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Prism Hearts  作者: 霧原真
第二章
30/222

おいしい カレーの つくりかた

とりあえず、食後の町内ダッシュ十周が決定してしまった俺は、もうすべてを忘れて料理をつくることにした。晴子さんから言いつけられた罰ゲームなら心中でこっそりとキツすぎるなぁ、と思うことも許されるかもしれないが、しかしそれを言いだしたのは俺なのだ。

そんな状況ではもはや、やってしまったなぁ、と無言で後悔すること以外は許されないのであり、怨むならば晴子さんの思考を読み切れなかった俺自身の至らなさなのだ。まぁ、おそらく俺が晴子さんの思考を読み切って五周くらいで抑えたとしても、「少ないわね」という一言で十周くらいまで叩き上げられるような気もするし、どちらにしても俺は今と同じ強度の罰ゲームをすることになっていたんだろうが。

つまりあれだ、諦めよう。

「料理をつくって、気分を晴らそう、うん」

「幸久、さっさとつくりなさいよね。ご飯炊き終わるのと同じくらいにつくり終わるようにしなさい」

そう俺に指示ともいえない指令を送るものの、しかし晴子さんは、もはや完全にくつろぎモードに移行しており晩飯の準備の支度を手伝おうというような気概は一切感じられない。テレビの前のソファーにごろん、とクッションを枕に仰向けになって、胸の前では大きなクジラをデフォルメしたぬいぐるみを抱きかかえている。

おそらく、下手に声をかけようものなら「テレビの声が聞こえないから黙れ」と言われるに違いないので、言われたことに対して最低限のことしか返答してはいけない。あと、大学生にもなってかわいいぬいぐるみとか好きなんですね、とか不用意なことを言ってしまえば、処刑は免れないので言ってはならない。

というか、晴子さんの可愛い物好きは今に始まったことではないので、そんなことを思うのも今さら、といった感じが強いのだが

「はい」

「あと、あんまり辛くしたら殺すからね」

「分かってます」

晴子さんは、というか霧子もなのだが、基本的に辛い物を避ける傾向にあり、カレーも当然その例外ではない。天方家のカレーは、晴子さんと霧子の要望によって中辛と甘口を四対六くらいの割合で混ぜたちょっと甘めの、小学校の給食で出てくるような感じのカレーなのである。

しかし、だというのに晴子さんはカレーが好きだったりするから難しい。好きということは厳しいということで、俺が晴子さん好みのカレーをつくれているか、という非常に主観的な判断基準によって俺のカレーは評価されるのだ。

「いつもどおりにつくらせてもらいますよ」

ちなみにだが、雪美さんは食べ物の好き嫌いは、まったくない。皆無と言ってもいいかもしれない。昔、好きなものはなんですか? と聞いたら「美味しいもの」と返答がきたことがある。そのとき俺は、雪美さんに出す料理は、もうただがんばってつくるしかないんだ、と思ったのをよく覚えている。

さらにちなみに、俺が家でつくるカレーはそれなりに辛いものである。中辛をベースに一欠片くらい辛口のルーを入れる感じでつくる。

しかしいかんせんうちは二人暮らしなので、カレーのような、必然的に大人数で食べる以外にないほどの量が出来てしまう料理をつくることはかなり少ない。仮につくったならば、そこから向こう二日は朝晩カレーという事実を受け入れなくてはならない。

故に、俺がカレーをつくるのは晴子さんの指令によって天方家に呼ばれたとき以外には滅多にないのだ。

「幸久くん、今日はカレーつくるの?」

「えぇ、晴子さんにそう言われたんで」

「何のカレーをつくるの?」

「ひき肉のカレーです。なすの入ってるやつですよ」

「えっと……、あっ、前に晴子ちゃんがつくってくれたのかしら?」

「はい、たぶんそうだと思います」

雪美さんは、向かい合わせに座った広太といっしょに何かをしている。何をしているかは分からない。

雪美さんは暇を見つけるといろいろな一人遊びに挑戦してみるのが趣味で、この間までは切り紙をやっていたのだが、もう飽きてしまったのだろうか。図書館から切り型の図鑑みたいなものをコピーしてきてまでやっていたから大層気に入ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったらしい。

雪美さんは器用で何でもそれなりに上手に出来てしまうのだが、飽きっぽいので長続きしない。一つの趣味が一週間持てばいい方で、二週間持ったとしたらそれはかなりハマっているといえるほどだ。

「さて、霧子、これからカレーをつくるわけなんだが、お前の役目は分かってるな?」

「にゅん、分かってるよ。ご飯を炊くんだよね」

「そうだな。あとはまぁ、いろいろ切ったりな」

「にゅ? 今日はそんなことまでやっていいの?」

「あぁ、場合が場合だからな。時間は節約できるほどいい」

「分かったよ」

「飯、四合な、四合」

「は~い」

そして、俺と霧子はキッチンに立っていた。正直な話、霧子と並んでキッチンに立つのは嫌だったのだが、一秒でも早く料理を完成させないといけない手前、好き嫌いをしたりえり好みをしている場合ではないのだ。

使えるものは何でも使う。それがここで求められる状況判断なのである。

「さて、と俺は切るか。晴子さん、ニンニクとショウガは借りてもいいですよね?」

「別にいいから、静かに料理しなさい。今始まるところだから」

「はい……」

俺は、これ以上晴子さんのテレビ鑑賞の邪魔をしてしまわないように声をひそめて返事をするのだった。

「五人だからな、頑張って切らないと……」

まずはニンニクを二片、一枚皮をむいてから縦半分に割り、まだ青い芽を取ってやる。この芽はしっかりと育っていれば食材なのだが、そんなことはないのでゴミ箱にポイだ。

それからショウガは適当な大きさで切り落してやり、包丁で皮をむいてから薄切りにする。皮は乾燥させたら漢方薬になると聞いたことがある気がするが、別にニーズがないのでそんなことは気にしない。ゴミ箱にポイ。

「ニンニクはみじん切り、ショウガは千切り、と」

中三の夏ころ、受験に向けてそろそろ動きださなくてはならないあのとき、俺は晴子さんから課された特訓によって完璧なみじん切りスキルを授かったのだ。しかし、そのために経た特訓の内容はあまり思い出したくない。

普通の人だったら、そんなことよりも数学の公式の一つでも覚えろ、と言うかもしれないが、しかし俺にしてみればそんなものよりも晴子さんの特訓の方が百倍くらい大事なのだ。

決して、勉強がしたくなかったというわけではない。

ニンニクを、二つに切り分けてしまわないようにしながら、もう一度縦に包丁を入れる。そしてそこからニンニクを90度回して、これまた切り分けてしまわないように包丁を細かく入れていく。それからそれを千切りするように包丁を入れれば、それだけでみじん切りが完成。

それを四度繰り返しているうちに、霧子はボールで米を砥ぎ終わり、炊飯器の釜に中身を移したようで、今は炊飯器のセット時間をどうしようか、と動きを止めている。

「早炊きでいいぞ、時間ないからな」

「いいの? カレーできる?」

「つくるんだよ。霧子、玉ねぎむいとけ。二個な」

「は~い」

後ろからはピッピッピと炊飯器をセットする音がして、それにピーと炊飯開始の音が続く。早炊きの所要時間はおおよそ40分ほどであり、俺はそれまでにカレーを仕上げられるように心がけなくてはならない。なかなか厳しい戦いを強いられていることだけは間違いないだろう。

「急げ、俺」

みじん切りのニンニクをまな板の隅の方に寄せてから、薄切りのショウガを五六枚ずつ重ねて、ダダダダと千切りにしていく。こんなところで時間を食っている暇はないので、最高速度で包丁を走らせる。

ショウガの千切りが出来上がるころには霧子も一つ目の玉ねぎをむき終わっているわけで、すぐにショウガも同じように隅に寄せて玉ねぎの作業へとスライドする。

まずは頭、芽の方を落としてしまい、半分に切ってやる。根はまだ落とさない。

それからニンニクと同じように、包丁を横にして三回、切り離してしてしまわないようにしながら根の付近まで切り込み、今度はまた縦に何度も細かく包丁を入れる。

玉ねぎは層構造になっているので、横向きに切り込みを入れる必要はないかもしれないが、まぁ、一応だ。

そしてそれを、繊維に対して直角に刻んでいく。普通だったらみじん切りじゃなくて薄切りくらいに切ったものを延々焦げ付かないように炒めて飴色にするのだが、今回に限ってそんなことをしている時間はない。

時間を大事に、細かく切ることによって火の通りをよくするのである。

そして刻み終わったら残っている根の部分は、ゴミ箱にポイ。

「霧子、肉の袋、開けといてくれ」

「ん、分かった。…、幸久くん、目、だいじょぶ……?」

「大丈夫だ、痛いだけだ」

必要な玉ねぎは一つ半くらいなので、これをあと二回やるだけでいいのだが、半分終わった時点で目がしみ始めて、丸々一個を刻んだところで涙が止まらなくなった。男が涙を流していいのは親が死んだときだけだというが、玉ねぎを切るときもそれに足しておいてほしいと思う。

というか、こんな不可抗力的にぼろぼろと涙が出るところが玉ねぎのよくないところだと思う。農家の方々は早急に切っても涙の出ない玉ねぎを品種改良で開発してほしい。いや、そうすると玉ねぎ本来の味が損なわれたりするのだろうか……。

よく分からないので気にしないことにした。

玉ねぎを切っているときは、手に付着した物質によってさらに涙の出が促進されるので、目をこすってはならない。故に流れる涙は無視して流れるままにしておくのが一番なのだ。

「あぁ~…、ちょっとタイム……」

涙を流しながらも必要量の玉ねぎを刻み切った俺は、とりあえずまずは手を洗って、それから包丁を洗って、そして最後に顔を流すのだった。というか、こんなに涙が流れるって、もしかして俺は特別玉ねぎに弱い体質なのだろうか……。いつもは玉ねぎをあらかじめ冷やしておく裏技使ってるから忘れてた……。

「幸久君、変わる……?」

「いや、平気」

実際、これで作業工程のほぼすべてが終わったと言っても過言ではない。あとはもう、ほとんど炒めるだけなのだ。

「さて、炒めるか」

水洗いによって目の周りをすっきりさせた俺は、勝手知ったる他人の家な感じに戸棚の中から深めのフライパンを取り出してコンロにかける。油を敷いて中火、フライパンが温まるまでは待機だ。

「霧子、俺がこれ炒めてる間になす切ってくれ」

「どれくらいに?」

「1センチ幅より少し狭いくらいの輪切り。切ったら水にさらしてアク抜きしろよ」

「うん、分かったよ」

「そろそろいいか。ニンニクとショウガから、と」

木べらを手に持って、温まったフライパンのちょうど油の辺りに刻んだニンニクとショウガを落とす。細かく刻まれたニンニクは揚げられるような感じに油の中で踊っている。刻みが少し大きなショウガはニンニクの上に乗るようにして、油からわずかに浮いている感じ。

木べらでわしゃわしゃと混ぜながら全体に油が回るようにしてやって、ショウガの香りが出てきたところで玉ねぎをバッと入れる。これも焦げ付かないようにささっと混ぜ、全体が透明になってくるまで炒め続ける。

ここでまな板は霧子に明け渡し、俺は袋から出されたひき肉を手に取った。別に下味とかをつける必要はないのでそのままフライパンの中に投入、ほぐすように手早く炒めていく。

肉汁が出てくるまで炒めたら軽く赤ワインを振って、またアルコールが飛ぶまで炒める。いい感じに炒まったら、水をいい感じに目分量で入れる。このあたりは適切な量を入れておけばいいから、俺は正確に計量したりはしない。

「ここにローリエ入れて、あとは軽くアクとって、ルー入れてか。よし、あとはなすだな」

「にゅ、切れてるよ、幸久君」

「ありがとな、霧子。鍋のアク、とれるか?」

「うん、たぶん平気」

「やり方分かるな、はい、お玉」

「幸久くんはなすに何するの?」

「バターで軽く炒める。そうした方がおいしいからな」

今度は浅めのフライパンを取り出すと、それもコンロに掛けて、俺は冷蔵庫からバターを取りだした。包丁でちょうどいいくらいの量を取り、温まったフライパンに落とす。そして少し溶けたころに、霧子に切ってもらったなすを、よく水を切ってからフライパンに投入、バターが全体に回るようにフライパンを軽く振って炒めていく。

「霧子、カレールーに触るな。アクだけ取ってろ」

「にゅ……、ごめんなさい……」

「なぜ俺の目を盗んで蛮行に走ろうとする。味付けはまだ霧子には早いんだ、大人になってからな」

「大人になるまで…、お料理できない……」

「ほら、もう終わるからあっち行ってなさい。雪美さんに遊んでもらっておいで」

「にゅ~…、まだお手伝いできるもん……」

「あとはよそうときに手伝ってもらうから。ほら、行った行った」

「にゅ~……」

どこか不満げな霧子をリビングの方に放り出して、俺は最後の仕上げに取り掛かった。なすを炒めているのは、もう十分だろう。火を落として、これはこのまま放置しておく。霧子がアクを取っていたフライパンを見れば、十分処理はされているようで、これ以上俺がアクを取る必要はなさそうだ。

かすかに沸騰しているフライパンに、甘口を三欠片、中辛を二欠片、ルーを放りこんで溶かすようにぐるぐるかき混ぜる。まだ少し水っぽいし、もう少し煮つめてとろみを増させてからそこになすを合わせれば完成だ。

炊飯器を見れば、もうそろそろ飯が炊きあがるようで、ちょうどいいタイミングでそれぞれ出来上がりそうな感じだった。完成までは、あと20分といったところだろう、テレビもちょうど切りよく終わりそうだし、いい感じじゃないか。

俺は、コンロの火を中火から弱火に弱める。あとはゆっくりと、底が焦げ付いたりしないように面倒を見てやるだけだ。少なくとも出来上がり時間のことで晴子さんの機嫌を損ねるようなことがなさそうで、とりあえず一安心だった。

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