七転び八起きられない?
「失礼しました、ご主人さま。今回もわたしの勝利です。リトライなさいますか? リタイアなさいますか?」
「な…、なんで、勝てないんだ……?」
第七戦を終えて、しかし俺は一度の勝ち星を奪うこともできないでいた。七戦が七戦とも、第一戦と同じように、ほんのわずかな点差によって勝利をこの手から逃していたのだった。
「どうして勝てないんだ……」
「ご…、ご主人さま、そろそろおやめになられた方が、よろしいのではないでしょうか……?」
「ミキちゃん、そういうことは言うものではないわ。ご主人さまがやるとおっしゃるならば、わたしたちはそれをただお受けするだけなのよ」
「で、でも……。それでもご主人さま…、もうかなり使いこんでいらっしゃいますし……」
「わたしたちが口をはさむことではないの。当然、ご主人さまがやめるとおっしゃるならば、わたしたちは手を引かせていただくけれど、それでもご主人さまがそうおっしゃらない場合は、正面から受け止めなくてはならないわ」
晴子さんとメイドさんが何やら小声で言葉を交わしているが、もう俺の頭の中はどうして勝てないのか、ということでいっぱいになってしまっていた。常識的に考えてこういう思考ゲームは、その思考法に慣れている熟達者の方が勝利を収める、と相場が決まっている。しかしだからといって、ここまで勝てないとなると、どういうことなのかと疑いたくなってくるではないか。
このゲームは、思考ゲームであると言ってもけっこう運の要素も強くあるわけで、比較的他の思考ゲームに比べれば初心者が勝利をおさめやすくなっている、ということができるだろう。しかしそれだというのに、どうしてか俺はこの七戦ですべて惜敗。図ったように惜敗を重ねているのだ。
そしてこの惜敗というのが不思議なところで、もちろん大きな点差をつけることが難しい遊びなのだから、当然惜敗、あるいは辛勝というケースが多くなってしまうのだが、だからといってこうも毎回焼きなおしたように1対0のスコアが並んでしまうと、変に勘繰りたくもなってしまうというものだ。こんな、まるで、俺の手の中をのぞきこまれているかのようなこと。
「ご主人さま、どうなさいますか?」
巧者だからといって、あそこまで手の中を読み解くことができるのだろうか? それとも、イカサマ? カードの背にガンを打って、俺の手のカードの状況を完全に掌握することができるということなのか?
晴子さんは、基本的には勝利のためならば手段を選ばず、看破されなければイカサマではない、という信条を持っている。そしてそれには俺も大いに同意するところであり、俺がそのイカサマの仕組みを見破ることができていない以上、声をあげて晴子さんを糾弾することは不可能なのである。そんなことをするくらいなら完璧に、それこそ説明をすることができるほどにその仕組みを理解しなくてはならないわけだし、むしろそれを逆用して討ち取るくらいのことをしろ、ということだ。
さて、もしそんなイカサマをしているとしたら、カードの裏面のほんのわずかな傷、折れ目の跡なんかを目印にしているんだろうが、それを詳細に見て取り、把握することは、今の俺には時間的に出来ない。このイカサマは、それこそ時間をかけてカードそれぞれへの理解を深めるしか方法がないわけであり、俺にはそこに至るほどの猶予は存在しないのである。
「リトライ、なさいますか?」
そしてさらに現実的な問題として、俺の財布の中身が、つい今しがた限界を迎えた。もう、次戦に向かうための金がないのだ。どうしようにも戦うための種銭が、俺には残されていないのである。
「くっ……」
どうする? 借りるか? 借りてまで、やることか?
貸してくれそうなのは、霧子か……。でもだからって借りていいのか? 絶対間違ってるだろ、ここでわざわざ金を借りてまで次に行くのは。
でも引いていいのか? 逃げていいのか? 勝つって決めたんじゃないのか? 七回も負けて、そのまま意味もなく引きさがっていいのか? 負けっぱなしのまま、逃げるなんて許されることじゃないだろ?
「き、…、霧子~……?」
そのためにも、なんとか第八戦を行なわないわけにはいかないのである。そろそろ勝てそうな気がするんだ、そろそろなっ!!
「にゅ? どうしたの? 幸久君、終わった?」
「…、ちょっと、お話があります」
「おはなし?」
しかしそれが明るみに出ると、非常によろしくない事態に発展する可能性が高い。具体的に言うと、姐さんの耳に入ったりすると、とても危険なのだ。ぶっちゃけ、俺の生存が危ぶまれるほどの危機にまで発展する可能性も、無きにしも非ず、といったところか。
おそらくだが、ちょっとした金銭の貸し借りとか、それくらいのことなら姐さんも、友人とのちょっとしたやりとりくらいに思ってくれることだろう。たとえば、昼飯買おうとして10円足りないとか、ジュース飲もうとしたら財布が空っぽだったとか、どうしても欲しい本が目の前にあるけど財布持ってないとか、そういうことだったら見逃してくれる、というか率先して貸してくれる。しかし今のように、お金のかかるゲームをやっていて入れ込み過ぎて金が足りなくなって、連コインするために金が必要とかそういう場合、絶対貸してくれない。姐さん以外の人から借りようとするのも、おそらく阻止されるだろう。
もちろん霧子なら、お願いすればどのような状況であっても(当然犯罪とか、人様に迷惑をかけるような状況とかでなければだが)、500円くらいなら貸してくれる。もしゲーセンでやりこんでる格ゲーのラスボスに三連敗とかして財布の中の100円玉がなくなったりしたときは、両替に行ってたらタイムアップになるかもしれないから、と財布から何も言わずに100円出してくれたりするのだ。霧子は、俺が霧子に対してそうであるのと同様に、俺がするおおむねのことに関しては寛容なのである。
だから、姐さんに聞かれることなく霧子に話を通すことが出来さえすれば、俺は第八戦に挑んでいくための種銭を調達することができるのだ。しかし、もしバレてしまうと非常にマズいことになる。慎重に、万難を排して霧子と二人っきりでお話しなければ……!!
「ちょ、ちょっと失礼しますね。ほんのちょっとだけですから。二人とも、そのまま、そのままここで待っててくださいね?」
「はい、お待ちしております」
「幸久君?」
「あっち、あっちの隅に行こう。あ~、みんなは来なくていいからな、特に姐さんは」
「? どういうことだ、三木、どうかしたのか?」
「いや、あの、なんていうか…、非常に重要なないしょの話だから、俺と霧子の一対一で話をする必要があるのだよ、分かるかい?」
「ふむ、まぁ、そういうことならば、特について行こうなどとは思わないが……。どういった類の話だ? それともそれすら話すことはできないか?」
しかしどうしてだろうか、姐さんは俺たちが二人きりでここから離脱することに対してなにか思うところがあるようなのだ。何が引っかかってるんだ? いつもだったら、そんなこと言わずに送りだしてくれるじゃないか。
いやもちろん、こんな風に送り出してくれないときもある。黙って送り出してくれないとき、それは姐さんが直感的に何かよろしくないことを察知しているときであり、その予感の的中精度はなかなか冗談にならないものがある。ぶっちゃけ、めっちゃ当たる。現に今だって、姐さんの思うようなよろしくないことを俺がしようとしているわけだし、そうなってしまえば、もうその追求から逃げられっこないのだ。
ここに至って、もはや何も説明せずに力技で切り抜けるなんて出来るはずがない。そんなことをすれば、それこそ力技で口を割らされることになるのだから、黙って何らか申し開きをした方が得策なのだ。
しかしだからといって、本当のことを言うわけにはいかない。本当のことを正直に言ってしまえば、姐さんの手によってこの場から強制退去させられることは間違いなく、勝負の続きをするなんて夢のまた夢に相違ないからな。
だからこそ、ここは何かクールな言い訳をして、見事に誤魔化して見せようではないか。それをすることさえできれば、俺は次戦に勝負を進めることができ、そして今度こそ晴子さんとの戦いに勝利を収めるのだ。
「なんていうか…、ちょっとしたお願いっていうか、近い将来の話? うん、大事なお話だよ、うん」
姐さんを何かから誤魔化すとき、もっともやってはならないのは嘘を吐くことである。嘘を吐くと、どうしてかそれを察知されるからだ。嘘を察知されればその時点で俺のしている話の信ぴょう性が消滅し、今でいえばこの場からの強制退去が決定することだろう。
それゆえに、絶対に嘘を吐かず、しかしそれでいながら本当のことを話さないという器用な振る舞いが要求されるわけなのだが、そのとき大事なのは、話をバカみたいに大きくすることだ。
つまり、事実を大きな風呂敷で包んでしまって、その全容が覆い隠してしまうのだ。そのとき、もちろん話自体が抽象的になることは避けられないが、そこはうまい具合にバランスを取っていけば、なんとかはなる。
「将来の話!? いったい何の話をするつもりだ!?」
「ん? いや、そんな大した話じゃないよ? 軽いタッチで出来るようなお話だよ」
「か、軽いタッチで、将来の話などするな!! っ…、というか、二人はそういう関係だったのか!?」
なんとなくなのだが、俺の話が、どこか遠くの方に行ってしまったような気がする。こういうことがあるから、話を極端に抽象化するのはイヤなんだ。
というか、マズいな。話を大きくして姐さんの持っている関心を削ぐつもりだったのだが、しかしどこで広げ方を間違えたのか、姐さんはさっきよりもいっそう俺の話に食いついているように思う。ヤバいぞ、どうする、俺……。っていうか、こんなに食いついてくるってことは、もしかしてバレてる? バレてるんだったら、非常にまずいんだが……。
「俺と霧子は親友の上位系、マブダチの進化形、友人と書いてデスティニーと呼ぶ間柄だぜ。姐さんも、それはよく知っているだろう」
「ゆ、幸久君…、意味分からないよ……」
「三木…、どうした? 何かあったのか? 何か、言いにくいことでもあるのか? 誤魔化さなくてはならないことがあるのか?」
「べ、ベツニナニモナイヨー?」
「ゆっきぃ? なんかあせだくだよ?」
「そそそ、そんなことねぇって!」
「三木、何かを隠しているな? 言え、言うんだ。お前は
何を隠している。目を反らすな、まっすぐ私の目を見て言うんだ」
「俺は、霧子とお話があるんです。姐さんは、ほら、椅子に座って紅茶をどうぞ」
「ダメだ。お前は何か隠している。これから天方となんの話をするつもりか分からないが、しかしその前に私にそれを話してからにするんだ。私に話すことができない用事ならば、それこそ家に帰って、私の介入することの叶わないところでするんだな」
「ぐっ…、いや、あのですね……」
話が、変な方向に派生したあと、一周回って元の位置に戻ってきてしまったような気がする。いや、むしろ状況は悪くなってるから一歩後退したのかもしれない。
しかし、ここはなんとか誤魔化さなくては。姐さんは何かがあるってことに完全に感づいてるみたいだし、もう過剰に話を拡張して誤魔化すことはできない。となると、何か別の話題を持ってして誤魔化さなくては。
「こ、今度、霧子ともう一回、水着買いに来るからさ、その打ち合わせ? みたいな? なんていうか、そんな感じ?」
「…、嘘ではないようだが、真実でもないようだな。…、もういい時間だ、そろそろ帰るとするか」
「ど、どうして、急に?」
「急ではない。そもそも三木はすぐに帰ると言っていたではないか。さぁ、もう帰るんだ、仕度をしろ」
「お、俺は、もうちょっといるぜ。俺はゲームで勝たないといけないんだからな!」
「三木、今でそのゲーム、何度やった?」
「な、七回?」
「つまり、七連敗ではないか。今日のところは諦めるんだな。それにゲーム一つに何千円も使うものではないぞ。これは一般論だろう」
「そ、それはそうだけどさ……。で、でも、次くらいには勝てそうなんだって! なんか、そろそろくる気がするっていうか、きっと来るんだって!」
「そうやった、今まで七連敗したのだろう? 優れた人間というのは、引き際を弁えているものだ。それに、今日なんとしても勝たなくてはならないというものでもないだろう。また今度、もう一度足を運べばいいだけで、意固地になることはないぞ」
「それも、そうかもしれないけど……」
「私は、お前のことを気遣って言っているんだ。ハルさん、すまないが今日のところはこいつと遊ぶのは勘弁してやってくれ。長い時間拘束してしまって悪かったな」
「あら、そうですか? ご主人さまも、それでよろしいのですか?」
「お、俺は……!」
「三木、財布がだいぶ軽いように思うが?」
「あっ!? 俺の財布!!」
「なんだ、もう入っていないではないか。これでは続きをすることもできないだろう。ほら、もうわがままを言うんじゃない、帰るぞ」
「い、いやだ! 帰らない! 勝つんだ! 俺は勝たなきゃいけないんだ!!」
「まったく、駄々をこねるんじゃない。三木、負けたときこそ紳士的でなくては、男を下げるぞ」
「そ、そうだよ、幸久君…、そろそろ帰らないと、広太君が心配するよ……?」
「でも…、でもだな……」
俺たちがもきもきと揉めていると、デュエルテーブルで座って俺のことを待ってくれていた晴子さんが、椅子を鳴らすこともなく静かに立ち上がった。
「…、ご主人さま、それでは、こうしましょう。ミキちゃん、わたしのことを、写真に写してください」
「? はい、分かりました、ハルちゃん」
「キレイにお願いしますよ」
そして、もう一人のメイドさんも立たせると、清楚な雰囲気を漂わせるポーズ(軽く身体を斜めに向け、両手を前で揃えて右脚の踵をクッ、とわずかにあげるポーズ。晴子さんがするとどことなく凛々しい)を取り、ポラロイドをかまえたメイドさんに写真を撮らせたのだった。シャッターが切られるのにわずかに遅れて、下についている排出口からスーっと写真が出てきた。
写真嫌いの晴子さんが、どうして写真を撮られたのか。それをすぐに把握することは出来なかったが、それはその直後の晴子さんの動きによって間もなく明らかになった。
「これは、ご主人さまにさしあげます」
「えっ…、くれるんですか……?」
晴子さんの動きは、俺の考えていたものとは全く違うもので、というか、そんなことをまさかするとは考えていなかった。コツコツとブーツを鳴らして俺のそばまでやってきた晴子さんは、その手に持ったポラロイド写真を俺に向かってスッと差し出したのだ。俺はそれをどうしたらいいのか分からず、どうしたものかまごまごしてしまった。
「はい、ツーショットをさしあげることはできませんが、ここまで頑張られたのはご主人さまが初めてです。ですのでこれは、頑張ったで賞ということで、お納めください」
「い…、いいんですか……?」
「えぇ、特別、ですからね?」
しかし晴子さんの目は、そんないたわりの言葉とは裏腹に、毎度あり、と言っていた。つまり、そういうこと。晴子さんは俺に絶対勝てる公算があって、俺が負け続けるほどに熱くなって闘い続けることを知っていて、つまりこれぐらいが金を搾り取るのの限界点だと判断したのだろう。
最初から、これを俺にくれるつもりはあったに違いない。つまり俺は、七回分のプレイ料金を支払ったのではなく、3500円を支払って晴子さんのブロマイド(裏面にさらっとサインのようなものもしてくれているらしい)を一枚買った、ということなのだ。確かに、晴子さんの写っている写真のレアリティから考えれば、これくらいの値段は妥当かもしれないが、しかし…、いや、いいや! 過程はどうあれ、俺は晴子さんのブロマイドを手に入れることができたのだから!
晴子さんの目が、そろそろウザいから帰れ、って言ってるような気もするけど、そんなことないない!
「また今度、挑戦してください、ご主人さま。そのときこそは、ふふ、ツーショットの写真をさしあげられるでしょうか?」
「そ、そうですね! でもこれは、ありがたく頂戴します!!」
「はい、そんなに喜んでくださって光栄ですわ、ご主人さま。それではお帰りということですので、お会計を失礼します」
「はい、お願いします」
「よかったね、幸久君、写真もらえて」
「あぁ、ツーショットよりもむしろこういうのの方がほしかったし、めっちゃうれしい!」
「ゆっきぃがそんなにニコニコしてるの、はじめてみるかも~」
「そんなことねぇって!」
『幸久くん、そんなにメイドさん好き?』
「そんなことねぇって!」
「いってらっしゃいませ、ご主人さま、お嬢さま♪」
そんなわけで、俺は財布の中身が空っぽになるほどの金を使うことによって、めっちゃうまいケーキを味わい、メイド服の晴子さんのブロマイドを手に入れて、その喫茶店を後にしたのだった。こんなに派手に散財したのは生まれて初めてかもしれないが、しかしとても価値ある使い方をすることができたのではないか、と思う。
あっ、ちなみに、その手に入れた写真を広太に見せたところ、一目でそこに写っているのが晴子さんだと看破していた。やっぱりどれだけ姿を変えても、分かるやつが見れば分かるってことなんだろうな。