26 ~吉良side~
第六章 弱った大型犬にもご注意を
「三十九度六分…立派な熱ですこと」
院長宅の客間では、榊紫苑がベッドの上で真っ赤な顔をして、荒い息だった。
美菜先生がベッドサイドに腰をかけ、榊紫苑の脇から体温計を抜いて揶揄した。
既に榊紫苑には寒気がなくなっていたので、私は美菜先生とは反対側のベッドサイドに立って、榊紫苑の頭の下に氷枕を当てる。
既に彼の腕には、ブドウ糖の入った補液用の点滴が入っている。
「疲れが出たって所かしら。肌の荒れ方からして、食事も睡眠も満足になさっていないわね。せっかくの美貌が台無し」
美菜先生は、呆れながら病人の頬を軽くつねる。
「…商売道具を傷つけないでください」
「まぁ。このようにくたびれた商品のどこに、商品価値が?あたくしが理解できるように、一万文字以上で説明して御覧なさい」
「いたっ…マジで、勘弁…」
「美を追求維持できない不摂生な美形など、滅んでおしまい!」
病人に対しても遠慮がない美菜先生に、榊紫苑も頭が上がらない様子だった。
なんだか、年の離れた姉弟の喧嘩みたい。
“それにしても、顔が商売道具って…榊紫苑の仕事って、モデルか何か?“
絢子さんや結城さんが喜びそうな美形で、モデル職も似合いそうな気がする。ただ、華やかな世界に興味がないので例え彼がモデルだとしても、私にはピンとこない。
「どうせ貴方の事ですから、家に帰らず夜遊びばかりしているのでしょう?」
「…解っているなら、わざわざ聞かないで下さい」
「貴方、節度と自重いう言葉をご存知?」
「…すいません。俺、難しい日本語は分かりません」
謝っているのか、美菜先生に反抗しているのか複雑な返答の仕方だった。
“その答え方は、美菜先生相手にものすごく不味いと思うわ…”
せめて、「自分の体力を過信していました」程度にしないと、美菜先生の逆鱗に触れてしまう。
案の定、美菜先生は極上の微笑みを湛えた。
妖艶でいて不敵で、内に秘めた悪性を滲ませる、院長曰く『魔女の微笑み』。
「しーちゃん、注射と座薬、どちらがお好み?」
「…どっちも嫌…です…」
唸るように榊紫苑は答える。
「あげは、解熱薬を筋注するわ」
「はい」
「だから、嫌だって…」
「口答えしない!」
声に力はないけれど、心底嫌そうにした榊紫苑を、美菜先生は一蹴する。
榊紫苑が拒否しようと、同意しようと、初めから注射をすることを決めていた美菜先生の指示で、既に注射の準備は出来ていた。
「しーちゃん、お尻出しなさい」
「出来るかっ、そんなことっ!」
その言葉に、榊紫苑が熱で真っ赤にした顔を恐怖に歪ませて飛び起きる。
が、熱のせいか、榊紫苑の身体がくらっと倒れかかる。
点滴のルートが引っ張られそうになり、私は思わずベッドに片膝をかけて上り、榊紫苑の体を支える。
彼を倒れるのは防いだけれど、支えると言うか、彼は私の胸に横顔をうずめるようにもたれかかる恰好になっている。
高熱が出ているだけあって、榊紫苑の体は異常な熱を帯びていた。
「…へぇ、吉良さん結構胸あるね」
しれっとそんな言わなくても良い事を口にした榊紫苑を思わず殴り飛ばしたくなったけれど、次に飛んできた美菜先生の言葉に、反射的に反応してしまった。
「あげは、そのまましーちゃんの頭と腕をホールドして!」
美菜先生の言わんとすることを即座に判断し、片腕で榊紫苑の頭を抱きしめ、残った手で美菜先生側の腕が動かないように肘を掴む。
その隙に、美菜先生は榊紫苑のワイシャツのボタンをはずして、諸肌を見せるように半分、シャツをずり下げるように脱がせる。
「何…俺を襲う気?」
抵抗はしないものの、何をされるのかを理解していない美青年は、捻くれた事を言う。
「半分だけ、合ってます」
「…せっかくなら、襲う方が良い…」
人の胸に顔をうずめたまま、抵抗する気力も体力もないのに榊紫苑はそう呟く。
負けず嫌いと言うか、容姿に似合わず、かなり子供っぽい。