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Prism Hearts  作者: 霧原真
第二章
32/222

おつかれオムカレー

「まぁ、カレーだし、見た目はこんなもんよね。味も、こんなもんでしょ。うん、あとはきれいに盛りなさいよ、幸久」

自分が泣かせた霧子を放っておいて、晴子さんは俺のカレーの見分をしていた。確かにそれは俺がするべき作業ではないかもしれないが、だからといって泣いている霧子を放置していいということではあるまい。

あるいはあの一瞬で、自分が見分を、広太が雪美さんの手助けを、俺が霧子を助けに行く、ともっとも効率的な役割分担を導き出したのなら、それはなかなかにすごい状況判断力だと思う。しかし、いささか人間味に欠けるのではないだろうか、とも思う。

だってそこに泣いている霧子がいるのに、それを見捨ててキッチンに来るんだぞ? そんなことが、どうして出来るというんだろうか。それとも晴子さんは、その魂を合理性という悪魔に乗っ取られてしまったのだろうか。

「晴子さん、怠惰は悪徳ですよ」

「はっ? 何の話よ、急に」

「いえ、別に何でもないです。晴子さんの分は、俺がよそうんですか?」

「当然じゃない。食べていただくうえに評価していただくのよ? それくらいするのが当然っていうものじゃない。っていうか、師匠に尽くしなさいよ」

「はい、了解です。量は、いつもと同じくらいでいいですよね? それとも少し少なくした方がいいですか?」

「気にしないでいいわ、いつもと同じよ」

「分かりました」

「じゃ、あたしはあっち行ってるから、出来たら持ってきなさいよ」

「はい、了解です」

それから俺は、食器棚の中から雪美さん用の大皿と、普通のカレー皿を四枚取り出した。

「まぁ、普通に盛るか。わざわざ洗い物を増やすこともないな」

ちょうど炊けたところの炊飯器を開くと、中からはもわっと柔らかな香りが立ち上る。この、炊きたてのコメの匂いをかぐと、自分が日本人なんだなと強く感じさせられる。きっと日本人でなくては、この香りに安らぎを覚えたりはしないだろうからな。

俺が、自分が日本人でよかった、と思う瞬間は、今みたいに炊きたてのコメの香りをかいだときと、朝飯でご飯

、味噌汁、漬物の組み合わせを目の前に並べたときと、畳に寝転がって日向ぼっこをするときだ。こういうのは、きっと日本人でないと分からないことだと思うから。

「晴子さんのは…、これくらいだな。形整えて、と」

プラスチックのしゃもじを引き出しの中から取り出して、軽く水をつけてから数度お釜の中をかきまぜる。このときコメの粒を潰してしまうといけないので、力加減と回数には気をつけないといけない。

まぁ、カレーのときは少し水を少なめにして炊くのが俺の好みだし、霧子にもそうするように言っておいたので、今日のコメは硬めで余り潰れないのでかなり混ぜやすいのだが。

「で、ルー多め、と」

皿の中央に小山にして盛ったご飯の周りに、ご飯が海の中の島のようになるよう丁寧にルーを流しこんでいく。このときお玉がご飯にかすったりして不必要にルーが付着したりしてると、汚らしいわ! とかいってはっ倒されるので、そこには最大限注意を払わなくてはならない。

晴子さんにとって、料理の見た目というのはその味と同様に重要なポイントである。しかしそれは、決して派手に飾り立てればいい、というものではない。丁寧に丁寧に、食べる人の食欲が増すようにきれいに盛りつけることがそこでは求められる、と俺は昔からきつく言いつけられてきているのだ。

「乾燥パセリでも散らすか」

よし、これでいい。まずはこれを晴子さんの前に持って行ってしまおう。他の人は、勝手に自分でよそってもらうのがいいだろう。

というか店屋じゃないんだから、そもそも自分の分を自分でよそうのは当然で、そこまでをつくり手に要求するのは酷というものではないだろうか。それくらいはセルフサービスでお願いしたいところだ。

「広太、運んでくれ」

しかし、そう簡単に事は運ばないのが現実である。晴子さんは俺がいるときは絶対に自分でよそわないから諦めるしかなく、雪美さんはよそっていいとなるといつまでもどこまでも、それこそ鍋が空になるまでよそってしまうので自由にさせてあげることはできない。

そして霧子はといえば、太っているわけでもないのにダイエットのつもりなのか、ぜんぜん盛らないのでこれもまたじゆうにさせてやることはできない。お腹いっぱいになっちゃうからなんていうが、そんなのはきっと嘘なのだ。

いっぱい食べないと大きく強くなれないというのに、そのあたりのことを霧子は分かっていないのだ。食事制限ダイエット、ダメ、絶対!

広太に晴子さんの分のカレーを託して、俺はさらに盛りつけ作業を進めていく。雪美さんの分は、とりあえずご飯をたくさん盛ってあげて、そこにルーを少なめにかけてあげるのがいいらしい。ルーを多めにさらさらと食べたい晴子さんとは逆に、ご飯を食べてる感じがほしいんだと思う。

霧子は、いつもならば普通に盛ってやればいい。別に晴子さんや雪美さんのように要望もないわけだし、普通の量を普通に盛りつければいいのだ。

「いや、霧子の分は特別仕様にしてやろう、うん」

しかし、今日は霧子もいろいろがんばってたし、さっきはかわいそうに、運悪く痛い目を見て泣いていた。今日くらいは、特別な盛りつけをしてやっていつもより甘やかしても罰は当たるまい。

「ご飯は、これくらい…、いや、もうちょっとか」

ご飯は丁寧に、皿の中央にだ円形のオムライスと同じ形にふわっと軽めに盛ってやる。

「広太、自分のは自分でよそってくれ」

ボールを出して卵を一つ割り、砂糖と牛乳をいれてから箸で空気を入れるように混ぜてやる。なすを炒めたフライパンをもう一度火にかけて、キッチンペーパーで一通り拭いてやってからもう一度バターを落とす。

バターを溶かしたところに卵を一気に注ぎ、フライパンをゆすって端に寄せつつ形を整えてやり、キレイに成形されたところで柄を叩いて遠心力とかいろいろ使ってくるりと丸めてやる。火があまり通らないうちに丸めてしまうことで、周りからの余熱が入っても半熟の状態を保つことができるのだ。これでオムレツが完成。

そのオムレツを皿に盛ったご飯の上にゆっくりと乗せる。オムレツ自体がまだ柔らかいので、ご飯の形状に合わせて軽く変形してくれるから乗せやすいといえば乗せやすいかもしれない。

それから俺は包丁を手に取った。この包丁は、晴子さんが定期的に砥いでいるのでキレ味は抜群であり、刃こぼれ一つしていないすぐれものだ。その鋭い刃を、オムレツに軽く当てる。精神を集中し、薄皮一枚だけを斬るような絶妙な力を込めて、俺はそれを一息で振りぬいた。

ヒュン……! とかすかな音がキッチンに残響する。

包丁が振りぬかれるのに一瞬遅れて、ご飯の上のオムレツにピッ、と一筋切れ目が走り、中からはどろっと半熟の卵がかすかに流れ出す。あとはその切れ目に包丁を当ててやり、オムレツ本体が自壊しないように開いてやればいい。これでオムライス状のものが完成。

あとはこの両脇にカレーを流してやれば、正式に何というのかは知らないが、オムカレーの出来上がりだ。サービスでなすを多めに入れてやり、晴子さんのものと同じようにパセリを振れば、黄色と緑のコントラストがよく映える。我ながら、これは美しすぎると思う。

「っし、完璧」

オムライスもカレーも霧子の好物だし、これならばきっと霧子もすごく喜んでくれるだろうし、いっぱい元気も出してくれることだろう。

「お見事です、幸久様」

「そうだろう、これはいいものだ」

「とても美味しそうですし、見栄えも素晴らしい。レストランで出されても、誰が文句など言いましょうか」

「別にレストランでは出さなくていいんだけどな。俺は、俺の食ってほしい人に食ってもらえればそれで満足だし。っつぅか、急がねぇと晴子さんがマズい」

「はい、幸久様の分は、僭越ながら私が盛りつけさせていただきました」

「おぉ、さんきゅ。相変わらず盛りつけだけは得意だな、広太」

「お褒めに預かり、光栄です」

「それ二つ運んでくれ。俺はこれを霧子に運ぶからな」

「了解いたしました」

俺としては手早くやったつもりだったが、しかし晴子さんは俺のことを待っていてはくれなかった。俺が霧子のカレーを片手に持ってリビングに出たときにはもうスプーンを片手にテイスティングの真っ最中だった。

「今日のカレーはね、シンプルでいいし時間がなかったのも知ってるけど、でもやっぱりもうちょっと工夫すべきよね。たとえばこの中にどんな具材だったら合わせられるかとか、カレールーといっしょにどんなものを入れたら味に深みが出るかとか、いろいろね」

「はい」

「ちゃんとあたしのために頭を絞りなさいね。師匠はいつまでもあんたの師匠なんだから、そこんとこちゃんと意識しときなさい」

「はい、がんばります」

「まぁ? このなすは美味しいんじゃない? ちょっとだけだけどね」

「あ、ありがとうございます!」

「っていうかさ、なんなの、その手に持ってるのは」

「えっ? あぁ、霧子の分です」

「何よ、なかなか出てこないと思ったらそういう小細工してたの? 姑息ね」

「な、何の話でしょうか……?」

別に俺は何も姑息なことはしていないのだが、晴子さんにそう断言されてしまうと、なんとなく自分が姑息なことをしてしまったのではないか、という疑心暗鬼に駆られてしまう。だ、大丈夫、別に姑息なことなんてしてないぞ、俺。

「俺はただ、今日は霧子がいろいろがんばってたから、労いの気持ちでですね」

「そういうのが姑息だって言ってるのよ。ポイント稼ぎじゃない。霧子からポイント稼いでどうするのよ」

「いえ、別にどうもしませんけど……」

「ふ~ん、そ。別にどうでもいいけど」

「そ、そうですか……。ほら、霧子、お前の分な」

「にゅ? ふゎ、すごぉい…、なにこれぇ……」

「美味しそうだろ?」

「うん…、これ、食べていいの……?」

「いいに決まってんじゃん。美味いもん食わせてやるって言っただろ」

「あ、ありがと、幸久君……」

「いや、ほんとはな、卵の上に名前書いてやろうと思ったんだけどさ、ケチャップでやるのは味が合わなそうだし、カレーでやるのもどうかと思ってやらなかったんだ。だからこれ、まだ未完成なんだよ」

「これで十分だよ、幸久君。こんなかわいいのつくってくれたんだから、ありがと」

「そうか、それならよかったよ。いっぱい食べて、いっぱい元気出せよ」

「うん! でもこれ、なんか食べちゃうのもったいないかも……」

「おいおい、そんなこと言わないでちゃんと食ってくれよ。せっかく食べるためにつくったんだからさ」

「じゃ、じゃあ、写真撮る。写真だったら、撮ってもいいよね?」

「別にいいけど、写真撮るほど大層なものか?」

「うん、だって、すっごくうれしいもん。幸久君、やさしくって、うれしいの」

「そうか?」

こんなに喜んでくれるんなら、こちらとしてもつくった甲斐があるというものだ。これっぽちの手間でこんなに目をキラキラさせてくれるんだから、霧子はすごく純粋なんだよな。

そして霧子はケイタイを取りに自分の部屋まで走っていくのだった。もしかして明日誰かに言いふらしたりするつもりなんだろうか。だとしたら少し止めてほしい木もするが、まぁ、霧子が喜んでくれている証拠だと思えばそれはそれでいいかもしれないが。

「霧子ちゃんのかわいいわ~、ねぇねぇ、幸久くん、お母さんにもそれやってぇ~?」

「俺は別にいいですけど…、晴子さん、いいですか?」

「ダメ。母さんの量であれをやろうとしたら卵二個必要になっちゃうじゃない。そんなことおかわりのたびにやられたら冷蔵庫の中の卵がすぐになくなっちゃうわよ」

「え~、晴子ちゃんってばイジワル~」

「カレーだけでも十分いけるわよ。別に卵なんていらないわ」

「そうかしら? お母さんはかわいいと思ったんだけど……」

「母さんは、目の前にあるのをちゃん食べてちょうだい。まぁ、残すとは思ってないけど」

「は~い。おかわりしてもいいかしら?」

「ダメって言ってもどうせするんでしょ。別にそんなこと訊かなくていいわよ」

晴子さんは、ため息とともにそう言って、それからまたカレーを一口分掬ってスプーンを口に含んだ。もうこれでこのカレーに対する評価は終わったようで、それ以上細かい言葉が晴子さんの口から出ることはなかった。

まぁ、今回はけっこう褒めてもらえたし、これで十分といえば十分なのだが。っていうかあれだよ、晴子さんに正面から美味しいって言ってもらったのなんて、かなり久しぶりだよ。

おぉ、やっぱりうれしいぞ。晴子さんに褒められるのは、俺の中ではやっぱりうれしいことの中に入れられるみたいだ。俺、やっぱ晴子さんのこと好きなんだなぁ……。

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