サンドイッチング
「幸久、朝ご飯」
「はい、今すぐに」
目を覚ましてすぐ、どうしてか俺におんぶを所望する晴子さんに負けた俺は、心を落ち着けてその言うとおりになっておんぶで晴子さんをリビングまで運ぶと、激しく乱れる動悸を気にするまもなく朝食の支度に追われるのだった。とりあえず晴子さんの朝飯を用意したら次は雪美さんを起こさないといけないわけで、さらにその後に最大のボスである霧子が待ちかまえていることと、旅行の待ち合わせ時間が刻一刻と迫っていることを考えると、実はそんなにのんびりしている余裕はないのである。
「とりあえず、あるものでなんとかしないと。買いに行ってる暇は、マジでないからな……」
ちなみに、さっきまでは寝起きという状態に相応のかわいらしいむにゃむにゃ状態だった晴子さんも、今はもうすっかり覚醒しているわけであり、リビングのテーブルで優雅にコーヒーなどをたしなんでいる。そしてその視線は完全にテレビでやっている朝のニュースに注がれているわけで、俺にそれが向けられることはない。
いいんだいいんだ、別に晴子さんが構ってくれなくても。俺は逐一ご褒美がもらえないと働かない弟子ではない、少しくらい無視されたって、気にしないぞ。
「幸久、卵は使うんじゃないわよ。昨日、親子丼だったんだから」
「はい、分かりました。卵は使いません」
とりあえず晴子さんの朝ご飯をつくって雪美さんと霧子を起こしに行かなくてはならない俺なのだが、しかし料理に手を抜くことは許されない。晴子さんに食べていただく料理に対しては、常に全力で立ち向かうことが求められるわけで、それが比較的簡素につくられることが多い朝食であっても例外ではないのだ。
朝食をつくるときに要求されるのは、簡単で、しかしそれでありながら美味い料理である。つまりそれがどのようなものかといえば、手間をかけず、高価な材料を使わず、寝ぼけ眼でつくっても美味しく仕上げられるようなメニューなのだ。
そしてそれに加えて、今日の晴子さんは昨日の晩飯のカロリーを気にしているようなので、その辺にも配慮してつくらなければならない。日々突きつけられる様々な状況に、即興で対応するものをつくるという高度な課題、と言いかえることもできるかもしれない。
「まぁ、普通においしいものつくればいいだけなんだけどさ。しかし…、カロリー控えめってなると難しいなぁ……」
カロリーを控えめにするとなると、やはり使える食材が限られてくるからな。バターとかの油脂系はやっぱりできるだけ控えた方がいいし、チーズなんかの乳製品もできるだけ控えた方がいいかもしれない。むぅ…、ほんとに、なにつくればいいんだろう。
「晴子さん、どんなのがいいとかリクエストないですか? ご飯は炊けてないみたいなので、パンっぽいものしかつくれないですけど」
「食パンがあるでしょ。適当にサンドイッチみたいなものでもつくりなさいよ」
「サンドイッチですか? 分かりました」
そうかなるほど、サンドイッチか。サンドイッチなら野菜も多く使えるし、マヨネーズの大量投入に気をつけてさえいればカロリーもかなり抑えられる。よし、そういうことならさっそくサンドイッチをつくっていこうじゃないか。
まずは、晴子さんの好みに合わせて、パンの耳をすっかりキレイに落としてしまうことにしよう。晴子さんは、サンドイッチを食べるときは耳の部分がウザったいそうで、毎度毎度律儀に耳を落とすのだ。もし他の人がつくったものに耳がついていれば逐一剥がしてしまうほどの徹底ぶりで、よく嫌がられているものだ。
とりあえず八枚切りの食パンを袋の中から全て取り出して、パン切り包丁でサクサクと耳を落としていく。残った耳は、きっと晴子さんはいらないから処分しておくように言うだろうからうちに持って帰るとしよう。…、いや、俺は今日はこれから旅行に行くんだから、家には戻らないだろ。うん、広太にメールして後で取りに来るように言って、…、いや、広太もこれから出掛けるんだって、呼んじゃダメだろ。
しかたない、今日のところはこのパンの耳は諦めることにしよう。まぁ、言えば雪美さんが残らず食べてしまうだろうから捨てるようなことにはならないだろうけど。これ、油で軽く揚げて砂糖をまぶすとすげぇおいしいお菓子になるんだよな。たまらんですよ。まぁ、俺はそんなに甘いもの食べないから、未来ちゃんとか弥生さんのためにつくってあげることがほとんどなんだけどな。
「晴子さん、パンの耳、捨てないでくださいね」
「捨てないわよ。食べ物をゴミとして捨てるなんて、そいつがゴミよ」
「…、それを聞いて安心しました」
「どうせ、母さんが全部食べちゃうでしょ」
「晴子さん、雪美さんは生ごみ処理機じゃありませんよ。ちゃんと調理してあげてください」
「調理する前に母さんが食べちゃうんだからしょうがないじゃない。手を加えるための仕度をしているうちに、母さんがむしゃむしゃ食べちゃうんだから」
「ゆ、雪美さんだって、さすがにそこまで無分別じゃありませんって。食べていいものと食べちゃいけないものの区別くらいつきますよ」
「それは本能的に、でしょ。食べたらお腹壊すようなものは絶対食べないけど、でもパンの耳は食べてもお腹壊さないでしょ。それに、母さんの頭の中にはパンの耳は調理用の食材としてインプットされてないのよ」
「あぁ、たしかに普通はパンにくっついてて分離されてないですからね。情報として入ってなかったとしても、おかしくはないです」
「まぁ、情報として入ってなかったとしても、料理している人の手元にあるものを、つまみ食いの範囲を超えて食べるのはなんとかしてほしいんだけどね」
「それは…、俺からはなんとも言えないです……」
そんな話をしながらも、俺は野菜室の中から野菜をいろいろ出してきて、それをどんどんパンの間に挟むことができるように処理していく。レタスは数枚剥いで水にさらし、トマトは手早く薄切りにして種を取り、玉ねぎは荒みじんにしてからよく油を切ったツナ缶とマヨネーズで和えてしまい、きゅうりは厚さを揃えた薄い斜め切りにして用意完了。そしてチルドからハムとベーコンを取り出して準備は完了だ。
一つ目はサラダサンド。パンに薄くマスタードを軽く混ぜ込んだマヨネーズを塗りつけ、野菜をてきぱきと挟んでいく。水にさらしたレタスはキッチンペーパーでしっかり水気を取ってから三枚ばかり、トマトは一面に敷き詰めるようにいっぱい、きゅうりも同様に敷き詰めるようにいっぱい。そして上から、同じくマスタードマヨを塗ったもう一枚のパンを乗せて、少しだけ上から押して潰して、完成。
二つ目はツナサンド。パンには何も塗らず、とりあえずきゅうりをたくさん敷き詰める。それからその上にたっぷりの玉ねぎ入りツナマヨを乗せていく。ツナサンドはこれ以上出来ることがないから、もう完成だ。簡単で非常によろしい。
次は三つ目、と、その前に四つ目の分のパンをトースターに突っ込んでおこう。少し焼け目がつくくらいでいいから、時間はそんなにかからないことだろう。
気を取り直して、三つ目はハムサンド。パンにバターを塗るとハムを一枚真ん中に置き、もう一枚を四つに切り、四隅に配する。こうすることによって、どこから食べてもとりあえず一口目にハムが口に入るわけで、ハムが丸いことから必然的に生じる、パンしかない部分がなくなって、損した感じがしなくていい。
そして四つ目のためのパンをトースターから取り出す。きれいなきつね色の焼き目と、ほのかな香ばしい香りがたまらん。さて、ここから何をつくるかといえば、具がたっぷりの雪美さん用サンドイッチである。パンが温かいうちにマーガリンを塗ってしまい、出しておいたベーコンをカリッとするまで焼いて乗せ、手早く潰し気味のオムレツをつくって乗せ、マヨネーズとケチャップを格子状にかけ、しっかりと水気を取ったレタスを乗せ、もう一度カリカリに焼いたベーコンを乗せ、それからマーガリンを塗ったパンを上から乗せ、軽く押してからつまようじを四隅に刺して固定する。
「よし、これでいいか」
「なに、できたの?」
「はい、仕度が整いましたよ」
「そう、それじゃあさっさと持ってきなさい」
「あと切るだけなんで、もう少しだけ待ってください」
「さっさとしなさいよ、ほんと鈍いわね」
「すいません、今すぐに」
とりあえず先につくった三つをスパスパっと三等分してしまうと、出してきた長皿に盛りつけてリビングへ出してしまおう。雪美さんのホットサンドはもう少ししてからの方が切りやすいだろうから、まだ切らなくてもいいだろう。
「晴子さん、どうぞです」
「なんか、けっこうあるわね」
「まぁ、三人分ですから。あっ、雪美さんの分はもう少しあっちにあるんで、晴子さんは好きなだけ食べていいですからね」
「そんなに食べるわけないでしょ。母さん以外の人間は食べたら食べた分だけ太るように体がつくられてるものなのよ」
「まぁ、それはそうですけど、でも朝はきちんと食べないと体に良くないですよ?」
「知ってるわよ。あたしはほどほどに食べるから、あんたは早く母さんと霧子を起こしてきなさいよ」
「はい、分かりました。せめて三切れは食べてくださいね、晴子さん」
「二つでいいわよ、二つで。別に外に出かける用事があるわけでもないし、家でゆっくりしている分にはそれで十分だわ」
「それなら、外に出かければいいじゃないですか。せっかく休みなんですし」
「休みの日に、どうして外に出なくちゃいけないのよ。平日は毎日学校だなんだって外に出てるのに、休みの日くらい家でのんびりさせなさいよ」
「で、でも、外に行くのは楽しいですよ。俺たちも今日から二泊三日で旅行ですし」
「あぁ、そういえばそうね。霧子もそんなこと言ってたかしら。旅行はいいわよね、旅行は。外に出かけるのも、旅行くらいスケールが大きくなれば楽しいわ」
「それなら、晴子さんだって旅行行けばいいじゃないですか。せっかくバイトしてお金もあるんですし」
「あたしが旅行に行ったとして、その間、誰が母さんの面倒をみるのよ。母さんは絶対旅行なんて行きたがらないから、どこかの誰かが面倒みてくれないとダメなのよ、分かって言ってるの?」
「わ、分かってはいるつもりですけど…、いや、大丈夫です、晴子さんが旅行に行ったときは、雪美さんの面倒は俺が見ます!」
「そういう無責任なこと言うのが、あたしは一番嫌いなのよねぇ……。どうせあんた、いざそうなったら『やっぱり無理です!』とか平気で言うじゃない。だからあたしは旅行なんかにいけないのよ」
「俺、今までそんなこと言ったことないような……」
「なにか言った?」
「いえまさかめっそうもない、なにも言ってません」
「それでいいのよ」
晴子さんが旅行に行かないのは、別に俺のせいでも雪美さんのせいでもなく、晴子さん自身がお出かけ嫌いであるところに由来する事柄である。晴子さんはどちらかといえばインドア派なのだ。いや、インドア派というか、嫌アウトドア派なのだ。どうしてかお外が嫌いらしいのだ。
そういう、ややもすれば引きこもり予備軍と勘違いされそうなことを言っているので、そもそも旅行なんて行こうとすら思っていないはずなわけで、でもその理由が外が嫌いなんていうのでは格好がつかないから俺とか雪美さんに責任を転嫁しているだけである。別に家が好きだからって誰も晴子さんのことをかっこ悪いと思わないだろうに、なかなか難儀なところだ。
「…、じゃあ、俺は雪美さんを起こしてきます」
「はいはい、さっさと行ってきなさい。母さんは起こしてあげればすぐに起きるから、そんなに大変じゃないわよ」
「えぇ、知ってます。晴子さんも、起こすのぜんぜん大変じゃありませんから」
「よく分かってるじゃない。そういうことよ」
まぁ、晴子さんの言うとおり、雪美さんを起こすことはそんなに大変なことではない。しかしそれは、あくまでもこの家の中で起こすことが一番大変な霧子と比べて、ということになるから、ふつうの人と比べたら起こすのはそこそこ大変なのだ。だが、人の眠りを覚ますことについて一家言持っている俺にかかればそれも大して生涯にはなりえないのだがな。
言うならば、このミッション最大の障害であるところの霧子の前に現れる中ボス、といったところだ。レベルを十分に上げていれば難なく対処することができるのは、ゲームでも現実でもそう変わらない。
「早くしないと待ち合わせに間に合わなくなるわよ」
「それも、分かってますよ」
晴子さんを起こしてから朝食の支度をしていたら何だかんだと時間がかかってしまったので、けっきょく実のところ待ち合わせまでの時間があまり残っていなかったりするのだが、いや、まだ平気だ。まだ、雪美さんを起こして、霧子を起こして、朝ご飯を食わせて、とするくらいの時間は残されているはずなのだから。
霧子が少しくらいグズっても、まだおそらく間に合わせることはできる、はずなのだ。大丈夫、待ち合わせの時間まで、あと40分。