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Parfum  作者: 響かほり
第五章 それを人は気の迷いと云う
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     §



『演技ができるまで、戻ってくるんじゃねぇ!』


 あの後、全く調子が戻らなかった俺に周防監督が激怒し、俺は一日暇を言い渡された。

 役を下ろされなかっただけましだったが、監督の言葉は俺にとってかなり屈辱だった。

 演技をする事だけが、俺の特技であり生きる全てだった。

 だからこそ、台本は隅から隅まで読みつくし、台詞も完全に頭に入れ、どう立ち振る舞う事が最善かを常に考えて撮影に臨んできた。

 なのに、頭で分かっているのに体が動かないジレンマ。

 美菜様の電話の後から、俺は俺ではなくなっている。

 別れの『台詞』を口にしようとする度、俺の思考を塞ぐように、脳裏に吉良が現れる。

 強い拒絶と怒りを含んだ瞳で、泣き出しそうな顔をして俺を見ていた吉良の姿。

 泣きそうな表情を演技していた目の前の女優とは比べ物にならぬほど、鮮烈で俺の心を揺さぶる。

 媚びない、靡かない。俺を頑なに拒む彼女の姿が蘇り、台詞が瞬時に消える。

 幾度、気を取り直して撮影に入っても、吉良の事がチラついて集中力が削げていく。

 どうして吉良が俺を侵食する?

 演技の最中に、他の何かが邪魔することなどなかった。


“美菜様は、俺にとって鬼門だな”


 美菜様と吉良の話をしてから、俺の異変は始まった。

 午前中は何ともなかったのだ。問題があるとすれば、それしか考えられない。

 だが、問題は分かれど原因が分からない。

 何故、吉良の泣き出しそうな表情を思い出して、言葉が出なくなるのか。

 原因を突き止めて、どうにかしなければ、このスランプから立ち直れない気がした。

 気付けば今、俺は健斗が院長を務めるクリニックがあるビルの前にいる。

 来てはみたものの、今の時間は夕方診療が始まる直前で、人目に付く。

 吉良が出勤しているのかも確認していない。


“はぁ…俺、何やってんだろ”


 健斗に電話で確認を取ることもせず、変装らしい変装だって何もしていない。

 カラーコンタクトを外した以外は、俳優『上坂伊織』の姿のまま。

 例え吉良に会った所で、悩みが解決するのかも分からないのに、何でハイリスクな真似をしているのだろう。


“…駄目だ。出直そう”


 芸能記者にゴシップを書き立てられでもしたら、癪に障る。

 健斗に仕事が終わったら連絡をくれるようメールだけして、戻ろう。

 駐車場に戻りながら、スーツのポケットから携帯電話を取り出し、その画面を見た瞬間、視界が捻じれるように歪む。


「っ!」


 そのまま倒れそうになったが、何とか踏ん張り倒れる醜態だけは逃れた。

 堪えたものの、体から一気に血の気が引いて行くのが分かる。

 目眩と、震えと共に、冷や汗が浮かぶ。

 ふらふらと見知らぬ車のボンネットに手をついて、頭を押さえる。

 堪えていても、症状はおさまらない所か酷くなる。


“健斗に電話…”


 近くにいて、処置の出来そうな相手は、従兄弟しかとっさに浮かばない。

 ケータイ電話に視線を向ければ、体が大きく揺れる。


“倒れる…”


 まるで他人事の様にそう思った。

 膝が崩れ、体が左に傾く。

 アスファルトに、捨て身の状態で倒れていく。

 激しい痛みと衝撃が、自分の体に襲いかかる。

 …はずだった。

 そうはならなかったのは、自分の体を左から支えた人の感触。


“そう言えばこんな事が、前にもあったな…”


「大丈夫ですか…って、榊さん!」


 動揺と驚愕が入り混じった声。

 それは聞き慣れた彼女の声で、何時もの香りも間近に感じられる。

 顔を見なくても、分かる。

 どうして、クリニックの中ではなく、此処にいるのだろう。


「…やあ、吉良さん」


 眼を開き、愛想笑いをして相手を見下ろせば、私服姿の吉良が俺を支えながらむっとしている。


「毎回、辛い時に恰好つけなくて結構です!辛い時は、辛い顔で良いんです!」


 ぴしゃりと叱りつけられ、俺は苦笑する。

 彼女はずっと気付いていて、気付かないふりをしていてくれたのだ、俺のやせ我慢を。

 吉良は、俺の首筋に手をのばし、軽く触れると、驚きに目を見開く。


「やっぱり熱がります。こんな状態になるまで動き回っていたんですか?」

「…熱?寒くて震えるくらいなのに?」


 言われても、自分ではよくわからない。


「その悪寒と戦慄は、高熱が出る前駆症状です。とりあえず、クリニックに行きましょう」


 俺を支えて歩こうとする彼女に、俺は抵抗した。

「嫌だ…」

「何を言ってるんですか」

「人がいる…健斗に迷惑がかかる」

「病人が迷惑なんて考えないでください!」


 なんだか、今日の彼女は怒ってばかりだ。

 昨日の今日じゃ仕方ないけれど、俺だってこればかりは譲れない。


「しーちゃんったら、我がまま坊やね」


 悪寒と別に、俺の背筋に寒気が走る。


「…その声」

「美菜先生!」


 声のする方を見れば、メリハリの利いたグラマラスボディの美麗な女性がそこにいる。

 気の強そうな釣り目がちな瞳が、不機嫌に俺を見る。


「相変わらず病院がお嫌いなのね…あげは、悪いけれど予定をキャンセルしてあたくしと一緒に、しーちゃんを我が家に運んでくださるかしら?」


 冗談じゃない。

 美菜様の手を煩わせたら、後でどんな仕打ちをされるか分かったものじゃない。


「…一人で帰ります」

「お黙り!貴方に拒否権はありません事よ!あたくしと吉良のディナーを反故になさった罰は、ちゃんと受けていただきますからね!」


 ならばいっそ、俺を放っておいてくれと唸ったら、美菜様に頭を叩かれた。

 抵抗むなしく、俺は吉良と美菜様に両サイドを拘束され、反拘束状態で美菜様の車に乗せられる。俺はそのまま健斗の家へと連行された。




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