24
§
「カット!」
監督の険しい声で、俺は我に帰る。
そこは、都内にある某ビルのとあるフロア。
俺の周囲には撮影クルーが仰々しく機材を持ちながら、渋い顔をみせる。
目の前には、相手の女優が困惑気に俺を見上げている。
“しまった。またやった…”
また撮影の最中に、意識が飛んだ。
「お前、やる気あるのか!」
演技に厳しい事で有名な映画監督、周防修平が床に思いっきり台本を投げつける。
元から人相が悪かったが、更に鬼と呼ぶにふさわしい、修羅の顔。
当然だ。
立て続けに、NGを十回も出せば、周防監督でなくともキレる。
美菜様からの電話の後、俺の演技はボロボロだった。
「すみません。もう一度やらせてください」
「集中力のねぇ野郎に何遍やらせても無駄だ!頭冷やしてこい!上坂抜きのシーン、先撮るぞ!」
周防監督は立ち上がり、周囲のスタッフはその声に従い、移動を開始する。
俺はその場から身動きが取れず、己の不甲斐無さに額を抑える。
どれほど体調が悪くても、ほとんどNGなど出した事はない。
なのに、今日は何度も同じ所で間違える。
恋人との別れのシーン。
別れの言葉が、どうしても出ない。
台詞は覚えている。
どう表現するのかも、頭の中に出来上がっている。
なのに、言葉を発する事が出来ないのだ。
自分らしくない失敗に、苛立ちが募る。
「上坂さん、大丈夫ですか?なんだか調子が悪そうです」
視線を上げれば、ヒロイン役の子がそこに残っていた。
今売出し中の若手女優で、この所、人気が急上昇している。
見た目は可愛らしくスタッフの受けも良いが、男の前で態度が変わるし、男に対する節操のない噂話は良く聞いている。
業界で人気のある男と交際すれば、名が売れるからだろう。
まあ、処世術だから嫌いではないが、俺に何かと媚を売るように接触してくるので、やんわりかわしていた。
「…あぁ、ごめんね、結城さん。こんなにリテイク出して」
愛想笑いを浮かべで見ても、自分の顔の筋肉が何所かぎこちなく動く。
重症だ。
笑うことすら出来なくなってる。
だが、彼女は何も気にする様子もなく、少し物憂げな表情を浮かべる。
「そんな事…いつも、私がリテイクばかりだから…気にしないでください。私に出来る事があったら、何でも言ってくださいね。私、上坂さんのお役に、立ちたいです」
普通の男が今の俺と同じ状態なら、くらっとくるのかもしれない。
だが、どれだけ巧妙でも俺は気付いてしまう。
彼女の中にある、打算的な仕草と言葉を。
「結城ちゃーん!」
遠くでスタッフが彼女を呼ぶ。
「ありがとう。でも君は、向こうに行った方が良いようだね」
「…でも」
渋るように、俺を上目遣いで見上げてくる相手に、内心で少し腹が立つ。
正直、こんな状態の自分の傍に人が居るのは、不愉快だった。
「監督が言うとおり、俺は頭を冷やして来るよ。一人で考えたい事もあるし、早く戻らないと、君まで監督に怒鳴られる…それは俺が嫌だな」
困ったように小さく笑みを浮かべれば、相手の頬は朱に染まる。
この程度で俺に惑わされるようなら、俺を籠絡など出来ないのに。
「あ、あの、待ってますから…失礼します」
頭を下げ、スタッフの方へ走っていく相手の後ろ姿を見送らず、俺はそのまま逆方向へと歩き出す。
時を見計らったかのように、マネージャーの熊井が俺の傍に駆け寄ってくる。
今までにないスランプに、熊井の表情が硬い。
「伊織」
「…悪い。クマ、一人にさせてくれ」
俺はそのまま人気のない場所に出ていった。
どれほど時間を費やしても、その日、嵌り込んだスランプから、俺は一度も立ち直る事が出来なった。