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Prism Hearts  作者: 霧原真
第二章
28/222

夕暮れの肉屋 with 肉屋のおっちゃん

帰りのホームルームはつつがなく終了し、様々な問題を発生させた花見だったわけだが、とりあえず閉幕の運びと相成ったのだった。

正直に言ってしまえば、来年以降のイベント開催についてはよく話し合ってほしいと思う。いや、俺個人の意見としては開催しないことを進言させてほしい。

「まぁ、終わったな~」

それでもまぁ、ちゃんと終わったのだから良しとしようじゃないか。具体的な被害者も、急患として保健室に担ぎ込まれたり救急車の出動を要請したりするレベルのものはなかったわけだし、目をつむってもいいのかもしれない。

「向こう三年くらいは、花見しなくてもいいなぁ」

そして今、俺はてくてくと帰路についているところである。隣を歩いているのは霧子だけで、姐さんは風紀の見回りだかなんだかがあるといって行ってしまったし、志穂は道場に行かなきゃいかん、とか言ってダッシュで彼方へと消えてしまい、メイはそもそもからして家の方角が違うので、今この布陣なのだ。

「幸久君、お買い物、どこ行くの?」

「商店街でがんばってまけてもらうしかないな」

「? どうして?」

「所持金が、あんまりない」

俺の財布の中身は、今月のお小遣いの残りがかすかにあるだけである。いや、十分に学生生活を行なうことができる程度には入っているのだが、それでは買い物をするには心もとないというかなんというか。

「少なくともお札は一枚しかいない。こんな所持金でスーパーに突入すると、とても悲しい目に合う可能性がある」

具体的には、千円札が一枚、百円玉が二枚、五十円玉が二枚、十円玉が五枚、一円玉が七枚で1357円。これが今の俺の全ての所持金である。帰りに軽くどこかで買い食い、とかちょっとゲーセン行ってみようかな、という分には十分な金だが、これで五人分の夕食をつくる食材の買い出しをするというのはいささか無謀の観がある。

何をつくるかはまだ考えている途中だが、何をつくるにしてもやはりそれなりの金額になってしまうことが考えられ、下手に突入することはできないのだ。

「それなら、ちょっと時間かかるけど、商店街で拝み倒して安く済ませる方がいい」

「にゅぅ…、それなら広太君にお願いしたらいいんじゃないの? そうすれば帰ってすぐにお料理始められるし、お金のことも気にしないで済むと思うんだけど……」

「広太には買い物なんかよりも重要な任務があるんだ。下手に狩りだすわけにはいかない」

「重要な任務って、なに?」

「はっ? なに言ってるんだよ、晴子さんのご機嫌取りに決まってるだろ」

そもそも、俺が料理をつくる以前から晴子さんの機嫌が悪かったりしたらどうしようもないのだ。いや、俺の料理のせいで晴子さんの機嫌が悪くなったら、それは俺の不徳の致す限りのところなのだが、しかしそれ以前から機嫌が悪くては、俺にはなんともしがたいのだ。

それ故に、なんとか料理が出来上がるまでは機嫌よくしていてもらわなくては困る。というわけで、そこで広太の出番がやってくるのである。

「晴子さんが機嫌悪くしてたら、俺は料理がつくれる気がしない。だから広太にはがんばって晴子さんのご機嫌をとっていてもらわなくては困る。故に広太を買い出しに出させるわけにはいかない。分かるか?」

「わ、かった……?」

分かってないな、うん。霧子はどちらかというと晴子さんの不機嫌に晒されることが少ないから、その恐ろしさを今一つ理解していないのかもしれない。

「まぁ、ちょっと広太に電話するわ」

そして俺はポケットからケイタイを取り出すと自宅の番号にコールする。この時間なら間違いなく広太は家にいるだろうし、それが一番手っ取り早い。

ピ・ポ・パ・ポと番号をプッシュして、二度三度と通信音が聞こえたのち、ガチャリと受話器が上げられた。

『はい、三木でございます。幸久様、どうなさいましたか?』

「なぜ分かる……」

電話を通して聞こえたのは、当然ながら広太の声だった。しかしなぜ俺と確信して通話を始めているんだ、こいつは。

ちなみにうちに備え付けられている電話は旧型で、発信者通知なんていうハイテク機構は積みこまれていないので、受話器を取った瞬間には誰から電話がかかってきているのかは分からない寸法なのだが、しかし広太は今、俺の名前を口にした。まだ俺は一言も口をきいていないというのに、どうして分かった、エスパーか?

「俺だ」

『はい、幸久様。どうかなさいましたか? なにか、問題でも?』

「…、広太、頼みがある」

細かいことは気にしないことにした。きっとあれだよ、執事としての超感覚とか、研ぎ澄まされた感覚とか、そういう非科学的なあれだよ。

「今日、晴子さんから招集がかかって、俺は晩飯を天方さん家でつくることになった」

『分かりました、晴子様が御気分を害さないようにすればよろしいのですね?』

「あぁ、頼んだぞ。俺は出来るだけ早く買い物を済ませて戻るから、なんとかしておいてくれ」

『了解いたしました。幸久様のご期待に背かぬよう、全力で事に当らせていただきます』

「じゃあ、一時間もしないで戻るから、それまで頼む」

『はっ、仰せのままに』

広太との通話を終わらせると、俺はケイタイをポケットに押し込んでから財布を取り出し、いちおう中身を確認しておく。ふむ、やはり思った通りの金額しか入っていない。

仕方ないな、がんばって安く済ませるしかないよな。

「よし、霧子。商店街行くぞ」

「うん、そうだね」

「時に霧子、お前、今いくらもってる?」

「えっ? えと……、二三千円くらい?」

「……、このお金持ちめが」

「え…、にゅ…、ごめんなさい……」

「買い物してて、もし足りなくなったら貸してくれな。すぐ返すから」

「うん、いいよ。貸すなんて言わないで、ふつうにつかってくれてもいいのに」

「いや、それはダメだ。そういうのはよくない。友だちだからって金が絡むやりとりを適当にしてはいけない」

「にゅ、なら、すぐ返してね?」

「あぁ、そうするよ。まぁ、そもそもなんとかしてきっちり所持金の中で買い物するのが腕の見せどころなんだけどな」

「おねえちゃんもお買い物が上手なんだよね。あたしはそんなに上手にはできないから、すごいと思うよ」

「そうか? 別に大したことしてるわけじゃないんだけどなぁ。確かに晴子さんは不思議なくらいだけど、俺はそこまでじゃないって」

「そうかなぁ……?」

「そうだって。それよりも、何をつくるかの方が問題だろ。霧子は、何か食いたいものあるか?」

「食べたいものかぁ…、なんだろ。あっ、おねえちゃんはカレーが食べたいって言ってたよ、メールで」

「そうなのか? それじゃあカレーに決定だな。霧子はそれでいいか?」

「うん、幸久君のつくってくれるカレー、好き」

「そうかそうか、よしよし。好き嫌いしないでなんでもいっぱい食べるんだぞ」

「うん」

「そうすれば、背…、は、もうでっかくならなくていいから、スタイル良くなるぞ!」

「うん……」

「だいじょぶだって、きっとある朝目覚めたらボンキュッボンみたいなことになるからさ」

「なるかな……?」

「ほら、背だって、一夏開けたら雨後の筍的成長を遂げただろ? それと同じ感じで、いけるって」

「だと…、いいんだけどね……」

どうやらどこかしらで言葉の選択を間違えたらしく、ほんのわずかな間に霧子が真っ暗になってしまった。女の子は繊細な生き物だから気をつけて扱わなくてはならない、という晴子さんの教えは、まだ俺の中に浸透しきっていないのかもしれない。

いや、違うな。霧子が相手になると気が抜けて扱いへの配慮が途切れがちになるんだな。これは俺と霧子の間柄が友人を超えた家族の域に達していることを意味する事実であるが、しかしだからといって決して妥協してはならない。

晴子さんの教えは遂行しなくてはならず、それは相手が霧子だからと許されることではないのだ。それが弟子として俺に課された使命であり、同時に義務でもあるのだから。


…………


さて、そんなこんなで商店街である。

時間的には夕方の最大級の混雑のピークを少し外した感じで、お客の奥様方がそんなに多くなくて助かる。まぁ、どれだけ奥様がいても負けるわけにはいかない戦いがそこにあるのだが、しかし混雑していないのならばそれはそれで歓迎だった。

俺だって別に、夕方の混雑の熱気に巻き込まれたいと思っているわけじゃないし、同様に奥様方にもみくちゃにされたいとも思っていない。それに今日は霧子を連れているわけだし、そういう状況になられると非常に困る。

霧子を過密状態の人ごみに放りこむことは、出来ればしたくないのである。理由は…、まぁ、いろいろあるのだ、少女には。

「さて、カレーつくるとなると肉だな。あと野菜か。ルーは、カレー食いたいとか言うからにはあるんだろう」

「じゃあ、お肉屋さん?」

「そうだな、ここからなら肉屋の方が近い。そのあと八百屋に行って帰る感じだ」

「にゅ、お肉はなににするの?」

「何がいい?」

「んと、さっき唐揚げ食べたから、鶏肉じゃないのがいいかも」

「そっか…、じゃあ合挽きでも買ってくか。ひき肉でカレーつくるぞ」

「おねえちゃんも、前につくってたかも。たしか、なすのカレーだったよね」

「そうだな、イヤか?」

「そんなことないよ。おいしかったし、また食べたい」

「そっか、じゃあ決まりだ」

商店街にある肉屋『肉のセキグチ』。

その名の通り関口さんがやっている肉屋であり、当然その売りは肉である。我が家の貴重な動物性たんぱく質の調達先であり、肉を買う、となると決まって広太が訪れるという、ある意味三木家に馴染みの店なのである。

また、肉を売るだけではなくそれを使った総菜なども意外と充実していて、コロッケやトンカツ、メンチカツ辺りの定番どころを押さえつつ、野菜串やうずら卵串などの変わり種も提供しているという感じだったりする。

肉屋の総菜というのはなぜか美味いもので、奥様方が夕食の一品のために買っていったり、部活帰りの学園の運動部どもが空きっ腹に突っ込んでいったりと、売り上げはなかなかに好調なのだという。かくいう俺も、たまに気まぐれで学校帰りに買ってみたりするのだが。

ちなみに定休日は週の真ん中の水曜日と祝日で、それをうっかり忘れて水曜の学校帰りに肉を買いに来て立ち往生、という状況を俺は二度ほどやってしまっている。学習能力というものが、俺には欠如しているに違いない。

さらにちなみに、店主の関口さんの一人娘は俺たちの母校である中学の二年生らしく、来年はうちの学園を受験させようかと考えているらしい。店の手伝いなのか、奥のキッチンで揚げ物をしている姿を何度か見たことがあるが、なかなかに器量のよさそうな、シュッとした美少女である。

「毎度、大将。今日も肉、買いに来たぜ」

「おぉ~、ご主人! 毎度ありがとうね! 今日も、安くしとくよ!」

この威勢のいいおっちゃんが、店主である関口智信氏、当年とって37歳、脂の乗った働き盛りの好壮年である。俺とも広太とも、もはや顔馴染みの仲だ。

「おや、今日は坊やじゃなくてかわいいお嬢ちゃんといっしょなのかい? いや~、色男は辛いねぇ!」

「いやはは、色男とかじゃねぇって。あれだよ、娘だよ」

「娘かい! ずいぶんとでっけぇ娘さんがいるんだな、ご主人!」

「いや、冗談だよ。妹だよ」

「はは、残念だけど、その娘のことは知ってるんだなぁ。あれだろ、晴子ちゃんの、妹の、なんつったかなぁ…、おぅ、お名前なんつぅんだい、お嬢ちゃん」

「にゅ、あの…、天方、霧子です」

「おぉ~、そうだそうだ、霧子ちゃんだ。いやぁ、晴子ちゃんからはでっかくてご主人といっしょにいるのがそうだって聞いてたけど、なるほどなぁ…、たしかにでっかいなぁ」

「でっかくてもかわいいだろ。手ぇ出したらぶっ殺すぞ、大将」

「はっはっは! ご主人は冗談がきっついなぁ! おっちゃんには女房も娘もいるからな! 若い娘さんに手ぇ出してる暇なんて、ないってわけよ!」

「見た目より賢明だな、大将。俺を殺人犯にしないでくれて助かるぜ」

「なになに、ご主人の妹分に手ぇ出すことはしねぇさ。ところでよ、今日はなにをお求めだい。ご主人にはいっつも買ってもらってるからよ。気持ちくらいだけど、勉強させてもらうぜ?」

「いつも悪いね、大将。今日は合挽きを五人分な、カレーで使うんだよ。だから、どれくらいがいいかな…、どれくらいがいい?」

「そうだねぇ、あぁ~…、どれくらいかねぇ……。とりあえず200くらいいっとくかい?」

「もうちょい、いっとくか。250くらいで頼むわ」

「はいよ、ご主人。合挽き250ね」

「そういえば、大将。今日は娘さんはキッチンにいないんだな。新学期始まったばっかで忙しいのか?」

「あぁ、おっちゃんにはよく分からんけど、なんか忙しいんだとさ。なんていったかねぇ、部活でレギュラーになれそうとかなんとか、言ってたと思うよ」

「へぇ、すごいな。レギュラーなんてそうそうなれるもんじゃないんだろうに。そりゃ、大将も鼻高々だ」

「バスケットボールをやってるんだけどな、おっちゃんにはよく分からなくてよ。手で玉をバウンドさせて、投げて輪っかを通すんだよな」

「ほんとに最低限のことしか知らないんだな。大将、娘のやってることくらい、ちゃんと知ってた方がいいんじゃないのか?」

「いや~、おっちゃんは野球と相撲だけで精いっぱいだよ。他のスポーツは、難しくていけねぇな! はは!」

「娘と話しするためだと思って、がんばったらいいと思うけどな」

「そうしてみるよ、余裕があったらな。ほい、合挽き250な。100で155円で売ってるから、250は390円だけど、よし、350円でいいぞ」

「おぅ、大将、いつも悪いな」

「いいってことよ! これからも御贔屓にな、ご主人!」

「あっ、大将、ところでこの店、どれだけ通えばあの娘がもらえるんだ?」

「うちの娘は、いかにご主人とはいえども、あげちまうわけにはいかねぇなぁ! ははっ! まぁ、娘の方からどうしてもって言われたら、仕方ねぇがな! そんときは、涙をのんで、ご主人にくれてやることにするよ!」

「おぉ、そういうことなら、考えとくわ」

「ほんじゃな、ご主人!」

「また寄らせてもらうぜ、大将」

そうして、袋詰めの合挽き肉250グラムを受け取って財布の中から350円をちょうど取り出し、支払いを済ませる。気さくなおっちゃんなので、どうしても来るたびにどうでもいいことをぺちゃくちゃとしゃべくってしまうわけなのだが、それでいい関係をつくれればこうしてわずかにでもまけてくれるのだから御の字だ。

そして次は野菜なのだが、しかし野菜は近年高騰しているので、買うのが毎度毎度恐ろしくてならない。今日も、気をつけていかないとすさまじい値段になってしまうので十分に用心しなくては。

「幸久君は…、すごいね……」

「はっ? 何が?」

そして三歩ほど肉屋から離れたところで、霧子がポツリとそう言った。

「なにがって、あの、おしゃべりしてたから、お店の人と。あたしは、そんなことできないよ……」

「別にそんな大層なことじゃないだろ。近所のおっちゃんとしゃべくって、それでそのおっちゃんがたまたま肉屋だったっていうだけだよ」

「でも、すごいなぁ……」

なぜだろう。どうしてか、霧子から尊敬のまなざしで見つめられてしまった。大したことはしていないというのに、どうしてだろう。

俺は、普通に買い物しただけだろ……?

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