18
言われて、気付く。
抱き締められるような恰好になっていることに。
密着し過ぎて、背後から伝わる体の大きさと、温もり。
覆いかぶさる、見た目に反した男っぽいごつごつした手の感触に、変に相手を意識してしまい、一気に心臓が暴れだす。
過度の接触による緊張で、体が強張る。
「さ、榊さん、ち、近いですけど…」
いつもはしない榊紫苑の香水の香りが、鼻梁をくすぐる。
間近にいることで、意識しなければ感じない程度の香りも、強く感じる。
通常よりもかなり薄い香りになっているけど、この独特な香りのノートはシャネルのエゴイスト。
本来は名前そのままに自己主張の強い香りで、こんなに弱い匂いではないのに。
榊紫苑が纏うこのエゴイストは、控えめだ。
“どうしてだろう…って、違う!”
自分が、他事で現状をはぐらかそうとしている事に気付く。
思った以上に動揺しているみたい。
けれど、見目の良いこの年下の男は、慣れたように微笑みかけてくる。
この程度の接触は日常茶飯事なのがまるわかりな相手の平然さが、何だか悔しい。
「吉良さん、ちっとも俺の事を気付いてくれないんだね?」
「き、気付きましたから、離れてください」
榊紫苑は、そのまま手を離し、私からすんなりと離れてくれた。
私は内心で安堵して、そっとティーポットを台の上に置くと、相手に向き直る。
「それで、私に何か?」
「今日は点滴をしないで帰るよ」
「え?どうしてですか?」
そもそも、点滴だけをやりに来たはずなのに、どうして?
考えて、一つ思い当たる。
コンビニの帰り道に、不愉快任せに意地悪を言ったことを。
「もしかして、院長が本当に点滴すると思ってますか?」
「それ、一瞬、本気にしたけどね。そういう理由じゃないから」
「お仕事ですか?」
「…単に、ご飯を食べて元気が出たから、いらなくなっただけ」
そうはいっても、顔色は全然、良くなっていないのに。
じっと、相手の顔を見れば、榊紫苑は愛想笑いをする。
「健斗も、今日はしなくても良いって言ってくれたし」
「…そうですか。それなら良かったです」
点滴なんてしないに越したことはないし、院長がそう判断したのなら、私が口を挟む事でもない。
「吉良さんのおかげかな」
「私の?」
「そう。料理上手なんだね。弁当、美味しかったよ」
お世辞でも、褒められれば、現金なもので嬉しい気持ちになる。
「お口に合って良かったです」
「ずっと外食ばかりだったから、手料理も、あんなに食べたのも久しぶりだよ」
恐らく、榊紫苑は食事も満足にしていなかったに違いない。
この顔色の悪さは、不眠だけが原因とはとても思えない。
不眠が続けば、身体バランスを崩して食欲さえ失くしてしまう。
だから院長は、私にお弁当を作らせたのだ。
彼が食事をするように。
榊紫苑が食べていたのは、ほぼ洋食。
和食は出し巻き卵くらいしか手をつけていなかったから、院長がリクエストしたメニューは、彼の好物なのかもしれない。
「外食だけじゃ、体に悪いですよ?」
「俺、料理できないから」
「彼女さんに、お願いして作ってもらったらどうです?」
何気なく言ったその一言に、榊紫苑は首をすくめる。
「俺の付き合う子、みんな料理が出来ないんだよね」
「…そ、そうですか」
どれくらいの人数と付き合ったのかは分からないけれど、一様に料理が出来ないなんて、ものすごい確率。
もしかして、手料理自体が好きじゃないのかも。院長みたいに。
だから、出来ない相手を選んでいるのかしら?
「今日は楽しかったよ。美味しいご飯も食べられたし、笑わせてもらったし」
「あれは、笑い事じゃ…」
「あそこまでされるのに、健斗に靡かないなんて、よっぽど彼氏に惚れているんだね?」
榊紫苑の言葉に、私は首をひねる。
「彼氏?」
「違うの?この間来た時、慌てて帰ったから、彼氏とデートかと思っていたけど」
「あの時は、美菜先生のご実家が経営されるエステサロンで、マッサージの講習があって遅刻厳禁だったんです」
美菜先生と聞いた途端、榊紫苑の頬がピクリと引き攣った。