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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十九章
217/222

死んだかと思った、マジで

意識が戻る。

もう二度と戻らないものと思ったもんだから、目を開けるというのを思い出すのに数瞬を費やした。

「あ」

一つ音を発してみて。

そうか。開いた目に周囲の光景が飛び込んできた。

「お」

試しに音を続けてみながら、光景を認識する。

辺りの状況は、変わらない。変わらず体育祭は開催されているし、俺がいるのは観客席で、すぐそこにお師匠さんがいて、かりんさんがいて、志穂が筋トレしていて、弥生さんが寝こけている。

時間の経過も、ほとんどないらしい。しかし状況の変化は感じ取ることができた。

「ぃ」

かりんさんはどうしてか、どこかホッとしたような顔をしている。

志穂はほんの少しだけ、さっきよりも息苦しそうにしている。

そして、お師匠さんはついさっきの正座の体勢から大きく一歩こちらに踏み出し、その顔は目と鼻の先にあり、拳は俺の顔の横——左耳を掠る位置だ、もしそこに俺の顔があったとしたら、顔面の中心を綺麗に撃ち抜く位置である——で硬く握られていた。

「生きてた……」

なんとか意味のある言葉を呟いた。本能的な思考から零れた言葉は、あるいは俺が本当に死んでしまうのではと危惧していたからなのか。

「ほう」

そして、小さな、ほんの小さな声は、俺の耳にしか届かなかったかもしれない。

「私の本気の殺意を、回避しますか」

言葉の意味は、俺にはわからなかった。

「当たったはず、だったのですが」

「は、外してくれた、んですよね」

「そのようなことをするはずがありません。私は貴方を殺すと言った、その言葉を違えるはずがありません」

なに言ってんだ、この人。馬鹿言ってんじゃねえ。

「もちろん、本気の拳ではありません。いざとなれば寸止めをするつもりでした。そのようなことをすれば、本当にどのような状況であっても貴方を殺してしまうことになりますから。ですが、殺す気で打った、しかしそれを貴方は回避した、」

「ん、な、アホな」

「おめでとう、貴方は合格です。必ずや、“戦力”となって頂きます」

意味が分からない。自分で外しておいて、なに言ってやがる。

「あとは現在の戦闘力の測定をしましょう。馬鹿弟子では相手になりませんから、私が直接お相手します」

よし、逃げよう。逃げる以外、出来ることなんてない。とにかく、

「馬鹿弟子、クラスに戻り、彼が少し戻れないと伝えてきなさい」

「ほえ? きんトレは?」

「終わりです、これから少年の測定に入ります」

いいから走れ!!

「おや、少年、追いかけっこをお望みですか」

一歩でも距離を取れ。一歩でも遠くに逃げろ。

「よし、三つ数えたら追いかけます。懸命に走るといいでしょう」

この頭のおかしい人の、視界に入らないところまで。

「さあ、地の果てまでお逃げなさい。ちょうどいいところで捕まえて差し上げます。」

どこでもいい、ここではないところに行かなくては。


…………


休日とはいえ、俺には学校指定の体操着で敷地外に飛び出していく胆力はなかったし、校外で全き意味での他人に迷惑をかける度胸も存在しなかった。

とりあえず誰もいないところとして、いの一番に思いついた体育館の裏へと俺は全速力で駆けてきた。さっきの徒競走よりも必死に走ったからだろうか、もしこのペースであのとき走れていたら一等賞は間違いなかっただろうに。

「…はぁ……はぁ、はぁ……」

外壁に背を預け、なんとかして息を整える。ちょうどいいところに水道があった、コックを捻って貪るように噴き出す水に口を寄せる。

少し落ち着いた。しかしながらどうしてここに来てしまったのだろうと、今さらながらに考える。

あまりにあんまりな展開に、パニクってしまったことを否定するつもりはない。本当ならば、こういう状況になったとき、真っ先に目指すべきなのは広太との合流だ。あいつは頭も切れるが、実際のところ腕っ節も立つ。こういうときにとにかく役に立つ男なのだ。

そしてやはり姐さんに助けを求めるべきだったと後悔。思いつかなかったのだからどうしようもないけれど友人として、風紀委員として、力になってくれたに違いないというのに。

「くそ……」

「手間をかけさせない子は好きですよ」

声。

顔を上げると、すぐそこにお師匠さんがいた。息を切らした様子もなければ、疲労した様子もない。

追いつかれた。一瞬だ。そもそも、逃げ切れると思ってはいなかったけれど、ここまで瞬く間だとは。

「体力はいまいちですね。走る早さは並、体操作は及第点といったところ。これらに関しては、鍛えればそれなりに伸びるものですが」

にこりと、浮かべる笑顔はどこまでもお美しいが、しかしそれが今の俺にとっては恐ろしことこの上ない。

「しかし、」

安い造りの撥条仕掛けのように、俺は弾かれるように跳ね起きる。

逃げることは不可能、数秒もせずに捕獲されるに違いない。説得することも不可能だろう、話を聞いてくれる段階は既に終わったという顔をしているし、弁が立つことを認めて矛を収めてくれるタイプの人間でもなさそうだ。

それならばどうすると、俺は一つしか存在しない答えから目を逸らし続けることしかできない。

「先ほどの攻撃に対する反応といなしから考えると、不自然ですね。まるで別人」

降伏したって聞いてもらえるはずがない、それが通用するならこうなる前に終わっていたはずの話なのだから。仲間を呼んで囲む、これも今さらできない、方法がないではないか。それに囲んだところで素人の囲みが通用するレベルの人じゃないのは分かり切っていることだ。

「素人の喧嘩殺法の動きではなかった。しかし武道を修めているという話は聞いていない。となると、怪異憑きか何かでしょうか?」

意味の分からない問いに答える余裕はない。それならば、いったいどうすればいい。

その問いへの答えは、一番簡単に出すことができ、また一番初めに俺が心中で却下したものだった。

「まあ、拳を交えれば分かること。先ほどと同じ、必死におなりなさい。今度は殺しはしません、五体満足で帰すことをお約束しますよ」

簡単な話だ。戦えばいい。そして負ければいい。誰が見ているわけでもないし、そもそも勝ち目があるはずがないのだから、ちょっと、…かなり痛い目を見るだけで済む話だ。

「さあ、構えなさい。素人なりに矜持はあるでしょう、元不良、元番長の三木幸久さん」

矜持なんてない。俺は成り行きで不良と呼ばれ、成り行きで番長になっただけの人間だ。

「数年前は喧嘩上等で鳴らしたのでしょう。三十人殺しの異名が泣きますよ」

「そんな名前は、…もういらねえんですよ」

俺は品行方正だった。ただちょっと、中二病で正義漢ぶっちゃうことが多くて、悪を見過ごせなかったり天誅を下したりしていた。だからそう、少し品行方正すぎた、かもしれない。そうして学校中の不良をまとめてしばき倒してたら、いつの間にか番長になっちゃっただけだ。

そして、番長になったらなったで他校から喧嘩吹っかけられるようになって、火の粉の払い方を暴力以外に知らなかったから、喧嘩上等みたいになっていただけなんだ。俺から喧嘩を仕掛けたことは一回もないんだ、本当だ、信じてくれ。

「今は料理好きの好青年で通ってるんだ」

「それは素晴らしい。“道場通いの”という言葉も、その名にならば足しても不自然ではない」

そして、言葉のやり取りはこれで終わりだと、お師匠さんは軽く腰を落として構えをつくる。

俺も不格好ながら構えのようなものをつくってみる。一応武芸百般に通じる庄司のおばさんから軽く手ほどきを受けている身、それっぽい位置に握った拳を持ち上げて、それっぽい感じに両足にスタンスを取る。

「それでは始めましょう。打懸ってきてもらって構わないといいたいところですが、緊張するでしょう。私から一手、指南仕りましょう」

言って、ず、と摺り足が土を強く撫ぜる。刹那、二メートルばかりあったはずの彼我の距離が、一息で潰える。下方から円弧を描く掌底がこちらの脇腹を穿つ。

一瞬考えることすらせず、後ろに身体全てを無理矢理投げ出して逃亡と同義の回避を打つ。さっきの拳に比べれば圧倒的に遅い、まるで演舞だ。

まるで、めっちゃうまい人のしている格ゲーキャラの動きだ。決められた動きを精確に入力されたコマンドに従ってしているとしか考えられない。

まるで宣言されるようにイメージを押し付けられた。あの掌底、小さく避ければ竜巻のような無限コンボに巻き込まれ、いずれ捉まって逃亡不能状態でボコられてK.O.。防御すれば掴まれて合気で投げられた後に寝技戦へ移行、一瞬で関節を極められて二三カ所外された辺りで許してもらえるかどうか。

故にそもそもの接近拒否しかあり得ない。

「おめでとう、少年。これで貴方はレベル0に合格です。今のは初歩の無限連鎖組み手の起こり手です、知識や経験なく巻き込まれることを嫌った判断、まさしく正着手」

「あり、がとうございます。それではこれで終了と」

「ご安心を、レベルは3まであります。それでは次に参りましょう」

まったくありがたくない。ふざけるなと叫びたいが、しかしそんなことをしていては何時飛んでくるかも分からない次の手で詰んでお終いだ。

「しかし、越えられるであろう障害ほど退屈な物もありません。どうです、もういっそレベル3から試すというのは。えぇ、それがいい、そうしましょう」

「え、いや、え、どういうこと?」

問い返したが、しかしそれはもうお師匠さんの中では結論されてしまったようで、返答はない。マジか、会話していると見せかけて会話などしていなかったってことなのか。

「さあ、参りましょう。楽しい、楽しいですね、こういうのが一番楽しいんです。殺す気で遊んでいいのであれば、この上ないのですけれどねぇ!!」

「俺は楽しくないですけどねぇ!!」

構えの取り直しもほどほどに、今度はさっきとは打って変わって直線的な動き。速度に限れば数倍、動作の精度もそう変わりなく、殺さないなんていいながら、素人がまともに受けたら一撃で必殺の一撃に違いないのは間違いない。

当然俺には見えない。いや、真っ直ぐに迫ってきていて、一度や二度凌いだくらいで連撃が止みそうもないのは感じれば分かること。お師匠さんにとってみれば試しの、お遊びの一手かもしれないけれど、素人には必殺であることに変わりはない。

「まだまだ底の底があるでしょう!!」

言いながら、今度は拳だ。一撃ごとに殺しを乗せている、マジか。

なんて思いながら。今度こそ回避も逃避も出来そうにない。

謝って済むことなら頭を地面に減り込ませてでも謝ったことだろう。

しかし今回ばかりはそういう話ではないのだからどうしようもない。

迫る拳撃に目が眩む。ここまで暴力に対してどうしようもなかったことは、これまでの人生でもそう多い経験ではない。

庄司のおばさん。晴子さん。志穂。姐さん。そして、お師匠さん。

みんな女性による暴力だというのがどこか俺らしいと苦笑しながら、しかし同時に意識が暗転する。

てか、いくらなんでも意識飛び過ぎじゃない? 平気か、俺。


…………


まるで児戯。さすがにそう評するには洗練された身のこなし。人の子が生み出し、磨いた技術に少なからぬ敬意を表する。

「されど、俺様の域には及ばぬな」

胸骨付近に突き出された右拳は左の手の平でつかみ取る。問答無用、膂力で撃ち抜こうとする女の振る舞いは、面倒ではあるが小指で外へと逸らしながら流すように凌ぐ。

「小娘にしてはやりよるがなァッ!!」

凌いだ流れのまま右で袖を吊り、抉り込んだ左を叩き込むように襟を取る。

「往ねェッ!!」

上体を捻りながら軽く腰で跳ね上げてやれば首から落ちる流れだ。このまま死んでくれれば重畳というもの。

「柔ならば私とて解する技量。それでは殺せません」

投げの、巻き込む微かな回転が、あちらに呑まれる。不快、こちらの掴みを強引に外すと受け身一発で苦も難もなく立ち上がる。

「…ちっ、じゃじゃ馬が」

少しだけ距離が開く。改めて構え直す。

「女難が見えておったが、やはりこうして見えるか。幸久め、どうしようもない男だ」

「…“入り”ましたね」

そして、女の目の色が変わる。

「いったいどのようなものかは存じませぬが、あなたが先ほど私の拳をいなした某か」

怖れや、怯えなどは見られない。むしろ、これこそを望んでいたと言いたげだ。

「少なくともそれだけは、相違ありませんね?」

咄嗟に幸久から意識を奪い取ったが、これは正解だったようだ。

「抜かせ、女。不敬である、」

久しぶりに、真っ直ぐに不快な存在だ。神を神として、異能を異能として認識しながら、そこに対決の構図を除くことなく押し付けてくるとは。

「俺様は七星の守護たる神霊であるぞ。その拳もはや収めんとも許容せん」

神を神と知って、その上でなお戦いを挑むものには、超越者として強く灸を据えてやらねばならない。それは、この世界にその位相に生きるものとして定められてより生業としてきたことに相違ない。

「その身命を捧げ、我が荒ぶりを鎮める覚悟を持て」

「神ですか、光栄ですね」

しかしなにより。

「我が身この一身を以てして神殺し足り得るか、興味があります」

この女は、幸久に危害を加えた。

「宜しく一手、御指南願いますッ……!!」

「呵々、狂人がッ……!!」

容赦をせぬことに呵責を覚えぬことに、我にとってこれ以上の言葉は存在しない。ならばこそ、死なぬ程度に痛めつけるに吝かでないぞ、人の子。

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