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Prism Hearts  作者: 霧原真
第八章
92/222

おにぎり握り握り

新しい朝が来た、目覚めの朝だ。

しかし俺の朝はとっくに始まっているし、とうに目覚めているのである。とにもかくにも、俺は腕まくりをしてエプロン着用し、今日の昼飯であるところの弁当をこしらえるためにキッチンに立っているのだった。

そう、今日はゴールデンウィークの初日であり、俺たちが旅行に出かける当日なのである。今日から行く二泊三日の旅行については、とりあえず何事もなく準備を済ませることに成功し、何の憂いもなくこうして弁当をつくっていられるのはなんとも喜ばしいことであり、やはり去年と違って始動が早かったからだな、うんうん、と我がことながらあっぱれ、と言ったところだろうか。

「よし、これくらいでいいか?」

光陰矢のごとし、とはよく言ったもので、準備が何もかも済んでしまえば旅行の当日までの時間はあっという間に過ぎていった。しかし、思いついてから準備が整うまでの日数と準備を済ませてから旅行の当日までの日数はほぼ同じであるにも関わらず、その体感時間にエラい差があるように感じた。

まぁ、旅行は準備の段階が一番楽しいっていうし、準備の間はいろいろ俺もかけずり回って忙しかったからそう感じているのかもしれないし、あるいは時空の密度にひずみか何かが生じているのかもしれない。

「昼飯はお弁当だって言ったけど、はて、いったい何人がつくってくるだろうか……」

そして俺が今何をしているかといえば――もちろん弁当をつくっているのだが、キッチンでたくさん炊いた飯を三角形に成形しているところであり、つまり言ってしまえばおにぎりを大量に握り握りしているところである。すでにその個数は二桁の半ばあたりに差し掛かるか、というほどで、若干つくり過ぎている感は、どうしても否めない。

「まぁ、別に志穂が食うだろうし、多すぎるってことはないんだろうけどさ。…、そろそろもういいか、うん」

さほど広くもない調理台の上を埋め尽くすのは、大量の白い三角形である。その中にはしゃけとかおかかとか梅干とかの定番っぽいところから明太子とか唐揚げとかの若干御お高かったり色モノだったりするところが込められており、いろいろな味を楽しむことができるようになっている。だいたい種類は十種くらいだから、それぞれ四個ずつくらいで、いろいろな中身のものがそれなりに行きわたるのではないかと思う。

そしてそれに加えて、弁当なのだから当然おかずなんかもいろいろ持っていくわけで、予想するにかなり巨大な重箱を手から提げて待ち合わせ場所に向かわなくてはならないように思われる。うちにあるもので一番デカイ重箱は、それこそ正月のおせち用だろ、と言いたくなるような理不尽なサイズの代物だ。それいっぱいに内容物が詰まっている様はもはや壮観の域に達しており、それを手に提げて移動することは苦行といっても過言ではない。ぶっちゃけ、マジで重いのである。よくぞここまでの量をつくったものだ、と呆れかえるほどに重いのである。

そもそも、どうして俺がこんなに大量のおにぎりを握り握りしているかといえば、それはまさに今日こそが旅行へと出発する当日であり、今日のお昼ご飯は電車での移動中に行なうことになっているからであり、とりあえず全員が自分の分を自分で用意することになっているからであり、若干名その義務を遂行しないのではないかと思われる者がいるからである。具体的に言うと志穂とか霧子とか、志穂とか志穂である。

あいつは、自分が人三倍食うということを自覚しているにもかかわらず、おそらく今回のお弁当持参という約束を完全に忘却しているに違いない。となると必然的に昼飯抜きか、あるいは駅か行きがけかで弁当を買って済ませることになるだろうが、当然それでは足りないのが志穂であり、他の人の弁当に手を出すのが志穂である。

そんなことをされてしまっては俺たちの昼飯は安らかなものには決してなり得ず、志穂に昼飯を奪われるか否かという戦場へと変貌することは避けられない。それならば、先手を打って俺が志穂の分の昼飯まで用意してしまえばいいではないか。そうすれば仮に志穂が弁当を持って来なかったとしてもほかのみんなの昼飯が脅かされることはなく、平和な世界が実現するではないか。

「よし、詰めるか、重箱に」

「幸久様、お弁当箱に詰める作業は私が引き受けますので、どうぞお弁当づくりの続きをなさってください。待ち合わせのお時間には余裕を持って到着なさるのがよろしいかと思われます」

「心配すんなって、時間はまだいっぱいあるんだから遅れるなんてことにはならねぇよ。それよりも広太、お前も今日から出るんだから、準備とか大丈夫なのかよ」

「はい、幸久様、私の方はすでにすべての支度が整っておりますので、ご心配には及びません。それより幸久様は、ご自分の朝食を取ってくださいませ」

「あぁ、朝飯か、忘れてたな……。たくさんおにぎりつくってたからもうそれだけで満足してたかも。それじゃあ今日の朝飯は、とりあえず重箱に詰めてみて入り切らなかったおにぎりってことでいいな」

「はい、了解いたしました。しかし、この量でしたら、一つ一つの大きさも比較的小さめですし、詰めようによってはすべて収めてしまうことも可能なのではないでしょうか」

「マジ? それじゃあ残ってるご飯で。まだ茶碗に半分ずつくらいは残ってると思うし、それを中身の具とか余ったおかずとかで適当に食ってくれ。俺には、残念ながらこれ以上なにかをつくる気力がわかない」

「はい、了解いたしました。しかし、これほどまでの量が、どうして必要だったのでしょうか、幸久様。お一人で召し上がるには、いささか量が多すぎるように思われるのですが……」

「志穂だ」

「あぁ、志穂様ですか。それならば、これくらいがちょうどいいのかもしれませんね」

「そういうわけだ。ほれ、さっさと詰めて朝飯にするぞ。俺はこっちのおかずの方の仕上げやるから、広太はおにぎりをなんとかしてこの一段に詰めてくれ。無理そうだったら二段に分けてくれてもかまわないぞ」

「おそらく、ここにある量から見ても一段半ほど必要かと思われます。どうなさいますか」

「あ~、じゃあとりあえず一段半詰めちゃってくれ。あまったところにもなんかおかずを詰めちゃうから。っていうか、余ったところの大きさに合わせて卵焼きつくるから、気にしないで詰めろ」

「はい、了解いたしました。それでは詰めてしまいますね」

「おぉ、そうしろそうしろ」

それから、二人でせっせと巨大な重箱をおにぎりとおかずで埋めていく。俺が思っていたよりも重箱の容量はずっとデカく、入りきらないと思っていたおにぎりも案外すんなりと収められていき、広太の言った通り重箱一段半の中にすっかりとしまわれていたのだった。

「おぉ、案外収まるもんだな。んじゃ、俺はこの微妙に空いたところを埋めるから、広太は自分の仕事に戻ってくれていいぞ」

「はい、それでは失礼いたします」

広太の仕事というのは、いつもと変わらずこの部屋の掃除である。しかし広太も、今日から一泊二日で庄司の本家におじさん、おばさんと連れだって出掛けてしまうので、いつもよりも念いりというか熱心というか、執念のようなものすら感じられそうなほどだった。まったく、一日二日家を空けるからってそんなに掃除をしなくてもいいだろうに、出掛ける前くらいゆっくりしていろ、と言いたい。まぁ、広太がプライドを持ってやっている仕事に対して俺が適当に口出しするのはよくないので、そんなことをしたりはしないのだが。

ちなみにだが、俺はこの重箱を仕上げてしまえば出掛けるための支度は全て整うわけで、つまりこの作業が俺のお出かけ作業の最後の一つと言っていい。これさえ終わってしまえば、あとは朝飯を食って歯を磨いて着替えを済ませて、それから荷物の最終チェックをしてお出かけなのだ。

「卵焼きはこれくらいで…、うん、いいな」

クルクルとちょうどいい太さまで巻いた卵焼きをまな板の上に下ろし、適当な厚さに切り分けると広太があけておいたスペースにひょひょいっと詰め込んでいく。とりあえずちょうどいいところまでスペースが埋まったので、俺はうんと軽く頷いてから重箱を三段重ねて最後にふたをした。

さて、それじゃあ朝飯をつくるとするか。今日は残り物を始末したいし、そんなに工夫することもないだろ。とりあえず、少しだけ残ってしまった溶き卵はもう一度油を薄く敷き直したフライパンに流し込み、カチャカチャとかき混ぜてそぼろ状にしてしまう。

あとはもう、弁当のおかずの残りを適当につまみながら、おにぎりとか残りのご飯とかを適当に食べればいいだろう。どうせ広太も昼にはうまいものを食えるんだろうし、朝飯で手を抜いたって問題はあるまい。まぁ、そもそも弁当のおかずをつくる時点では手を抜いていないのだから、これからテーブルに並べるものたちは手抜きの品というわけではないのだが、いや、まぁ、自分で手抜きだと思っているのだから、それはもう手抜きなのだろうな。

変に言い訳するのはやめにしよう。

「おい、広太、掃除の続きは飯食ってからにしろ」

「はい、了解いたしました。それでは盛ったお皿を運ばせていただきますね」

「あぁ、あと飯も適当に盛っといてくれ、頼む。俺はフライパンとかの大きいのだけ洗っちゃうから」

「置いておいてくだされば私がやりますので、幸久様は席に着いてゆっくりなさってください」

「使った調理器具は自分で洗うもんだ」

「はい、承知いたしました」

それでは、ひとまず朝飯ということにしましょうかね。


…………


「それじゃ、俺は行ってくるからな。元栓とか鍵とか、いろいろよろしく頼んだぞ、広太」

朝飯を食ってから最後の仕度を整えて、俺はようやく家を出発するための準備を完了したのだった。もう後は、本当に出発するだけであり、今までの様々な苦労もこの瞬間のためだったのだ、と思うと少しではあるが感慨深いものがある。

「はい、お任せくださいませ、幸久様。万事抜かりなく、幸久様が憂いなくお出かけになれますよう、気を配らせていただきます」

「あと、庄司の家の集まりか何か知らないけど、せっかく俺のそばから離れるんだ、ゆっくり羽休めしてこいよ」

「いた仕方ないこととはいえ、幸久様のおそばを離れねばならぬこと、心よりお詫び申し上げます。本来ならば幸久様を本家の方にお連れするのが筋なのですが、その方がむしろ危険を伴う可能性もありますので、ご不便をおかけします」

「別にいいって、気にするなよ。っていうか、そんなところにもし連れて行かれたら、めんどくさそうじゃん。連れて行かれなくて助かってるよ。まぁ、去年もそうだったけど、美佳ちゃんがいないのは残念だよなぁ……」

「美佳子も、幸久様にお会いすることが出来ず、きっと寂しくしていると思われます。一日千秋の思いで、奉公から帰ることが出来る日を待ちわびていることでしょう」

「はは、そうだとうれしいな。よし、行ってくる。くれぐれも頼んだぞ、広太。あっ、あと、鍵をいつものところに隠すのはやめろよ、弥生さんが侵入するからな」

「弥生様も、そのようなことはなさらないと思いますが、幸久様がそうおっしゃるならば、鍵は隠さずに私が持っていくことにいたします」

「俺も自分の分は持ってくから、念のために、とかいって隠していくなよ、絶対だからな。弥生さんだったら二日くらいかけて隠した鍵を探し出すくらいのこと、しかねないからな」

「はい、了解いたしました。それでは幸久様、いってらっしゃいませ」

「あぁ、じゃあな」

そして俺は着替えなど諸々を入れた黒のキャリーケースをがらがらと引っ張りつつ、広太に見送られて家を後にするのだった。もちろん、さっき詰めた巨大な重箱も、風呂敷に包んで左手に提げている。

「ゆき~……? どうしたの…、こんな早い時間に……」

しかし、そんな俺の行く手を阻むように、弥生さんの部屋の扉がゆっくりと開かれた。休みの日の、しかもこんな早い時間に弥生さんが起きてくるなんて本当に珍しいものだ。俺が出掛ける音を耳ざとく聞きつけでもしたのだろうか。あるいは、偶然目が覚めてしまっただけだろうか。

「弥生さんこそ、どうしたんですか、こんな早い時間に。今日は休みの日なんですからゆっくり寝ててもいいんですよ?」

「なんか、目、覚めちゃって……。それで、そんなおっきな荷物持って、どこかにお出かけ……?」

「はい、ちょっと旅行行ってきます。二泊三日で」

「そうなんだ……。いってらっしゃい…、おみやげ、よろしくね……」

「まぁ、覚えてたら買ってきますよ」

「じゃあ買ってきてくれるんだね。ゆき、ありがと~……」

「それじゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃ~い……」

今にも立ったまま二度寝を始めてしまいそうな弥生さんをとりあえず部屋の中に押し込んでから、俺はキャリーケースを持ち上げて階段を下る。すると今度はその階段を下りる音を聞きつけたのか、階下で元気に扉の開く音がする。

「あれ? 三木のおにいちゃんです。おはようございますです」

そして俺が一階に辿りついてキャリーケースを地面に下ろすと、そこで待っていたのは未来ちゃんだった。

「未来ちゃん、おはよ。休みの日なのに、早起きだね」

「はいです。未来はいつも、休みの日でも早起きするようにおかあさんに言われてるです」

「そっか、いい子だね」

「えへへ~、それほどでもないです! それより、おにいちゃんはどこかにおでかけですか? でっかい荷物を持っていますけど?」

「うん、ちょっと三日くらい旅行に行ってくるんだ。しばらく家を空けるけど、心配しないでね。あと、お土産は何がいいかな? やっぱりお菓子がいいかな?」

「はい、分かりました。それとおみやげは、おにいちゃんが買ってきてくれたらなんでもうれしいです」

「そっか…、よしじゃあ、一生けんめい考えて、一番よさそうなのを買ってくるよ」

「ほんとですか? ありがとうございます、三木のおにいちゃん!」

「じゃ、行ってきます。お母さんにもよろしくね」

「はいです、いってらっしゃい、おにいちゃん」

元気にいってらっしゃ~いと、ぶんかぶんか手を振ってくれる未来ちゃんに見送られて、俺は待ち合わせ場所へと向かうのだった。あっ、いや、向かうのは待ち合わせ場所じゃない。霧子を起こしてこないとな、うん。

まぁ、今日はどうせ起きてるだろうから、そこまで大変なことはないだろうけどな。

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