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Prism Hearts  作者: 霧原真
序章
5/222

君が師匠で弟子が俺で

「にゃ~、ごちそうさまでした~」

他の面々が食事を終え、おしゃべりタイムに移行してからも、最後の最後まで食い続けていた志穂がようやく箸を置いたことによって、昼飯会は晴れて終了の運びと相成った。もしかしたら残ってしまって、今日の夕食も残り物の中華になるのではないか、あるいはお隣にお裾分けにでも行かなくてはならないのではないかと思うほどつくった料理だったが、まるでイナゴの大群のような大活躍を果たした志穂によって飯一粒、肉一切れ、スープ一滴たりとも残りはしなかった。

おかしいな…、十人前はつくったつもりだったんだけど……。どうして俺の前に、ただきれいに空になっている皿だけがいくつも並んでいるのだろうか。こいつの体には、食いすぎという言葉はないのだろうか。

まぁしかし、実質志穂が食ったのは四人前くらいのものか……。常識的に考えれば小柄な女の子が一人で食べる量などではあり得ないのだが、だがしかし、そこは志穂である。これくらいの量は日常茶飯事、というものだ。

「志穂、いつも思うことなんだが、そんなに食って体は大丈夫なのか? あんまり食いすぎると太るぞ、っていうかここまでくると体を壊すぞ」

「そうだな、私もそれは常々思っていた。皆藤、教えてくれないか、そうやって大量に摂取した食べ物はいったいどうやって消費しているんだ。どれだけ運動すれば、あれだけ食べて平気な顔をしていられる」

「いわれてみれば、そうだよね。しぃちゃんは不思議だなぁ。あたしの何倍も何倍もご飯食べてるのに、どうしてぜんぜん太らないんだろうね?」

『そんなに食べたら、きもちわるくなっちゃう』

自分でもそんなに考えたことがあるわけではないのだろう、全員から一斉にそんなに食べてはおかしいと言われて初めて、それについてう~んと深く悩みこむ志穂。姐さんのように毎日厳しいトレーニングを積んでいるようにも見えず、だからといって決して、霧子のようにあまり量を食べないというわけではない。

この世界にはエネルギー保存の法則という物がある。摂取したエネルギーは、ブラックホールに吸い込まれるのでもない限りどこかしらに向けて発散されなくてはならないのだ。過剰に発散している姐さんは別だが、ふつうは日常生活を送っていくことで消費していく。しかし志穂の得ているエネルギーは、決して日常生活だけで使いきれる程度の量ではないのだ。

使いきれないならば、それは脂肪とか肉とかになって体に蓄積していくはずなのに、しかしそんな様子が見られるというわけでもない。

俺の料理は、果たしてドコに消えてしまったのだろうか。もしかして本当に志穂の体の中にはブラックホールがあって、その中へと吸い込まれているというのだろうか。

だからこいつの食い方はまさに「消費しているよう」としか言いようがないのだ。

「別に、平気だよ?」

「いや、平気ってことはないだろ。お前、あれだけ俺の飯食ったんだぞ」

「志穂様が食べすぎてしまうのは、ひとえに幸久様のつくられるお料理が美味し過ぎるからではないでしょうか。そういうことならば、食べ過ぎてしまうことも仕方のないことではございませんか」

「そうかも、ゆっきぃのお料理はすっごいおいしいからだいすき~。ママがつくってくれたのを食べるときよりも、もしかしたらいっぱい食べてるかもだよ」

食後のオレンジジュースをちゅうちゅう吸いながら、志穂はなにも考えていないような顔でそう言った。

「いや、そう言ってくれるのは俺としちゃうれしいことなんだけどさ、なんでそんだけ食って平気なのかっていうことについてはなんにも分かってねぇんだからな?」

『もしかして、すっごくいっぱい運動してるとか?』

「えぇ~、そんなにはしてないよ~。運動はしてるけど、してるっていっても一時間とかほんのちょっとだけだしな~。しかも走ったりするわけじゃないし」

「じゃあなんだ、お前はなにもしなくてもこんだけ食った料理のエネルギーを全部消費しきってるってことなのか? ぜんぜん太ったりしないのか? 生きてるだけで?」

「ん~、そういうことになるのかな?」

「なんなんだ、お前は。溶鉱炉とか原子炉とか、ブラックホールとかの類なのか」

もしくは、その小さい体の中に大喰らいのなにかをたくさん飼っているとか、そういうオカルトじみたことを言い始めるつもりなのだろうか。いや、もしもそんなことを言われたとして、少しは信じてしまいそうな気がするのも事実なのだが。

「だから志穂に飯を食わせると疲れるんだよ……。こう、いくらつくっても無駄、みたいな?」

「でも、ゆっきぃのごはんはおいしいよね」

「もしかして、小さなときから料理をしていたのか? お母様に教わったとか、そういう経験があるからなのか?」

『あっ、あたしも気になるかも』

志穂がどうしてこれだけの量食えるのかから、どうやって志穂にこれだけの量を食わせることができるのかということに疑問がシフトしたのか、ここで霧子以外の三人から一様に同じ疑問が出されるのだった。それは応えてしまえば非常に簡単なことで、それほどの言葉を重ねずとも全員から理解を得ることができるだろうことは明らかだった。

「あぁ、それはな」

「あのね、幸久くんはね、昔からうちのおねえちゃんに料理を習ってるんだよ」

しかし俺が応えるより早く、その疑問には霧子が、どうしてか自慢げに応えてくれた。

『きりちゃんの、おねえさん?』

「うん、おねえちゃんも料理がすごい上手なの。幸久くんよりも上手なんだよ、ほんとだよ」

「え~、ゆっきぃよりもうまいなんてウソだ~。だってゆっきぃはあたしが知ってるなかでいちばんおいしいごはんつくるんだもん」

「ほ、ほんとだよ? ウソじゃないよ?」

「そうか、それはすごいな。天方の姉君は、たとえば料理研究家だとかシェフだとか、そういうことを仕事にしている人なのか?」

「そういうのじゃないって。晴子さんは、あぁ、霧子の姉ちゃんは大学生だよ。それに料理が俺よりも上手いっていうのは仕方ないことだ。晴子さんは俺が個人的に料理を教わってる師匠なんだからこればかりはどうしようもないだろ。弟子が師匠を超えるのは、なかなか出来ることじゃないからな」

『師匠なの? すごいね』

「そうだ、晴子さんは俺にとって師匠で、俺は晴子さんにとって弟子だ。あと、弟子と書いて遊び道具と読む存在だ

でもある。ペットと飼い主とも言うかもしれない」

晴子さんの料理はすごく上手い。だからこそ俺は師匠と弟子なんていう時代遅れな言葉を使ってまで晴子さんに教えを乞うているわけだ。

まぁ、弟子になったからって遊び道具にされるとまでは思っていなかったが、これも晴子さんのでしでいるために必要なことだとあきらめるのが吉だ。

それに、晴子さんは基本的には俺のことをよく考えてくれてるわけだし、別に少しおもちゃにされるくらいは受け入れるのも悪くない。むしろ俺にとってはうれしいことの方が多いくらいだ。

「ゆっきぃはどうしてししょ~のでし~になったの? あのね、あたしはししょ~につかまってど~じょ~につれていかれたんだよ」

「へ、へぇ……」

『そのお話、聞きたい』

「いや、別にいいけどさ、たいして楽しい話じゃないしなぁ…、あぁ、広太、今からあんまりかっこよくない話するからさ、ショックを受けて幻滅とかしたくなかったら席外した方がいいぞ」

「どのような話をなさるにしても、幸久様への忠誠の心は変わりません。しかし、聞くなとおっしゃるならば私は洗い物をしましょう。洗い物をしていれば話が聞こえることもありませんでしょうし」

「じゃあそうしてくれ」

「仰せのままに」

まぁ広太は、詳しい話は知らないかもしれないけど、大まかにどういう経緯で俺が晴子さんの弟子になったかは知っているはずだし、別に聞かれたとしても問題があるわけではないのだが。

広太がキッチンに入り、袖をまくってスポンジを手に取った。話をするならばさっさと話してしまうのがいいだろう。こういう場合において、大切になってくるのは勢いなのだから。

「じゃあ聞きたいやつだけ聞いてればいいからな……」


…………


俺が晴子さんに料理をならい始めたのは、忘れもしないあの日、小学校の三年の夏のころだった。

比較的小賢しいクソガキだった俺は、そのころにはとっくに、理由までは教えてもらっていないので分からないが、自分の両親がすでに死んでいていないということに、うっすらではあるものの、気づいていた。そして、自分のことを庄司の家に住まわせてもらっている厄介ものだ、とも思っていた。

確かに、おじさんもおばさんも、それこそ本当の子供として俺のことを世話してくれていた。しかしそこには、間違い無く最後の一線とでも呼ぶべきものが引かれていて、それ故に、俺はそこによそよそしさを感じていたのかもしれない。

特にそう思わせたのは広太の存在だったわけなんだが、あいつは昔からあんなしゃべり方で、当時の俺にはよそよそしく感じられることこのうえなかったわけだ。

実際には俺が厄介ものだったわけじゃなくて、おじさんに言わせれば、仕えるものとしての分をわきまえていただけということになるんだろうけど、そんな機微を的確に捉えられる小学生では、さすがになかった。

そんなわけで、おじさんとおばさん、というか庄司の家に迷惑をかけまくってるんだ、と思いこんでいたのだ。そしてさらにまずいことに、当時の俺は自分のことを一人前の人間だと信じて疑っていなかった。

一人前の人間が迷惑をかけっぱなしではいけないなどと、愚かしくも思ったんだろう。俺はなんとかして恩の一部だけでも返せたらいいなと考え、そのときちょうどおじさんの誕生日が訪れた。でもただプレゼントを渡すだけじゃ芸がないし、そうだ、誕生日ケーキをつくってみよう。

もちろんだが、そんなことを考えたのにはちゃんと理由がある。残念ながら俺は、理由もなしにそんなことを思いつくほどイマジネーションに溢れたガキではなかったわけで、ヒントがあるのだ。庄司の家では、誕生日とかクリスマスとか、なにかイベントがあるたびにおばさんがケーキをつくっていたのである。

おばさんはとても料理が得意な人で、いつも簡単そうにヒョイヒョイとケーキをつくっていた。だから、そんなに簡単につくれるものなら、とケーキくらい俺にも難なくつくれるに違いないと高をくくっていたわけだ。

昔から小器用で、何事も人並み以上にこなすことができた俺はその年代特有の思い上がりの万能感に酔っていて、故に俺は根拠のない自信に包まれていたわけである。

しかし、さすがに自分がつくっているところを見られてしまっては、褒めてはもらえるかもしれないが、誰もびっくりしない。そこでどうしたものかと悩んだ俺は、その頃からよくいっしょに遊んでいた霧子にその話をしてみたところ、おねえちゃん、つまりは当時まだ中学生くらいの晴子さんに聞いてみてくれると言った。

そして霧子を介して訪ねていった俺のお願い、どう考えても面倒で引き受けるのが馬鹿らしいようなお願いを二つ返事で引き受けてくれた晴子さんは、いま思えば完全に面白がっていたんだと思う。そして俺ができれば一人でつくりたいと言うと、晴子さんはペラペラのレシピを、本当に最低限のことしか書いていないレシピを一枚だけ渡してくれた。

しかしまぁ、そんなガキが調子に乗ってつくった料理が成功するほど世界は優しくない。レシピ通りに一分の隙もなく(と子どもなりに思い込んで)つくったはずなのにケーキは上手くいかなかった。

これは俺にとって初めての敗北だった。しかも、そもそもなんで上手くいかないのかが分からないという、言うならば完全敗北だ。

美味しいケーキが食べられると思って楽しみに待っていた霧子がものすごくがっかりしていた様子は、今でも頭の片隅に残っている。あそこまでがっかりされたのは今も昔もあの一度だけだ。そして霧子にものすごく落ち込まれた俺だったのだが、それと同じくらいに、いや、それ以上に落ち込んでいた。

晴子さんはそんなベコベコにへこんでいる俺たちの様子を一通り笑ったあと、俺のケーキづくりを手伝ってくれた。なんということはない、晴子さんが手伝ってくれるとケーキはいとも簡単に成功した。さっきと同じことを同じようにしかしていないはずのケーキは、なぜかさっきとはまるで違ってきれいに膨らんでいた。

そして、晴子さんはまだ小さかった俺を見下して、鼻で笑いながらこう言った。

「ふん、まだまだね。悔しかったらおねえさんに、お料理教えてくださいってお願いしなさい。見所はあるみたいだから、教えてあげないこともないわ。どうするかしら?」

「よろしくおねがいします」

俺はまだまだガキで単純に料理なんかに敗けたままでいるのがイヤだった。負けず嫌いの性格はガキの頃からの筋金入りだ。

「じゃああたしが師匠であなたが弟子。あたしのことは師匠、または晴子さんと呼ぶこと。あんた、名前は?」

「幸久、三木幸久」

「あぁ、近くに住んでる庄司さん家の子ね。そういえば霧子のお友だちですっごい可愛がってる子がいるって母さんが言ってたけど、あぁ、あんたがそう、と。いいわ幸久、これから暇があったらうちに来なさい。いろいろ教えてあげるわ。ただし一つ、条件があるわ」

「条…、件?」

「条件っていうのは約束ってことよ。分かるわよね、約束」

「分かる」

「賢い子ね。だいじょぶ、すっごく簡単なことよ。しかもたったの一つだけなんだから。お姉ちゃんの言うことに絶対に聞くの、いいわね」

「分かった」

「返事ははい」

「はい!」

実のところ、俺はそのとき「絶対」という言葉の持っている意味、というかその強度についてよく分かっていなかった。これから、俺は晴子さんによってマンガみたいなぶっちゃけありえない特訓をさせられることになるんだが、このときはそんなことになるなんて、思いすらしなかった。

いま思うに、晴子さんの性格を考えれば、当時、将来自分が楽をするためのお料理マシーンを作っている気分だったんだろうし、あとは手頃なオモチャが欲しかったとか、そういうのに違いない。

まぁその結果として、俺は晴子さんのスパルタ特訓を乗りこえて今に至るわけだし、技量もそれなりに身に付きつつあるわけで、ここで感謝こそすれ、恨み言をいうのは筋違いというものだ。

それに姉代わりとしてたいそう世話をかけたのも事実だし、俺は晴子さんには今になっても頭が上がらないというわけなのだ。

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