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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
27/222

実習室に戻るまで

「今日の晩飯……、なにつくろうかなぁ……。調理実習で少し食ったけど足りないし、こってりしててがっつり食える感じで揃えるか。餡かけチャーハンとか、焼肉丼とか…、あぁ、カレーもいいなぁ……」

目の前では花見の片付けがもはや終わろうとしており、けっきょく片付けにはまったく関与しなかった俺は、しかしそんな中、ぼんやりと晩飯をどうしたものか、と思いを巡らせていた。

みんなが片づけをしているというのに俺はなにもしない、という状況にもしばらくしたら慣れてきて、働いていないことへの罪悪感とか働かなくちゃいけないという義務感とか、いろんなものを感じなくなってきていた。人間、常にある程度は緊張を張りつめていないとすぐにダメになってしまうということかもしれない。

「くぁ……、なんか今さら眠くなってきた……」

しかし、ここでまた横になってしまうわけにはいかないのである。片付けが終わったら一回調理実習室に全員で集まって、それからそのままそこで帰りのホームルームをして現地解散、というのが今日のこれからの流れになっているのだ。

それに俺は片付けが終わった時点でメイを起こしてやって、調理実習室まで間違いなく連れて行ってやるという約束をしている。故に、俺はここで寝てしまうわけにはいかないのである。

「しかし、よく寝てるよなぁ…、起こすのかわいそうだし、どうしよう」

メイは、さっきまでと変わらず俺の脚を枕にすやすやと穏やかな寝息を漏らしており、まだ目を覚ましそうな感じはしない。俺の脚なんて硬くて寝心地が悪いだろうし、きっとまともに眠れないだろうと思っていたが、意外とそんなことはないのかもしれない。

「サラサラだよなぁ…、メイの髪」

まるで猫のように体を丸くしたままころん、と転がっているメイの髪を一房だけ掬い上げる。俺と似たような少し硬い髪質だがずっと素直で、まるで掬いあげた水のようにさらさらと手の中から零れ落ちてしまう。

髪が硬いと、みんな問答無用で俺みたいな感じになるものだと思っていたから、その感触はとても新鮮なものだった。硬めの毛質だけど素直だから、いつも変わらないきれいな二つ結びをつくることができるのだろう。髪質ゆえにいじくることを放棄せざるを得なかった俺とは違うのである、と言わざるを得ない。

「なんか気持ちいいな、この髪。なんでだろう」

それから少しの間だけメイの髪を撫で続けていたのだが、しかしいつまでもそんなことをしていてクラスの面々から置いてけぼりを喰らってしまうというのもバカらしいものがある。

とりあえず今はメイを起こすかどうか、ということについて考えよう。まだもう少し片付けに時間がかかるかもしれないが、それが終わったら実習室に行かなくてはならないのだ。決断しきれないまま、なにも決まらないままにタイムアウトになってしまうというのはどうにも愚かしいではないか。

別にそれをきっちり決断していなかったからと言って誰に何を言われるわけではないが、なんとなく、な?

あっ、ちなみに、さっきうっかり勢いで解いてしまったヘアゴムは俺の手首につけられており、小さな可愛らしいチャームが自分に不釣り合いすぎてたまらない。やっぱりこういうものは女の子が身につけてなんぼのものであり、俺のような野郎が所持していていいものではないのだ。

しかしまぁ、だからといってこんな状態からうまく二つ結びを作り直してやることができるほど俺は器用ではないので、無理せずメイが起きてから返してやることにしようと思う。

「三木っ! 片付けが終わったぞっ! 実習室に戻るんだっ!」

そして向こうの方から、よく通る姐さんの声が俺の耳に届く。どうやら俺がぼんやりしているうちに片づけ作業は終わってしまったようだ。

あぁ、もぅ、早いよ! 起こすの起こさないの考えてたら何もしないうちに時間になってしまったではないか。仕方ない、起こすのはかわいそうだから、起こさないまま実習室に連れて行ってやって、それからホームルームが始まるまでは寝かしておいて、始まったら起こすことにしよう。

「分かったぁ~! すぐに行くからぁ~!」

おそらく最後の荷物と思われるシートのロールを小脇に抱えている姐さんに、俺は大きく手を振ってそう告げる。おそらく姐さんはあの荷物を片づけてから、そのまま実習室に向かうだろうし、ここで待っていても仕方がないだろう。

それならば一足先になってしまうだろうが、俺たちは俺たちで実習室に向かうのがいい。行き違いになったり待ちぼうけになったりするよりはいいんじゃないかと思う。

「寝てる人を移動させるとき、一番楽なのはおんぶか」

まぁ、当然だな。というか、むしろそれ以外の方法が思いつかない。眠った霧子を輸送するときだっていつもおんぶだし、今回もそうするのがいいだろう。

おんぶは、実際のところ慣れたものだ。昔から幾度となく霧子を相手にやっているし、志穂は週に一回くらいは背中に飛びついてくるし、することへの恥ずかしさみたいなものはない。というか、ただ眠ってしまっているメイを実習室まで連れて行ってやるための手段としてそれを選択するわけで、恥ずかしさを覚えること自体がそもそも間違っているともいえるだろう。と、なんとか心に言い聞かせる。

よし、それじゃあおぶるとするか。

「ん…、しょっと」

掛け布団代わりにかけていた上着を回収して羽織ってから、目を覚ましてしまわないように両脇に手を差し入れて体を起こしてやる。首がガクッ! となってしまわないように気をつけながら座らせて、それからさっき保健室に連れて行ってやろうとしたときと同じようにして背中にメイを乗せてやる。

しかし、改めて思うが、軽いな。まぁ、この身長じゃこのくらいが普通なのかな? 志穂よりも軽いって、本当に大丈夫なのだろうか、とお節介にも心配になってきた。

「志穂も、もう行ってるみたいだな。確か、霧子はこっちじゃないところで片付けしてるんだったか」

よし、それなら行くか。もうこの場に残っているのは数人しかいないし、俺たちも急がないといかんわけである。

しかし、歩き始めてから数歩して、俺の背中でぐっすり眠っているはずのメイがもぞもぞと動く。っと、まだ起きそうもないと思っていたわけだが、しかしどうもあっという間に起きてしまったようだった。

「メイ、起きたか?」

「…、ぉ、にい…、ちゃん?」

「えっ?」

「…あ、れ……?」

メイは背中で目を覚ましたので今どんな表情をしているのか俺は見ることが出来ないが、しかしその声だけは間違いなく耳が捉えた。メイが声を出すのを聞くのは始業式の日以来だから、大して日にちが経っているわけではないが、なんとなく懐かしいような気がしてしまう。

っていうか、いま何て言ったんだろうか? メイが声を出したということに驚いてしまって、何を言ったのかなんてことにまで意識が回らなかった。

「ごめん、メイ、今、何て言った? びっくりして聴き落としちまった」

『幸久くん、あのね』

しかし俺が聞き返した言葉に応えたのは、メイ自身の言葉ではなくケイタイの液晶画面で、バックライトに照らされたその文字が俺の目の前に突き出されたのだった。やはりさっきのはちょっと言葉を発してしまったというだけで、ケイタイでのコミュニケーションという手段を放棄するという決断ではなかったらしい。

まぁ、そもそもメイがケイタイでしゃべっているのは一時の気まぐれではなく、何らか意志を持って為されているもので、簡単に止めたの止めないのできるものではないのかもしれないが。果たして昔からそうしていたのかどうかは分からないが、今そうしているのは、やはり何か意味があるのだろう。

「あぁ、どうした?」

『なんでもないの』

「そうなのか? 何でもないのか……。分かった、それならいいんだけどさ」

メイが何でもないって言うんなら、本当に何でもないかどうかは別にして、そうして曖昧にしようというのだから、少なからず触れないでほしいと思っている話題なのではないだろうか。それならば、触れないでほしいというところをわざわざ掘り返すことは、あまりすべきでないように思う。

『ちょっと、勘違いした』

「なるほどな、勘違いか。俺もよくする」

『ごめんね?』

「いいよ、別に。全然気にしてない」

寝起きの人間に勘違いされるのには、どちらかというと慣れている方だ。霧子を起こすのも、始めてからもう五年を数えようとしているし、その間に何度雪美さんやら晴子さんやらに勘違いされたことだろうか。

まぁ、最近ではもう勘違いされることもなくなってきたのも事実。おそらく、自分を起こしに来てくれる人間が俺以外にはもはや誰もいない、ということにようやく気付いてくれたに違いない。

「目、覚めたみたいだけど、もう降ろした方がいいか?」

『ちょっと頭痛いから、もうちょっとだけいい?』

「あぁ、気にしなくていいぜ。おんぶするのは慣れてるからな」

『重くない?』

「どっちかというと、軽過ぎて心配だな」

『重くないなら、よかった』

「ご飯いっぱい食べておっきくなるんだぞ?」

『うん』

まだ高校二年生だ、もしかしたらまだ成長できるかもしれないし、メイには成長することを諦めないでほしいものだ。霧子だって、中二のころだが、何か変な成長剤的な薬品でも飲ませたのではないか、と思うほどの急成長を見せていたわけだし、メイにだって可能性は大いにある。

一夏開けてみたら別人、みたいなことだって、起こらないとは限らないではないか。まぁ、こうして小さいままでもかわいいと思うし、無理に成長しなくちゃいけないとは思わないのだが。

「あっ、お~い、幸久く~ん」

「あれ、霧子?」

『うん、きりちゃん』

そして向こうの方から、なぜか霧子がやってくるのだった。志穂が向こうの方で片付けしてるよ、と言っていたと思うのだが、なんでだろうか。

もしかしてわざわざ俺たちの様子を見に来たのだろうか。まったく、さっさと実習室に行っていればいいものを、いらん気を回しおってに。

「霧子、どうかしたのか? 先に実習室行ってろよ」

「にゅ、幸久君とメイちゃん、ちょっと心配になっちゃって。だいじょぶかな、って」

「心配しなくても平気だって。俺は、まぁ、ちょっと頭痛いけど、もう平気だし、メイだって俺がちゃんと連れてくって」

「それならいいんだけど…、えと、いちおう、だよ」

「そうか、いちおうか。しかし、霧子が俺を心配するようになったんだな…、そりゃ、知らぬ間に時代も流れるってもんだぜ」

『きりちゃんやさしい』

「そうだな、心やさしいいい子に育ったもんだ」

「にゅ? 何のこと?」

「いや、俺も歳を取るもんだな、ってさ」

「幸久君…、同い年なのに……」

「細かいことはいいんだよ、霧子」

細かいことばっかり気にしていると俺みたいになるぞ、と言おうと思って、その自虐ネタはあまりに俺自身を傷つけると気づき寸でのところで言葉を止めた。何気ない日常会話で必要以上に己を傷つけることはあるまい。

そして、俺はメイがずり落ちてしまわないように背負いなおすと、霧子と並んで実習室を目指すのだった。

「んじゃ、霧子も迎えに来てくれたことだし、さっさと実習室に行くとすっか」

「うん、そうだね。メイちゃんは平気? 頭痛くない?」

『平気、きりちゃんは?』

「あたしも、今は平気だよ。ちょっとふらふらするけど、平気」

『あたしすぐ寝ちゃったから、平気だったか心配だった』

「霧子は、エラい元気だったよな。いつもよりもずっと元気だった」

「あ、あれは…、あの、あのね…、あたしも、しらないもん……」

「そうだな、うんうん、知らない知らない」

霧子は平気だと言っているが、しかしおそらく平気ではないだろう。それはその様子を見ていれば、俺レベルの霧子観察歴を持ってすれば分かる。メイの前だからがんばって元気そうに振舞っているのかもしれないが、端々でもうダメだった。

俺と二人になったとたんにダメになるに決まっている。お友だちの前で強がってお姉さんぶってみたいお年頃なのかもしれない。

「そ、そうだ! あ、あのね、幸久くん、おねえちゃんがね、今日うちに来なさいって言ってたよ? っていうか、メールが来てたの」

「あぁ、そうなのか。分かった、それじゃあ家に荷物置いたらすぐ行くって伝えといてくれ」

「今日は幸久君がご飯つくるって、メールに書いてあったんだけど……」

「分かった、了解。それじゃあ直接行った方がいいな。広太にも連絡しないと」

「あっ、あとね、お買い物もついでにしてきなさい、って」

「ん、了解。っていうかさ、なんで晴子さん、今日に限って俺に直接連絡してこなかったんだろうな。わざわざ霧子を介さなくてもだろうにさ」

「あのね、こないだまちがって幸久君の携帯のメールアドレス消しちゃったんだって。で、面倒だからまだ登録し直してないんだって……」

「そうか…、じゃあ、今日行ったらまた登録させてもらうか。晴子さんでも間違うことはあるもんな、仕方ないって」

『幸久くん、たいへん?』

「ん? いや、別に? よくあることだから」

さて、晴子さんの指令によって今日のこれ以降の予定が完全に破たんしたわけだが、まぁ、家で晩飯をつくるか天方家で晩飯をつくるかというだけの違いでしかないし、あるいはなにも変わらないのかもしれないが。

しかし買い物からしないといけないとはな、今日はちょっと厳しいぞ。手早く買い物をして、すばやく料理をつくらないと、晴子さんが機嫌を悪くしてしまうかもしれない。

というか、遅くとも八時には完成させないと晴子さんの機嫌が悪くなる以前に雪美さんの空腹が限界になってしまう。どちらにしても、今日の晩飯づくりは忙しくなりそうだった。

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