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Prism Hearts  作者: 霧原真
第二十章
221/222

借り物競走、レディー・ゴー

我が校の体育祭の借り物競走には、長い間守り引き継がれてきた一つの伝統がある。もちろんそれが他校に誇るべき某かであるとか、後生に受け継ぐべき某かであるとかいうことは、実際のところないのだが。

「三木くん、次は佐原さんの組ですよ」

「うぉー!! みなちゃん、がんばれ〜!!」

この借り物競走には毎年一枚だけ——各学年二レースずつ、各レース二十枚ずつ、つまり百二十枚のうちの一枚として「ハズレ」が用意されているのである。そんな確率ならば、用意するのは「アタリ」にしろよと思わなくもないが、しかし例年用意されるのはやっぱり「ハズレ」なのだ。

「京香ちゃん、騒ぎ過ぎちゃダメよ」

「痛って! 相葉、暴れんな!」

もちろん「ハズレ」といっても、引いたが最後即敗退といった類いのものではなく、言ってしまえば無茶ぶりの課題をクリアしないとゴールできない、みたいなものだ。なんというか、体育祭実行委員会たちの遊び心なんだと思う。

「三木くん,うちの京香ちゃんが本当に……」

「志穂の戯れ付きよりも痛くないから、気にすんな」

しかし、なんといっても百二十枚に一枚っきりの「ハズレ」だ、実のところそうそう毎年出るようなもんじゃない。事実去年の体育祭でも引かれることはなく、実行委員たちが露骨にがっかりしていたのをぼんやりと覚えている。

「みーなーちゃーんッ!!」

「きょ、京香さん、湊さんがどんどん身を縮こまらせて……」

だがそうなると、どうしたって「ハズレ」の存在を疑いたくもなってしまうのが人情というものだ。しかし「ハズレ」の課題は事前公示制——今年の課題は「異性にお姫様抱っこをして/されてトラック一周」だ、死ねというのか——が採用されているので、疑いながらも警戒感を高めずにはいられない。

「もう止めてやれよ、相葉。佐原があんなに恥ずかしそうにしてるんだぞ」

「う〜ん、湊ちゃんにも、あとで謝らないとかしら」

しかしながらこの借り物競走、なかなかに過酷なものでそう易々と借りられる物ばかりが書いてあるわけでもない。だから「ハズレ」を引かなければいいというだけのものではない——そのために昇降口が閉鎖されることもなく、教室へと向かうことが許されているのだ——わけで、本来は出場に際してある程度の覚悟を要する競技のはずなのだ。

「ほら、京香ちゃん、始まるから、静かに見よう、ね?」

「あっ!! うち、みなちゃんに貸せるもの全然なくない!?」

だっていうのに、霧子はどうして出場しているのだろか。自慢ではないが、霧子は抜群に運が悪い。しかも、こう、ここだけは絶対に外しちゃダメだよな! みたいなところで、絶妙に外してくる確率がとんでもなく高い。

これまで多くの人に迷惑をかけてきたようなことはない——俺に迷惑がかかっていないとは、申し訳ないが言うことは出来ない——ので、まあ、基本一人で事故ってるみたいな感じなのだが、ここで事故らないって、どうして思える? 俺には無理だ、不安でしょうがない。

「そうねぇ、あれだけ目立ってたら、京香ちゃんを頼ってこっち来ちゃうかもしれないわね」

「…だいじょぶだ、いっくん。うちが持ってるもんだったら、何でも貸したる……!!」

仮に、霧子が「ハズレ」を引いてしまったとしよう。そうするとどうなる、霧子がお姫様抱っこをする? 霧子がお姫様抱っこされる? 想像しただけで気が狂ってしまいそうだ。

落ち着け、冷静に考えろ。霧子がお姫様抱っこをするのは不可能だ、腕力が絶望的なまでに足りないじゃないか。霧子がだっこできるサイズ感の限界というのは、幼稚園児くらいのものだということを知らないわけでもあるまい。

となるとそれはただのだっこであって、お姫様抱っこなどではありえない。きっと志穂はおろかメイのことだって、お姫様抱っこなどできようはずもない。

「がんばれみなちゃん……!!」

「あら、湊ちゃん、ほんとにこっちに来てないかしら?」

それならば、霧子をお姫様だっこすることができる人間は、と考えれば、そりゃ別に普通にいくらでもいるに決まっている。霧子は背は高いが、しかしだからと体重が身長と比例してすんごいなんてことはない——だが霧子はここ数年身体測定の結果を俺に見せてくれないので、詳細な数値は分からないのだが——モデル体型スレンダー美少女なのである。

だから、それなりの体格のやつだったら霧子をお姫様だっこするなんて特別苦というわけでもないということを、ここで俺ははっきりと言っておく。

「ど、どうしましょう、貸せる物なんて、えと、鉢巻きとかヘアピンくらいしか……」

「三木くんは何か貸せるもの、持ってるかしら。…、三木くん? 聞こえてる?」

だが、霧子のことをお姫様だっこすることを、この俺が許すなどということがあり得るだろうか、いやあり得ない。もし同性同士ならば、そう、例えば姐さんが霧子のことをお姫様抱っこするというならば俺も、文句は、いや、想像してみたら麗しいな、ちょっと見たい。それともやってもらうことを提案したら、えも言えぬ顔をされた挙げ句にぶっ飛ばされるだろうか。

いや、ではなく、同性同士でするならば、そんなことに俺は怒りを差し向けることはないのだ。だが異性はダメだ。俺もダメだと思うし、霧子的にもムーリーだと思う。俺は兄としてそれを許すことができないし、霧子のメンタルにはちょっとハードル高すぎる。

「三木くんは考え事で忙しいみたいですから、そっとしておきましょう。たぶん、貸せる物は持ってないです」

「もしかしたら、男子の体操服、とかだったりして!! それならゆきくんでも貸せるよ!!」

「名案みたいにとんでもないこと考えたわね、京香ちゃん。ありえないと信じたいわ」

それならばなんだ、俺がするのか? 別にしても構わないのだが、それは俺の社会的死を意味しないだろうか、俺は明確に意味すると思う。実のところ、霧子はアレで男女を問わずファンが多い。美形だし、背が高くて遠目から見たらかっこいいと思う女子がたくさんいるそうだ。それに男子的にも、遠目から見たら近付き難いかっこいい系美人だし、憧れを抱くようなやつも少なからずいると聞く。

だから俺は、常に霧子ファンクラブから少なからぬ嫉妬の感情を向けられているし、そのことを自覚しているつもりだ。だから学校内で過剰に霧子にべたべたしない——当たり前だが、友人として常識的な範疇での接触はするに決まっている——のもその感情を慮ってのことである。

だというのに、いくら借り物競走の「ハズレ」の無茶ぶりという大義名分があったとして、そのような行為に及ぶことを奴らが看過するだろうか。週明けから、キツめの嫌がらせを受けるようになったりしないだろうか。

「きょ、京香ちゃんッ!!」

「おう、みなちゃんッ!!」

「三色ボールペン、持ってるッ!?」

「ないッ!!」

まだ見ぬ絶望的な未来に煩悶しながらも、すぐ近くから上がった大声に驚き微かに浮上した俺の意識が目撃したのは、対峙する相葉と佐原の姿だった。相葉は快活に、満面の笑顔でサムズアップを突き付けている。佐原はその背に衝撃と絶望とを背負い、今にも膝から崩れ落ちそうに見えた。

「京香ちゃん…、信じてたのにッ……!!」

まるで少女マンガの世界観だ。うっすらと浮かべた涙を散らしながら、ダッとお手本みたいな女の子走りで校舎へと駆けていく佐原の背景には、存在しないはずの花びらが確かに舞い散っていた。

「すまねえ、みなちゃん……!」

「三色ボールペンなんて、今日日使ってるやついるか?」

「中学生のときはなんとなく使ってましたけど、赤ばっかりなくなるのがバカらしくていつの間にか使わなくなりましたね」

「あたしは、小六のとき、十色くらい変えられるすごい太いペン持ってたわ。今思えば、あんなに太かったら使いづらいわよね」

「微妙に高いくせにすぐぶっ壊れるんだよな、ああいうのって。インクも少ないからすぐなくなるし、よく考えると不便だよな」

「あー、うちはね、ロケット鉛筆、好きだったんよ」

「京香ちゃんったら、何度も何度も抜いて入れてってするから、すぐに何個か失くしちゃって大変だったのよね……。しょっちゅうお母様に怒られてたっけ……」

「ロケット鉛筆とか、懐かしいな。おばさんが、買ってくれなくてな…、鉛筆をしっかりお使いください! って、理不尽に怒られたもんだぜ」

もちろん、俺は定期的に小遣いを与えられていたから、それを使って買えばいいだけの話だったのだが、当時転がして遊ぶ鉛筆が全盛期でそれの購入にほぼ全ての資金を充てていたこともあって、ロケット鉛筆なんぞ買っている場合ではなかったのだ。それに鉛筆だけでなく消しゴムだのキャップだのと、どんどん新商品が出ることもあって俺の資金繰りは完全に火の車の様相を呈し、広太の小遣いも借りて——そういえばまだ返してない気がするが、別に広太が文句言ってくるわけじゃないし、いいか——戦力増強に勤しんだのも今は懐かしい。

そして当然、俺が広太の小遣いを私利私欲のために徴発しているということはおばさんにバレる——広太がチクったとも考えづらいから、どうしてかは全くの謎だ——ことになる。その結果、執事でありながら主を御することが出来ず、浪費を看過したという罪により広太はおばさんとの百本組み手を通してぼこぼこにされ、数日間学校を休んだ。

広太は、そのときから一切小遣いを俺に貸してくれなくなり、ついでに武術の訓練に一層熱を入れて打ち込んでいくことになった。そうだ、広太がいつ寝てるのか分からなくなってきたのは、この頃からだったか。だんだん人間じゃなくなっていく——いや、執事を人間の尺度で図ってはいけないということなのか——な、あいつ。

「しかし、お題が三色ボールペンってのも災難だな、佐原」

「先生方だったらお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんから、あるとしたら本部席のところじゃないですかね。綾先生、借り物競走に向けてこっそりいろいろ用意しとくって言ってた気がしますし」

「それじゃあ湊ちゃん、まっすぐ本部の綾先生のところに行けばよかったんじゃない」

「みなちゃん、うちのことそんなに信頼してくれてたってことなんな。うち、感動だ」

「いや、本当に頼るべきは姐さんだ。姐さんなら、大抵のことはなんとかしてくれる。三色ボールペンだって持ってるに違いないし、万が一持っていないとしても確実にそれがある場所を教えてくれるはずだぜ」

「三木くんの紀子ちゃんへの信頼度が高すぎて、ちょっと怖いわね」

「いや、姐さんは何よりも頼りになる、これは世界の真実だ。東堂も姐さんを信じよう、それが俺たちに唯一許された救いなんだ、なあ、そうだろう」

「三木くん、それは信頼っていう意味の信じるではなく、信仰という意味での信じるでは……?」

「そんな細かいこと、気にすんなって、幸村。どうだ、幸村も姐さんを信じよう、な!」

「し、信頼はしてますし、あつく信用しています。それだけで、勘弁してください、お願いします……」

「あたしも、信仰するのは京香ちゃんだけで十分かしら」

「なに、東堂は相葉を信仰しているのか。それは、知らなかったとはいえ悪いことをした。許してくれ、二心を抱くべきではないからな」

「わかってくれてうれしいわ、三木くん」

「あたしだけ、話についていけないんですが、これは、あの、あたしがおかしいんでしょうか」

「いっくん!! みなちゃん戻ってきたぞ!!」

「よかった、無事に借りられたのね。順位も、そんなに悪くなさそうだわ」

「幸村はどうだ、姐さんを信じてみないか」

「あの、三木くん、目が、怖いんですが……」

「怖くなんかない、心配するな。姐さんを信じるとテストの成績が上がるし、体調もよくなる。脚だって速くなるし身体のキレも良くなる。生活リズムが整って血行も良くなる、肌も綺麗になる、いいことずくめなんだ」

「衣玖さん、助けて」

「みなちゃん、よくがんばった。感動したッ!!」

「ほんと、あたしも感動したわ」

「衣玖さん……」

「姐さんを信じよう、幸村!」

なんて、そんなことをしているうちに佐原のレースの時間切れの号砲が打ち鳴らされた。佐原は無事ゴールを果たし、全体順位は七人中四位だったからまずまず——ちなみに時間切れでゴールできないと得点はゼロだ——といったところだろう。

そしてそうなると、次は霧子のレースということになるのだが、俺の覚悟はまだ完了されていないというのが現実だ。もちろん、霧子が「ハズレ」なんぞ引かず無事に普通のお題をゲットしてくれればいい——そうなれば先生たちの持ち込んだ道具たちが霧子を敗北の憂き目から掬い上げることだろう——というだけのこと。

だが、やはりどうしても俺には懸念があった。「ハズレ」など、霧子が引かずに誰が引くのかということだ。霧子が引くためにこそ存在しているいっても、あるいはそれについては間違いではないのかもしれないと思ってしまうほど、「ハズレ」というのは霧子に打って付けの言葉だ。

頼むから、引かないでくれ。運命を、ねじ伏せろ、霧子。

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