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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十九章
210/222

志穂ちゃんの走り

「それでさ、これから競技がどんどん進んでいくわけなんだけど、結局俺はどのタイミングで席を離れたらいいの?」

開会式が終わってから、速やかに自分のクラスの応援席に戻った俺たちは、競技の準備が着々と進んでいくグラウンドの様子を眺めながらぼんやりと時を過ごしていた。

「幸久くん、最初はしぃちゃんの100メートル走なんだから、応援してあげないとだよ」

当分参加競技のない霧子はといえば、もうすっかり応援しかする気がないようで、どこからか取り出したお手製のちっちゃな応援旗をぱたぱたと振りながらやる気満々の様相を呈している。ていうかなんだあの旗、かわいいじゃねぇか。

「はい、幸久くんの分もつくってきたから、使ってね」

「いや、つくってきたからじゃねぇよ。なんで俺がこんなかわいいグッズを使って応援しないといけないんだよ。そんな女々しい真似ができるか」

「え〜、せっかくつくってきたのにぃ…」

「他のやつに使わせてやれ、俺は使わん」

「みんなにはみんなの分があるの。だからこれは幸久くんの分なの」

はいどうぞ。半ば押し付けるように、霧子は俺の手の中にその応援旗、両面カラー印刷の小さく切った印刷紙をストローに巻き付けるという簡素なつくりの一品を握らせる。もうこういう感じのときは俺が受け取るまで意見をねじ込み続けるだろうし、なんというか、無駄な抵抗というか、徒労と言うべきなのかもしれない。

「はいはい、わかったわかった、受け取るから。んで、この旗振って応援すりゃいいのか?」

「うん、そうだよ。がんばって応援しようね! じゃああたし、みんなに旗配ってくるから!」

「なんだそのどこから湧いてきたのか分からんなぞのやる気は、て、わぉ…、おいおい霧子ちゃん、なんだいその大きなビニール袋は…、どこに持ってたんだいそんなもの…」

「あのね、もし当日持ってくるのを忘れちゃったら大変だから、ちょっとずつお家でつくって、それをロッカーの中に入れておいたの。おねえちゃんといっしょに、いっぱいつくったんだからね!」

「はぁ〜、よく晴子さんが手伝ってくれたな、そんな面倒そうなこと。晴子さんが一番嫌いなタイプの作業だろ、それ」

「でもね、なんだか、現実逃避になるからって、いっぱい手伝ってくれたよ? あたしもびっくりなんだけど」

「現実逃避? 晴子さんが現実逃避なんて珍しいな。立ちはだかる現実に唾を吐いて蹴倒して進むタイプなのに」

「でもそのおかげでみんなの分がつくれたから、みんなでお揃いで応援できるよ!」

「うむ、そうか、非常に女子的な思考回路でたいへんけっこう。ほれ、そんじゃ、始まる前にちゃっちゃと配ってきちゃいな。自信作なんだろ?」

「うん、行ってくるね! 幸久くんもいっしょに配る?」

「いやいや、勘弁してくれ。霧子ちゃんの自信作は、自分一人で配っておいで。俺は最前で志穂を応援してるから」

「それじゃ、みんなに配ったらすぐにあたしも行くね!」

「おう、そうしろそうしろ」

そうして、霧子ちゃんは、諸国漫遊の旅に出かけてしまったので、俺はといえば霧子お手製の応援旗を自分の座席の背もたれと金属パイプの間に打っ刺しておいて、ひっそりと応援にいそしむとするか。

今回の運動会における100メートル走とはトラック走ではなく、完全なるストレートコースでのレースとなっている。まぁ、たった100メートルしかないのだ、わざわざ400メートルトラックの四分の一だけを走るというのも格好がつかないからな。

ちょうどトラックの中を斜めに駆け抜けるような、そういうコースが描かれているわけだ。走行距離を精確にするためにスタート位置がずれているということもなく、非常に分かり易い勝負の構図がある。

「志穂は、こういうのが一番得意だからな。あいつは、バカだから、こういうのじゃないとダメなんだ」

これなら勝っただろ。俺はぶつぶつと、端から見れば危ない人のように呟きながら、状況の分析を行なう。

「み、三木くん、お隣座って、よろしいか?」

「はいはい、どうぞ、がら空きだよ。て、なんだ、どなたかと思えば脇本殿ではござらんか。どうなすったのじゃ、その珍妙なしゃべり口は」

「み、三木くんこそ、なんでそんな武士しゃべりなんですか?」

「いや、特に意味は。変な感じで話しかけられたから、変な感じで返さないといけないルールなのかと思って」

「す、すいません、特にそういうわけでは…、ただその、ちょっと緊張しただけで」

「なんで緊張?」

俺と比較的よくしゃべるだろうに。俺は、となりの座席にちょこんと腰かけている、やや挙動不審気味のクラスメイトを眺めながら、そんなことをぼんやりとつぶやいた。

「ぃ、いや、やっぱり、いつもとシチュエーションが違うっていうか…?」

俺のお隣さんとして座っている女の子。彼女はいわゆるクラスメイトで、お名前は脇本結花ワキモト ユイカといいます。陸上部で短距離走を専門にやっているとかいないとか聞いたことがある、んだけど。

「っていうか、なんでここにいんの? 短距離専門じゃなかったけ?」

「あ、はい、じゃなくて、うん、そうだよ。うち、短距離専門のスプリンターなんよ」

「じゃあなんでこんなところにいる。走ってこいよ」

「残念、陸上部は出られる競技数に制限があるから、うちは100メートルと200メートルには出ないんよ。うちが出るんは、400メートルだけなんよね」

「なんだ、400メートルって、俺と同じか」

「しょーじき、400メートルって得意の距離じゃないんけど、スプリンターチームの面子と被ってないし、無難に勝てるんでない? と思ってるんよ」

「そうか、正直、陸上部にはきっちり勝ってもらって点数を稼いでもらわないとニッチもサッチも行かないから、無難で勝ってくれ、頼むから」

「三木くんも、400メートルっしょ? 勝算ありだったりするん?」

「俺は、別に、普通に走るだけだな。勝てたら勝てただし、勝てなかったら勝てなかっただ。悪いけど、こちとら走るのが得意ってわけでもないんだ」

「いやぁ、まぁ、組み合わせ次第って感じ? じゃないの? 圧倒的な差でもない限り、勝負は水物っしょ」

「勝負は水物、か。ま、運動会だもんな、まさにどうなるか分かったもんじゃない。ところで、あそこに他の選手に圧倒的な差をつけることのできる化け物がいるんだけど、解説の脇本さん、どう思われます?」

「え〜、あ〜、志穂ちゃんのこと? そうさねぇ、志穂ちゃんは、なんかこう、理不尽な存在、だから。悲しいけど凡人の、いや、才能人であったとしても、そうそう並べないよね」

「化け物級だからな、あいつ。もう努力とか才能とかそういうものでなんとかなる世界じゃないだろ、あいつの生きてる世界は」

「天賦の才っつぅ言葉すらもかすむっしょ、あれは。神域だよ、空しいけどさ」

「神域に踏み込む身体能力でも、地獄級のバカだからな、あいつ。バランスとれてるよ」

「まぁ、志穂ちゃんについては無難に、というか圧倒的に勝つっしょ。それだけは、このレースの中で間違いなく起こること。ストレートの100メートル走で志穂ちゃんと張り合えるスプリンターは、残念だけどこの学校には一人もいないっしょ」

「そんなにか、やっぱり。あいつ、水の上とか走りそうだし、やばいとは思ってたんだよ…」

「え、水の上、走れんの? マジ?」

「いや、走れそうな気がするってだけだよ。実際に走ってるところは見たことないって」

「グリーンバジリスクみたいにすれば、可能っすけどね」

「もしやるとしたら、その原理しかないよな。アメンボじゃねぇんだから。あ、志穂だ」

「え、どこどこ? 志穂ちゃんどこいんの?」

「あそこ、ほら、茅場もいるだろ」

「お〜、ほんとだ。コンディションよさそ〜。いい感じに入れ込んでるなぁ〜」

「さすが、わかるか。俺にはわからんが」

「志穂ちゃん、第三レースだね。こりゃ見物だよ」

「でも、志穂の走りってけっこうめちゃくちゃだぜ? 専門でやってるやつから見て面白いもんなのか?」

「ん〜、なんていうのかなぁ…、志穂ちゃんの走りって、走るための走りじゃない感じがする、んだよね。あのさ、現代の走りって、所謂走るための走りなのさ。それから外れた走りだから面白いっていうのが、あたしの感覚としての面白さなのよさ。わかる?」

「分からん」

「ん〜とね、つまりさ、日本で陸上競技って言われてるスポーツってさ、日本で生まれたものじゃないってのは、理解できるよね? 古代オリンピックってやつでやってた、もろもろに端を発してるっていうかさ」

「あぁ、デカスロン的な、そういう意味で?」

「そそ、そういう意味で考えると、そこから出ている競技としての走りって、あんまり日本古来のものにはないんだよね。昔から存在してる歩法とか走法とかって、基本的に武道に関するものじゃない?」

「そう、かも、しれない、うむ」

「ま、あたしも詳しく調べたってわけじゃないし、感覚的な話なんだけど。あたしたちがやってる走法とかって、つまりは西洋由来なんだよ。でも志穂ちゃんのってそれとは全然違う、なんかこう、和風で? 武の気配を感じる? 走り方だから、おもしろいんよ? うん」

「は〜、なるほど、わからん。でもたしかにそう言われてみたら、なんかあいつの走り方変だよな」

「一つ一つは非効率的な動きに見えるんだけど、でも全体的に見たらすごい効率がいいんだよ。武士っていうよりも、忍者とかの方が近い感じするなぁ。森の中とかでもへっちゃらでスピード落ちないなぁって感じ」

「忍者か、あながち間違ってない感覚はある……」

「そういうあんまり見たことなくて、これからも見られそうもないものを見られるのって、楽しいと思わない?」

「まぁ、志穂の行動自体が面白いっていうのは、まったく否定できない。遠目から見てるのが一番楽しいよ、あいつは」

「三木くんは、傍観者じゃいられないからねぇ。志穂ちゃんの一等のお気にだもんね」

「幸か不幸か、なんで気に入られたのか、俺もよくわからないんだけどさ。まぁ、志穂が一本立ちできるまでは世話してやるつもりだけど」

「なはは、がんばってくだせぇ。と、志穂ちゃんの番だよ、三木くん」

「お、ほんとだ。ぬぼーっとした顔してんなぁおい」

「眠いんじゃないですか、あくびしてるし」

「まさか、寝不足か? まぁ、100メートルくらいだったらコンディションちょい悪くらいでちょうどいいか」

「躊躇なく全国の高校生スプリンターすべてを敵に回したね、三木くん」

「悪いが事実だ。あいつはぼぉっとしてるくらいじゃないと高確率でフライングするからな」

「あぁ、フライングは、しそうだね。そういう枠にはめられるの苦手そうだし」

「こらえ性がないだけだ。そこまで教育できなかったのは俺の調教師としての力不足だ」

「え〜、三木くん、志穂ちゃんペット扱いなのん? やぁん、えっちぃ」

「バカなことを、ペットなものか、闘犬遣いと闘犬の関係性だ」

「ボクサーとセコンドの関係だ、熱いね。少年漫画だ」

「まぁ、間違っちゃいねぇわな。当たらずとも遠からずってやつだ」

「てっきりご主人様とペットなのかと思っちゃったよ」

「もしそうなんだとしたら、あいつはとんだバカ犬だよ、悲しすぎるだろ」

「なはは、そうかも。あれ、志穂ちゃん、セットしないね」

「あいつにスタンディングスタートなんて洒落た真似ができると思うのか、お前は」

「いやいや、スタンディングスタートは洒落てないよ。あんな棒立ちで手をぶらぶらさせて、だいじょぶ?」

「知らん、でもたぶんだいじょぶだろ。あいつは、それくらいのことで負けるようなやわな走りはしない。それに、フライングに関しても今回に限っては問題ない、すでに対策済みだ」

『位置について、ヨーイ、』

志穂は、相変わらず完全に棒立ち状態で、手を身体の横でぶらぶらとさせている。普通だったら、あんな状態でまともにスタートできるわけがないのだが、志穂の場合は長年の武道の稽古の結果なのか、持ち前の身体能力をぶん回しているだけなのかは分からないが、あんな状態からでも平気でロケットスタートをぶち込んでくる。

「ほぇ、対策済みなんだ。どういうどういう?」

それこそマリオカートばりに、反則級のロケットスタートがくるからあなどれない。というか、普通の人間はロケットスタートなんてできないんだから、もうそれだけで勝ち目が薄くなるというものだ。

「いやいや、むずかしいことじゃねぇよ。っていうか、そもそも、難しいことが出来る志穂じゃない」

スタート係の体育教師の大きな声に続いて打ち鳴らされる号砲。

パァン、と、軽い破裂音が、校庭を駆け抜ける。

そして次の瞬間、スタートラインから一斉に飛び出すランナーが六人。

一人残されている小さなシルエットは、志穂だった。

「志穂!! 走れ!!」

スタートラインにボッと立ち尽くす志穂に、俺は応援席から一言短く、しかし大きく強く声を飛ばす。

そして、声が届いたのだろう、志穂はちらりと俺を見やると、直後スタートを切った。

ドゴンと、何かが割れ砕けるような音を、俺は確かに聞いた。

次の瞬間、トップから一秒ほど離されていたはずの志穂が、スタートライン上から忽然と消え、突如としてトップ集団の中に現れた。

「は? なんすかアレ? ワープっすか?」

志穂の立っていたところから、もうもうと一筋の土煙が上がっている。目を凝らして見ると、地表面に一筋の割れ目が入っている。いったいどういうことをしたら地面を割ることが出来るのだろう、俺にはさっぱり分からない。

「ほぅ、縮地で10メートル以上跳べるなら絶好調だ。勝ったな」

「意味不明っすわ……」

忽然と現れた志穂は、そこからさらに加速。その理不尽な加速に、常人ではついていけるはずがない。

そのまま後続を千切って独走、結果的に一秒以上の差の大差をつけて一位でゴールしたのだった。

「よぉし、勝った!」

「志穂ちゃん、どういう身体のつくりなん?」

「やつは古代文明の遺した人型殲滅兵器だ」

「そのウソ、マジ、信じそうなんすけど……」

「絶望するなよ、脇本。あんな生物、この世界にそうそういるもんじゃないからな」

「今度、志穂ちゃんにやり方教えてもらお……」

「意外とポジティブだな、脇本」

まぁ、地面の割り方なんて、まともな女の子が身につけるべき業ではない。それに、志穂がまともに人にものを教えるなんてことが出来るはずがない。あとでそれとなく、やめておくように説得するとしよう。


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