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Prism Hearts  作者: 霧原真
第七章
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ケーキとご対面

「おまたせいたしました♪ ご主人さま、お嬢さま♪」

さっさと注文を決めようと思えばそうすることは出来るわけだし、それから間もなく注文をした俺たちだったが、しかし五分もしないうちに全員分の注文したものが届けられ、机の上が一気ににぎやかになったのだった。

「わゎ、すごぉい……」

「ほぉ、きれいなものだな。ケーキの乗せられた皿にデコレーションをしてくれるのか」

俺たちの前に並べられたケーキが乗せられたロイヤル・コペンハーゲンには、チョコソースやフルーツジャム、クリームなんかを使って花やハートマークが華やかに描かれていた。種々の色をふんだんに用いて描かれたそれは、そもそもの食器としての美しさも相まって、まるで一つの作品のようだった。食器だけでもすでに完成されているように思えるのだが、しかしそれを邪魔しない、むしろ引き立たせるような絶妙なバランスが保たれている。

しかしこれ、どうやって描かれているんだろうか。スプーンを使うんだとしたら、どれだけ細身のものであっても茎の細さを表現できないだろうし、ナイフ? いや、フォークを使うのだろうか……? それとも特別ななにか、ペンのようなものがあったりするのかもしれない。

「ねぇねぇ、ゆっきぃ、ゆっきぃもこれできる?」

志穂の前に置かれている皿には八つ切りにされたイチゴのショートケーキが乗せられており、上等なレースのようなクリームのデコの中に、形のいいイチゴのルビーのような赤とその脇に添えられた表面をツヤ加工したハーブのさわやかな緑が色合いを整えている。側面はスポンジのふっくらした黄色、クリームの抜けるような白、それに埋もれたイチゴの華やかさがそれぞれ順繰りに二層になっており、見ているだけで心が躍る気分だ。

そしてその上から、まるで雪を降らすかのようにうっすらとパウダーシュガーが散らされており、乗せられている涼しげな青系の皿にもホワイトチョコレートソースでいくつも雪の結晶が描かれていて、少し季節はずれな感じはするが、しかし全体の統一感はすごくよかった。

ショートケーキっていうのは、シンプルでありながら色合い的な意味で最強のケーキである、というのは俺ではなく晴子さんの自論なのだが、それには俺もおおむね同意するところである。

というか、志穂がどうして、こんなところまで来てわざわざそれを選んだのかはよく分からないが、まぁ、好きだったんだろうな。それとも、もしかしたら、志穂の中ではもはや「ケーキ=イチゴのショート」みたいな公式があるのかもしれない。いや、別に何を選んでも問題はないし、しかもかなり美味そうなのだが。

「やろうと思えば出来るかもしれないけど、でもきれいに出来るようになるまでは時間かかるだろうな」

そして俺の前には、同様に八つ切りにされたガトーショコラが置かれる。 ガトーショコラは、家に基本的に甘味の嗜好品を置かない俺が言うとおかしく聞こえるかもしれないが、一番好きなケーキだ。いや、というか、そもそもからしてチョコレートが、俺の一番好きな甘いものなのである。だから、ケーキだってチョコ味のものがあればそれを選ぶし、単に今回もそうしただけなのである。たまにはおすすめされたものでも食べればいいのに、と思うが、しかしこれが好きなんだからしょうがない。

しかし、ガトーショコラというのは、そもそもフランス語で「チョコレートケーキ」という意味でしかなく、ある意味で、チョコレートケーキはすべからくガトーショコラなのであるが、一般的にガトーショコラと言われている、チョコレートクリームとかを使わない焼き菓子っぽい感じを残しているものが、俺の好みである。表面はさくっとしているけど中はしっとりしていて、という絶妙なバランスが表現されていると最高である。というか、それは晴子さんのガトーショコラである。

目の前にあるそれは、まさにそんな感じであり、正直に言って、めっちゃ美味そうである。二等辺三角形の先の方を覆うようにかけられた、少し硬めにつくられたクリームと薄く散らされたパウダーシュガーでキレイにデコられているそれを乗せた皿には、チョコレートソースで描かれた小さな花が、パッと無数に散らされている。さらに、脇の添えられているミルクポットのようなものには、あっさりした味が予想されるフルーツジャムが三種類ほど用意されているし、味を変えて楽しむことも出来るよ、ということなのだろうか。

なにこの隅々まで行きとどいた気遣い…、ここまでくると流石に怖いんだが……。

『いつものより細かいから、たぶんハルさんがやってくれたんだと思う』

「すごいんだな、その、持田の言うハルさんという人は。きっと長年の修行の成果なのだろう、素晴らしいことではないか」

「こんなこと、出来る人がいるんだねぇ…、すごいなぁ……」

あとの三人は、メイドさんの勧めに従っておすすめの紅茶のシフォンケーキを注文していた。そしてそれがおすすめされていた理由は、おそらく出来たてだからだろう。それは見るからにふわふわとしていて、出来てからそう時間が経っているようには思えないし、おそらく例のハルさんが裏で焼いているのだろう。

十個ほどにざっくりと切り分けられたであろうそれは、俺たちのものよりもカット角が小さいにも関わらず、むしろそちらの方が大きい気がしてしまうほどだった。それも当然、志穂のスポンジケーキや俺の焼き菓子は比較的焼成時膨らまないのだが、しかしシフォンケーキはかなり膨らむので、中に素が多く入りそもそもの焼き上がりの大きさがまったく違うので、切ってもその大きさはそこまで損なわれない。普通のケーキとかだと、大きな素が入ってしまうと失敗、と言われることが多いが、だが素が入った方がシフォンケーキはふわふわ感が増すのでむしろ大成功である。逆に空気を取り込み切れていないシフォンは焼き上がりが軽くベタついてしまって、あまりいい出来とは言い難い。

つまりこのシフォンケーキは大成功なのである。そしてそれが乗せられた皿には、おそらく俺のものよりも甘めに味付けされているであろうクリームがドサッと豪快に添えられ、そのまわりは、三人ともそれぞれ違う感じでデコレーションされていたのだった。

「なんか、すげぇな…、全体的に……」

しかし、もし俺の予感が当たってしまってハルさんが晴子さんだったりすると、つまりこのシフォンケーキを焼いたのは晴子さんということになるのだろうか。ちょっとだけ食べてみたいかもしれない。いや、それどころか、このガトーショコラも、このイチゴのショートも、もしかしたら晴子さんがつくっているかもしれない。…、と、とりあえず、みんなからあとで一口ずつもらうとするか……。

…、いや! ハルさんがもし晴子さんだったら、なんて言ってる場合じゃないんだ! 俺は、もしそうだとしてもそうでないとしても、どちらにしても関係なく、ハルさんと顔を合わせる前にこの場から立ち去らなくてはならないんだ! だってなぜなら、すごいイヤな予感がするから! 出会ってはならないと、どうしてか分からないけど本能が告げているのだから!!

「さて、いただきます」

さくっと食って、さくっと飲んで、そしてさくっと店内から立ち去るのだ。それがベスト。間違いなくベストの選択。もしかしたら晴子さんがつくったケーキかもしれないけど、しかしそこに執着するよりも潔く帰った方が正解なのである。晴子さんのケーキなんて、次にいつ食べることができるか分かったものではないが、しかしそれでも、ここでしか食べられないものというわけではないのだ。着眼点を間違えてはいけない、俺にとっての最優先事項は、ここから帰ることなのである。

そして俺は手を合わせると、添えられているフォーク(シルバー。手に取るのが申し訳ないくらいピカピカ)を手に取り、それからガトーショコラにそれを突き立てた。まるでクッキーのようになった表面が、それによってわずかに崩れぽろぽろと皿に落ちていき、その層を抜けると次にフォークにあたったのはしっとりとした、口当たりの柔らかさがフォークから伝わってくるほどの生地だった。

一口大にきれいに切り取って、そしてそれを口に運ぶ。入れた瞬間、まさにふわりとほどけ、そしてそれがサクサクの生地と絡み合い、口の中に何とも言えない食感が広がった。そして、鼻孔まで立ち昇ってくるような香り高いチョコレート、コリコリとしたわずかに違う食感を与えてくれるくるみの絶妙な配分比、かすかに柑橘系の混ぜ込まれたクリームと合わせたときの、不思議なくらいの味の変化、添えられているジャムは一口含んだだけでそんな濃厚なチョコレートの味をサッと吹き払い、口内をまたたく間に真新しくしてくれ、ケーキの味に飽きることがまったくない。そしてさらにこちらを驚かせてくるのが、紅茶との親和性である。紅茶自体の淹れ方も非常に丁寧で渋みをほとんど感じさせることがなく、ケーキの味を引きたてているし、また同じようにケーキも紅茶の味わいを引きたてているし、相乗効果みたいな感じなのだろうか。あぁ、それでもまだ広太の紅茶の方が美味い、けど、広太からこのケーキは出てこない。ヤバい、何を言ってるか分からなくなってきた。

なんだこれは…、めっちゃ美味い……。っていうか、これつくったの絶対に晴子さんだよ。昔食べたのにそっくりだもん。味とか香りとか、食感とか食後感とかいろいろそっくりだもん。

ダメだ、ヤバい、マジで美味い。ジャムと紅茶とケーキの三角食べが無限往復してしまう。マズい…、このままだとケーキをもう一つ頼んでしまう。そうさせるだけの魔力が、このケーキにはある。だって、500円だよ? このケーキ、500円しかしないんだよ? 財布の中にはまだそれなりに余裕があるし、別にケーキ自体が大きいわけじゃないし、食後感もすごいいいからまだ二つくらいだったら入ってしまう。

「幸久君、そのケーキ、そんなにおいしいの? 一口もらってもいい?」

「…………」

「…、幸久君……?」

「えっ!? あっ…、どうした……?」

あまりにケーキに集中しすぎて、どうやら隣に座っている霧子から声をかけられたのに気付かなかったらしく、おずおずと肩を叩かれてしまった。あぁ、帰ってこい、俺。もう一個頼んじゃおうかな、とか考えてるんじゃない。こんなことしてると逃げ遅れるぞ、今は厨房にいるらしい、でもこの後にメイお嬢さまなのお呼び出しに応えてほぼ確実にこの席までやってきてしまう晴子さんと顔を合わせることになってしまうではないか。

俺は、大層もったいないことだが、このケーキはさっさとやっつけて、そして紅茶も飲み干して、この場から立ち去らなくてはならないのだ。…、あぁ、もったいない…、こんな美味しいものを、さっさとやっつけなくてはならないという事実が、俺の心に重苦しくのしかかってくる。時間をかけて、研究しながた食いたいくらいの逸品だというのに……。

「えと、ケーキ、そんなにおいしいなら、一口ほしいな、って。あたしのも一口あげるから、ダメ?」

「あぁ、一口ね、一口。別にいいよ」

「ありがと、幸久君。じゃあ、あたしのもあげるね、はい、あ~ん」

「あ~…、ん。…、口当たりいいな、これ。紅茶の香りもすごいしっかり残ってるし、すごい上手につくられてる。合わせてあるクリームもちょうどいい感じに味が調整されてるし、ばっちりだ。美味い」

「だよね、すごいおいしいよね。あたし、また時間見つけて来ちゃうかもだよ」

「それじゃあ、俺のも一口やろう。これは、マジで美味いから心して食うように。紅茶で流し込んだりしたら、いくら霧子でも手が出るかもしれないから、気をつけろよ」

「にゅ…、そ、そんなに、おいしいの? 楽しみだけど…、こわいよ……」

「まぁ、霧子はそんなことしないって信じてるよ。はい、あ~ん」

「あ~…、ん。…、ふぁ…、すごいおいしい……」

「だろ?」

「うん、幸久君がおいしいっていうのはみんなおいしいけど、でもこれはほんとにおいしいよ」

「そうだろそうだろ、美味いだろ」

「うん、おいしい。でも、もう一個ケーキ食べるのはダメだから、それは今度来たときに食べよっかな」

「そうだな、そうした方がいいだろ。女の子はケーキいっぱい食べちゃダメなんだからな?」

「うん、気をつけないと」

「で、志穂は、いつもみたいにバクバク食わないのな。いいと思うけど、そんなに美味しいか?」

「うん、すっごいおいしいよ!」

「そうか、…、俺の料理は、美味いか?」

「うん、すっごいおいしいよ!」

「そうか……」

それならば、どうして俺の料理はそんな感じで大事に食べてくれないんだろうか。そのケーキにもつくった人の魂がこもってるかもしれないけど、でも、俺の料理にだって魂は存分にこもってるわけで、同じくらい丁寧に食べてもらいたいものだ。いや、元気に勢いよく食べてくれるのは、まぁ、うれしいんだけどさ。

しかしどうしても、まるで宝物を扱うようにケーキを食べている志穂の姿に、いまいち納得できない俺がいた。

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