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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
22/222

逃げ損ないと攻め損ない

「志穂~!! どこだ~!!」

もしかして志穂がみんなに酒を飲ませているのではないか、という疑念が、ここにあった。それは確かに確証があるわけではないし、あるいは志穂はなにも悪くない、という可能性も大いにある。しかし志穂は怪しい、怪しすぎる。

今まであいつがやってきた行動から顧みても、ここは志穂が無条件に怪しいのである。こういう普通だったらやらないようなことを、その場の勢いと思いつきで、無思慮に実行してしまうのが志穂なのだ。

いや、もしかしたら、それが酒だと理解しないままに飲み飲ませているのかもしれない。最近の酒の缶は、なんとなくかわいらしくキレイで、志穂が興味を持ちそうな感じをしていることだしな。

「絶対に許さないからな、志穂~!!」

しかし悪いのは、志穂だけということは決してないのであるまい。むしろ悪いのは酒を曖昧に管理していた教師たちであり、志穂がそれと気づいてしまうようなところに置いてしまう迂闊さなのだ。

というか、そもそも学生の手が届いてしまうところに酒を放置するな、というのだ。別に酒を飲むんじゃないとまでは言わないが、しかしそれだとしても、教師としてそのあたりの管理は徹底してほしい。

本当に、何のために教師という職が存在していると思っているんだろうか。頼むから未成年の飲酒を助長するようなことをしないでくれ。

「子どもがお酒なんて、飲んでいいわけないだろうが!! って、あれっ!? なにこれ!?」

俺はガバッと立ち上がり、そして志穂を発見・誅殺するために周囲へと目線を走らせる。そして不意の出来事にあまりに驚いて、うっかりいつもならしないようなリアクションを取ってしまった。

不意の出来事とは何か、といえば、それは目の前に思ってもみなかった光景が広がっていたのである。それは、思ってもみないというよりもむしろ信じられない、いや、ありえない光景が広がっていた。

もう、俺が寝てる間に何が起こった、とでも言いたいような、そんな惨状がそこには広がっていたのである。

「えっ……、あれ!? なに、えと、えっ!? 何がどうなってる感じなんですか!?」

あまりに狼狽し、あまりに焦った結果、俺は自分でも気づかぬ間に丁寧語になってしまっていた。普段はそんな言葉を使わないだけに、自分で感じる違和感が半端ではないのである。いや、そんなことはどうでもよくて。

辺りを見回しても、残念ながら今ここでなにが起こっているのかを教えてくれそうな人の影はない。というよりもむしろ、正気を保っている人の影すらも見えない。おそらくこの場でもっとも正常の思考状態を保っているのは俺だ。

「どうしよう、どうしたらいいか分からん……」

俺の周りは、さっきはメイしか目に入っていなかったのだが、落ち着いて見るとかなりの数の女の子がぐったりと倒れ込んでいた。倒れているのは、だいたいクラスの半分くらいだろうか。

しかし残りの半分は、倒れてこそいなかったものの、様子がおかしい。やけに陽気そうにしていたり、やけに陰気そうにしていたり、いつも教室で見せるような姿ではない、頭の中の大事なねじが何本かズレてしまったかのような、そんなおかしさを感じさせた。

さっき俺に料理を食べさせてくれた弓倉たちの班が座っているシートでは、遠藤が倒れている横で、いつもならそういうのを放っておけない質の高見が体育座りで膝に顔を埋めているし、弓倉はなにもいないはずの虚空に向かって何かを延々と話しかけているようだし、榎木はけらけらと異常なほど愉快そうに、まるで小さな子どものようにペタンと地面の腰を下ろし伸ばした足をぱたぱたとさせながら笑い続けている。

「……、逃げる……?」

状況は、限りなく危険である。おそらく俺がこれまでに遭遇した中でも一二を争うほどの、俺の力ではどうすることもできない最悪の状況だった。このままここにいても、俺はなにも出来ない。いや、何らか改善していくことが出来ないどころか、まさに刻一刻と悪化していくこの状況を、悪くなっていくままに傍観していることしかできず、現状維持すらもできないのだ。

脳内にエマージェンシーコールが鳴り響き、パトランプが真っ赤な光線をまき散らしながらくるくると回っているような、そんなイメージ。どうすることが正解なのか、ということは、もはや考えるまでもない。

逃亡。

事ここに至っては、状況から逃亡することこそが正解。

ここは一回退いて、しっかりとした状況の認識を行ない、そしてそれに対してある程度以上の対策を組み上げて、なにがどう問題なのかという意識とそれにどう取り組んでいくのかという姿勢をしっかり立て直す必要がある。

しかしその判断よりも速く、脳ではなく脊髄が反応する。反射的に、俺はこの状況から最短距離での逃走を謀った。メイを担ぎ直すとか、犯人の最有力候補である志穂を見つけ出して説教するとか、そんなことを考えている場合ではなかった。

俺はこの状況の中に巻き込まれてはいけない。もし俺がここに取り込まれてしまえば、この状況を解決してくれるものが、時間以外になくなってしまうではないか。

だから、逃げなくてはいけない。

「っ!? なんだ!?」

俺は逃げ出した。

しかし、逃げることはできなかった。

そこまで決意しておきながら、俺は走り出すことができなかった。いや、走り出すことはおろか、一歩を踏むことすら、足がほんの少し前にやることすらできなかったのである。

足が、なぜかやけに重かった。それはまるで重しをつけられたようであり、あるいは何かが絡みついているようでもあった。

その異常の原因を求めて、俺はすばやく振り返り背後に視線を飛ばす。何が絡みついているのかを、俺は確かめなくてはならない。そしてそれを振り払い、俺は逃げ出さなくてはならないのである。

足を両手でつかみ、そこに両腕を絡みつけていたのは、ある意味で案の定というかなんというか、志穂と霧子だった。右足は志穂に、左足は霧子に、それぞれがまるで抱きしめられるように捕えられていた。

決してそのことを予想していたわけではないが、正直に言うと、なんとなくそんな気はしていた。実はさっき辺りを見回して一瞬放心したとき、絡みつかれたような感覚が、なくはなかったのだ。

そして相手が志穂と霧子なので、普段はあまりそうとは捉えていないとはいえ、女の子相手に力に任せて引きはがすというわけにもいかないのである。男たるもの女の子は大切にするものであり、怪我をさせること、暴力を振るうことなど論外の問題外なのだ。

こんなときにでも、そんな晴子さんの洗脳に強迫的に従ってしまう自分がもどかしい。女の子は何においても大事に、丁寧に扱うものであり、最恵待遇を与えてしかるべきなのだ。故にここでも、いや、いかなる場合においても、雑に扱うことなど許されないのである。

「ねぇねぇねぇねぇ~!! ゆっきぃはぁ、ゆっきぃはぁ!! どこにぃ、いっくのっかなぁ~? どっこ、いっく、のぉ~?」

「きゃはははははははははは!! 幸久くぅん、あのねぇ? これ、このジュースがねぇ、あのねぇ? おいしぃんだよぉ~? すっごくおいしいからねぇ、あのねぇ? 幸久くんにも~、一口わけてあげるねぇ?」

志穂は、ついさっきまで足にしがみついていたと思ったのに、今はすごい勢いで俺自身を登攀しており、すでに背中に貼りつくところまで至っている。もう間もなく登頂に成功し、俺の肩の上に昇り切るだろうことは明らかである。

というか、服をつかむでもなく、まるで幹を抱きかかえろようにして樹を昇るサルのおもちゃのようにわしわしと昇られる日が来るとは思わなかった。間違っても、俺はそうやって遊ぶ遊具ではない。

そしてそれ以上に気になるのはそのテンションである。いつもだって十分うるさいというのに、今はそれ以上にやかましい。それに、まるでスキップをするように、口から飛び出す言葉たちがぴょんぴょんと跳ねている感じもする。

霧子は何をしているかといえば、俺の脚を押さえるように抱きついていた姿勢からふらふらと立ち上がると、ふらふらと新しい缶に手を伸ばし、ふらふらと定まらない視点と指でプルトップを開けようとして、かすっ! かすっ! と何度も失敗している。

というか、そんなにいつ転ぶかも分からんくらいふらふらしているのなら、黙って座っていてくれと言いたいのだが、その目の据わり具合がどうにも晴子さんがキレているときのものに見えてきてしまい、それを口に出して言うことはできない。

性格とか見た目とか行動とか、常日頃似ていない姉妹だよなぁ、とひそかに思っていたわけだが、まさかこんなところで決定的な酷似点を発見してしまうとは思わなかった。この表情をされたら、きっと俺は相手が霧子だと分かっていても逆らうことができないだろう。いや、霧子は晴子さんとは違うんだ、そんなことはしない。

「きゃはははは! あ~か~な~い~!! きゃはははははははっ!!」

「ゆっきぃゆっきぃ~、ねぇねぇ、どこいくの~? どこいくの~?」

「お、降りろ! 志穂! 俺は平和な国に行くんだ! お前を連れていくことはできないんだ!!」

「きゃは、幸久くん、にゅ~、もうちょっとでねぇ? 開くとねぇ? 思うの~。だからねぇ? もうちょっとだけ、待っててねぇ~?」

「いい! いらない! 俺は、いらないから!!」

「これは、いらないのぉ? じゃあこれ? それとも、これなのぉ? どの缶がいいのか、にゅ~、分からないよぉ~」

「どの缶とかじゃないの! 俺はそれ全部、いらないんだって! 俺は飲まないし、霧子ももう飲まないの!!」

「きゃはははははははは!! 幸久くんってば、変なのぉ!! 変なこと言ってるぅ!! きゃはははははは!!」

「ゆっきぃゆっきぃ!! あたしもついてっていい? ついてっていいの? ついてっていいよね? ね?」

「誰もついてこないの! 俺一人じゃないと平和じゃないじゃん!! 平和じゃなくなるじゃん!!」

「へ~わって、なぁにぃ~?」

「おかしなことが起こらないってことだよ!!」

逃げようとしたものの、しかし一度足を止められてしまうともう一度走り出そうとするのはなかなか難しいことで、しかも志穂をくっつけたまま逃げては何の解決にもならないので、俺は足が解放されたにも関わらずここから逃げ出すことができずにいた。

志穂をはがして捨てることもできず、こんな霧子をここに放置していってはいけない気もして、俺は逃げることができない。しかし逃げない以上ここにいなくてはならないわけで、正直それもかなりイヤだったりする。

しかし、やばい、なんだ…、これは。本当にもう、この場にはまともな話ができそうな人は一人もいないのだろうか。いや、そうだ、姐さんはどこだ? 未成年者が飲酒するというのは、当然法律で禁じられていることであり

、それによって校則がどうとかこうとか言う以前に姐さんだりしない。姐さんは風紀委員として校則を守ることは当然として、同時に日本人として社会のルールを遵守している。アルコールなんて飲んでいないに決まっているのだ。

しかしそれならば、姐さんはどこにいるというのだろうか。酒を飲んでいないというのならば、俺と同じようにどうすることもできなくて立ち尽くしている可能性もあるのである。しかし姐さんならば、そんなもたつき方などはしていないのかもしれないわけで、もう解決に向かって動いているかもしれない。

「志穂、姐さんどこにいるか、分かるか?」

「りこたんが~、どこにいるか~?」

「そうだ、姐さんはもうとっくにここにはいないかもしれないけど、一応、な」

「りこたんはね~、えっとね~」

しかし、志穂に聞きながらも周囲を見回してみるのだが、それらしき人影はどこにも見えてこないのだった。ただ俺が見つけたのは、俺たちのシートの端のほうでしくしくと泣きながら、高見と同じような体勢で膝を抱えながらちびちびとでかい缶をあおっている少女だけだった。

まぁ、これは姐さんではあるまい。この娘は、姐さんに似ているような気もするけど、雰囲気が違いすぎるし、きっと違う娘なんだろうな。

「んとね~、そこ~」

俺がいくらまさかな、と思っていても、しかし志穂が指差したのはその女の子だった。もしかして本当に、ここに座ってるのが、姐さんなんですか……?

それから俺は、とにかく確証とかはないわけなのだが、認めるのは怖いが、その体育座りの女の子に、意を決して話しかけることにする。

「あ…、姐、さん…、なのかな?」

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