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Prism Hearts  作者: 霧原真
第七章
83/222

今日の罰ゲーム

紅茶に添えられたハルさんこと、晴子さんからの謎の呼び出しに応じるため、こそこそとトイレまでやってきた俺は、しかしそこで晴子さんの姿を見つけられずにいた。まぁ、晴子さんのことだから、たとえ俺が呼び出された側だったとしても、少なからず待たされることは覚悟の上だったが、しかしこんなところに呼び出されてしまった手前、やることがない。

トイレのある一角までやってくると、どうも奥から男性用、女性用のトイレがあり、一番入口の側に掃除用具入れ(とてもそうは見えないくらいシックな扉がついている)があるようだった。ここに来いと言われたのはいいが、はたして俺はここでどのようにして待っていればいいのだろうか。こんなところでぼんやりとたたずんで待つ、というわけにもいかないだろう。

しかし、ここで男性用トイレに入ってしまうわけにもいかないのである。なぜならば俺は晴子さんを待たなくてはならないのであり、逆に晴子さんを待たせるなんてことはあってはならないのだ。つまり、晴子さんがきたことを察知することのできないトイレの中に入ってしまうことは許されない。

それならば、トイレの前でただ待っているのはどうかというと、それもやはりちょっとマズいような気がしてならない。どうしてかといえば、男性用トイレの隣には女性用トイレがあるからなのだ。俺は、もちろん、ただトイレの前に立っているだけで、女性用トイレにはまったく関わり合いを持とうとしていないのだが、しかし傍から見てそれはどうなのだろうか。だって男性用トイレは空いているというのに、どうしてこんなところでぼんやり立っているんだ、という話になりかねないだろう。

待って待って、俺はそんなつもり全然ないのに、女性用トイレの前に立ってるとか思われたらヤバいんじゃないの? やっぱり、世間体的にあんまりよくないんじゃないの? だって、なんか…、ねぇ?

「こ、ここで…、待ってるのか……?」

ゃ、ヤだなぁ…、俺の人格とか疑われちゃうのかな……。いやいや、そんなことないって、ないない。だって、俺はそんなことしようとしてないって、だいじょぶだって、平気平気。見る人が見れば分かるんだって、俺がそんなことする人間じゃないって、分かってくれるよ。

…、あれ? でも、それって勘違いする人はするってことだよな……。やっぱりこんなとこにいちゃいけないのか? で、でも晴子さんはここに来いって言ってたわけだし、それを無視することは絶対に出来ないわけで…、はっ!? まさかここに俺を放置することが既に晴子さんからの罰ゲームということなのか!? もてあそばれてるのか、俺!?

とりあえずトイレのあるスペースに少し入ったくらいのところ(だいたい女性用トイレと男性用トイレの中間くらいの一番中途半端な位置)で待機しているわけだが、俺はここからどうすればいい。誰も入っていないトイレの前で待つという行為は、さすがに頭が悪く見えすぎるから出来ないし、しかしだからといって女性用トイレの前で堂々と待ちかまえる豪胆さは、残念ながら俺にはない。もう、何でもいいから晴子さんが早く現れてくれることを願うのみである。

「いや、いつものことか…、落ち着け、俺」

『…、幸久……!! ちょっと……!!』

「はっ!? 晴子さん……!? どこにいるんですか……!?」

『後ろに三歩下がりなさい…、ゆっくり、一歩ずつよ……』

「は…、はい……」

その声は、いい感じに拡散してしまってどこから聞こえてくるかよく分からないのだが、しかしそれは確かに晴子さんの声だった。ハルさんの声色ではなく、晴子さんの地声だ、間違いない。この声には、なにがあっても従わなくてはならない。

「は…、晴子さん…、どこですか……? どこにいるんですか……?」

言われたとおりに後ろ向きに一歩また一歩と、具体的にはホールの方に向かってゆっくりと一歩ずつ歩を進めていく。このままではせっかくこんな人から見えづらいところまでやってきたというのに、無駄になってしまうではないか。晴子さんは、俺に何をさせたいというのだろうか。というかそもそも今、どこにいるのだろうか。

「さ、下がりました、晴子さん……。つ、次は…、どうすれば……」

『入りなさい、扉に』

「はい…、いえ、いや…、イヤです……!」

『はっ? あたしが入れって言ってるのよ、入りなさいよ。逆らうとか、調子乗ってるんじゃないわよ』

「で、でも…、そこは俺の入っていい場所じゃありませんし…、っていうか、入ったらヤバいです……!」

晴子さんにそう言われたからにはそうしなくてはならないのだが、しかし俺は、目の前にあるきれいに装飾された扉のノブをつかみかねていた。これを掴んでしまっては、下手を踏むと俺の人生が終わってしまいかねない。あるいは、終わらないとしても致命的で危機的な状況まで追いこまれるかもしれない。いや、かもしれないじゃない、追い込まれるんだ。

そしてさらに、掴むだけでなく、捻って中に入ることすらも要求されているのだ。ノブを掴んでいるだけなら「間違えてしまいました」という言い訳も通じるかもしれないが、しかし捻って開いてしまっては、その前に気づいて然るべきなのだから、言い訳をすることすらも許されないに違いない。

ダメだ、そんなことしたら俺は死ぬ。社会的に死なざるを得ない。

『いいから、入りなさいよ。あたしが中にいるのよ』

「そ、そうなんですか……? でも、さすがに…、女性用トイレには…、入れないです……」

『はっ? …、そっちじゃないわよ、用具入れよ。三歩じゃ足りなかったわね、もっと下がりなさい。誰かに見られたりするんじゃないわよ。基本的にこういう裏には人は入れない決まりなんだから』

「ぁ…、あぁ…、そっちですか……。それなら、はい、すぐに入ります……」

よ、よかった…、そういうことなら、問題はあるまい。しかし、晴子さんなら自分の都合を優先して女性用トイレの方で待機していたとしてもおかしくなかった、と考えるとこの状況は非常に喜ばしいものだった。

しかし、きっと用具入れなんて、トイレと比べてもなお悪い最低の住環境なのだろうから、そこに少しの間であっても晴子さんを滞在させているなんて、許されざる大罪だ。今すぐにでもそこから晴子さんを解放しなくてはならない。俺は急いで晴子さんの待つ用具入れの扉を開き、その中へと足を踏み入れるのだった。

「し、失礼します……」

「ちんたら入ってくるんじゃないわよ、さっさと入ってきなさい。人に見られたら怒られるのは私なのよ」

「す、すいません……」

「で、さっそく本題だけど……」

そろりと足を踏み入れた用具入れは、どうやら倉庫と兼用されているようで、普通の店のトイレと同じくらいの広さはあり、さらに荷物が山積みということもないのでそこまで居心地は悪くない感じだった。しかしそこにいた晴子さんはそこはかとなく不機嫌であり、空気的には居心地最悪と言わざるを得ないだろう。

晴子さんは、どうしてか設置されている椅子に浅く腰かけ背もたれにダラっともたれかかり、メイド服のロングスカートの裾が軽く乱れることもかまわずガッ! と足を組んで剣呑な上目遣いで俺のことを睨みつけている。きっと俺がこの店にいることが気に入らないのだろう、口にせずともそれがビシバシと伝わってくるではないか。だが、だからといって、逃げたいが逃げてはならない。俺はここで晴子さんからの御言葉を賜らなくてはならないのだから。

「なんで、あんたは、ここに、いるの」

「と、友だちが…、ここの喫茶店を紹介してくれたんです……」

「…、メイちゃんね」

「はい……」

「まぁ、ちょっと前に霧子がメイちゃんをうちに連れてきたときにもしかしたらって思ってたけど…、でもわざわざ今日、あたしがいる曜日のいる時間狙ってこなくてもいいじゃない。そこらへんのところ、どういうつもりなの? 偶然とか言うつもりなの?」

「えぇと…、偶然とかではなくて…、メイが今日はハルさんがいるからって……。メイとしては、俺たちに晴子さんのことを紹介したかった、みたいな、アレでして……」

「…、そういうこと、ね……。この間うちに遊びに来たときも、私がハルだって気づいてなかったみたいだし…、あぁ~、なにこれ、ミス? あたしがミスしたっていうの……? カモフラージュ、やりすぎたってこと?」

「俺も、正直言いますけど、なんかよくない予感はしてたんです。すいません、直感に従って逃げてればこんな風に晴子さんに迷惑かけることもなかったのに……」

「…、まぁ、別にいいわ、いつかこういうこともあるんじゃないかとは、思ってたし」

「いいんですか?」

「ほんとにただの偶然みたいだし、言っても仕方ないじゃない。別に偶然に対して怒ったりしないわよ」

「…………、ほんと、ですか?」

何が、というわけではない。だが、直感的に、何かがおかしいと感じた。

こういうとき、晴子さんは偶然を呪うということをせず、リアリストとして(晴子さんの言)高確率で俺に対して八つ当たりをしてくるものである。それはこれまでの積み重ねから明らかなことであり、法則が崩されることはめったにない。

これくらいのことがあったら、俺を這いつくばらせて憂さが晴れるまで踏みつけ続けるとか、中腰の姿勢をキープさせた俺の膝をいつまでも蹴り続けるとか、硬く丸めた新聞紙で俺のことを何度も何度も打ち据えるとか、それくらいのことがされてもおかしくはないのだ。というかむしろ、それがされて初めてこの状況が解消されると言っても過言ではない。

本能が告げている、逃げるべきは今である、と。ここで逃げなくては、何かマズいことになる、と直感が叫んでいた。

「あんたがここに来たのも、まぁ、何かの巡り合わせってことよ、運命ってやつね」

「晴子さん…、あの、運命とか…、リアリスト的にアウトな単語がこぼれてるんですけど……」

やばいやばい…、やばいって……。なにかヤバいって…、なにが起こる? 何が起こるんだ……? 逃げたいのだが、しかし逃げることはできない。出来ないからには状況を受け入れるしかない。

しかし、その受け入れる状況が、まったく読めない。晴子さんが法則を崩して物理的な八つ当たりをしてこないのだから、それは何か俺にとってよくない、何らか別のことが起こるということを意味しているのではないだろうか? 痛めつけられるよりもよくないことが、俺に降りかかるのではないか?

「許してくれるってことは…、もう戻っても……?」

「はっ? それとこれとは話が違うでしょ?」

…、それとこれって、どれとどれでしょうか……?

「あんた、金使っていきなさい。財布にあるだけ、全部ね。それから、これからも定期的に来てお小遣いを使っていきなさい。私の秘密を知った罪は、それで許してあげるわ。寛大な私に、感謝しなさい」

「…、えっ?」

「だから、店の売り上げに貢献しなさい、ってことよ。私の専属、つまりメイちゃんだけど、の知り合いのお会計は私の功績になるのよ。功績が積み上がるとボーナスが出るのよね。だから、あたしのために、売上に貢献しなさい」

「…、えっ……?」

「今のところ、あんたは2000円も使ってないわよね。少なくとも、あと2000円は使って、全部で4000円は使っていきなさい。あんたが一人で4、5000円使ったとすれば、お会計全体が10000円近くなるし、最高ね」

「…、えっ? ちょ…、えっ……?」

「ほら、分かったらさっさと戻りなさいよ。あんまりトイレが長いと疑われるわよ。じゃ、あたしは戻るから」

「…、えっ……? あの、えっ……?」

そして立ち上がった晴子さんは、スッと俺の横を通り過ぎると、扉を開けて何事もなかったかのように用具入れを出ていったのだった。つまり、ここがこの呼び出しの用件の終着点、ということなのだろうか。これが、今回課された罰ゲームということなのだろうか。ついに晴子さんは、俺のことを殴る蹴る踏むだけでは飽き足りず、俺の財布にまでダメージを与えようというのだろうか。

ちょっと寄っただけの喫茶店で、どうして一度に4000円も使うことができるだろうか。この店は比較的リーズナブルな値段設定になっているわけで、ケーキをそんなに食うことはできないし、紅茶ばかりそんなに飲むわけにもいかない。というか、そんな使い方、俺の金銭感覚が許してはくれない。

だがしかし、だからといって晴子さんに逆らうことができるというわけではない。逆らえば、それはもう、財布の中の金を全部使っていけよ、みたいなカツアゲじみたこととは比べ物にならないほどの、何かが飛んでくると考えるのが妥当だ。

つまり、なんとかして使うしかない。仕方ない、と両手を挙げるしかないのである。

そういえばさっき、メイが「無茶をしなければ」そんなに金を使うこともないと言っていたっけか。ということは、「無茶をすれば」大枚をはたくこともできる、ということなのではないだろうか。仕方ない、その「無茶」の仕方を、メイに教えてもらうしかないらしいな。

ただ一つ願うことがあるとすれば、その「無茶」が「いっぱいケーキを食べる」とかでないことのみである。

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