ふたり
「すまん。ゆるしてくれ」
「何をおっしゃるの、あなた」
「けっきょく私は、君に何一つ与えることが出来なかったようだ」
「あなたを与えてくださったばかりじゃないの、昨日」
「まさか君が、結婚してくれるとは思わなかった。こんな私と」
「私にはそれで十分。あなたがやっと一人の男性に戻ってくれたんですもの」
「・・・・」
「死に怯える、ありきたりの平凡な男性に」
「ありきたりの平凡な男性か・・・」
男は自嘲気味に唇をゆがめた。
「それでも私は、最後まで君を抱いてやれなかった」
「そんなこと・・・」
女は少し笑ったようだった。
男は一粒の丸薬を取り出して、女に手渡した。
「これが何か、分かるね?」
それにじっと目を落としてから、女はこくりと頷いた。
「私に、先にゆけとおっしゃるのね?」
「君には・・・君にだけは見せたくないんだ。私の『うそ!」
ぴしゃりと女はさえぎった。
「自分以外、あなたは何も信じない。昔も今も。たった一人、あなたのお側に残ったこの妻ですら・・・」
男は、女の視線から目をそらすように、ぼんやり上を眺めていた。
微かな振動と共に、天井からはらはら舞い落ちる埃。
砲撃は、もうすぐ近くまで迫っているようだ。
「かわいそうな人」
「・・・・」
「それでも、私の愛しい人」
そう言ってにっこり微笑むと、女は白い丸薬を飲み下した。
数分後。
床に横たわった女が動かなくなるのを見届けてから、男はおもむろに拳銃を取り出した。
そして、銃口を口にほうばり、目を閉じて無造作にトリガーを引いた。
1945年四月三十日午後三時十五分。
アドルフ・ヒトラー、妻エヴァ(旧姓ブラウン)と共に廃墟と化したベルリンの総統官邸地下壕において自殺。
その後、側近の手で焼却処分され、ソ連軍により発見された二人の遺体は男女の見分けもつかないほどに真っ黒であったという。