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Prism Hearts  作者: 霧原真
第五章
62/222

飲兵衛と漫画家、鎬を削る

両手に八百屋やら魚屋やらで買った荷物を提げながら、俺たちは今回の買い物のスタート地点である駐輪場まで無事に戻ってきたのだった。

「よし、これで買い物はもういいだろ」

「はい、いっぱい、買いました」

「未来様、お荷物は私がお持ちしますので、どうぞお渡しください」

「平気です、未来も、お手伝いするって、おにいちゃんと、お約束しました、から」

「そうだぞ、広太。未来ちゃんはこんなにがんばって手伝ってくれてるんだ、うれしいじゃねぇか。未来ちゃん、がんばってね」

「はい、がんばります!」

未来ちゃんは、八百屋で買ったニンジンが三本とジャガイモが四個、それに大根と長ネギが一本ずつ入っている袋を両手で提げて、えっちらおっちらと、少しおぼつかない足取りで俺たちの隣を歩いている。大きめのビニール袋はその内容物によってそれなりのふくらみを帯びていて、その重さがなんとなく見ているだけでも伝わってくる。握った手に食い込むビニールの持ち手が、その肌の白さをかすかに際立たせているようで、少しだけ痛々しく、それを持ってあげたくなるというか、広太が未来ちゃんの荷物を受け取ろうとしたことも分からないではない。いや、むしろ全面的に同意だ。

もちろん、未来ちゃんに荷物を大量に持たせて俺たちは楽をする、などということをしているわけではない。当然荷物の大半は俺と広太が分けて持っているわけで、未来ちゃんにお願いしている分なんて、全体の量から見たら、そこまでのものではないと言わざるを得ない。

しかしそうだとしても、未来ちゃんにとってはそれだけでもなかなかの量なのだから、大変であることに違いはないのだろうが。小学五年生の女の子に持つことができる荷物の量と高校生男子の持つことができる荷物の量には大きな差があるのであり、それゆえ、持っている荷物の量の差が必ずしも労働の強度の差となり得ないのである。

だがしかし、だからといって、大変なことなどないように、とその荷物を取り上げてしまってはいけない。確かに未来ちゃんの持っている分の荷物を追加で持つことくらいなら、俺でも広太でも不可能なことではないが、それをしてしまっては未来ちゃんの気持ちが納得しない決まっているのだ。

未来ちゃんは別に俺たちといっしょに行動するマスコットキャラというわけではなく、買い物のお手伝いをするんだ! と意気込んで同行してくれている、ということを忘れてはならない。ここで未来ちゃんの荷物を取り上げてしまっては、せっかくお手伝いをしようという未来ちゃんの心意気を蹴飛ばすことであり、この場における未来ちゃんの存在意義を貶める行為なのである。

未来ちゃんのことを大事に思うなら、ここで自己満足的にその労働を取り上げてしまうのではなく、しっかりお手伝いを完遂させてあげるべきなのだ。そうしてこそ、未来ちゃんの思いを遂げさせてあげることができるのだし、未来ちゃんから見たら大人な存在である俺たちと自分を並べることができる、つまり自分がまた一つ大人になることができたぞ、と実感することができるのだ。

「おし、帰ったらご飯つくるぞ」

「三木のおにいちゃんは、未来にも、お料理の、お手伝い、させてくれる、ですか?」

「ん~、そうだなぁ……。未来ちゃんは、お料理したことはあるのかな?」

「未来は、お料理は、家庭科の、授業で、少しだけ、やったことが、あるです。おうちでは、おかあさんが、ダメって、いうので、やってない、です」

「そっか…、経験しないと上手くならないのは当然なんだけど、今日のキッチンはきっと忙しくなっちゃうだろうし、経験少ない未来ちゃんが立つには厳しいか? なぁ、広太、だいじょぶだと思うか?」

「私には料理のことは分からないのでなんとも言いかねますが、しかし幸久様は人にものを教えることがお上手ですので、未来様にとってはとても良い経験になるのではないかと存じますが。ですが、もし幸久様の調理作業の妨げになるのでしたら、キッチンへお入れにならない方がよろしいのではないでしょうか」

「いや、邪魔ってことは全然ないと思うんだけどさ、でもキッチンもあんまり広くないし、二人で入って、そのうち一人が不慣れな人っていう状況は、ちょっと危ないかなって。っていうか、やっぱり大人数の料理をつくるってことは忙しく動くことになるし、ぶつかったりして危ないかもしれないだろ?」

「そう、なのですか? それならば、二人で調理は為さるのは、おやめになった方がよろしいのではありませんか?」

「そうなんだよなぁ……。でも、未来ちゃんはやる気満々だし、ダメっていうのもかわいそうだし」

「三木のおにいちゃん、未来、お料理の、お手伝いは、出来ない、ですか?」

「ん~…、出来ないわけじゃ、ないんだよなぁ……」

俺の言葉では、どうにもうまく誤魔化し、もとい説明できそうにない。っていうか、やる気のある人にはチャンスを与えて然るべきだし、こういう自発的にやると言ったときこそ機会を与える機会に最適というか……。でもやっぱり危ないものは危ないし、もしそれで未来ちゃんが怪我でもしたら洒落にならないっていうか、歌子さんに申し訳が立たないというか。

広太、どうにかしてくれ、と、俺はバチッ! とアイコンタクトを送った。そして広太はそれを理解したのか、未来ちゃんに悟られない程度に小さく頷いて、目線を当の未来ちゃんの方へと戻した。

「それでは、未来様はテーブルのセッティングを手伝っていただけますか? 私一人では、時間がかかってしまって、間に合わなくては困りますので、お願いいたします」

「庄司のおにいちゃん、ピンチ、ですか?」

「はい、パーティのために、幸久様のつくってくださった料理を並べるテーブルも飾らなくてはなりません。ですが、私一人では間に合うかどうか…、未来様にお手伝いいただけば、きっと立派に飾り立てることができるでしょう。どうでしょう、お手伝いいただけませんか? もちろん、幸久様がお料理をなさっている様子は、テーブルの仕度をしながらでもよくご覧になることができますよ」

「はい、です。そういうこと、だったら、未来は、庄司のおにいちゃんの、お手伝いを、します。もっと、三木のおにいちゃんの、お役に、立てるように、なったら、お料理の、お手伝いを、させてください!」

「うん、今日はテーブルセッティングの方をよろしくね、未来ちゃん。今度また、いろいろ教えてあげるから、そのときにいっしょにお料理しよう」

「はい、わかりました、です」

「とりあえず、今は帰ろう。広太、いい感じに荷物を二つに分けて、チャリの前かごと荷台に積んでくれ」

「はい、了解いたしました。未来様のお荷物も、お預かりします」

「はい、庄司のおにいちゃん、よろしくお願いします。ふぅ…、手がしびれちゃいました」

「荷物いっぱい持ってくれてありがとうね、未来ちゃん。さすが五年生、力持ちだ」

「えへ、はい、五年生ですから」

せっせと荷を積み込んでいく広太を見ながら、俺はえへへと笑う未来ちゃんに軽く笑いかける。

買い物自体は、いいものを揃えることができて成功なうえに、未来ちゃんが愛想を振りまいてくれたことでいつもより、わずかにではあるが、安くあげることができる大成功だったのだ。せっかくだ、この浮いたお金を使って功労者である未来ちゃんにジュースの一本でも買ってあげようじゃないか。

しかし、俺たちはこうして買い物に出てしまったわけだが、アパートに残っている弥生さんや都さんはなにをしているのだろう。パーティの支度を少しでもしてくれていればいいんだけど…、でもまぁ、そんなこと期待する方が間違ってるのかもしれないなぁ……。


…………


「おじゃまするわよ、三木くん」

「おっ、都ちん、いらっしゃいな~」

俺たちが買い物に出てからしばらくして、手に小さなビニール袋を提げた都さんが我が家の扉を開く。鍵が開いていることは分かっていたようでチャイムに手を伸ばすことはまったくなく、軽くノックをしてからまっすぐにノブを捻り我が家へと足を踏み入れた。

そしてそこで待っていたのは俺でも広太でもなく、テレビも音楽も付けることなく無音の中で静かに座っている弥生さんの姿だった。

「あれ、やよちゃん? そんなとこでなにしてるのかしら?」

「ん~? お酒ちゃんと語りあってた~」

「またお酒? お酒なんて飲んでも、百害あって一利なしよ、やよちゃん」

「またまた~、お酒よりも身体にいいものなんてこの世に存在するわけないじゃん。神の雫だよ、お酒は」

「イヤよ、お酒なんて。お酒を飲むと前後不覚に陥ってそのときの記憶を軒並み無くすものじゃない。怖いわ、眠る以外で全く記憶のないときがあるなんて。もし変なことを口走ったりしたらどうするのよ」

「それはそれだよ~。そんなことよりも、今この瞬間に楽しければそれでいいじゃない」

「そういう刹那主義、あたしには合わないわね。確かに人生っていうのはあらゆる無数の瞬間の積み重ねによって作り上げられていくけど、その瞬間瞬間が楽しければいいってものじゃないでしょ」

「楽しい瞬間が無限に積み重なれば、それは楽しい人生の出来上がりじゃないの~。都ちん、何よりもお酒が楽しい人生を彩るものなのだよ」

「それは違う、違うわ、やよちゃん。楽しいからといって自分の好きなものばかり描いていてはいけないの。確かに自分の好きなものを描いている分には楽しいし、かけがえのない時間を過ごすことができるものだわ。でもね、自分の好きなものが必ずしもいいものというわけではないし、仮にいいものが出来上がったとしても連載の役に立つものとは限らないの。楽しい瞬間を、無限に積み重ねることはできないわ。必ず、どこかで楽しさの積み重ねは現実という横殴りによって破壊されるのよ」

「そんなことないと思うけどなぁ……」

「そんなことあるわ! やよちゃんはまだ学生さんだから、もしかしたらそんなことを感じることはないかもしれないけど、でも現実の世界はそうなのよ! やめて!! あたしの考えた新連載用の長編用の設定資料集とネームを雑誌に合わないとかいう理由でまともに読みもしないうちから没にしないで!! 担当さん、やめてぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

「都ちん、くーる、だうん」

「はぁ…、はぁ…、ご、ごめんね…、三年前の、トラウマが、ちょっとね……」

「深呼吸だよ、都ちん。これ、飲むかい?」

「イヤよ、それお酒じゃない。騙されないわよ、飲んだら最後、記憶を失っちゃうんだから」

「そんなことないって。こないだだって、少しは覚えてたじゃん」

「覚えてたのは、だれかにお酒を飲まされたってことだけで、それ以上は状況証拠から推理してたどり着いたのよ。あたしはもう騙されないわ。やよちゃんは、あたしにお酒を飲ませて刹那主義の住人仲間に引き込もうとしているのよ、絶対そうだわ」

「そんなことないって、あたしはただいっしょにお酒を飲んでくれる人がほしいだけなんだって~」

「それが、刹那主義への耽溺だって言っているのよ。ダメ、絶対ダメよ。あたしはお酒なんて飲まないの。飲んだら夜にやる予定の原稿が出来なくなっちゃうじゃない」

「お酒飲んだって原稿は描けるよ~、たぶん」

「描けないのよ! いや、描けないというか、下手に描けちゃうから困るのよ!」

「? 描けるんならいいじゃん」

「ダメなの! あたしは原稿は全行程アナログ派だから、パソコンみたいに修正がきかないのよ! 確かにホワイトで直すことはできるけど…、そんなことするよりもう一から描き直した方がいいんじゃ、みたいなことになっちゃうのよ!! 一晩作業できないだけでもちょっとスケジュールきつくなるのに! 昼間の分の原稿まで台無しにしちゃったら、もう無理なんだから!! あたしの…、あたしの原稿がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! こんな魂の入ってないペン入れじゃ!! 掲載できないじゃないのぉおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「でも、こないだは間に合ったんでしょ?」

「この間は運が良くて、どうしてか被害が原稿全体に拡散していたから全面リテイクにしないといけないページがなかったからよ!! もしあれが、何枚かに被害が集中してたりしたら……! 3ページか4ページが、全面リテイクになってたに違いないわ……!!」

「それって、やっぱキツいの?」

「当然じゃない!! あたしは、描くのは比較的早い方だけど、一枚一枚命を込めて描いてるから、一枚ダメにしちゃうと立ち直るのにしばらくかかっちゃうのよ!!」

「問題はメンタル面ってことじゃん。ガラスのハートなんだから、都ちんは。お酒飲んでるときはあんなに強気発言連発してたのに」

「えっ…、なにそれ、それ知らないんだけど……」

「いや、お酒飲ませたらさ、急にケイタイで担当さんに電話し始めちゃってさ、元気いっぱいに次の連載の話とかしてたよ。『大傑作が描き上がる予感がするんです!!』とか、不自然なくらい自信満々に言ってたよ」

「…、あっ! だからその次の打ち合わせで新作がどうこう言ってたのね!? あたしが知らないって言ったらうやむやになったけど!!」

「なぁんだ、連載してるのに新連載とかかっけぇって思ったのに、やらないんだぁ~」

「こ、これ以上原稿抱えたら死ぬわ!!」

「一瞬のかっこよさに生きないと」

「だから! 刹那主義はイヤだって言ってるじゃない! 刹那主義的な生き方では安定した人生は歩めないのよ!!」

「やり始めちゃったら、なんとかなるもんじゃないの? 気合とか、いろいろで」

「やよちゃん、この世の中には気合ではどうにもならないことがあるものなのよ。月刊連載を六本以上抱えることは、すなわち死を意味するの」

「今、何本?」

「六本……」

「…、都ちん、ファイト!」

「そうよ、あたしは現在進行形で死んでいるのよ……」

「売れっ子作家さんだよ、立派だよ、都ちん」

「売れてる…、のかしら……。あたしの漫画、売れてるのかしら……? あたし本屋さんにも行かないし、雑誌も読まないし、アンケートの結果も聞かないし、ネットで評判を知ることもしないし、ファンレターも基本的には受け取らないようにしてるし、なんにも分からないんだけど……」

「だいじょぶだって~、大学でも読んでる人いるみたいだもん。評判もいいみたいだし、新刊出たら本屋さんには平積みだよ。売れてるって」

「そうだと…、いいんだけどね……」

「元気出してよ、都ちん。ほら、これ飲んでいいから」

「ありがと…、やよちゃん……」

そして都さんは、弥生さんの手からグラスを受け取ると、あおるように一気にそれを飲みほした。

俺たちが買い物から戻るまで、あとだいたい20分。

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