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Prism Hearts  作者: 霧原真
第四章
52/222

旅の仲間を増やすのだ(1)

志穂のしっぺが俺の腕にさく裂し、教室の中を雷が駆け抜けたような轟音を響かせた数分後、しかしなにごともなかったかのように朝のホームルームは取り行なわれているのだった。

まるでしっぺを喰らった部分が爆発し、俺の左手はもはや使い物にならないのだ、と絶望したのもつかの間、そこにあるのはただすごい痛みだけで、別に爆発もしていなければ、左手が失われるようなこともなかったようだ。まぁ、たかがしっぺをくらっただけだというのに、ものすごく継続的に痛いわけで、その患部がどうなっているか、確認するのが恐ろしいのだが。

「ちくしょう…、痛ってぇ……」

俺が机にうつ伏せになって呻いていてもつつがなくホームルームは進められていき、出欠をとり終わった今、まさに連絡事項が伝達されようとしている。しかし俺にしてみればそんなもの、確かに聞いていなくてはマズいことではあるのだが、を聞いている場合ではない。俺は息を深く吸い、深く吐きを繰り返すことによってなんとか痛みを鎮静化させる作業に忙しいわけであり、他のことに意識を割いている場合ではないのだ。

『幸久くん、だいじょぶ?』

「メイ…、俺の左腕が…、死んだ……」

『すごい音、してた』

「あぁ、俺も…、まさかしっぺであんな音が出るなんて、とんと思わなかったさ……。よもや、それが、俺自身の身に降りかかろうとも、な……」

気軽な感じでぶちかまされた志穂のしっぺによって、俺の手の先の感覚が数秒間消し飛んだのは、確かな事実であり、俺の感じた真実として間違いなくあったことだ。この感覚を誰かに伝えることは、おそらく出来ないのではないか、と思うが、しかし言葉にせずにはいられないのである。

「あのな、メイ…、すっげぇ、痛かったんだ。こう、腕がさ、爆発っていうかなんていうか…、吹っ飛んだ感じ? ここから先が、もうなくなったな、って感じだったんだよ」

『やっぱり、すごい、痛かった、の?』

「今はもうそんなでもないんだけどさ、いや、まだ痛いは痛いんだけど、あの瞬間は、もう痛みじゃなかった。寂しさ? いや、喪失感? なんか、あって当然のものがなくなった心の痛みっていうか、悼みっていうか、そういう、アレだった。で、そのあと何秒かして、すっげぇ痛みがきたんだよ。でも、痛みがきて、初めてまだそこに手があるって分かって、逆にその痛みが少しだけうれしかったりも、したんだよな……」

『今も、そう?』

「いや、今はもうただ痛いだけ。ぜんぜんうれしくない。もう、痛みどっか行け、って感じ」

『幸久くん、大変だね、いろいろ』

「まぁ、いろいろあるけど、たいてい俺が悪いからさ、どうしようもないんだけどな。でも今回はほんとにやりすぎだと思う。だって、別に志穂がやることなかったじゃん。姐さんがちょっと強めにやればよかっただけで、手加減とか力加減できない志穂に、わざわざやらせることはないじゃん、な?」

『志穂ちゃんの、しっぺ…、こわい……』

「メイは、絶対にやられないようにするんだぞ。きっとメイがやられたら、爆発するからな」

『気をつける』

「うんうん、それがいい。あっ、そうだ、メイには、まだ言ってなかったっけ」

『? なにが?』

ゆり先生が今日の連絡事項をつらつらと派伝達している中、俺とメイは声をひそめて話をするのだった。うちのクラスは、まるで小学校で見られる机の配置のように隣同士の席がくっつけられているので、少し身を寄せ合うだけでこうして気づかれないように話をすることもできるのだ。しかもそれに加えてメイはコミュニケーションに会話を用いないのでより簡単にひそひそ話をすることができるのである。

唯一気をつけるべきことは携帯の操作音なのだが、メイのそれはデフォルトでオフになっているので問題となることはない。現に今までも、授業中にひそひそ話をしていたことは何度もあるのだが、しかしバレて注意されることはめったになかった。故に今回も、そこまであからさまにバレてしまうことは、おそらくないであろう。

「えっとな、ゴールデンウィークのこと。メイの予定がどうだかはまだ聞いてないから分からないんだけどさ、ゴールデンウィークの最初の三日、旅行に行くんだ」

『旅行? 行くの?』

「あぁ、そうなんだよ。今のところ、俺と霧子の二人しか行くことが決まってるやつはいないんだけどさ、行けるってやつがいたら誘いたいんだよ。メイは休みの間の予定とか、どうなってるんだ? 予定が空いててさ、それで来てもいいなって思ったら、いっしょに行こうぜ。宿代は俺のコネで少し安くできるから、あんまり心配しなくていいし」

『お休みの間の予定は、えっと』

メイは、それからメールフォームをいったん閉じるとスケジューラーを起動し、それをそのまま俺に渡した。受け取った俺は、機種が同じなので、勝手知ったるとばかりに操作して五月のカレンダーにたどり着くとゴールデンウィーク付近に登録されている予定を調べてみる。

一日目から四日目にかけてと、それから六日目に、どうやらなんらかの予定が登録されているようである。どんな用事なのか、少しだけ気になるが、しかしそれはメイのプライベート情報であり、勝手に閲覧してしまうわけにはいかないだろう。

「これ、何の予定があるか、見てもいいか?」

だから、とりあえず見てもいいかだけ確かめてみることにするのだった。もし見てもいいと言われれば軽く確かめて返すし、ダメと言われればこのままなにも操作せずにケイタイを閉じて持ち主であるメイの手に返すだけである。

「ダメだったら、それはそれでいいんだけど、見ていい?」

こくり

「見ても、いいのか?」

こくこく

俺の質問に、メイは首を縦に振って応える。それは俺がメイのゴールデンウィークの予定を知ることを許容してくれたということであり、メイを旅行に連れていくことができるかどうか、ということを自分の目で確かめる機会を与えられたということだった。

「じゃあ、ちょっとだけ失礼しまして……」

ぴ、ぴっ、と操作をして、登録されている予定を知りたい日へとカーソルを合わせると、そのまま決定キーを押し込んだ。

それによって、画面にはその日の、まずはゴールデンウィークの初日、の予定が携帯の小さな画面に映し出される。俺は、それを見て、その日のメイの動きを想像してみようと試みる。

「えっと…、『パパ、四日間海外出張』と、『ママ、現場責任者会議(遅くなる)』と、『おねえちゃん、旅行にお出かけ』の三つ、だな」

こくん

「メイは、別に何も用事はない…、のか?」

こくこく

それから、ゴールデンウィーク中の予定を順に確認していったのだが、しかしそこに書かれているのはメイの家族の用事ばかりであり、ようやくメイに関係する用事が出てきたのはゴールデンウィークも六日目に差し掛かってからだった。

「六日目に、家族でお出かけするんだな。『アウトレットでお買い物』って、書いてあるから、これは家族全員で行くんだろ?」

こくん

「で、七日目は特になし、と」

こくこく

そして俺は、手の中にある携帯電話を折りたたむと、隣で俺の言葉にうなづくか首を振るかで返答するしかなくなってしまっているメイに、お返しするのだった。メイのスケジュールを見せてもらって分かったことは、メイの御両親は共働きで、この休みはそろってお忙しいようだ、ということと、どうやらメイにはおねえさんがいるらしく、休みはいろいろと遊びまわって大変そうだ、ということだけだった。

メイの予定は、六日目にアウトレットショップに買い物に出掛けることだけが決まっていて、他の日はまだほとんど決まっていないようで、休みの大半は家で過ごすことになりそうな感じだ。

『お休みは、暇』

「見た感じ、そうだよな」

『旅行は、あたしが行っても、いいの?』

「あぁ、もちろんだ。一日目から三日目まで、二泊三日で行くからな、来るんだったら、予定は入れちゃダメだからな」

『でも、行ってもいいのかな…、あたし、今まで、そうやってお友だちとお出かけしたこととか、ほとんどないし…、お泊まりに行ったことなんて、それこそ一回もないんだけど……』

「いいんじゃないのか? だって、お姉さんは、この休みに旅行に行ったりするんだろ? それなら、メイだって行ってもいいんじゃないのか?」

『でも、あたし、まだ高校生だし。おねえちゃんはもう社会人だからそれくらいしてもいいのかもしれないけど、あたしはダメって言われるかも』

「でもさ、一日目とか三日目とか、メイはずっと家で独りぼっちで過ごすんだろ? せっかく長い休みだっていうのに、それじゃ寂しいじゃないか。きっと親御さんも、お願いしたらいいって言ってくれるよ」

『そうかな…、どうだろ……』

「…、メイ、ケイタイ、貸して」

『? わかった』

俺がそう言うと、メイは小さく首を傾げながら、携帯電話をもう一度俺に手渡してくれる。俺はそれを受け取ると、さっき見たスケジューラーをもう一度起動すると、ゴールデンウィークの日にカーソルを合わせる。

「こういうのはさ、やるって先に決めちゃうのがいいんだよ。やること前提にしたら、説得にだって熱が入るってもんだ。弱腰じゃ説得できないんだから、しっかり強気で行かないとダメなんだ」

スケジュールの新規登録を選択し、俺はゴールデンウィークの一日目の日に、メイの予定を書きこんでやった。

「ほら、できた。『メイ、みんなと旅行に出発』。これで、親御さんを説得するしかなくなったぞ、メイ。二日目もみんなと旅行。三日目にみんなといっしょに帰ってきて、四日目からもとの予定に戻ればいい。これで、メイのゴールデンウィークの予定は、前半分埋まっちまったな」

勝手にこういうことをするのは、あまり俺の好みではないのだが、しかしメイに対しては、少しくらいは強引に行ってやった方がいいのかもしれない。メイはけっこう引っ込み思案だし、自分のことを前に出して主張するのはあまり得意じゃなく、自己主張も当然強い方じゃない。こちらが黙って見ているだけだと、メイの方も同じように黙ってしまうのは、今まで一ヶ月くらいの様子を見ていて、なんとなくわかる。

だから、もちろん見て取って分かるメイの意思に沿ってではあるが、少しくらいはこちらから導くようにしてやることも必要なのかもしれない。今回も、メイは旅行に行きたがっているようだし、ただ親御さんから許しを得られるか分からないということを理由に、その説得もしないうちから腰が引けてしまっているだけなのだ。

それならば、少なくともそれを説得する場に立つまでのことはこちらからセッティングしてやってもいいのかもしれない、と俺は思う。それに、メイももう高校生なんだ。親御さんだって、一人でずっと留守番させているよりも、友だちと泊まりで遊びに出掛けるんだ、という方がうれしいのではないだろうか。というか、メイは今までそんなに友だちがいた方ではないようだし、いっしょに泊まりで遊びに行ける友だちができたなんて、親にとってみれば朗報以外の何ものでもあるまい。

「メイといっしょに遊びに行けるの、楽しみにしてるからな。親御さん、がんばって説得してくれよ、メイ」

「…………」

「メイ?」

『パパとママ、がんばって説得してみる』

「そっか、よし、がんばれよ」

メイは、決心が固まったのか、きっぱりとした感じの目をしてそう書かれた画面を俺に見せるのだった。かわいい子には旅をさせろと言う。メイはかわいいのだし、もちろん旅をさせなくてはいけないのである。

『もしダメって言われたら、どうしよう?』

「そのときは、俺が責任もってメイのことを守るから、心配ありません、って俺が説得に行ってやるよ。二人でお願いしたら、きっと許してくれるだろ」

『幸久くんが、守ってくれるの?』

「まぁ、守るって言っても、そんな危ないことなんてそうそう起こらないだろうけどな。でももし、そういうことが起こったら、俺がみんなを守ってやるから、安心してていいからな」

『あたしのことも、守ってくれる?』

「当然だろ、友だちなんだからさ」

『友だちだから、守ってくれるの?』

「友だちは、守る。当然のことだ」

『じゃあ、あたしも、幸久くんのこと、守ってあげる。友だち、だから』

「マジで? それは頼もしいな。メイが俺を守ってくれるなら、俺も安心してみんなのこと守れるってもんだ」

『友だち、だから、うん』

そう言ってメイは、携帯電話を閉じて、一度こくん、と小さくうなずいた。これでおそらく、いっしょに旅行に行く仲間がひとり増えることになるだろう。これで俺と霧子とメイで三人か。まだまだ少ないが、きっとまだもう少しくらいは増やせるに違いない。

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