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Prism Hearts  作者: 霧原真
第三章
35/222

言いそびれたのはなんですか ―― それはあなたの……

「起立っ! 礼っ!」

「ありがとうございました~」

それから50分間、俺たちは現代文の授業を受け、なんとか欠伸を噛み殺しながら姐さんの号令に合わせて頭を下げて腰を折った。

しかし毎回のことながらあまり面白くない授業だ。テキストを読むことが重要なのは分かるし、教科書がそんなに面白くないのも仕方ないとは思うのだが、少なくとももう少し興味を持てるような授業をしてくれないだろうか。ただ読んで、ただまとめてという授業では興味も何もあったものではないだろうに。

あと担当の先生は、もう少しはきはきしゃべってほしい。綾先生みたいにしゃきっとなるような声音でしゃべってくれないと、眠くて眠くて困るのだ。

「やばいな…、すごいねむい」

『幸久君、ねむい?』

「ん? あぁ、ちょっとやばいかも……」

俺がふらふらと椅子に腰かけると、隣の席からメイのケイタイのディスプレイがにゅっ、と伸びてくる。メイは真面目なもので、あんな授業でも眠そうな顔一つ見せずにノートを取り続けていたのだ。俺が一時間起きていられたのも、メイにいつ真面目さの限界が訪れて欠伸の一つでも洩らすだろうか、という好奇心からなのだが。

ちなみに、けっきょく最後の最後までメイは黒板から目をそらすことも、教師の話から耳をそらすことも、テキストの文章から意識をそらすこともせず、むしろ俺の方が先に限界を迎えてしまったのだが。いや、寝たりはしなかったぞ、なんとかメイの欠伸を見るためだけに気合で起きてたからな。

「メイは、だいじょぶなのか?」

『ねむくないよ?』

「すごいな、マジ。欠伸の一つもしないんだから、すごい集中力だ」

『普通に授業受けてただけ』

「普通に受けることすら難しい授業だって、あると思うぜ? 今の授業だって、俺は眠くて眠くて」

『でも寝なかったよね』

「あぁ、がんばったからな。メイがいつか欠伸するんじゃないかと思って、ずっと待ちかまえてたんだぜ。まぁ、最後までそんなことなかったんだけどさ」

『欠伸は、恥ずかしいからしない』

「やっぱり恥ずかしいのか? …、あぁ~、確かに俺もちょっと恥ずかしいかもしれないわ」

『おっきく口開けるの、恥ずかしい』

「そうだよな、なんか間抜けな顔になるんだよな、欠伸するときって。無防備っていうか、なんていうかな?」

『じっと見ちゃダメ』

「分かった、これからは不用意に覗きこまないようにする。そうしたら俺に見られる可能性がだいぶ減るしさ、メイも欠伸して平気だぜ」

『誰に見られちゃうか分かんないから、しないようにする』

「せっかくするんだったらさ、俺の前にしてくれな。ちょっと見てみたいからさ」

『見せてあげない』

「だいじょぶだって、霧子と同じで、きっとメイの欠伸もかわいいから」

『きりちゃんの欠伸も、見ちゃダメ』

「え~、なんで~。霧子の寝言とか欠伸とか、あと寝相とか、見てるとけっこうかわいいんだぜ?」

『かわいくても、見ちゃダメ。きりちゃん恥ずかしい』

「メイは、案外厳しいんだな」

『女の子は、そういうの男の子に見られたくない』

「でも、俺は霧子を毎朝起こさなきゃいけないからさ、どうしても見ることになっちゃうんだけどな」

『きりちゃん……』

「メイはしっかり者だからな、俺に欠伸してるとこ見られるようなことはないだろうな」

まぁ、結局は妥協点の問題なのかもしれないが。霧子が俺に恥ずかしいところを見られることは、きっと霧子自身も少しは恥ずかしいと認識しているかもしれないが、それでも俺に対する羞恥心の設定が低くなりすぎていてそれを妥協によって受け入れてしまっているところに問題があるのだ。

きっと、妹にとってのお兄ちゃんという存在は、このような認識を持って扱われるのではないだろうか。お兄ちゃんは妹が恥ずかしいことをしても可愛いと思うだけだし、妹はお兄ちゃんに恥ずかしいことを見られたからといってそこまで恥ずかしがることはないのだ。

「まぁ、霧子が自分一人で起きられるようになったとしたら、俺が霧子の恥ずかしい姿を見ることもなくなるだろうな」

『きりちゃんに、自分で起きなきゃダメって言う』

「そっか、頼んだぜ、メイ」

『幸久君も、気をつけなきゃダメ』

「分かった、出来るだけ気をつけるようにするよ」

『そういえば』

「ん? どうした?」

『さっき、ホームルームの後だけど、のりちゃんたちの方に行って何のお話ししてたの? あたし、遠くて聞こえなかったから』

メイにしてみれば、それは何のことはないただの質問でしかなく、訊きたいと思ったことを単に文字にして俺に見せただけでしかないのだろう。しかし俺にとってみれば、それによって非常に重要なことを思い出す、行ってみればキーになるような質問だったのだ。

思い出したこと、それは一限の授業があまりに退屈で眠く、大変だったからすっかり忘れていたことで、一限目が終わったらホームルーム後の話の続きをする、と姐さんが言っていたという事実だった。

「あっ、そうだ、忘れてたじゃん。あぶねぇ……」

『? なにが?』

「あっ…、と、メイには、あとで話すからさ、今はちょっとごめんな。きっと話すから、待っててな」

『うん、分かったよ』

「じゃ、俺、ちょっと姐さんとこに行ってくるわ」

『いってらっしゃい』

「おう、ちょっと行ってくる」

よく見たら、姐さんはさっきからずっとこっちを見ているようだった。なんだよ、別に声かけてくれたっていいだろうに、なんなんだい。それとも、もしかして俺がメイとおしゃべりしてたから気をつかって声をかけないでいてくれたのかもしれない。

俺が言うのもなんだけど、姐さんは気ぃ遣いしぃだからな。そういうところで邪魔したりしないように配慮してくれたのだろう。やっぱり優しいぜ、姐さん。

「お~い、姐さ~ん」

メイに一時の別れを告げ、俺は自分の席を離れて再び窓際の席の方に訪れるのだった。果たして姐さんが俺に言おうとしていたこととは何なんだろうか。

「おぉ、三木、忘れていなかったか」

「忘れないって。ちょっとメイとおしゃべってただけだぜ」

「あぁ、それならいいんだけどな。私はてっきり、授業でぐったりした上に持田としゃべるのに夢中になって私のことをすっかり忘れてしまっているのではないかと思ったが、違ったようで何よりだ」

「と、当然だろ?」

エスパーかと思った。

なんでそんなに詳細に俺の状態が見透かされているのだろう。もしかして、風紀委員会の新装備とかで、相手の心情とかを見通すバウリンガル的な機械が開発されたりしたのだろうか。

「それで、さ。姐さんは、何か俺に言っときたいことがあったみたいなんだけどさ、それって何?」

「あぁ、いや、こういうことは興を削ぐというか、水を差すことになるからあまり言いたくないんだが…、去年のように旅行をするのはあまり推奨したくない」

「? なんでだ?」

「学生だけで旅行に行くというのは、今さらながら、やはりよくないと思ってな。子どもだけで遠くまで旅行するのは、確かに楽しいかもしれないが、しかしそれは同時に多くの危険をも発生させ得ることを意味しているだろう」

「…、そうだな、確かに」

「去年だって、危険が全くなかったわけではなかった、と私は思うのだが、それはもしかして間違いだろうか? やはり責任ある大人が一人は絡んでいた方がいいと思うんだ」

姐さんの言わんとしていることはよく分かる。しかしそれをよく理解すると同時に、俺は猛烈な嫌な予感に襲われていた。それはなんというか、昔々地下深くに埋めたはずの危険物が大地を突き破ってその姿を現すような予感というか、おそらくそんなものだった。

というか、明確に一つ、姐さんの言うことについて思い当たる節があるのだが、もしかしてそれのことを言っているのだろうか。だとしたら、そんな話を持ち出してこないでください、と懇願したい気分だった。

「私だってな、別に三木のことを信用していないわけではない。お前は優秀だし、人を思いやる優しい心も持っているように思う。しかし、私にも記憶というものが残っているのだ」

「そ、そうだよな、うん……」

俺の感じる嫌な予感というのは、実は意外と当たることが多かったりする。それこそ神憑りのように、イヤな予感がすると何かしらキツいことが起こったりするのだから、我がことながら恐ろしくすらある。

しかしそのキツいことを察知することができたとして、それを回避することができるというわけではないのだ。これからキツいことが降りかかってくるんじゃないか、という確信にも近い予測を持ちながらそれを受容するのだ。ある意味で、それはなかなかに辛いものがある。

心構えができるんだからいいではないか、という考え方もできるかもしれないが、俺にはそんなポジティブな捉え方をすることはできない。俺にとってみれば、それはやはり「悪いことが起こることを知らせるもの」でしかなく、「これから起こる悪いことを受け入れる心構えをするための時間をくれるもの」ではないのだ。

「去年のゴールデンウィークに行った旅行で、あっただろう。私からあまり言いだしたいことではないが、しかしそれをなかったことにすることは、やはりできない。お前も忘れてはいないだろう、三木? それとも、忘れたと言うつもりではあるまいな」

そしてそれは、やはり感じたイヤな予感の通り、俺の掘り出してほしくない記憶をはっきりと浮き彫りにするものだった。それについては、もう通り過ぎた地点のはずであり、俺も姐さんも理解し合ったはずの点のはずなのだ。

しかし姐さんは、どうして今さらになってそれを掘り起こそうとしているのだろうか。そんなこと、誰も望んでいないじゃないか。それは、誰も幸せにならないに決まっている。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、姐さん。それはあれじゃないのか? 悲しい事故だったということで一応の解決を見たんじゃないのか? もう解決で、示談ってことにしたんじゃなかったのか?」

「私も、当然そうだと思っていたのだが…、あぁ、いかん、いかんな。こうして話していたら、また疑惑の気持ちがわき上がってきてしまった……。三木、お前、本当にあれは事故だったのか? 私はお前の言っていることを信じてもいいのか?」

「ほ、ほんとだよ! 俺はウソ言ってないし、誤魔化してもいないよ! 俺のこと、信じてくれるって言ったじゃないか、姐さん!」

「信じたい、あぁ、出来ることならば信じたい。しかしお前がしてしまったことは、そんなに軽い問題ではないのだ。信じたいが信じることができない、そういう状況は確かにあるのだ」

「ま、待って! ここではマズいって! ここでその話はちょっとまずいんだ! あ、あとで…、昼休みにしよう、昼休みに! 昼休みに、人が来ないところで…、な?」

「そう、だな…、そうしようか。昼休みにきっちり、もう一度話をつけようか。そうした方が、お前も話をすることができるだろう。なんなら、風紀委員会の部屋を貸してもらうこともできるが」

「そこまでじゃないから、もっと穏便に行こう。屋上、とか?」

「あぁ、そうしよう、それがいい。こういう問題は、お互いに納得できるようにしないといけない。そうすることで、お互いが禍根なく関係を維持することができるのだ」

「そ、そうだよな、うん」

実際の話、姐さんがこうして納得していないというのも理解はできる。姐さんの性格を考えれば、そうなるのは十分に分かることなのだ。

というか、あのときだって結局のところ姐さんを納得させることはできなかったわけで、おそらく今回も納得させることはできないのではないかと思う。前回できなかったことが今回に限って上手くいくなんて、そんな都合のいいことはありえないのだ。

今回もまた、ただ結論を先延ばしにするだけの不毛な戦いになるんだろうことは、今の時点で目に見えているのである。

「さぁ、二限目の授業が始まるぞ、三木。自分の席に戻るんだ」

「分かった…、じゃあ、昼休みな」

「あぁ、そうしよう」

「ゆっきぃ、どうしてそんなにびくびくしてるの?」

「してないよ!? 別に動揺なんてしてないの!!」

志穂に変に突っ込まれ、それこそ動揺してしまう俺だった。そして俺の突っ込み返しと重なるようにチャイムが鳴り響くのであった。

休み時間は、そうして終了するのだった。チャイムは、というか時間は、いつだって俺たちのことを待ってはくれないのである。

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