない。

 俺は仕事と私生活の境界線さえ見えないほど、ずっと何かを演じていた。

 人に会う度、相手に合わせて自分を演じて心を隠していた。特に女性には。

 人に裏切られて、捨てられるのは一度だけで十分。女など信用できなかった。

 利用価値を見出せなくなったからと、幼い俺を簡単に捨てて消えた母親の呪縛が、無意識に俺に鎧をまとわせる。

 誰にも心を開かない。覗かせない。

 それは、俺の事を一番、理解しているであろう健斗にさえ。

 本当の自分が何なのか、自分の心が本当に感じている事が分からなくなるくらい、心が麻痺をしていた。

 なのに、一人になるのはどうしようもなく怖い。

 孤独は不安で、一人で眠る事さえできない。

 睡眠薬を使っても、徐々に効かなくなって薬の量が増えるばかりで、眠れない。

 眠れなければ、誰かと過ごして不安を消すしかない。

 自分が誰とも分からない何かを演じたまま、息を抜く場所すらわからない。

 そんな自分に、どこかでウンザリしていた。


『セクハラで訴えますよ?』


 出会って間もない吉良に言われた一言。

 上坂伊織でもなく、榊の一族としてでもなく、ただの『榊紫苑』としての俺を見て反応を返した彼女に、俺は安堵した。

 愛想笑いでも作り笑いでもなく、心の底から自然にその時、笑えた。

 事務的な会話がほとんどだったけど、最初と変わらない接し方の彼女と会話するわずかな時間だけ、自分を取り繕わなくて良かった。

 そして、彼女が纏う香りが、仕事の事も他所に置いて、眠ろうと焦燥する気持ちも減らしてくれた。

 診療の時間の間だけが、俺の安息だった。


「俺、貴女が気に入っている」


 彼女への感情を言葉にするなら、それは『好意』だ。

 他の女には芽生えなかった、女性の中でただ一人、吉良だけに芽生えたもの。


「……誰が、誰を…?」

「俺が、貴女を」


 吉良は不思議そうな顔をしていた。理解できていないのだろう。

 鋭いようでいて鈍感な彼女には、難しいのか。


「…記憶のどこをどう探しても、その選択肢に行きつく思い出がないんですけど」


 困惑したように、至極真面目に吉良はそう答えた。


「そう?俺としては、今の給料の倍出すから、健斗の所を辞めて俺専属の看護師になってもらいたいくらいだけど」


 途端に、吉良の表情が不快に歪む。


「ヘッドハンティングですか?貴方、院長の従兄弟でしょ?何考えているんですか。看護師なら、他を当たってください」

「俺は貴女だから欲しいんだよ」

「嫌です」

「即答?」

「貴方が大っ嫌いなので、無理です」


 間髪いれず率直に言葉を返した吉良に、思わず苦笑が漏れる。

 激しく嫌われたものだ。それで引き下がるつもりもないけれど。


「今はそれでも良いよ」

「今も未来も、変わるつもりはありません。分かったら、離れてください」


 逃げ場のない拘束された状況でも、彼女は視線を逸らさない。

 まるで、逃げたら負けると言わんばかりに、睨むように。

 あのまま体に教え込んで籠絡した方が良かったのかもと、少し後悔したけれど、簡単に靡かれたら今すぐに吉良への興味を失ってしまいそうだったのも事実。

 それに、あの泣き出しそうな顔は見たくない。じっくり攻め落とすしかないだろう。

 健斗にすら女として靡かない吉良を落としたら、従兄弟はどういう顔をするのか。

 俺を拒む吉良が、俺に堕ちたらどう変わるのか。

 想像するだけで胸が躍る。しばらくは、退屈しなくて済みそうだ。


「俺は、欲しいものは諦めない主義だから、覚悟してね」


 彼女に軽く口づけて挑発的に笑えば、吉良は「貴方なんて、大っ嫌いっ!」と絶叫した。





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