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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
21/222

ネコなでなで

それからしばらくして、俺はパッと目を覚ました。

まだぐらぐらする頭を押さえながら、俺はついさっき自分に何が起こったのかを思い出そうとしていた。思い出そうとして、すぐにさっきあったいろいろなことがフラッシュバックするように頭の中に浮かび上がってくる。

「自業自得とはいえ…、頭、いってぇ……」

そして、記憶の中ではじゃんけんに負けてパンツ一丁まで服を脱いでいたはずだったのだが、今はきちんと上着にネクタイまで締めていることに、ふと気づいた。結び目に触って、霧子が着せてくれたんだ、ということが分かる。

それはなぜかといえば、霧子が俺のネクタイを締めようとすると、逆向きの動きが難しいのか、なにかおかしな結び目になってしまうのだ。去年はなぜか、俺のネクタイを締めるのが霧子のマイブームだったようで、時たま結ばせてやっていたからそれが分かる。

とりあえず、後でネクタイは結びなおしておこうと思う。

「まぁ、あとでお礼でも言っとくか」

しかし、思い返せばさっきは熱くなりすぎた。自分が基本的に負けず嫌いだということは分かっているつもりなのだが、なかなかそれを直していくことはできない。さっきだって別にあそこからもう一戦、と持ちかける必要はまったくなかった。

むしろ、ライフの数え間違いがあって、俺のライフが零になってもなお一枚残っていたのだから、そこで「俺の負けだな」と勝負を閉じるのが最善の選択だったに違いないのである。そうしていれば、風紀を乱したと判断されて姐さんからしばかれることもなかったのだ。

そしてそれは、最初からの目的である、穏便に野球拳という危険要素と場を収める、というものにも合致する。それだというのにどうして、そこでもう一戦、という発想に至ってしまうのか、今思えばまったく謎である。

「勝負とかギャンブルとか、そういうのがそもそも向いてないんだろうな、俺」

引き際をわきまえないということは、つまりどこまでも熱くなるままに突っ込んでいってしまう、ということである。今回のことだって、最初から目標を定めていたというのに、気づけばそんなことを忘れて勝つことに終始していたわけだ。それに、きっと勝負を再開してしまえば、不確定要素もなく今度こそ勝ち切って、志穂が全裸になるまで勝負を止めなかったに違いない。まったく、そうなる前に姐さんが止めてくれてよかった。

そして、もうひとつ。

「メイ、悪かったな」

シートに大の字に横たわり天を見上げるのみである俺の目の前には、しかし両目を閉じているメイの顔があった。そして頭は硬い地面ではなく、柔らかくハリのある枕のようなものに乗せられている。

こうして目を閉じて動かない様子を見ていると、その小ささも相まって、まるで人形か何かのようなかわいさだな、と思った。もう少しの間だったら、このまま眺めていてもいいかもしれない。

「枕にさせてくれたみたいで、助かったよ」

だが、まぁ、実際のところそんなことをいつまでもしているわけにもいかないのである。

しかし、俺に膝枕してくれたメイから、どうしたことかいくら声をかけても反応がない。もしかして寝てしまったのかな、と頬に手を伸ばし、ぺちぺちと二度軽く手を当ててみるが、やはり反応なし。

寝てしまったのか、と思ったわけだが、どうやらその眠りは俺が思ったよりも深いらしかった。耳を澄ましてみれば、あたりの喧騒にかき消されそうな音でしかないが、すーすー、と静かな寝息も聞こえてくる。

「メイ?」

しかし、よく見ると、まだ陽が傾いているわけでもないのに、その頬にほんのりと朱が差していることに気付いた。なんだ? もしかして具合でも悪いのか?

しかし、調理が終わってから今まで、ほんの一時間も経っていない。そのときも具合が悪そうにしている感じはなかったし、どうしたというのだろうか。もしかして外にいただけで風邪を引いたのか? いくらメイが弱弱しく見えるからといって、そんなことはないのではないだろうか。

調理室ではあんなに元気に料理していたわけだし、そもそも、一時間ぽっち外にいるだけで風邪をひいたりしたら体育の授業もできまいだろう。

「メイ、ちょっとごめん」

メイの膝枕から起き上がるのはもったいない気もしたが、今はそんなことを言っている場合ではない。俺は上半身を持ち上げて体を起こすと、メイと向き合うように体の向きを変える。

下から見上げたときは勘違いかも、と思ったが、しかしこうして正面から見るとその変調は明らかだった。まず頬に朱が差していると思ったのは間違いで、実際のところ顔は真っ赤で、その中でも頬が特に赤かったのだ。

まず、両頬に手を当てる。けっこう熱い。メイは、俺の当てた手が冷たくて気持ちいいのか、すりすりとこすりつけて手に懐いてくる。俺と友だちになろうとしてくれているのはよく分かるのだが、志穂がするような身体的接触を避けようとする傾向があるメイがそんなことをしていると思うと、ちょっとだけドキドキする。

こんなに無防備なメイは初めてだ……。志穂は、一年間の飴と鞭と飴攻勢によって、俺に対しての警戒心がアホのようにダルダルになってしまっている、言うならば家猫状態なのだが、メイはまだ俺との関係にそんなに慣れていない、仲良くなっている途中の新参猫とでもいうべきなのだ。だからこうして無防備に懐いてくれるのを見るのは、少しだけうれしい。

「あ、熱いなぁ…、心配だなぁ……」

熱っぽいメイが心配だぞ、と自分自身に対してのいいわけをしてから、あたりをちらちらと確かめてメイの頬から両手を外す。熱が少しだけ移った手は、俺のものとは違う体温でほんのりと温かい。

両手をシート越しに地面につけて冷やし、それからもう一度メイの両頬に当ててやる。さっきよりもさらに冷たいものを当てられて少しだけ驚いたのか、体を小さくピクリ、と震わせるが、今度もまた逃げようとしたり体を硬くしてしまうことはない。

それどころか、冷たさを求めているようで、さっきよりも強く熱心に俺の手に頬ずりをしてくる。小さな黒猫がにーにー鳴きながら手に懐いてくる様を想像して、にやにや笑いが止まらなかった。

これ、俺から撫でたらどうなるんだろう。さすがに目を開けるだろうか。でも、ほんの少しだけだったら……。

俺は左手を離し、右手だけをメイの頬に当てる。両方から押さえられていたさっきよりも動きやすくなったからか、より積極的俺の手に懐いてくるメイを、しかし今度は俺の方からも撫でていく。

「メイ? だいじょぶか?」

心配そうにしている体を装いながら、いや、心配はしているのだが、メイの頬ずりにあわせるように少しだけ手を動かしていく。すりすりと、温かくて柔らかい頬が、俺の手の上を行ったり来たりしている。なんだか、だんだん変な気分になってきた。

い、いかん…、これ以上やっていたら、気づいたらメイの頭を抱きしめていたとかいう状況が普通に起こってしまいかねない。そんなことをしている場合じゃないだろう、落ち着くんだ、俺。

すりすりと名残惜しそうに俺の手に懐いているメイから、俺は涙をのんで手を離す。もしかしたら具合が悪いかもしれないメイを相手に何をしているんだ、俺は。

深呼吸をもう一回、乱れた心を落ち着ける。

「メイ、大丈夫か?」

気を取り直してメイに声をかけながら、俺はそのおでこに手を当てて、自分の体温と比べてみる。俺の体温はそんなに高いわけではないから何とも言い難いが、少し熱が高くなっているように感じられる。

さっきはそんなことないと思ったが、しかしこうやって真面目に体温を感じてみると、やっぱり具合が悪いのかもしれない。それならば、保健室にでも運んでやるのが正しいような気がしてきた。やはり、風邪をひいたとするなら、こんなところにいつまでも居させるわけにはいかない。

「保健室、連れていった方がいいな」

保健室につれていってやれば先生に診てもらうか、もしいないとしてもベッドで寝かせてやることができる。少なくともこんなところで俺に膝枕をしながらうたた寝するように寝ているよりはいいに違いない。

それにもし具合が悪いのではないとしても、少なくともここよりは保健室のベッドの方が上等なわけであり、もう少しは安らかに眠ることも出来よう、というものだ。

「おんぶするからな、メイ」

しゃがんだままメイに背を向けて、その細い両手を俺の肩越しに前に回させる。そしてそのまま背中に密着させるようにしてから、その両手の合わせ目を片手でつかんで、てこの原理でくっ、と持ち上げる。

重さは、ほとんど感じない。その身長と細さのせいだろう、志穂なんかよりもずっと軽い。ここまで軽いと、本当にお人形さんかなにかでも運んでいるような、そんな気になってくるじゃないか。

メイの両手は俺の首に抱きつくようにさせ、そして俺は上半身を前に傾けるようにしてメイが俺にもたれかかるようにする。メイから力を入れてくれない以上、こうしておんぶするのが一番背負われている方の負担が少ないのである。長年の霧子に対するおんぶ経験の積み重ねが、ついにこのスタイルを確立させたのだ。

しかしこうしておんぶをするとき、一つ問題になるのは、背負われている側の頭の位置だ。当然、背負われている側に意識があるのならば顔をあげていてくれる。しかしそうでない場合、頭は前か後ろ、どちらかに流れざるを得ず、そして俺のしているように前かがみで背負った場合は必然前に流れるのである。

頭が前に流れるということは、前に回している左右どちらかの肩の上に置かれるというわけであり、必然的に背負う者の顔と背負われる者の顔とが非常に接近するわけである。もしその相手が霧子だったら俺としても慣れたものであり、いくらかわいい寝顔ですやすやにゅんにゅん言っていたとしてもまったく動揺することはないのだが、しかしメイが相手ではその限りではない。

だから、気になって気になって。ピコピコと揺れているツインテールが気になって、ふわふわ漂ってくる髪の匂いが気になって気になって。そして、気づいた。

それはかいだことのある匂いだった。最近では料理をしているときにかいだ。庄司の家を放り出される前には毎日かいでいた匂い。あぁ、あとは隣家ののんだくれ女が家にやってくるときも、いつも漂わせている匂いだった。

それは、メイの呼気に混じって、俺の鼻孔に到達した。

おそらくだが、アルコール。

もっと端的に言ってしまえば、酒である。

それはアルコールの匂い、さらにいえば、アルコールを摂取した人の匂い。本来ならばありえないだろうに、どうしてメイからそんな匂いがしてくるというのか。

アルコールなんて、ここになかったじゃないか。メイは自分から酒を飲んでしまうような悪い子じゃないし、そもそもそんなものを持ってくることを姐さんが許しはしない。家に酒を飲む人のいない霧子が、実は俺に隠れて飲酒の味を占めていて、俺が意識を失ったのをいいことに持ってくるとも考えがたい。

となると、志穂か? 志穂がなんにも考えないでこんなことをしたというのか? 大して意味もなくこんなわけの分からないことを…、やりかねない!

「志穂~! どこだ~!!」

俺は一度メイを背負って立ち上がったものの、最有力容疑者である志穂を探し出すためにメイをシートにもう一度横にしてやり、そして再び立ち上がるのだった。

そのまま寝たのでは体が痛くなってしまうかもしれないが、すぐに志穂を断罪して、メイを保健室につれていってやるので問題はあるまい。

しかしとりあえず、俺は上着を脱いで折りたたみ、枕の代わりにメイの頭の下に敷いてやることにする。こうしておいた方が、ただ地面に寝かせるよりは負担も少ないのではないか、と思う。

できればさっきしてくれていたのと同じように、俺が枕になってやれればいいのだが、しかしまずはこの状況をそもそも作り出したと思しき志穂に罰を与えなくてはならないのだ。

志穂のやつめ…、気絶した俺のために枕になるという大変な役を買って出てくれたメイに、動けないのをいいことに酒を飲ませたに違いないのだ。

そんなこと、絶対に許してやることは出来ないのである!!

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