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Prism Hearts  作者: 霧原真
序章
6/222

解錠・侵入・対応

「ってことなんだ、けど、おい、志穂…、お前、話も聞かないでなにしているんだ」

「えっ?」

してほしいと求められたからこそ、俺は特に面白くもない、どちらかというと己の無様をさらすような話を、恥を忍んでしているというのに、どうしたことだろう、俺の目の前に座っていたはずの志穂がいつの間にやらいなくなっていた。

まさか勝手に立ち歩いてドアを破壊しようとしているのではあるまいか、と急いで周囲を見回すが、しかしその姿を見出すことはそこまで難しいことではなかった。志穂は、俺に背を向けるようにすぐそこにあるドア、つまり俺の自室のドアの前に座り込んで、何かをしていた。いや、何をしているのか、ということはすぐに分かったのだが。

志穂は俺の自室のドアの前に座り込んで、どこからか調達してきたらしい針金二本を折り曲げ、狭い鍵穴の上と下に差しこんでガチャガチャと鳴らしている。なにをしているんだろうなぁ、と小首を傾げて見守っていることができるほど、それは微笑ましい行為ではなかった。

錠の落ちているドアに対して、鍵穴の中に針金のような細くて硬いものを差し込み、本来の鍵を用いずに解錠する技術。人はそれをピッキングと呼ぶ。

まさかこいつそんな針金(おそらくヘアピンか何かだと思われる)で、俺が少ない生活費を切りつめて、なんとか鍵をつけた扉を開けるつもりなのか? 開けるなよ、とあれだけ念を押して言ったのに、俺の言葉をあえて無視してまで開けるつもりなのか?

「開けるなよ!」というのは、決して「開けろ」という振りではない。俺だって、伊達や酔狂でドアに鍵をつけたわけではないのだ。本当に開けないでほしいなぁ、と思っているからこそ、わざわざ大仰に鍵などつけたというのに、こいつはそれが分からないのだろうか。人の行動からその心情を察するという、人付き合いの基礎的技能が、こいつにはまるで備わっていないというのか。

当然だが、俺にだってプライバシーというものがある。

人が生活をすると、その生活の場にはその人間の精神的な傾向が顕現するものだ。その人間がどのようなことを考えて毎日を過ごしているのか、とか何が好きで何が嫌いか、とか、そういう普段外では繕われて見えないラフな姿が見えてくる。完全に素のままで生きている人間なんて、滅多にいるものではないのだから。

それを見られるのは、やはり恥ずかしい。見られたくないからこそ、外では繕っているのだ。そんなもの、あえて暴き立てられたくはない。隠す、という言葉の意味をよく考えればすぐにわかることだ。

しかし、まぁ、あれだ。ピッキングなんて冗談ではないと思う反面、そんなことでほいほい開くわけがないだろう、と思っている自分もいるわけだ。そんな素人考えで開くことができるほど、技術大国日本の錠前は甘くないだろう。確かに、安いのでいいかな、と多少日和った感はあるが、しかしだからといってメイドインジャパンである。世界に誇る日本の工業力は、値段の多寡などによって左右されるものではないのだ。

それから何秒か、鍵穴からはカチャカチャという音が続いた。そろそろ諦めてもよさそうなのに、一向にそうする気配がない。いや、開けることを諦めていないというか、むしろあぁやってガチャガチャさせること自体が面白くなってきているのかもしれない。

「あっ、開いた」

しかし、いつまでもそんなことをされていては鍵穴がダメになってしまうかもしれない、と思った俺はいい加減に止めることにした。だが「おいおいそろそろ止めてくれよそんなことで開くわけがないだろう」と声をかけようと思った瞬間、今まで鳴っていた音とはどことなく違う、カチャン、という軽い音が俺の耳に届いた。それに続くように志穂の言葉が届く。そして志穂の小さな手がノブにかかり、ひねると俺の部屋の扉がゆっくりと開いていく。

「えっ、あれ…、えっ?」

そしてなんの躊躇もなく、志穂はまるで自分の部屋に入るような気軽な足取りで俺の部屋へと足を踏み入れていく。開けるなと言われていた鍵を開けたことへの罪悪感も、他人の私室に侵入することへの後ろめたさも、何も感じさせない。それはあまりに自然な動作で、自然すぎる動作で、俺はその違和感に気づくまでにしばらくの時間を要した。

「お、おいっ! ちょっと待て!」

なんとか動揺を振り払い、俺は動く。だがしかし、時すでに遅し、なんとか椅子から腰を浮かせただけの俺の目の前で、あざ笑うかのように扉はゆっくりと閉まっていく。そして中から錠が落とされ、開いたときとは逆に重い、ガチャリ、という音が鳴った。

すぐに何が起こったのかは理解した。これからどうしたらいいかもすぐに理解した。しかし一瞬だけ、確かに俺は頭の中が真っ白になった。一瞬くらいは、真っ白になりたかった。

「…、広太! 鍵だ、鍵持ってこい!」

「どうなさいましたか、幸久様。あまり声を荒げるのは感心しませんが」

水道をキュッと締め、手を布巾でふきふき台所から出てくる広太は、おそらく何も見ていなかったのだろう、冷静にそんなことを言ってくる。普通の状況ならまさに正論なのだが、今は緊急事態なわけでそれを聞き入れる余裕はない。

「志穂だ。志穂が俺の部屋に入って中から鍵をかけた。すぐに開けるぞ!」

前回の大変な事態が脳裏をよぎり、少しだけ声が震える。あんなことは二度とさせてはいけない。完全にしっちゃかめっちゃかにされた部屋の片づけは、思っている以上に骨が折れるのだ。

俺の話を聞きながら腕を前で組み、顎に右手を当てながら思案顔の広太。昔、何かの本でそんな感じの恰好をしながら謎を解く探偵がいたような気がする。しかし、そんな余裕を見せている場合ではない。

「鍵をかけたことが裏目に出ましたね……。まさかピッキングで解錠されるとは考えていませんでした…、申し訳ありません幸久様、私の落ち度です」

「今は誰が悪いとかそういうことを言ってるときじゃない。広太、とりあえずすぐに鍵を持ってこい。俺はそれまで何とかできないかいろいろ試す」

「幸久様、もしかしたら窓伝いにお部屋まで行くことができるかもしれません。ですが窓が開いていないとどうにもなりませんし、危険ですのでお勧めはしませんが」

広太はそう言い残すとダッシュでいつも鍵をしまっているところまで走った。部屋の中で、常に優雅に振る舞うことが求められる執事であるところの広太が走るというのは、実際、滅多にあることではない。つまり今はそれだけの緊急事態だということなのだが。

しかしあそこにはいろいろな鍵が束になっておいてあるので、目的の鍵を見つけ出すのは少し骨だ。そしてそれ以前に、その鍵自体が厳重に仕舞い込まれているので、広太が分かりやすいようにラベリングしているが、それでも持ってくるまでに多少の時間がかかる。

危険を冒すことは、当然あまり良いことではない。しかしそれも時と場合によるだろう。今、志穂が俺の部屋をひっくり返そうとしている今、そんなことを言っている場合ではない。行くしかない。少しだけ思いきるしかない。大丈夫、もし落ちたとしてもここは二階だ、ほんのちょっと痛いだけ。どちらにしても問題はない。

「よし、窓から行けるか確かめる。姐さん、頼む、ちょっと支えてくれないか?」

「分かった。だが、あまり体を乗り出すなよ。たとえ二階とはいえ、落ちたら危ないことには変わりない」

「分かってる。霧子は中の志穂に声をかけて動きを止めてくれ。ほんの少しだけでいいから、頼むぞ」

「ぅ、うん、わかったよ。ガンバる」

「ちょっと時間を稼いでくれるだけでいいからな」

『あたしは?』

仕事を割り振り終わったところで、目の前でメイの携帯の液晶が揺れる。

「えっと…、それじゃあ後で志穂を折檻するために、荷造り用のひもを取ってきてくれ。たしか洗面台の下に入ってたはずだ、探せばすぐに見つかる」

『わかった』

そうして総員散開、状況を開始する。

「しぃちゃ~ん、だめだよ~、幸久君のお部屋をぐちゃぐちゃにしちゃダメだよ~」

『ほぇ、きりりん? きりりんも入る?』

「だ、だめだよ~、幸久君に怒られちゃうよ~」

『でも、ゆっきぃはえっちぃのをかくしてるよ?』

「幸久君はそんなの持ってないよ~、隠してないよ~……、たぶん……」

『でも前はでてきたよ?』

「あ、あれはそういうのじゃなかったよ~。ただのマンガだったよ~。少しくらいは…、えっちだったかもしれないけど……」

『えっちぃのはよくないよ。きりりんもさがさないと』

「ぇ、えと…、にゅぅ……」

志穂のやつめ、ふざけたことを。そんな本、出てくるわけないだろうが。ちゃんとすぐには見つからないところに隠しているに、決まっているだろう。引き出しの二重底の中とか、ベッドの下のマットレスの下の収納とか、あとは、まぁ、いろんなところに分散させてるんだぞ。

「霧子、ダメだからな!」

「が、がんばる!」

本当に、がんばってもらわないと困る。志穂の仲間を増やすためにそこに霧子を置いているわけではないのだ。

「姐さん、もうちょっと先まで行ってみる」

「押さえているが、気をつけろよ」

「分かってる!」

姐さんを信頼して大きく身を乗り出してグッと手を伸ばす。ベルトが腹に食い込む感覚を無視して、落ちないようにバランスを取りながら手を伸ばす。

何度か手で空をつかみ、がんばってそこからさらに三センチだけ身を乗りだして、ようやく手の中に自室の窓柵を掴み込んだ。よし、届いた。届いた、が、これからどうすればいい? 掴んだ後のことを、俺は何も考えていなかった。

「三木、どうなった。届いたのか?」

背中越しに、姐さんの声が聞こえる。しかし振り向くことはできない。この時点ですでにいっぱいいっぱいで、首の筋を回すことはできないのだ。

「届いた、届いたけど…、俺はどうすればいい」

「あとはそのまま乗り移ってよじ登るんだが、…、気合いだ、三木!」

「ムリだ!」

現状どうなっているかといえば、俺はアパートの壁に沿って窓と窓の間をつなぐ橋のようになっている。しかし、俺の筋力ではこれ以上はなんともならない。換気のために窓があいてることは確かめられたのだが、ここから乗り移ってよじ登ることなど、どうしたってできようはずがないのである。

「広太! まだ鍵は見つからないか!」

「もう少々お待ちください。もうすぐにお持ちいたします!」

「とりあえずだれかを送り込めれば……、時間くらいは稼げるっていうのに……」

広太がすぐに持って来れないということは、鍵はそうとう引き出しの深いところに隠されているらしい。あと数分はかかると踏むほうが賢いだろう。

しかし、送り込むと言っても体格的に俺の上を渡って部屋まで行けるのは志穂くらいだ。姐さんの支えがなくなったら俺は落ちるし、霧子は軽いが、上背を考えたらということにすぎない。

「あっ、いる!」

そして気づく。今日この場にいるのは俺を含めて六人で、いつもよりも一人多いのだ。今日に限っては、メイがいた。

「メ~イ!」

勇気と気合と背筋、そして姐さんの助力を得て俺はダイニングに戻り、洗面所で荷造りひもを探しているメイを呼んだ。するとすぐに扉の陰からメイが顔を出し、とてとてと戻ってくる。

『ひも、ないよ?』

「メイ、聞いてくれ。それ以上に重要なミッションができてしまった。少しだけ危険なミッションなんだが…、それでも行ってくれるか?」

本来ならば、こんな危ないことをメイに頼むのは筋違いかもしれない。メイには断る権利が大いに保障されてしかるべきなのだ。しかしメイの返事は否定のそれではなかった。

『がんばる。幸久くん、困ってる』

「助かる、メイ。今度、ジュース買ってやるからな」


…………説明中…………


「っていうことなんだ。行けるか?」

『やってみる』

「危ないと思ったらすぐにやめて構わないからな。メイに怪我なんかさせたくないからな。ヤバいと思ったら、すぐに背中を叩いてくれ」

こくん

メイの了解を得て、俺たちはすぐに策を実行するための準備に取り掛かる。俺はさっきよりももう少しだけ前に乗りだし、姐さんはさっきと同じように俺を支えてくれる。そしてメイは姐さんの脇に控えている。

この作戦はメイの冷静さと姐さんのパワー、そして何より俺の腹筋と背筋と握力の耐久力にかかっている。

「持田が乗るぞ、三木」

「よっしゃ、どんと来い!」

ポスッ、と俺の背中に軽いが確かな重みがかかり、そしてずりずりとすり足で歩くように重みが移動している。ギシギシと、腹筋の断続的に負荷がかかってくるが、それになんとか耐える。

この作戦は俺が橋になって、姐さんがそれを支えて、メイが渡って、窓から潜入して志穂を止めるというだけのもの。かなりシンプルな作戦だが、作戦っていうのはシンプルであるほど成功率が上がるものだと思う。だから今回もあまり複雑なことは決めず、状況に応じて臨機応変な感じで作戦を進めていくのがいいだろう。

しかしメイは軽い。身長が同じくらいの志穂よりも軽い感じがする。これくらいの重さなら、なんとか耐えることができるんじゃないかと思う。

…、実は、口に出すことはできないんだが、全身に走る負荷以上に気になることが、一つだけある。しかしそれを口に出してしまえば、せっかく俺のために、文字どおり危ない橋を渡ってくれているメイに対して、非常な失礼を働くことになってしまう。

そういうことなので、それについては心の深いところに秘めて考えないようにしようと思う。もちろん、口に出すなんてもってのほかだ。

男児たるもの、女の子に恥ずかしい思いをさせてはいけない。それは紳士道にもとる振る舞いであり、常に気を払うべきことである。思ったことを率直に表明する素直さが常に最上の美徳であるわけではない。思いを心に秘める奥ゆかしさも併せ持つべきだろう。いかに男の子として気になることがあっても、素知らぬふりをするのが紳士というものなのだ。

「メイ、気をつけろよ」

早くこの瞬間が過ぎ去ってほしい。反面、この瞬間が永遠であってほしい。精神と肉体が相反する思いに裂かれてしまったように、まるで真逆のことを思っていた。これが感情の板挟み、言うところの二律背反、ダブルバインドというやつなのだろう。

無心だ、無心になれ。心を空っぽにして、風に揺れる柳のように穏やかな心を保つのがいい。メイが俺の上をわたり終わるまで、ほんのわずかな間だろう。それくらいならば、フィボナッチ数列を延々並べ続けていればいつの間にか終わってしまうに違いない。

よし、数えよう。

1、1、2、3、5、8、13……


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