お買いもの、しましょ - 芽依篇
『買うの、決まった?』
俺と姐さんがうんうん唸りながら志穂の水着をとっかえひっかえいていると、よくわかんな~い、という顔をしている志穂の後ろのほうからテクテクとメイが歩いてくるのだった。その腕にはかごが提げられており、メイはもう買うものが決まっているのだろう、すでに水着が一着入れられている。
「メイは、もう決まったのか?」
『決まった』
「決めるの早いな、メイ。俺たちはまだ志穂の水着を選んでる途中なんだよ」
『しほちゃん、決まってないの?』
「ん~、まだ~」
「まだ~、じゃねぇよ。お前はもっと、自分のものを買ってるんだっていう意識をしっかり持って、もう少し協力的な態度を示してくれよ」
「え~、でもあたしもがんばってえらんでるよ? ゆっきぃとりこたんがみせてくれるので、どれがつよそうかかんがえてるもん」
「あ~、はいはい、そうだったね、志穂もがんばってくれてるよな。で、姐さん、よさそうなのあった?」
「いや、このあたりのものでよさそうなものは、だいたい見せたはずだ。それで皆藤が頷いてくれるものがないとなると、場所を変えるしかないかもしれないな。隣のラックはまだ見ていないから、皆藤の気に入るものが置いてあるかもしれない」
「でも、そういってラックを買えるの三回目だぜ。もう、こいつに水着を着せるなんて無理なんだよ……」
「しかし去年は、天方の選んだものを着ていたではないか。大丈夫、去年だって気に入るものがきちんと見つかっているのだ、今年も見つかるに違いない。諦めるのはまだ早いぞ、三木。さぁ、次のラックに移るぞ」
「…、あぁ、分かった。よし、次、いくか」
正直な話、俺は姐さんをこの作業に巻き込んだことを後悔し始めていた。当然、それは姐さんが役に立たなくて足を引っ張っているとか、そういうことを言っているわけではない。
姐さんは、例によって例のごとく優秀な働き手であり、おしゃれのことなどよく分からないと言っていたにも関わらずテキパキと志穂が気に行ってくれそうな水着をピックアップしていき、俺がラックに返そうとしている水着と引き換えに手渡してくれるのだ。だからもう、俺なんてただ水着を置くための台になっているようなありさまであり、俺こそいらないのではないか、という気すらしてくる。
だが優秀すぎるということは、それは間違いなく長所なのだが、しかし行きすぎるとやはり一つの短所になってしまうのかもしれない。いわく、過ぎたるは及ばざるがごとし、というやつである。
「絶対に見つけるぞ、三木。絶対に、だ」
「が、がんばるぞ、お~」
「どうした、三木、元気が足りないぞ。もっと私にお前の強い意気込みを見せてくれ」
「が、がんばるぞ! お~!」
「よし、その意気だ。さぁ、行こう」
我らが姐さん、風間紀子は、基本設定として完璧主義者である。勉強も風紀委員会も、運動も武道も、なんでもかんでも自分の関わるものは、可能な限り完璧に近づけることを目指すのだ。そしてここでも、その性質は当然のごとく顔を出してくる。
姐さんは、やる気がありすぎるのだ。志穂の水着を選ぶことなんて、正直に言えば、別に今どうしてもやりとげなくてはならないタスクということでもないわけで、もう少し適当なスタンスで関わって行ってもいいだろうに、そうすることができないのである。いつも肩に力が入ってしまっているというか、そうやって何にでも本気で向かっていくことのできるところが姐さんの美点ではあるのだが、しかしそれでは疲れてしまうのではないか、と少し心配になってしまう。
そうやってがんばり切れてしまうのは、もちろんその優秀さによるのであり、優秀だからこそやり遂げられてしまうのである。そしてやり遂げられてしまうからこそ、自らにそれを強迫的に課してしまうのだ。今日だって、別に志穂のために水着を選ぶミッションをこなすためにここに来たのではなく、それぞれが好きなように(もちろん俺は誰かといっしょにいることになるだろうが)思い思いに買い物をするはずだったのだ。それだというのに、俺がうっかり姐さんを巻き込んだばっかりに、楽しい姐さんの買い物が一つの大変なミッションになってしまったではないか。
ただでさえ日ごろ気を張っている姐さんが、せっかく息抜きできる場がここだったというのに、あぁ、俺の勢い任せのうっかりミスによってその姐さんの気の休めどころを奪ってしまったのだ。なんという愚かさであろうか、三木幸久。己の面倒の故に、よもや自分よりも数倍、いや数十倍…、十数倍気を張って生きている姐さんの癒しを奪するとは、許されざる蛮行である。
「三木? どうかしたのか?」
「えっ? あっ…、いや、姐さん、ごめんなさい……」
「? 急に謝ったりしてどうしたのだ、まったく。また何か悪いことでも考えてしまったのか? 三木は、すぐに思考がネガティブな方に行ってしまうからな、困ったものだな。そういうときは、大抵お前の思いすごしなのだから、気に病むことはないのだぞ。三木は種々方々に気を回し過ぎなのだ、もう少し気楽に、肩の力を抜いて思考した方がいいのではないのか?」
「いや、姐さんにだけは、それは言われたくないかな」
「それは、どういう意味だ?」
「あっ、いや、なんでもない。気にしないで」
「いや、駄目だ。聞いてしまった以上気にしないわけにはいかない。聞いたことを聞かなかったことにすることは出来ない性分でな、すまない」
「それは、知ってるけどさ……」
しまったな、マズいことになってしまった。このまま話を聞きだされてしまったら、おそらく、さっき頭の中で考えていたことをすべて姐さんに吐露することになってしまうだろうし、そうなっては俺が姐さんに対して、いらない気を回していたことも全て明るみに出てしまうではないか。
うぅ…、それはマズい。姐さんは裏で手を回されたり、自分の知らないところで変な気を使われたりすることが何よりも嫌いなのだ。そんなことをしていたのがばれてしまっては、イヤな顔をされることはないだろうが、また「まったくもう…」みたいな顔で見られてしまうではないか。あの顔は、けっこう精神的に来るので出来るだけさせたくないのだ。なんとかして誤魔化さなくては……。
しかし、そう簡単に誤魔化すことができるほど姐さんは安い女ではない。並大抵の論理的な攻めでは絡め取ることはできず、それこそ反則すれすれの攻め方をしないと誤魔化すことすらできないのである。
『幸久くん、だいじょぶ?』
俺が微妙に現状に窮していると、袖が小さくクッ…、と引かれる。そちらに軽く視線を向けると、いつの間にか俺の後ろに回っていたメイの手がそこにあり、そして煌々と輝くケイタイの液晶画面がそこにあった。
なんとなく、そんな気配を感じたので声をひそめて、俺はそれに言葉を返した。
「だ、だいじょぶ、だぜ?」
『うそ 助けてあげる』
「うぐ…、でも、大変だぜ?」
『平気、なんとかできる』
さっきまで、俺たちと合流してからずっと無口を貫いていたメイだったが、しかしここにきてやけに自信満々にそう言い放ったのである。しかし、どんな秘策があるにせよ、姐さんと面と向かい合って言葉をぶつけあうことは賢いことではないだろう。そのことを、果たしてメイは知っているのだろうか。もし知らないのならば、今すぐにそれを教えてあげなくてはならないわけで、また知っているのであれば、友としてそれを止めてやらねばならないのである。
しかしなにやら秘策があるということだし、それはもしかしたら真正面からのぶつかり合いではないのかもしれない。そういうことなら、あるいは安全なのかもしれないし、変に心配などすることもないのかもしれない。でも、いやしかし、やっぱり…、あ~、でも俺じゃきっとどうすることもできないし、俺は完全に裏のフォローに回って、ここはメイに任せるのがもっとも賢いのかもしれない。
「悪い、じゃあ、頼む」
『任せて』
そして、メイが俺の脇からスッと前に出て、まるで俺をかばうように姐さんとの間に入った。自分の胸くらいまでしか身長のないメイなのだが、そのときはどうしてか、その後ろ姿は無性に頼もしく感じられた。
『のりちゃん、幸久くんの言ったこと、気になる?』
「おぉ、持田、そんなところにいたのか。なんだ、三木の言おうとしていたことが、お前には分かるのか?」
『分かる』
「そうなのか、それならば、ぜひ私にも教えてくれないか。気になってしまうと、どうしても知りたくなってしまう性分でな」
『うん、いいよ』
あれ? メイさん?
『幸久くんは、のりちゃんも肩に力入ってるっていいたい』
ちょっと…、ちょっと、メイさん?
「そうなのか? 私としてはそのようなつもりはないのだが…、よければ、どこがそう感じられるか教えてもらってもいいか?」
『いい』
止めるべき? 止めるべきだよな? だって俺は、姐さんにその話をしないで済ませるにはどうするべきだろうか、と画策していたのだから、今の状況はそれにそぐわないではないか。それはやはり止めなくてはならないのではないだろうか。
いかにメイに秘策があるとしても、ここで止めなくては前提自体が破たんしてしまうのではないか?
「なぁ、メ」
しかし俺が口を挟もうとしたところで、後ろ手に回したメイの左手が俺のシャツの裾を引いた。あの、これは、お前ちょっと黙っていろよ、ということでしょうか、メイさん。だが、それをメイに確かめる術はない。そうするためには声をあげるか、メイのまえに回り込んで目をみるしかないわけで、そんなことをしたらメイの秘策自体を潰してしまいかねない。それではサポートメンバーに回った意味がないというか、サポートメンバーとしての存在意義を全うできないというか。
「…………」
口を挟もうとしてメイに止められた俺が、どうしたらいいか微妙に迷っているとメイの口元がかすかに動いたのが見えた。今のところ無口キャラを完璧に全うしているメイが言葉を口から出すことは今も今後もおそらくないように思うが、しかし声は出ていなくても、くちびるだけはまるで言葉を紡ぐように小さく動いている。
え、い、い。
もちろん口の形からは母音の配置しか分からないが、なんとなくその言おうとしていることは、前後の文脈から推測することは不可能ではない。そういうことに不慣れな俺でも短い単語一つや二つくらいなら出来る、気がする。
文脈からして、へいき、平気だろうか?
平気なのか? 平気なんですか? ほんとに平気なんですね、メイさん?
『楽しくお買いものしてるはずなのに、のりちゃん、目が怖い。もっと笑って?』
「むっ…、そうか?」
『まゆげの間にしわが寄ってる』
「あぁ、そんなにか? 参ったな…、いつの間にかそのような顔になっていたとは」
『のりちゃん、ちょっとかがんで?』
「ん? こうか?」
『もうちょっと』
「? これくらいでいいか?」
『いい』
そしてメイは、かがんで自分の顔と同じくらいの高さにある姐さんの顔に手を伸ばすと、眉間に寄ってしまっているしわをクイクイと小さな親指で伸ばしていく。
『これでいい』
「いいのか?」
『あとは、ニコッてして』
「…、これでいいか?」
『いい』
「よし、それでは買い物を続けるか。皆藤、あちらのラックに行こう。持田、教えてくれてありがとうな」
『気にしない』
「あぁ、そうさせてもらう。三木はどうする、こちらに来るか?」
「あっ、いや、えっと、メイとちょっと話があるから、あとで合流する」
「そうか。三木、あれくらいのことだったら言ってくれればいいではないか。まったく、何を言い淀んでいるのかと勘ぐってしまったではないか」
「あ、あぁ、ごめんごめん、変に気にしちゃうんじゃないかと思って」
「私はそのくらいのことを気にしたりしない。むしろ言ってくれた方が改善できていいではないか」
「こ、これからはスパッと言うようにするよ、うん」
「あぁ、そうしてくれ。それではまた後でな」
「…、なぁ、メイ、なんで丸く収まったんだ?」
姐さんが志穂を連れて向こうの方に行ってしまって、俺はメイにそう問いかけずにはいられなかった。俺が思った一番良くない状況は、しかしおそらく最もよい解決をもたらした。どうしてそうなったのか、正直見当もつかない。
「言わない方がいいと思ったんだけど、さっきの」
『幸久くんは、言わない方がいい』
「えっ? どういうこと?」
『のりちゃんも、女の子ってこと』
「? そりゃ、そうだな」
『そういうこと』
「…、どういうこと?」
『幸久くん、ちょっとかがんで』
「? こう?」
『そう』
そしてメイは、ついさっき姐さんにやったように俺の顔に手を伸ばし、そしてさっきとは違って立てた人差し指で俺の額をつーん、と突いた。
『鈍感、ダメ』
メイは、かがんだまま額を突かれてバランスを崩し尻もちを突いた俺をしり目に、くるりと背を向けるとパチンとケイタイを閉じてポケットにしまいながら去っていくのだった。
「え…? え?」
それがどういうことを意味するのかまったく分からなかった俺は、向こうの方にテクテクと歩いていくメイを見送るしかなかった。
鈍感って…、どういうこと……?