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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
26/222

働き者を眺めつつ

それから俺がちびちびと志穂から受け取ったオレンジジュースを飲んで、帰りながらでも一本買って帰ろうかと思うくらいハマりかかっていると、足元で横になっているメイがもぞっ、と身じろぎをした。

「あっ、メイ、起きたか?」

「…………」

すんなりと体を起こしたメイだったが俺を枕に眠っていたから寝覚めが悪いのか、ぼぉっとした目で虚空を見つめている。頭が痛いとかいうことは、パッと見た限りなさそうだし、単にまだ眠気が取れていないだけなのかもしれない。

そして、眠そうな目をぐしぐし擦りながら上着のポケットに手を突っ込み、中からケイタイを取り出すとパカッと開く。

『おきた』

起きぬけの言葉が液晶に浮かび、俺の目の前にずいっ、と差しだされた。

「おはよう、メイ」

『おはよ』

しかし、いくらケイタイマスターのメイといえど寝起きでのケイタイ操作は難儀するのか、指の動きがいつもより数段悪い。なんとなくだが、起きたばかりの霧子がむにゅむにゅ言っているのを見ているようで、非常に微笑ましい。

「もう片付けも終わりみたいだしさ、ちょっとだけここで休んでようぜ」

『さぼり?』

「いや、準備がんばったし、休憩だって。サボりじゃないよ」

『きゅうけい、うん』

カコッカコッとキー一つずつを確かめるように押しているメイというのも、なかなか珍しいなぁ、と俺はふと思った。いつもの操作が達者すぎるだけに、こうしておぼつかない手つきで操作しているのを見ると、そのかわいさを再確認することになりそうだ。

いや、いつもみたいに流麗なタッチで、まるで楽器で音楽を奏でるようにケイタイを操作している様というのもなかなかかっこいいと思うわけだが、しかしこういうギャップを見ることができるのも乙なもの、いうことだ。

「そういえばさ、さっき、俺が姐さんにやられた後、服着せてくれたり膝枕してくれたり、いろいろ迷惑かけたな。悪かった」

『へいき』

「そうか?」

『きにしないでいい』

「あぁ、分かった。それじゃ、お言葉に甘えて気にしないことにしよう」

目の前に突き出されるケイタイの液晶には、そのときの気持ちに合わせて様々な文字が並び、メイの言葉に代わって俺へと発せられる。しかしその文字はいつも同じ一定のフォントが用いられているわけで、元気でも疲れていても楽しくても悲しくても変わることはない。

普通に喋っていれば感じるような語調や声の変化が、メイの場合は見られず、そういう意味で言葉を発さないというのは一つ大きな不利益を背負っているともいえる。

しかし、だからといってメイの様子の変化がなにも感じられないというわけでは、決してない。言葉は発さなくても表情からは、いつもだいたいほとんど動かないが、どことなく変化を感じることができるのだ。今だって、瞼は開き切らずしぱしぱしているし、体はものすごくふらふらしているし、口元には欠伸が何度も浮かんでいる。

というか、そもそも漢字の変換が行なわれていないことからも、頭がまともに働いていないことがよく分かるだろう。メイは別に難しい漢字を無理に使いたい性質ではないが、自分の知っている常用漢字の範囲内ならばほぼ確実に変換するから、そう言ってもいいと思う。

少し頭が働いていないときはいくつも誤変換をし、まったく頭が働いていないときは変換すら放棄するというのは、概ね万人に通じることではないだろうか。

「メイ、もしかしてまだ眠いか?」

『うん、まだちょっとねむい』

「やっぱりな、それならまだ寝ててもいいぞ。片付け終わったら起こしてやるからさ」

『そうする、ありがと』

そう言ったメイは、さっき起き上がったのとはまったく逆の動きで、まるで録画した映像を逆回しするように、くてんと横になってしまうのだった。そしてまだよほど眠かったのか、再び俺の脚を枕にすいよすいよと寝息を立て始める。

まぁ、そうだよな。初めてのお料理だっていうのに二時間近くもぶっ通しで調理させられるし、花見が始まってみればよく分からないうちに酒を飲まされてバタンキューだし、疲れもするってもんだ。しかもそれが午前中四時間の授業を受けた後にやってきたんだ、そりゃ眠くもなるだろうよ。

こんな小さな体でよくがんばったもんだ、メイは偉いなぁ。同じように小さいが、志穂はバカみたいに元気がありあまってるし、そもそも花見が始まってからの面倒を引き起こしたのはあいつだから、そう易々と同情してやることはできない。

「お疲れ様、だな」

メイが手に握ったままのケイタイを閉じてポケットにしまってやってから、もう一度上着をかけてやる。こうして無防備に身を任せてくれるのは、さっきも思ったことだが、より親密な仲になることができているような気がしてなかなかうれしいものである。

しかし静かな時間が長く続くほど、俺の周囲には落ち着きにあふれた人間が多くはない。落ち着きのない友人の筆頭であり、一般的に見てもかなりの落ち着きのなさを誇る志穂が、再び俺たちの前を通りかかる。

「あり? メイメイ、まだねてるの?」

そして片付けの仕事を放棄して俺たちの方に駆けてくるのだった。俺が言えた義理ではないが、仕事をしろ。

「疲れてるんだよ、寝かせといてやれ」

「そっかぁ~、メイメイつかれたんだ~」

お前は疲れていないだろう、と言いたいがそこはぐっとこらえて、俺は志穂が隣に座ってくるのを受け入れた。さっきから見ていた限り、かなりの枚数のシートを運んでいたみたいだし、お疲れさんとねぎらってやるには十分な働きだったといえるだろう。

己のしでかしたことへの罪滅ぼしという意味もあるかもしれないが、まぁ、俺は真偽を確かめる前に気を失ったから本当に志穂が悪いのかどうかは知らないのだが。

「そういえば、霧子はどうした。志穂と姐さんが行ったり来たりしてるのは見えてたけど、霧子はさっき一回見てから全然見ないぞ」

「きりりんはね、あっちの方でおかたづけしてるの」

「あぁ、そうか、違うとこに配属になったのな。そりゃ見るわけないわな。っていうか、霧子がシートのロールなんて運べるわけないもんな」

「あたし、ゆっきぃの分まではこんでるよ、えらい?」

「あぁ、偉い偉い。この残ったオレンジジュースを恵んでやろう」

「くれるの? やったぁ~」

ちびちびと飲んでいたが故に、けっきょく全部は飲みきらなかった、コップになみなみ注がれていたオレンジジュースを志穂に手渡した。残りは半分ほどだが、まぁ、志穂なら一息で飲み干すことだろう。

「志穂、これで片付けは終わりなのか?」

「ん~、もうちょっとあるみたいだけど、きゅ~け~」

「俺の分も働くんじゃないのかよ。二人分の仕事をするんなら、休んでいる暇なんてないぞ」

「そうだぞ皆藤、片付けをしてくれ。人手が足りない」

勝手に休み始めた志穂を見かねた姐さんが、再び両脇にそれぞれ巨大なロールを抱えた状態でこちらに歩み寄ってくる。さっきから見ていて、志穂もたくさん運んではいるのだが、やはり姐さんが一番積極的に、一番多くの量を運んでいるようだった。

そのバイタリティ、というかやる気はどこから湧いてくるのだろう、と素直に不思議だった。普段から授業もがんばってるし、運動もがんばってるし、風紀委員もがんばってるし。いったいどうすればそんなにいろんなことをがんばることができるのだろうか。

俺はもはや襲い来る日常生活をなんとかこなしていくだけで精いっぱいで、新しく何かを開拓していこう、なんて考えられない。あっ、いや、友だちを増やそう、くらいは考えてるけど。

「まだシートがあれだけ残っているんだ。ただでさえシートの片づけは一枚当たりの人数がかかる。私たちは一度に二枚運べる貴重な人材なんだぞ、しっかり働いてくれないと時間がかかって仕方がないだろう」

「だってさ、志穂。さっさと行ってこい」

「えぇ~、でももういっぱい運んだもん」

「それじゃあ、お前が行かないんなら俺が行く。俺はまだ一枚も運んでないからな、運ぶ元気はある」

まぁ、姐さんたちのように一度に二枚運ぶなんてことはできないだろうが、一枚を一人で運ぶくらいはできるだろう。少なくとも、女の子たちのように一枚を二人や三人で運ぶよりは、効率よく仕事を進めることができる。

「志穂、ここで休んでるんだったらメイのこと頼んだぞ。寝てるんだから、静かにしてやれよ」

「えぇ~、ゆっきぃ、いっちゃうの?」

「行くに決まってるだろ。人手が足りないって言ってるのに、無視してこんなとこでのうのうとしてられるか」

「ゆっきぃの分はあたしがやるんだから、ゆっきぃはやすんでなきゃダメ~」

「俺の分もやるって、全然やってないだろ。そこにいて出来るのは俺の代わりに休むことだけだ」

「ゆっきぃはおやすみするの! りこたん、あたしもおかたづけする~」

「あぁ、そうしてくれ。あっちの方にも残っているから行ってやってほしい」

「は~い」

「がんばってこいよ~」

「いってきま~す! ゆっきぃはちゃんとおやすみしてないとダメだからね~!」

「あぁ、任せろ~」

そして志穂は、向こうの方でシートの片づけをしている一団に合流するべく駆けていくのだった。その速度は凄まじく、確かにあれだけ動く元気が残っているのなら俺の分まで片づけに奮闘することもできるだろう。いや、俺の分はおろか、きっとそれ以上に、三四人分くらいの働きをすることも夢ではあるまい。

姐さんのバイタリティもすごいと思うが、志穂の、あの底なしの体力と元気もどこからわいてくるのか疑問でならない。

よく考えたら志穂がくたびれている様子とかへばっている様子とかは見たことがないかもしれない。一年以上付き合いがあるというのに一度もそういうことにならないって、いったいどんな体力をしているんだ、と言いたい。あと落ち込んでいるところとか感情がマイナス方向に行っているのも、あまり見たことがない。やっぱり体力があると思考もポジティブになるものなのだろうか。

一度でいいから、志穂を延々走らせてみて、どれだけ走ったら疲労の色を見せてネガティブな方向に感情を走らせるかを確かめる実験をしてみたい。なんとなく面白い結果になりそうな気がするから、今度暇な休みの日にでもやってみようかと思う。

ちなみに、さっきは休憩と言っていたが、あれは疲れたからではなく片付けという作業に飽きてしまったからに他ならないのだ。一度でいいから志穂のやつをへとへとに疲れさせて、もうダメゆるして~、と言わせてみたいものだ。

まぁ、そのためには俺が志穂以上の体力を身につけることが必要になってくるわけで、そんなことができるはずもないのだが。夢の実現のために、とりあえず明日からジョギングでも初めてみようかな、と少しだけ思った。

「三木、どうだ、休んで少しは楽になったか?」

志穂を再び片付けの現場に駆りだした姐さんは、両脇に抱えた巨大な二つのロールをものともしない顔で俺に声をかけてくれる。姐さんだってあれだけ大変だったというのに、俺のことまで気にかけてくれるなんて、姐さんはすごいなぁ。

これ以上心配をかけないように、俺はしっかり休ませてもらって、できるだけ早く体調を良くしないといけない。あと、メイの面倒もちゃんと見てないとな。

「あぁ、だいぶ楽になった。頭の痛さも少し引いてきたし、起きてすぐに比べればずっと元気だ」

「そうか、それはよかった。片付けももうすぐ終わる。大事をとって休んでいろよ」

「は~い、分かりました」

「うむ、いい返事だ」

「いってらっしゃい、姐さん」

「あぁ、行ってくる」

それから姐さんは、抱えた荷物の負荷を感じさせないような確かな足取りでてくてくと片付けの任務を遂行していくのだった。姐さんはあぁやってひょいっと簡単に運んでいるが、きっとあれはかなり重いに違いない。

パワーキャラの持つ安定感には、少しだけ憧れている。

「まぁ、一朝一夕でパワーキャラにはなれないんだけどな。なぁ、メイ?」

しかしその問いかけに対する応えはなく、その代わりにメイはころん、と寝がえりを打った。かけていた上着が落ちてしまったので、俺はそれをもう一度かけ直してやるのだった。

「ふふっ、よく寝てるな」

もにょもにょと何か寝言を言っているようにも聞こえるが、しかしそれは聴きとることができるほど明瞭なものではなく、ただの音としてしか認識することしかできない。ふと、メイがどうしてケイタイで会話をするのだろう、と思ったが、しかしそれはきっとメイにとって大事なことなんだろう、とも思った。

自分から話してくれるのを待つのが、きっとこの場合は正解に違いない。もし無理に聞き出そうとしたならば、おそらく今以上に固く口を閉ざしてしまう気がする。

「いつか、教えてくれるかな……」

俺は、すーすーと穏やかな寝息を漏らすメイの頭にぽんっと手を置き、なんとなく頭の横で二つ縛りにしているゴムを外してみた。ぱさり、とさらさらの髪が俺の腿の上に広がった。

なんとなくだが、髪を解いた今のメイが昔の霧子に似ているかもしれない、と思った。

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