表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Parfum  作者: 響かほり
第三章 二人の俺
15/100

15



「いい加減に、離してくれませんか?」

「嫌だって言ったら?」


 刹那、クリニックのある方に顔を向けていた吉良の表情が歪む。

 口角を緩やかに釣り上げたそれは、いつも仕事で見せる人好きのする微笑み。


「…院長の点滴、痛いでしょうねぇ…」


 ぼそりと呟かれた言葉に、思わず俺は吉良から手を離した。

 吉良はそのまま一人で歩きだす。


“なんだ?まさか、俺が注射苦手だって、気付いているのか?”


 単に、注射の下手な健斗に点滴をさせようと目論んでいるだけだろうか。

 いずれにしても、ただの牽制にしては悪意を感じる。

 心臓が早鐘を打って、嫌な汗が止まらない。

 これまでの優しく人当たりの良い印象など、一瞬にして消し飛んだ。

 考えてみれば、わがままな健斗の下で屈せずに働けるくらいだから、単に優しいだけの弱い人間ではないはずだ。


“これだから女は恐い”


 色々な意味で、吉良は俺の予想を裏切ってくれる。


「榊さん。水を早く持って帰らないと、院長に叱られてしまうんですけど」


 少し先で足をとめた吉良が、俺を振り返る。

 普段と変わらぬ表情で。

 彼女の手は、俺に差し伸べられる。

 それは、レジ袋を渡せと言っているのだろう。

 吉良も意外と、頑固な性格をしているが、俺も俺の信念を曲げるつもりはない。

 俺はそのまま歩き出し、立ち止っている吉良を追い越していく。


「あ、ちょっと、榊さん!」


 少し大股で歩けば、歩幅の少ない吉良が少し早歩きで付いてくる。


「袋、持ちます。貴方に荷物を持たせたら、院長に叱られます」

「そう言うなら、賭けてみる?」


 歩きながら吉良を見れば、彼女は不思議そうな顔をしている。


「賭ける?」

「俺は、俺が荷物を持っていても、健斗が文句を言わない事に賭ける。吉良さんの予想が当たっていたら、俺は吉良さんの言うことを一つだけ、聞くよ」

「そんな一方的…」

「勿論、俺の予想が正しければ、吉良さんは俺の言うこと、一つ聞いてよ?」

「…それって結局、榊さんが荷物を持つ事になりませんか?」


 健斗も女に荷物を持たせるような真似はしない。この賭けは必然的に俺の勝ちだけど、吉良は単純に まだ俺が荷物を持つことにこだわっている。

 自然に、自分の顔に苦笑いが浮かぶのがわかる。

 俺の周りにいる女は、大抵、男に持ち上げられることに慣れていて、男を道具程度にしか考えていない。

 荷物を持たせることになど、一抹の疑問も浮かべない。

 吉良はなんというか、男への甘え方を知らない。

 男慣れしていないのか、可愛げのない性格なのか…それとも。


「健斗に怒られるのが嫌?」

「そうではなくて…顔色の悪い人に荷物を持たせるのは、看護師としてはちょっと…それに、院長は貴方に荷物を持たせた事を叱ると思いますから、たぶん、私の方が賭けに勝つと思います」


 言い辛そうに、吉良は答えた。

 言われて俺は自分の顔に触れる。


「俺、顔色悪い?」

「…もしかして、自覚ないんですか?」


 つまり顔色が悪いから、持たせるのは嫌。そして、自分が賭けに勝つから嫌。という構図なのか。


“なんかムカつくな”


 何故ムカついたのか、自分でも分からず首をひねる。


「あ!」


 吉良が思わず声を上げ、俺は吉良の視線の先を見る。

 いつの間にか、俺たちは吉良の勤め先のあるビル近くにいた。

 ビルの入り口で、俺たちを見ている男の姿がある。

 紳士的な服装をしているのに、煙草を咥えながら不機嫌丸出しの従兄弟は、さながら暴力企業の若頭の居住まいだ。


「遅い!俺のコーヒーを早く淹れろ」


 吉良を見るなり、コーヒー中毒の健斗がそう言い放てば、吉良は苦笑する。


「コーヒーがないと、院長、いつもこんな感じなんですよ」


 そう言えば、昔健斗が一人暮らしをしていたマンションに居候した時も、コーヒー切れを起こすと良くキレていた。

 健斗は、キレると口より手が出る。そのせいで、それで何度か俺も健斗と殴り合いの喧嘩になった覚えがある。

 今は文句を言う程度なのだから、健斗にしたら随分良心的なキレ方だ。

 男と女でキレ方が違うのは、流石、フェミニストと言った所だ。


「あれならまだマシなレベルだよ。酷くならないうちに、コーヒー飲ませてやって」

「荷物、運んで下さってありがとうございました」


 吉良はそう言って、俺が差し出した手からコンビニの袋を受け取って、ビルの中へと小走りで入っていく。

 健斗は携帯灰皿に煙草を押しつけて火を消し、近付いた俺を見る。


「そんな顔色をしてる時くらい、吉良に荷物を持たせとけ」

「は?健斗、熱でもあるのか?」

「莫迦か、お前は。少しは自分の体調くらい自覚しろ」


 従兄弟にそう言われて、睨みつけられた。

 まさかの俺叱られで、俺は自分が提案した賭けに負けた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ