スカートめくりとまじめ少女と破廉恥野郎と
いつもより早い時間に家を出た俺は、当然いつもより早い時間に霧子を叩き起こし、そしていつもよりも早い時間に学校へとたどり着く。
「にゅぅ…、ねむいよぉ……」
「なんだよ、いつもより10分くらい早く起きただけじゃねぇか。昨日はよく眠ったんだろうに、ねむねむ言うんじゃないの」
「でも…、ねむいんだもん……」
「ったく…、もう学校着いてるんだから、ちょっとだけがんばれよ。教室ついたら、ホームルームが始まるまでちょっとだけ寝ればいいだろうが」
「うん…、そうするよ……。でも、どうして今日は早くきたの?」
「なんでって、そりゃ、あれだよ。霧子がゴールデンウィークに旅行行きたいって言うから、姐さんとかに行くよ、って伝えるために決まってるだろ」
「にゅ? そうなの? でも、なんで朝じゃないとダメなの……?」
「朝じゃなきゃいけないってわけじゃないけど、朝の方がなんとなく気合入る気がするじゃん。それだけだよ」
「それならお昼休みでもいいのに……」
「細かいこと言うんじゃないわよ、この子ってば」
「にゅぅ、だって、ねむいもん」
「ねむいねむいって言ってないで、さっさと階段登る! 急がないとスカートめくるぞ!」
「にゅぅ……、幸久君、えっちだよぉ……」
「イヤだったらさっさと教室行きな。ほらほら、追いつき次第スカートめくるからな。もう追いつくぞ~」
「にゅ~ん、助けてよ~」
げた箱でふらふらしながらくつを履き換えつつグダグダ言っていた霧子だったが、俺がそう言うと、眠気よりもスカートめくられるのがイヤな気持ちが勝ったのか、やけに機敏な動きでスカートの後ろを押さえながら階段を駆け上がっていった。そして俺は、それを追いかけるように、付かず離れずの距離を保ちながら階段を昇る。
「追いつくぞ、霧子。追いついたらめくるどころじゃ済まないね。奪うね、スカートを」
「にゅ~ん、幸久君のえっち~」
そしてバタバタと階段を昇っていった霧子は俺よりも一足先に教室に駆け込み、それから俺も教室へと歩いて入るのだった。言ってしまえば、あんなに急いで階段を昇ったら、いくらスカートを押さえたとしても翻りまくって隠すという本来の目的を果たすことはほぼできない。
故に、俺の目にはそのスカートの中にある下着がちらちらと見えていたわけであり、まぁ、無事に逃げきって安心した顔をしている霧子には悪いのだが、ちょっと見えていたのである。しかし俺は、それを言わないのも一つのやさしさなのではないかと思う。ただもう、こうやって霧子をせき立てるのはやめよう、と心の中に誓うだけで収めようと思う。
霧子は比較的恥ずかしがり屋のくせに、制服のスカートはかなり、それこそ風紀委員会の服装チェックなんかで注意されかねないくらいロールアップしているので、風に捲かれたり躓いてこけそうになったりしたときに、かなりの高確率で下着を見せてしまうのだ。
俺が、できるだけそうならないように注意してやっている甲斐もあって、他の男の前ではそんなことはないようになってきたのだが、どうしてか俺の前でだけは気が緩むらしい。まぁ、長い付き合いだし、おにいちゃんに対する羞恥心の薄れというか、そういうあれなのだろうがな。
「どうした、天方、また三木になにかされたのか?」
「にゅ~、もう平気、だよぉ……」
そして教室に駆け込んだ霧子は、姐さんの下へと逃げ込んだようだった。こうやって姐さんに泣きつかれてしまった場合、俺が霧子のためを思ってしているいろいろなことが、どうしてかその真意が理解されることはなく、ただの霧子への意地悪として理解されてしまうのだ。
今日だって、霧子がねむいねむいとにゅんにゅん言っていたから仕方なく、教室まで行く気になるようにちょっと追い立ててやっただけだというのに、おそらく姐さんからは俺がまた何かくだらない意地悪をしたと思われているに違いない。
「三木、どうしてお前はそう、天方に何かしたがるんだ?」
「何かしたがるって、そんなことねぇって。俺はただ、すみやかに霧子を教室に連れて行こうとだな」
「天方、今日は何をすると言われたんだ? 正直に言ってもいいんだぞ」
「にゅ、幸久君に追いつかれたらスカートめくるって言われた」
「三木……、お前はまた……」
どうしようもないものを見下すような目で、姐さんは教室に入ってきた俺のことをみる。しかし俺はそんな冷たい目にも負けず、姐さんの胸に飛び込んだ霧子を捕まえたのだった。
まぁ、捕まえたと言っても、別に姐さんに抱きついている霧子を後ろから羽交い絞めにしたり抱きついたりしたわけではなく、後ろでふらふらしているポニテをつかんだだけなのだが。いや、本来ならばこんなところをつかむことは霧子の生態上あまりよろしいことではないのだが、しかし肩とかに手を置くよりも今の場合においては、安全である。
なぜならば今、霧子の肩は姐さんの胸のあたりにあるのであり、もしも霧子の肩に手を置きに行って、もしもうっかり手が滑って姐さんの胸に手が行ってしまったらどうするというのだ、ということだ。いや、そんなことありえないと思うかもしれないが、しかしどうしてそれが確実に起こり得ないと断言することができるだろうか。
俺は、そのもしもが起こってしまって痛い目をみるのは御免だ。それならば、最初からそれが起こる可能性を極限まで削り切ってしまえばいいではないか。
「よし、霧子捕まえた、と」
「にゅ!? わゎ…、りこちゃん…、どうしよう……」
「いや別に、教室に着いてから捕まえたからってスカートめくったりはしねぇよ。あれだよ、あれ。さっきのは方便ってやつだよ」
俺は基本的にルールは守る方だ。だから自分で決めたルールを破ることはめったにないし、相手の決めたルールもおかしなものでない限りはしたがっている。
だから今回も、教室に着くまでに俺に捕まったら霧子のスカートをめくる、あるいはスカートを奪うというルールだったのだから、教室に着いた後にそれをしようとは言うつもりはないのである。
「もうスカートめくったりしないよ、霧子」
「にゅ…、ほんとに、しない?」
「しないしない、教室の中では、しないよ。まぁ、俺がこのまま霧子を教室の外まで引きずって行ったら、話は別かもしれないけどな」
「にゅ~…、り、りこちゃん、助けてぇ……」
霧子は、弱々しくも可愛らしい声で姐さんに助けを求める。それによって、姐さんの瞳に正義の炎が燃え上がった。おそらくだが、俺は今の瞬間にこの場での悪役へと配されたに違いないわけで、このあと正義の味方に配された姐さんによって天誅が下されるに違いない。
いたいけな少女の助けを求める声によって姐さんが正義の味方として覚醒してしまった今、それは避けようのない確定事項だろう。
「三木、天方から離れろ。その手を、ポニーテールから放すんだ」
「わ、分かった、姐さん、冷静になろう」
「言われるまでもなく冷静だ。三木、たまに早く来て感心だと思ったら、いったい何をしているんだ……!」
姐さんの言葉の持っている静かな迫力と勢いに、俺は霧子が痛くないように掴んでいたポニテから手を放し、そのまま両手を挙げた。何かをされるまでもなく、その警告だけで白旗である。
というか、姐さんは俺の友人ではあるが風紀のエースでもあるのだ。そんな人と対立したって俺には勝ち目というものが最初からまるでないのだ。
「べ、弁解を聞いてくれ、姐さん。それと、もう一つ話があるんだが」
「よし、先にその話とやらを聞こう。弁解はその後に聞くことにする。大方、弁解を聞いた後にお前のことを打ち倒すことになるだろうからな」
「わ、分かった…、とりあえず、話だけはせめて、頼む。そのために、わざわざ少しだけ早く来たんだからな」
「よし、いいだろう。そういうことならば、聞かないわけにはいくまい。さぁ、簡潔に話をやらを済ませるんだな」
「よ、よし! 俺は、ゴールデンウィークに、霧子を連れて旅行に行くんだ! 姐さんも、よかったらご一緒にいかがかしら! 無理だったら、無理にとは言わないけど、友だちだし伝えるくらいはしても、いいよな!」
俺の今日少しだけ早く学校にやってきた目的、それは姐さんにそのこと、つまり俺が霧子をゴールデンウィークに旅行に連れていくということを報告することであり、姐さんが来なくても行っちゃうぞと宣言することであり、でもいっしょに行く気があったらいっしょに行こうと説得することである。
おそらくそのことで、今日の朝は大変になるだろうと思っていたのだが、しかしどうやらそれとはまったく違うところで俺は危機に瀕しているようだった。どうしてこうなったのだろうか、と問えば、まぁ、おそらく俺が悪いのではないだろうか。
「分かった、お前がそのつもりだということは受け取った。行くかどうかを考える、それについては私に少しだけ時間をくれ。それでは弁解を聞かせてもらおうか」
「わ、分かった、それじゃあ、少なくとも俺の弁解が終わるまでは、姐さんも拳をしまっておいてくれ」
「そうだな、ふむ、もちろんそのつもりだ」
この間も姐さんに、俺の自業自得とはいえ昏倒させられた身としては、またあの感覚を味わうことになるのはご遠慮願いたい。出来ることならば、穏便に事を済ませたいところなのだが、そのためのもっとも簡単な方法である「朝のホームルームが始まってうやむやになる」は時間的に使えそうにない。
しまったな…、こんなことならいつもどおりに時間ギリギリに来ておけばよかったじゃないか……。いや、時間通りに来てたら霧子がげた箱でぐずることもなかったし、俺が変なことをして霧子を追い立てることもなかったし、姐さんに弁解しなくてはならないような状況には陥らなかったはずなのだ。もしかして、俺が早くに学校にきたこと自体が失敗なのかもしれない、と思えてきた。
そもそもの目的である姐さんへの宣言も、実際のところ一言二言で済んだわけだし、まさか、この選択それ自体がもう失敗の第一歩だったということなのだろうか。
「俺は、霧子のためを思ってだな」
しかしそうだとしても、俺は姐さんに弁解しなくてはならないわけであり、なんとか説得して拳を収めてもらうところまでいかなくてはならないのだ。姐さんは、基本的に平和主義者なのだが、心の奥底は熱い闘魂原理主義者であり正義が好きな熱血漢である。
普段はやさしい女の子だとしても、いざとなったら拳で語り合うことをも辞さない漢の中の漢。それがわが校の風紀のエース、風間紀子なのである。
「天方のことを思って、どうしてスカートをめくるという思考に行きつくんだ」
「いや、それは、方便というかなんというかでさ。つかまったらスカートめくられるって思ったら、つかまってなるものか! ってなるだろ?」
「それはそうかもしれないが、しかし、始めたときは方便だと考えていたとしても、本当に捕まえてしまったらどうするつもりだったんだ。どうせ、ルールだから、とスカートをめくるつもりだったのだろう」
「まぁ、そういうゲームだったからな。俺としては本気で追いつくつもりはなかったけど、霧子があんまりのろのろ昇ってたら捕まえちまったかもしれないし、ルールでそう決めたんだから、敗北条件満たしたら、そりゃ罰ゲームだろ」
「くっ…、破廉恥なやつめ……。そのように風紀を乱すものを野放しにしておくわけにはいかない、か……」
「あれ? ちょっと待って、俺の有罪確定してない?」
「確定もなにも、制裁する必要がないとでも思うのか? もしそうなのだとしたら、私とは真逆の考えを持っていると言わざるを得ないぞ」
「い、いや、話し合おう! 俺は、まだ何もしてないよ! ほら、あれだって、推定無罪っていうか、疑わしきは被告人の利益にっていうか、未必の故意っていうか…、あっ、タイム! 最後のは違う!」
「言葉を繰りまわしてのらりくらりと、そういう心根がいけないと、私は思うぞ」
「なんていうかさ、あの、あれだよ、俺もちょっとは悪かったと思ってるし、さっきの発想というか、着想はなかったなぁ、って思ってるからさ、今日のところは、勘弁してください」
「…、性根か? やはり性根が曲がっているのか? どうして三木はそういう、破廉恥な方向にしか思考が帰結しないんだ?」
「そんなことないよ!? 別に破廉恥な方向以外にも思考は帰結してるよ!?」
「そうか? 私は、そうは思わないが……」
どうやら、俺は姐さんの中では相当に破廉恥な存在になっているらしいのだが、しかし俺としてはそこまで姐さんに対して破廉恥なことをしているつもりはないわけで、おそらく見解の不一致に違いないんだ。姐さんは、破廉恥に対するハードルがかなり低いから、俺の行動が概ね破廉恥に見えるのかもしれないが、俺としてはそこまで破廉恥なことはやっていないのである。
…、今、俺、何回「破廉恥」って言った……?
いや、そんなことはどうでもいいわけで、俺が破廉恥ではないということを、そろそろ姐さんにしっかりと分かってもらわなくてはならないらしいな。弁解もしっかりするとして、そのことについても語り合う必要があるのかもしれない。
「あのな、姐さん…、俺はな」
どうやら、そろそろ俺も本気を出す時が来たらしい。