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Prism Hearts  作者: 霧原真
序章
4/222

我が家いいとこ、一度はおいで

学校からてくてくと歩くこと20分、大通りを二本横切ってようやくたどり着くそこに、我が家であるところのアパート「サクラ荘」があった。

一階に管理人室と101号と102号の二室、二階に201号から203号までの三室があり、俺たちの部屋はその中の202号。

バストイレ別、洗面台あり、洗濯機用水道あり、ベランダあり、窓は西向き。間取りは2DK、それぞれの個室は四畳半と少々手狭だが洋室和室と種類があり、また一人部屋にはちょうどいい広さだろう。キッチンは据え置き式の二口コンロが初期装備としてある。作業台は思っていたよりも広く、シンクは意外としっかりしており、細かな収納スペースも多い。リビングは八畳あり、居住空間として有り余るほどだ。

最寄り駅まで徒歩15分、最寄りバス停まで徒歩10分、商店街まで徒歩5分、最寄りのスーパー「マルトミ」まで徒歩10分。住宅地のど真ん中と言っていいくらい、どこからもほどほどに離れている我が家である。

まぁ、商店街だけはかなり近いので、生きていく分にそう問題があるわけではなく、その立地条件もあってか、家賃自体も相当安い。自殺があったとか、霊が出るとか、そういう訳あり物件なのではないか、と思うくらいに安い。

そんな家に、俺は住んでいるのである。正直、野郎が二人で暮らすにはお洒落すぎるというか、こう、もったいない感じがそこはかとなく漂っているのだ。

俺はそういうアパートの賃料事情などに疎いので、精確なところこの物件がどれほど安いのかということは分からないのだが、やはりかなり安いのではないだろうか。

広太なんかは、大家が昔々に三木の世話になっていたとかなんだかで、さらに俺のことも昔から知っているらしく、そういう義理と人情的な人間関係が絡み合った結果、少し安くしてくれているのでは、ということだった。

しかし残念ながら俺にとっては大家のおっさんは、結局ただの近所のおっさんでしかなく、昔ちょっと世話になったかもしれないけど、特別に思っていることはないのだ。

おっさんは、やはり大家のおっさんなのである。

あとうちの近所には庄司の実家と霧子の家がある。霧子の家は徒歩20歩、庄司の実家は徒歩50歩ほどだろうか、どちらにしてもめちゃめちゃ近い。

現についさっき、庄司の実家の前も霧子の家の前も通過してきたところだ。

横目に確かめた感じ、晴子さんのいつも乗っている原付バイク(白いボディがかわいい。特徴はオイルタンクのイニシャルのステッカー)がなかったので、おそらくまだ大学から戻っていないのだろう。

雪美さんが一人で昼飯か、と思うと、少しだけ心配だった。

まぁ、今はそれはいいとして、だ。

そうしてたどり着いたアパートの階段を五人で、俺を先頭に置いた縦隊を組んで昇っていく。二人も三人も横に並んで通れるほど、うちのアパートの階段は手広く作られてはいないのである。

一番階段側の一室をスルーして、その隣の部屋の扉に俺はポケットから取り出したルームキーを差し込み、そして鍵をあける。

「おかえりなさいませ、幸久様。食材の準備は済んでおります」

「あぁ、さんきゅ広太」

アパートのドアを開けるとそこでは広太が待ちかまえていた。また階段を昇ってくる音で俺が帰ってきたことを察知したんだろう。

いつも言っていることなのだが、一向に出迎えを止めそうな気配なんて感じられない。執事も主もない、と昔から言っているのだが、どうも伝わっていないようだ。

「僭越ながら、今日はいつもより一人分多いように思われたのですが……」

「そうなんだ、これからは一人分多くなりそうだからよろしく頼むな」

「仰せの通りにいたします」

「悪いな、面倒かけて」

「格別のご配慮、痛み入ります。ですが、幸久様の言いつけに従うことは、面倒ではありませんので」

「そうか、それならいい」

まぁ、広太がいいっていうなら、別にいいんだけどな。

「なぁ、広太、俺の部屋…、っていうか全部の部屋に鍵かけたか?」

「既に施錠済みでございます」

「そうか、それは助かる」

「もったいないお言葉です」

「よし、じゃあ入ってもらうからな。そこで第一波を止めろ」

「了解しました、ダイニングにお通しします」

普通だったら、ここまで過敏になる必要などまったくないだろう。しかし志穂だけは、残念ながら普通とか、常識とかいう枠の中におとなしく収まってくれる存在ではないのだ。

あいつは好奇心が旺盛過ぎるので前回来たときも前々回来たときも、ドアというドアを全て開け放った。他所様の家にお邪魔して、ドアを全て開け放っていくなんて、そんな無礼が許されるだろうか。いや、許されまい。

まぁ、我が家は基本的に広太が命をかけて掃除をし、整理整頓という行為の可能性の開拓に余念がないのでただ開けられるだけなら実害はない。

しかし、それだからといってそんなことをしていいわけはないし、それ以上に俺の部屋のガサ入れなんてしていいわけがない。

教訓と経験則を生かすことは、賢く生きていく上で非常に重要なことだ。もう二度とガサ入れなどという無法が許されてはならないのだ。そしてその日から、我が家には全部屋に鍵が装備された。

志穂がうちにくるとき以外は特に使われることもない、ある意味では無用の長物でしかないのだが、しかし志穂が我が家に訪れるときはなくてはならない重要な装備なのだ。

まぁ、さすがに鍵を壊してまで開けようとはしないよな。…、しないよな?

「悪かったな、入っていいぞ」

「ゆっきぃゆっきぃ、またえっちな本かくしてたの?」

「…、志穂、別に飯食わずに帰ってもらってもいいんだぞ? 俺はそれでもかまわないし、それでもいいか?」

「ゆっきぃがえっちな本なんてもってるのがいけないの! そんなの持ってちゃダメなんだから!」

「よし、帰れ。お前は今すぐ家に帰りなさい!」

「や~だ~、ゆっきぃのごはん食べるの~!」

「じゃあおとなしくしてるんだな。開けようとしたら、飯食わせてやらないからな」

「うゅ…、わかったよ……」

「あとな、うちの全てのドアに鍵を取りつけたからな、絶対無理矢理開けようとするんじゃないぞ」

「そ、そんなことしないよ…、幸久君……」

「そうだぞ三木。押し込み強盗ではないんだからな」

「志穂に言ってるんだからな。お前は、家の中のものに触るな。壊しかねんからな」

「でもあのとき、きりりんもりこたんもいっしょにやってたもん。べつにあたしだけが悪いんじゃないもん」

仮にそうだとしても、間違いなく一番悪い主犯格は志穂なのだ。そもそも最初にやりはじめて、けっきょく全員を巻き込んだのは志穂だったからな。

しかも俺が料理から手が離せないときを狙って、俺が手を出しに行けないとわかっているときに、だ。

そういえば、そのとき広太はいったい何をしていたんだろうか。あいつならちゃんと止めるはずなんだが……。

もしかして、いっしょになって家探ししてたなんてこと、ないよな?

「そういうわけで志穂。俺か、広太でもいいけど、無断で他の部屋に入ったら一週間一切遊んでやらん。あと、何か物を壊しても同じだからな、気をつけて生きろよ」

「えぇ~、ひどい~。ゆっきぃのいじわるぅ~」

志穂が不満そうに口をとがらせるが、そんな顔をしてもこればかりはだめなわけである。

この世にはどうしても許可できないことがあるのだ。

「そういうわけでまずは志穂だけ先に入れ。中で広太が待ってるから通してもらって、おとなしく待ってろ」

「はぁ~い……」

志穂が開いたままにしてある扉をくぐって、部屋の中へと入っていく。脱ぎ散らかした靴が飛んできて俺の脚に二つとも当たった。絶対に狙って飛ばしやがった。

「いらっしゃいませ、志穂様。お待ちしておりました」

「こうたん、こんにちわ」

「はい、こんにちわ。お荷物をお預かりします。こちらにどうぞ」

「は~い」

志穂が廊下の向こうのダイニングに消えると、アパートの廊下が一気に静かになった。どう考えても志穂ばっかりしゃべりすぎだったな、うん。

「メイ、いるか?」

俺が呼ぶと、姐さんの肩口のあたりに弱々しく揺れる携帯のバックライトを発見。

教室で見たときよりもずっと弱った感じになっていた。

「大丈夫か、メイ?」

やはりこういうのは苦手だったのだろうか。人付き合いとか得意なタイプではないと思っていたが、一発目から家に呼んで、というのは、やはりハードルが高すぎたのかもしれない。

俺としては仲良くなるために呼んだのだが、しかしその結果として負担をかけてしまうのならば、それはこちらの本意ではない。

もしそうなのだとしたら、今さら取りやめにすることはできないが、次からはもう少しソフトなアプローチを取っていくように気をつけないといけないな。

『平気。おともだちの家に来るのは初めてだから、ちょっと緊張してるだけ』

キータッチも、どことなくだが小刻みに震えているような気がする。志穂も姐さんも、こういうところで物怖じするタイプじゃなかったからな…、小さいころの霧子に接するように接するようにしよう。

あの、一番弱かったときの霧子のように。

「別にそんなに緊張なんかしなくていいんだぞ?」

「そうだぞ、持田。普通だったらば男の家に誘われて、それについて行くなどということはよくないことなのだが、三木たちに限ってはなんの問題もないからな。なんと言っても紳士だからな」

「そうだよ、なんにもないからだいじょぶだよ。幸久君はね、やさしくてお料理も上手なんだよ」

『そうなの?』

「だが気をつけるに越したことはない」

メイの両肩に手を置き、マジな顔で愉快なことを言い始める姐さん。もしかしても、姐さんはここまで来ておきながら飯を食わずに帰りたいんだろうか?

さらにメイはそれをある程度真に受けたようで、こちらにちらちらと視線を送りながら、少しだけ腰が引けている。

なんてことを言うんだ。もしも誤解されてこれから避けられるようになったらどうしてくれるつもりなんだ。

「姐さん、なにが言いたいのかはあえて不問にするけど、そういう不穏当なことを言っちゃう人に食わせる飯はないですよ?」

「もちろん悪い意味などではない。私としてはどちらかというと褒めているつもりだがな。もしも侮辱したと思われているのならば、それは心外だ」

「あたしはね、幸久君は自分からそういうことはしないと思うの。なんていうか、偶然とか、なの」

「霧子は話をややこしくしない。変なこと言わないの」

「にゅ…、ごめんね……」

「とりあえず…、そろそろ志穂がなんとかなってる頃だろ。三人とももう入っていいぞ。さっき志穂にも言ったけど、ドアとか鍵とか開けないようにな」

「しない、っていうか、できないよ……」

「できないならそれでいい。問題は、出来る出来ないにかかわらず、それをしないことだ」

「にゅん、分かったよ」

「分かったなら、入って良し」

「おじゃまします」

「邪魔するぞ」

『おじゃまします』

ふぅ、これでなんとか全員収容できたか。なんでこんなに時間がかかるって、俺が無駄なことに気を回し過ぎるからのような気がする。

まぁ、あれだ。まだ早い時間だし、隣人が出てきたりしなくてよかったわ。もしも出てこられて、あまつさえ絡まれたりしたらめんどくさい人だからな。

ここは黙って夕方まで寝ていてくれて正解だ。

さぁ、俺は料理だ。得意分野だからな、気合入れて行くぜ。


…………


さて、五人も人間がいるというのに、ダイニングは思っていた以上に静かだった。いつもだったら志穂が騒いでいるのを霧子と姐さんがなんとか収めているのを広太が静観、俺が傍観って感じだから、この状況はやっぱり新鮮だった。

志穂はグラスを両手で抱えるように持ってソファに座り、ストローで大好きなオレンジジュースをちゅうちゅう飲んでいる。まるで人形のようにおとなしくしているのだが、オレンジジュースをやっておけばそうやって静かにしていてくれることには最近気づいた。

好きだとは言っていたが、まさかそんなに好きだとはな。まったく想像の外だぜ。

志穂は黙っていればけっこうかわいいが、いかんせんまだ少し落ち着きがない。普通にしていても常にお行儀よくしていられ、人前に出せるようになるまではまだまだ遠いだろう。

その横で霧子と姐さんはメイへの質問タイムを続けている。こういうことに食い付くあたり、霧子も姐さんもやっぱり女の子なんだなぁ、と実感させられる。

メイは相変わらずディスプレイの文字で会話している。どうして普通に話をしないでそうしているのかはまだ知らないが、いつかそのわけを聞くことができればいいと思う。

ちなみに、広太は部屋の中でも特に目立たない、家具の影になるあたりに控えている。有能な執事は主にとって優れた家家具を有しているのと同じであるというが、こういう様子を見ると本当にそうなんだな、と思う。まぁ、料理のことだけは別だけどな。

いや、それとも、執事というのはそもそも料理をしないものなのだろうか?

さて、そろそろ細かいことは置いておいて、志穂が騒ぎ始める前に料理に取り掛からなくては。今日は中華な気分だから中華なのだ。

広太も飯ぐらいならまともに炊けるので、すでに飯は大量に炊けている。

志穂の空腹具合が分からず、どれだけ食べるか分からなかったので、今回は保険をかけて六合炊いてある。もしもこれで足りなくなるんだったら、そのときはもう知らん。

メニューは麻婆豆腐、かに玉、炒飯。あとは卵のスープでもつくるか。ちなみに、かき卵のスープは中華料理の中でも霧子の好物だ。

霧子は辛い物があまり得意ではないので、今日の麻婆はマイルドタイプで。メイの好みもまだ今一つ分かってないし、ここは無難に行くのが正道だろう。

どちらかというと辛いのが好きな志穂とか姐さんは、きっと勝手にラー油でも足すだろ。弱い味を後から強めることはできるが、強い味を後から弱めることは難しいのだ。

まずはスープのための水を張った中鍋を火にかけてから、その間に色々な下拵えを始めよう。

まずは必要な調味料を食品庫から調達してきて、作業台の一角にまとめておき、それからニンニクとかしょうがとかネギとかを切る。大量に切る。

卵を溶いて、肉を切って、軽く下味をつけておく。

中華鍋を火にかけて、溶き卵が浮くくらいの油を投入。卵を流し入れ、軽く混ぜつつ火を通して鍋からあげる。

次いでその鍋にほんの少しだけ油を足し、ニンニクを炒め、チャーシューを炒める。さらに飯をお釜の半分より少し多く入れて、手早くバラけさせる。

そこにさっき鍋からあげた炒り卵を合わせ、味を見つつオイスターソースとか塩コショウとかを足して味を整えて炒飯が完成。

同時進行でつくっていたスープのほうにもガラスープ、塩コショウ、ごま油で味付けし、溶いた片栗粉でとろみをつけてから溶き卵を流して完成。流した卵が、まるで花を咲かせるようにフワッ、と広がる。

四合ほどの量をつくった炒飯は、二つ用意した大皿にほぼ均等に分けてしまう。

一つは真ん中に置いて皿で、もう一つは志穂の皿だ。

この二つを分けないと皆で仲良く食事できない。

あとは志穂の腹を少しでも埋めておかないといけないっていうのもある。そうしないと、このあとの大皿の料理を安心して出すことができないのだ。

スープは一人ずつにとりわけ、残りは中鍋に残しておく。

「広太、運んでくれ」

「承知しました」

俺に呼ばれた瞬間には、広太はすでにキッチンの入口まで来ていて、作業台に並べられた皿たちを手早くダイニングテーブルへと運んでいく。

「残りもすぐにつくっちゃうから、炒飯でも食いながらもう少しだけ待っててくれ。志穂にはそれ一皿やるからな、静かに待ってろよ」

「うんわかったよ、ゆっきぃ」

「ゆっ…くり、食うんだぞ、志穂」

「は~い」

「じゃあ、いただきます」

「いただきま~す」

「先にいただくぞ」

『いただきます』

「メイ、食事中は携帯しまう」

『は~い』

さて、さっさと続きを仕上げないと、俺の食う分がなくなりかねないな。できるだけ急ぐとするか。

それから、俺は残りの二品を可及的速やかに仕上げて、食事の席に加わることができた。スープ鍋をどけて二口でつくったのもあって、思ったよりも早くつくり終わることができたのは、うれしい誤算だ。

そして俺が食事を始めるのを物陰で気配を消して待っていた広太も、同じタイミングで食事に加わってくる。なんでも、執事が主と食事の席を同じくすることもそもそもならばおかしいのだから、これくらいは守らせてもらうんだとかなんとか、言っていたっけか。

冷めたらおいしくなくなるし、先に食ってても俺は全然構わないんだけどなぁ……。なんというか…、どうしても頭の堅いやつだ。

それじゃまぁ、俺もいただきますか。

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