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Prism Hearts  作者: 霧原真
第三章
37/222

波打ち際で、あったこと ①

「朝は、特に問題なかった。志穂がちょっと寝過ごしたけど、電車を乗り過ごしたりしたわけじゃなかったし、電車が遅延したりすることもなかった」

去年のゴールデンウィーク、俺たちは四人で旅行に出かけた。

入学式からゴールデンウィークまでの一ヶ月の間に霧子を通じて仲良くなった俺たちは、詳しい経緯は忘れてしまったが、旅行に行こうということになったのだ。もしかしたら去年も、霧子が行きたいと言ったのが始まりだったかもしれない。

「そうだな、朝は確か、特に問題がなかったんだったな。そういえば、宿と電車の券はお前が手配したのか?」

「いや、手配したのは広太だ。広太が三木のツテをたどって予約をねじ込んでくれたんだ」

「そうか、そうだったのか、ふむ……。確かに旅行に行こうと決まったのが休みに入る三日前だったからな。そこからねじ込んだのであれば宿の側が十分な部屋を用意できないとしても仕方がないのかもしれない」

「男女四人で一部屋に押し込まれたのは、俺のせいでも広太のせいでもないんだ。少なくともそれだけは納得してくれ、姐さん。広太は優秀な奴で、そんなところでミスをする奴じゃないし、俺もそんなことをするように指示したわけじゃない」

「あぁ、そこは納得できる、というか、納得するべきだろうな。時間的な制約があったという点、宿側にも無理を強いていたという点の二つを総合しても、ある意味起こるべくして起こったことだろう。そこについては、以前と変わらず納得することにする」

「そこに対処するために、今回は今から宿を取るように動くことにする。そうすればきっと、今度こそはちゃんと二部屋を確保することができるだろうしな」

「計画的に、余裕を持って動くことを心掛ければ、あのようなことが再び起こることはないだろう。そういう前提から不安定な旅行は、やはりあまり良くないと思うからな」

「よし、それじゃあ次に行こう。ここは去年のうちにお互いに納得し合って許し合ったところだからな」

「そうだ、ここは本題ではない。話を先に進めてくれ、三木」

「あぁ、分かった」

遅れてきた志穂をせき立てて電車に乗った俺たちは、予定の順路を予定通りに乗り継いでほぼ予定した通りの時間に向こうに到着した。ある意味で、その時点では何の問題も発生していなかった、ともいうことができるだろう。

そのあと旅館へのチェックインを済ませ、三木家の方が久々に泊まりに来てくれて当旅館としましても光栄の極みですだのなんだの、いろいろと歓待を受けたりした。あのとき、俺は初めて自分の生まれた家というのが常ならざる存在なのである、ということを明確に意識した。

正直、そのときに聞いたことでは、三木家とその旅館との関係の深さとか歴史とか、そんなことよりも、この旅館に泊まったときの三木の人間たちの、俺からしたらありえない、まさに金持ちといった感じの、テンプレ的行動の方が記憶に残っている。たとえば旅館をまるごと貸し切ってみる、とか、急に時期外れのブリが食べたくなって空輸してみる、とか、窓から見える景色が気に入ったからといって、その視界に入る土地が開発されたりしないように全部買ってみる、とか、そういうあれである。

俺がこんなに普通の生活を送っているというのに、ほんの三十年前にはそういうアホみたいな豪遊をしているのだ。きっとそんなことをしたからたくさんあった金がなくなったに違いない。顔も知らないが、金遣いが荒くてギャンブル狂いで色狂いだったと噂のくそじじぃめ…、子孫のために金を残しておくとか、そういうところも考えろ、と言いたい。

まぁ、その財産を築いたのもそのじいさんらしいし、あるいは自分のものをどう使ったって自由じゃないの、ということも出来るのだが。おそらく、悔しかったら自分でそれだけ金を稼いでみな、とその行動を通して言いたいのだろう。

「そういえば…、三木、確かあのとき湖で遊んだな」

「そうだな、とりあえずチェックインして、部屋に荷物を置いてから遊びに行ったんだよな。まだけっこう肌寒かったから、あんま遊べなかったけどさ」

「そのとき、皆藤に一発やられただろう。あれは、大丈夫だったのか?」

「えっ? そんなことあったっけ? 別に今なんの問題ないから、たぶん大丈夫だったんだと思うけどさ……」

「そうなのか? それならばいいのだが……」

「っていうか、一発やられたって何を? あんま覚えてないんだけど……」

「忘れてしまったのか? そうか、私にしてみればかなり印象的だったからよく覚えているのだが、三木にしてみれば大したことではなかった、ということか」

「えっ、何があったの? ほんとに覚えてないんだけど」

「何があったかと言われれば、そうだな、何といえばいいだろうか。湖に遊びに行ったこと自体は覚えているのだから、そこから思い出していった方が明確に状況を捉える事が出来るな」

「あぁ、そうしてくれると助かる」

「部屋に荷物を置いた後、着替えを済ませて湖に向かったんだ」

今までは俺の言葉によって思い起こしを進めていたわけだが、しかしここでは姐さんの記憶を頼ることにした。

俺自身、湖に行って遊んだこと自体は覚えているのだが、しかし何をしたのかはあまり覚えていない。ほんの一年前のことだというのに、どうしてこんなに覚えていないのだろう。

もしかして、俺が予想している以上にすごいことがあって、無意識で記憶を封印しているのかも、と思うとどことなく背筋が寒くなるような気がした。


…………


時は、おおよそ一年前にさかのぼる。

「うわぁ~、すっごぉい!」

「これはかなり大きな湖だな、立派なものだ」

「あっ、あっちの方、砂浜みたいになってるんだね、幸久君」

「そうみたいだな、俺も始めてきたけど、これなら十分に観光資源として人が呼べるな」

去年のゴールデンウィークの初日、俺たちは旅行に来た先で一番の名物らしい湖(日本で何番目に大きいとか、駅に置いてあったパンフレットに書いてあったかもしれないけど、そこまで印象的な数字ではなかったので覚えていない)のほとりにやってきていた。一度チェックインをするために宿に寄っているので、手に大きな荷物はもう持っていない。

今は五月の初旬であり、入って遊ぶことが出来るという触れ込みの湖だったのだが、辺りはまだ泳いで遊ぶような暖かさではなかったりする。旅行に来たノリと勢いで水着への着替えも済ませてしまったのだが、今から湖の中に入って本気で遊ぶとなるとどうしても躊躇を禁じ得ない。

「ゆっきぃゆっきぃ、遊んできていい? 遊んできていいよね?」

「えっ…、水に入るつもりか、お前……。たぶんけっこう寒いと思うぞ?」

「え~、入っちゃダメなの~?」

「いや、ダメとは言わないけど、絶対に風邪ひいたりするなよ? もし具合悪くなっても面倒みてやらないぞ?」

「かぜのきんは気合でやっつけなさいって、ししょ~が」

「お前の気合は煮沸消毒と同じレベルの殺菌効果でもあるのか? 無理して面倒なことになるのだけはやめてくれよ?」

「だいじょぶだよ、あたし、かぜひきにくいから」

「わけのわからん自信に満ちた言葉だな、俺はどこに安心すればいいだよ」

「いってきま~す」

「あっ、ちょっ…、行っちゃうのかよ……」

俺がこれだけ言っているのに、志穂は水着の上に着ている服をポイポイと脱ぎ捨てると、わざわざ目の前の柵を乗り越えて、俺がかわいい水着を着てるじゃないか、などと思う間もなく湖へと身を投じるのだった。飛び込んだ衝撃によってほんの小さな水柱が上がり、そしてすぐにそれは水面へと吸い込まれる。

向こうの方の砂浜みたいになっているあたりまで回ってから入ればいいのに、そんなに湖で泳ぐのが待ち切れなかったのだろうか。というか、この脱ぎ捨てられた洋服たちを俺が拾って運ぶというところまで考えは至らないのだろうか、いや、至らないだろう。あいつは志穂なのだから、そんなことを期待すること自体が間違っているのだ。

「ったく…、子どもじゃあるまいし、脱いだ服はたたみなさいよ、ほんとにもぅ……」

そして俺は、ぐちぐちと文句を言いながら、志穂が脱ぎ散らかした服を拾って畳んでいく。プリーツが大きめに取られた膝上丈のスカートにタイトな感じのキャミソールと白い鍵編みのニットポンチョを合わせたかわいらしいコーディネートも、脱がれてしまえばもはやただの布でしかないな、などと思いながら、ずぼらな娘の部屋から洗濯物を回収しているお母さんの気分になっていた。

「幸久君、それ持とっか?」

「いや、別に平気だ。っていうか、あれ? 志穂の履いてたサンダル、どこいった?」

「…、まさか、履いたまま行ってしまったのか?」

「いや、まさか…、ん? あれ? 履いてたか?」

「にゅ、しぃちゃんのサンダルが湖の底に沈んじゃうよ……」

「し、志穂なら平気だ、きっと。な、姐さん?」

「まぁ、沈めてしまったらおぶって宿まで戻ればいいだけだからな。普通のビーチサンダルだったようだし、金銭的にそこまでの痛手というわけではないだろう」

「そ、そうだよな! よし、あっち行こうぜ。砂浜で志穂があがってくるまで待とう」

俺たちはそこからてくてくと、開けていて砂浜のようになっているところまで歩く。足を踏み入れてみると、砂浜は意外と日光によって暖められていて、また一本の大きな木がちょうどよい木陰をつくっていた。

俺は履いてきたくつを脱いで、素足で足元の砂を撫でてみる。さらさらとしていて、それはなかなか心地いい感覚だった。

「しかし、ほんとにこの時期にも入れるのか、ここに。砂浜と同じで水も温かかったりするのかなぁ……」

「にゅ、幸久君、入ってみるの?」

「そう、だな…、せっかく来たんだし、足をつけるくらいはしようかな、って。霧子はどうだ?」

「あたしは…、にゅ…、ちょっと休憩してるよ。電車にいっぱい乗って、ちょっと疲れちゃったから」

絶対に冷たい水に入るのがイヤなだけだ。間違いない。

「そっか、姐さんはどうする?」

「私も天方といっしょに荷物番をしていよう。冷たい水に入るのは、先日の風紀の新入隊員歓迎訓練を思い出すから、しばらくの間は止めておきたいんだ」

「新入隊員歓迎訓練? なにかしたのか?」

「ん? プールに水を張ってな、完全武装でその中をぐるぐると回るんだ。そしてその後、つくった流れに逆らうようにまたぐるぐる回る。完全武装だと重量がかなりあるから相当キツいぞ」

「え? 何それ? 下級生いじめじゃないの?」

「いじめではないぞ、伝統だ」

「それは伝統という名のいじめだよ」

「そうか? まぁ、そういうわけで私は湖に入るのは遠慮させてほしいんだ。三木、私のことは気にしないで楽しんでくれ」

「わ、分かった、お言葉に甘えてそうさせてもらうわ」

「にゅ…、幸久君、風邪引かないように気をつけてね?」

「いや、ちょっと足を浸すだけだって。風邪をひくまではいかねぇよ」

そう言って俺は、木陰に置いた荷物のそばに座る霧子と姐さんの見ている前でジーンズの裾を捲くると、恐る恐る水に足を浸けてみた。ジーンズの替えは持ってきていないので、出来るだけそれを濡らしたくないのだ。

「おっ、意外と冷たくないぞ、この水」

ちゃぱちゃぱと、俺はくるぶしのあたりまでを湖に浸して、水をかき混ぜるように足を動かしてみる。水遊びというのは、それだけで意外と楽しいものであり、俺も水をぱちゃぱちゃ言わせているという事実だけで愉快な気分になりつつあった。

「霧子も来てみろよ! 水、そんなに冷たくないぞ!」

「ほんと? じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」

霧子はそう言うと、おずおずとジップアップで薄手のパーカーの前を開き、下に穿いた七分丈で6ポケットのワークパンツ(おそらく晴子さんのお下がり)を脱いでこちらにやってくる。

「わ、ほんとだ、けっこうあったかいんだね」

「だろ? 意外と入れるもんだな、五月でも」

「でも…、泳いだりするには冷たいかも、これ」

「まぁ、そうだな、うん」

二人してぱしゃぱしゃと水を蹴って遊ぶ。何の気なしに、霧子の足に向かって水を軽く蹴とばしてみる。

「にゅっ! 幸久君、冷たいよ~」

霧子も、同じように俺に向かって水を蹴飛ばしてくる。しかし狙いが定まらず、蹴られた水の塊は俺から大きく外れて岸の方に飛んで行ってしまうのだった。

「下手っぴだなぁ…、霧子。そんなんだと、俺にびちょびちょにされるぞ」

「にゅ…、びちょびちょは、ヤだよ」

「まぁ、さすがにそこまではしないけどさ。足が濡れるくらいでやめといてやるよ」

「にゅ~、それもやめてよ~」

「はは、ほらほら、逃げろ逃げろ~」

霧子は俺の攻撃から逃れるために、俺に背を向けて走って逃げだした。俺は俺で、なんだか楽しくなってきてしまったので霧子を追いかけて走る。当然だが、足元は波打ち際なのでそこまでのスピードは出ない。

それだというのに、なぜだろうか、波打ち際で追いかけっこをしているというだけなのに、不思議と楽しい。これが旅行補正というやつだろうか。

「ゆっきぃ~、なにしてんの~?」

そして、ようやく湖の水面から顔を出した志穂が俺の視界に現れたのだった。まだ少し遠いが、向こうの方から泳いできているようで、ぷかぷかと顔だけが水に浮いているような、そんなシュールな光景だった。

「あたしもまぜて~」

岸に向かって少し泳いで足のつくところまで来てしまったのか、立ち上がった志穂は、今度は走って岸に近づいてくる。水に足を浸した状態で走っているというのに、そこに水の抵抗などまったくないような、まるで水面を滑っているかのように軽快な足取りだった。

いや、志穂ならあるいは、本当に水面を走っているのかもしれない。右足が沈むよりも早く左足を出し、その左足が沈むよりも早く右足を出す。爬虫類にだって出来るのだ、きっと志穂にだってできるに違いない。

「水かけっこの二人プレイ?」

俺たちのところまでまたたく間に到達した志穂は、わくわくした様子でそう言った。少し考えてから、俺は志穂のその言葉に首をかしげる。

「二人プレイって、どういう意味だ?」

おそらくそれは、まっとうな疑問だと思う。普通に考えて二人でやるものである水かけっこという遊びに対して、二人プレイなどと、まるで一人プレイもあるよ、みたいな言い方をすることがあるだろうか。少なくとも俺の知る限りでは、ないように思うのだが。

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