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マネージャーの熊井が運転する車の後部座席に、俺は座っていた。
スモークガラスが張られた車内で、俺はカラーコンタクトレンズを外し、スーツからラフな格好に着替えを済ませた。
髪型も少し崩して、服装に合わせる。
「伊織、その恰好すると、全然別人だなぁ」
ルームミラーで俺の姿を確認した熊井が、鏡越しに人好きのする笑みを浮かべる。
学生時代、レスリングをしていた熊井は俺と同じくらいの身長に、かなり厳つくて怖い風体だが、気が優しく気の良くつくマメな三十路男だ。
「目の色が違うだけで、結構印象って変わるし」
「見慣れないからだろ」
「それにしたって、よく化けてる」
「上坂伊織が医者通いなんて、記事は嫌だからな」
仕事中は、ヘイゼルカラーのコンタクトを入れているが、俺の本来の瞳の色は、ブルーアッシュ。今はカラーコンタクトを外している。
髪もダークブラウンに染めているが、地毛はブロンド。
眉や睫毛も合わせて染めるのが、結構面倒くさい。
仕事がらみだからそうも言っていられなくて渋々、マメに手入れはしている。
髪の色だけは、個人的な外出するときはウィッグを使ってみたりする。
変装気分で、これはこれで楽しめる。
「こうして見ると、伊織に似た外国人って感じだな」
「クマもカラコンすれば?その体格なら、外国人に間違えられるぞ」
「純日本人顔の俺がそんなものをしても、気持ち悪いだけだろ」
「意外と似合うかもよ?」
「いや、遠慮しとくよ」
熊井は力なく笑いながらそう答え、しばらく無言で車を運転する。
「しかし、今の医者でいいのか?伊織、全然良くなってないだろ?」
「…良くなってないのは、十年前から同じだ。今に始まったことじゃない」
もっとも、熊井が俺のマネージャーになったのは四年前で、それより以前のことを熊井は知らない。
昔は私生活からして荒み過ぎていたから、これでも随分、大人しくなってまともになった方だ。
「他の医者は悪化しかしなかった。今の所は現状維持できる上に、点滴が上手い看護師がいるからそれで良い」
「まぁ、腕が痣だらけにならなくなっただけ、ましな気はするけど…俺は、あんまり不眠症の治療ってのは分からないからなぁ…」
何か変な病気かと思われるくらい、腕に痣を作っていた頃の俺を知る熊井は、複雑な顔をした。
「それに古い付き合いの医者だ。俺の事を口外する真似もしないし、何かと融通も利くから楽なんだよ」
「お前が良いって言うなら、良いけど…無理するなよ?」
「大丈夫だ…お前こそ、俺の体調気遣って、こっそり仕事量を減らしてるだろ。上から言われないか?」
「伊織がぶっ倒れたら、話にならないだろ?その辺は、上手く上に話をしてあるから。とりあえず元気になってくれよ」
「…努力はするよ」
努力でどうにかなるのなら、医者なんていらないけどな。
ここ十年、心地よく眠れた記憶はない。
疲れきって、意識を失うようにわずかに眠るか、浅い眠りで訳のわからない夢をエンドレスで見続けてぐったりするか。
眠ることが苦痛で仕方がない。
けれど眠れないと、記憶力が落ちる。
仕事に影響するのが、不眠の最大の難点だ。
俺は、ビルの群生する狭い空を、何となく見上げる。
久しぶりに見る真昼の太陽は、相変わらず主義主張の激しい熱さをまき散らす。
夏らしい夏を過ごさなかった俺に、まるで夏を味わえとばかりにジリジリ照りつけてくるようで、うっとうしい。
暑苦しいのは嫌いだ。
暦の上では初秋に差し掛かったのだから、暑さも太陽も大人しくなれば良いのだ。
思わず舌打ちし、その音ではっとなる。
「…マジか」
「どうした?」
「なんでもない」
額を抑えながら、深いため息が漏れる。
くだらない事で苛立った自分自身に、呆れた。