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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十九章
218/222

最終的にどういうこと?

体育祭——人の子の退屈なお遊戯会だ——とやらの喧噪が遠くに聞こえる。

対峙するこの女、如何に狂人といえど、無為無策に飛びかかってくるようなことはなかった。あるいは俺様と全うに闘争せんとする思考そのものが狂気なのであればこそ、その姿こそまさしく狂気と称すべきなのかもしれないが。

「神よりの慈悲だ、一分間だけ猶予を与える、恩賜とせよ」

「ありがたいことです。それでは、こちらは十全に備えさせて頂きましょう」

そういって、女は悠々と“支度”とやらを始める。息を大きく吸い、停め、そして大きく吐き出す。どのような意味があるかは知ったことではないが、それを数度繰り返す。

退屈な時間だ。彼我の距離は一間半程度といったところ、人の子ならば二歩か三歩かといった具合か。俺様ならば、一息だ。仮に今打懸れば、完全に不意をつくことができるに間違いない。

しかしそのようなことをする必要はない。俺様は完全無欠に勝利するのみだからだ。人の子が積み上げた歴史も、削り出した方法論も、磨き上げた技術も、すべては理想の存在たる神の似姿に過ぎない。

「おい、長く掛けるなよ。俺様が降りると幸久に負担がかかるのだ」

「おや、遅滞戦術が有効とは。興味深いお話ですね、神様」

偽は真を刺すに足りぬ。

似姿は所詮似姿に過ぎない、模造品が真品を勝ることはあり得ないのだ。

故に、必然的に勝利する。苦戦することすらありえないし、あってはならない。

真っすぐ行って、一撃のもと粉砕する以外にない。だから俺様は、ただそうする。

「もちろん、そのようなものに興味はありません。これは戦争ではなく、闘争でしかないのですから。戦争ならば勝利のために何でもしますが、闘争には無粋でしょう」

もちろんならばこそ、俺様が人の子の闘争に介入することは望まれるべきことではない。これまで何度も幸久は喧嘩——俺様に言わせればじゃれ合いのようなものだ——をしてきたが、それに介入したことは一度もない。

しかし今回ばかりは、俺様にとっては片手でひょいと片付けられる問題でしかないが、幸久には荷が重い。痛めつけられる程度ならば、まあ、やんちゃの範疇であろうが、猛獣のやんちゃに巻き込まれては流石の幸久であっても冗談では済むまい。

「さあ、お待たせしました。万端整いましてございます。存分に死合いましょう」

「ふん、願い下げだ。死なぬ程度に、殺す」

それに、これは、少しは骨がありそうだ。一度で壊れて“遊べなく”なってしまうようなこともあるまい。一撃手痛いものを喰らわせるくらいしても問題はあるまい。

「さっさと来い」

「神と死合う貴重な機会、存分に血肉とさせて頂きます」

瞬間、気配が変わった。放たれる強い圧力、伝播する殺意に自然笑みが沸き上がる。

堂に入った殺しの気配。少なくとも、数人は殺している。いや、十数人か、あるいは。

まさしく兵の風合い、これまで浴びた血化粧は見えずとも隠せず、色濃く匂い立つ。

多く血を吸った刀は妖へと至るというが、これこそまさにそのもの。人の子が、この時代に放っていい殺気ではない。

「生まれる時代を、誤ったな、女」

「九重流は戦場でしか呼吸が出来ない。五百年ばかりの遅参、忸怩たる思いです」

そして、女は大きく腰を落とし、拳を握り込む。

「おしゃべりはもう充分ですね。始めましょう、いざッ!!」

発声と同時、女の足元で地面が浅く割れ、爆ぜる。そして土煙を背景に残し、視界から消える。

疑念も思考も不要、腰の回転で左脚を蹴り上げて足元の砂を散らしながら、空間を撫ぜるように足刀をぶち込んだ。

両の手の平が蹴りに添えられる感触。蹴撃の爆発力を逸らされ、脚の直線に沿った回転運動に任せた高速移動。一瞬の背中合わせの後、後ろを取られる。

瞬く間に二間近くを跳ぶ極まった技術とそれを裏打ちする超人的な脚力。そしてその勢いを、地面に撃ち込む一歩を楔に次の一手へと転じる平衡感覚と強靭な体幹。

そんなものは、

「関係ないな」

背面跳びを、無反動で打つ。

出足は脚の下を潜り、頭の上を通り過ぎながら捻りを入れて着地すれば、こうも容易く今度はこちらが後ろを取る。

空転した左下段蹴りを振り切った女は、その身の捻れを右の拳に全て乗せて一挙に解放、こちらの顔面へ跳ね上がりながらの上げ突きを放つ。

受けてもいいが、癪だ。痛みを幸久に残すのも、どうにも馬鹿らしい。

打点は人中。お手本通り、まともな人間ならば回避などできない、そもそも反応限界を超えているだろう。

だが、それがどうした。上体を沈み込ませながら、軸をわずかにズラす。

「呵々、見えておる、見えておる」

ヂッ!! 拳、そして細い腕が耳の先を擦る。

次の瞬間、目の前には女の細面。

終わりだ。死ね。自然と、口角が吊り上がる。報いを受けろ、その綺麗な面を苦痛に歪めて、のたうち回れ。

「一手、くれてやる。ありがたく思え」

ようやく、俺様は右手に拳を握り、次の瞬間それを女の脇腹にぶち込んだ。

みしみしと、その身を護る鋼のような筋肉の向こう側であばら骨の砕き折れる振動を拳の骨を通じて感じる。

そして打点を基点に、身体をくの字に折って女は吹き飛び体育館の外壁にその身を打ち付けた。

「勉強になったろう。給金代わりに肋の三本ばかり貰い受けた」

立ち上がることもなかろう。助けでも呼んでやろうか、

「つよい、…つよい、つよい強いですね、あなた」

しかし、女はよろめきながらも立ち上がる。

「一本取られました、これは参った」

なかなか肝が据わっている、気に入った。と言いたいところだが、やはり気に食わないという方が強いのが本心だ。

「さあ、もう一本」

「巫山戯るな、何百本やったってお前に勝ち目なんてない」

「勝ちの目がない? だからどうしたというのです、あなたとの闘争は私を更なる高みに導く」

やはり、狂人。しかし、狂気がなくては極まることはできないということか。

「さあ、さあッ!!」

「…またいずれな」

「つれないですね、楽しみに…待つとしましょう……」

そして女は、体育館の壁に背を預けると、そのままズルズルとへたり込む。

俺様と、人の身でありながら数合交わし合ったのだ。もう一本、もう一本と稚児のようにねだられてはたまらない。

「あなたのことは…、逃がしません…、必ずや、私たちの、仲間に……」

「貢ぎ物でも持って出直して来い、不信心者が。神をなんと心得る、地に這い蹲って崇め奉るところからやり直せ」

終わりだ、少し時間がかかったが。

「身体を返すぞ、幸久」


…………


「はっ? 勝ってる?」

意識を取り戻すと、俺は勝利していた。いや、勝利しているかどうかはもはや分からない。とりあえず俺は立っていて、お師匠さんは体育館の壁を背に力無く細い息を吐いている。

あるいはそう、俺が気絶している間に姐さんが通りがかかって助けてくれたとか。…、あり得る!!

「…、だ、大丈夫ですか!!」

アホなことを考えている場合か、馬鹿野郎。

「やれやれ…、参りました……」

ここまで強いとは。言いながら、お師匠さんは弱々しく笑う。

「怪我、してます?」

「ええ、左の肋を…、三本ばかり砕かれました……」

いったいだれに。俺に? マジか?

「やはり、少年、貴方は育てがいがありそうです……」

「きゅ、救急車を!!」

「結構です、我々にとって骨折などかすり傷と同じです…、骨接ぎをして、寝ていれば治ります……」

「んなアホな」

「私はこれで帰ります、馬鹿弟子に言伝を頼みます…、」

「ししょ〜!!」

「…、来てしまいましたね……」

声に目を向ける。駆けてくるのは志穂で、その後ろをパタパタと草履を鳴らして追ってくるのはかりんさんだ。

志穂は俺には一瞥もくれずお師匠さんの下へとすっ飛んでいく。それを見て俺は、これが付き合いの長さの差ってやつかと、場違いなショックを受けたりもするのだが。

「幸久様!!」

俺の方にはかりんさんが来てくれたからいいんだ。てか、広太はどうした広太は、ピンチには察知して駆けつけてくれないと困るんだが。

「生きてるよ、心配ないって」

「意識は、幸久様の意識は、はっきりしてらっしゃいますか!!」

「さっきまで少し意識なかったけど、今は平気」

「意識を、無くされて…あの方が……」

「? とりあえず、元気だよ。心配ない」

「それでしたら、いいのですが……」

へなへなと、かりんさんは俺の腕に縋りながらへたり込んでしまう。心配かけたんだ、なんて当たり前のことを考える俺の心は申し訳なさ半分、心配してくれた嬉しさ半分といったところか。

どうしてか、俺はあまり目に見える形で心配してもらうことが少ないからな。こうしてしっかりと心配してくれるかりんさんは、とてもありがたい。

「馬鹿弟子、偉大なる師匠に肩を貸す栄誉に浴しなさい」

「けがしたの、ししょ〜。だから言ったじゃ〜ん、ゆっきぃちょ〜つよいって」

「まったく、人間同士の闘いをするのかと思っていたのですが、何と闘ってしまったのか。…帰って治療に専念しますので、門まで送りなさい」

「は〜い。ゆっきぃ、またあとでね〜」

まるで怪我などしていないかのような振る舞いで、お師匠さんはすくっと立ち上がると、小さくぺこりと頭を下げる。

「またお会いする機会を、楽しみにしています、少年。貴方には、きっと道場に入ってもらいます、必ずやです」

「か、考えさせてください……」

お師匠さんはそれだけ言うと、鋭い眼光を残して志穂と連れ立って校門に向かって去っていった。

そうして、体育館裏には俺たち二人だけが残される。

「広太は?」

「心配はないです、幸久様なら問題なく対処されます、と」

「流石は広太、これが忠義ってやつか」

「信頼してらっしゃるのです、幸久様以上に幸久様のことを」

「かりんさんを見習って、俺に優しくなってほしいもんだ」

「広太さんは、ビデオ担当ですからね、きちんと撮らないと幸久様が晴子様に叱られてしまいます」

「ま、じつはそれなんだよな。何故か俺が怒られるんだよなぁ」

なんて言いながら、俺はかりんさんと連れ立って自分たちのシートへと戻る。

しかし平気な顔をして、平気だと言っておきながら、実のところ心中はまったく平気ではなかった。そもそものところ、俺は気を失ったのだ、それが果たして大丈夫だと言っていいのだろうか。

人間必ずしも意識を失うことがあり得ないかと言えば、まあ、もちろんそれこそあり得ないわけだが。何かの切っ掛け、例えば強い衝撃を受けたりすれば意識も無くすだろう。しかし今回、そんなことは無かったのだから、何かおかしいことがあるのではないかと思う。

あと気になるのは、俺は気を失ったのにお師匠さんと戦い、あまつさえ勝利していた。意識を持っていたって勝ち目などなかったのだ、なんで意識を失った状態で勝つことができているのだ。もうそれに関しては意味不明というしかない。

「あのさ、かりんさん、一つ聞きたいことがあるんだけど」

「? はい、幸久様」

あまり聞いたことのない話だが、思い当たる節があるとすると、それは二重人格っていうやつだ。なんかこう、俺の中に俺以外の人格がある、みたいなやつだということは知っているが、詳しいことは実のところまったく知らなかったりする。

しかしテレビとかネットとかの聞きかじりだと、幼少期のトラウマがどうとか虐待経験がどうとか原因になることがあるらしい。そう考えると、両親は物心つく前に事故死? しているし、小さいときから庄司の家で世話になってるし、そこに原因があるって言われると、もしかしたらそうかもなんて思ってしまったりするわけだが。

「例えばの話なんだけど、意識をなくすと眠っていた力が解放されてすごい強くなるとか」

あとはこう、なんか、霊的な、心霊現象的なアレなんじゃないかとか思っちゃうわけなのだが。もちろん? 俺はそういうの信じてないし? 信じると本当になっちゃうとかあるし? いや、ビビってるわけじゃないし、そもそもあり得ないと思ってるだけだし。

でも仮にそういうものが存在して、原因がそれだとすると、俺が霊に憑かれやすいっていうことになるんだろうか。でも俺、霊感みたいなの全然ないし、そういう現象が起こったのを見たこともない。テレビの心霊特集とかで心霊写真見てもだいたいよく分からないし。

そんな俺が霊的なアレで超強くなるとかある? ないだろ、んなこと。それこそマンガの世界じゃないか。

「も、物語のようですね、まるで」

それか、そう、そうだ。火事場の馬鹿力的なやつじゃないか。

よくある、「必死になりすぎて覚えてない」みたいなやつ。

ランナーズハイみたいなさ、世界新記録出した人が「競技中の記憶がないんです」ってコメントするのとか見たことあるじゃん。それだそれ。

当然、そういうのはこれまでの練習が前提であって、身体が覚えてる一番いい動きをがむしゃらに発揮した結果だってのも分かってる。でもそれが一番それっぽいじゃないか。

「だ、だよねえ」

俺もそう思う。言いながら、吐き出しかけた溜め息を呑み込んで、代わりに軽く髪を掻き混ぜた。

まあ、二重人格とか、心霊現象とかだと、こわいってだけなんだけどさ。

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