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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十八章
209/222

interlude04 体育祭、前夜

「不運と、不幸の臭いがする」

それは体育祭の前日の夜のことだった。

「粘つき、張り付くような嫌な臭気だ」

そこは俺の自宅のリビングルーム。据え置かれたテレビの真向かいに位置する二人掛けのこじんまりとしたソファーに、俺は胡座をかいて腰を下ろしていた。

「幸久が、不幸臭い」

時刻は深夜の12時を少しだけ回った頃、霧子を寝かしつけるために天方邸を訪れていた俺が案の定それに失敗して諦めて帰宅してシャワーを浴びて一息ついてからいつもより早めに寝床に入り込んでから少し経ったあたりだ。

「不運と、不幸、ですか……」

「それは、明日の体育祭に何らか関係することなのでしょうか?」

神妙な面持ちの広太とかりんさんは正座で床に座り込み、肩を落とすような少し暗めの雰囲気の中で俺に目線を向ける。

「まぁ、幸久が少なからず不幸と不運に愛されているのはいつものことだが、ここ一週間ばかり臭気があまりにひどくなってきた」

「申し訳ありません、御前。私では気づくことが出来ませんでした」

「まったく役に立たぬ男だ。貴様の何代か前は、もう少しそういうことに鼻が利いたものだがな。平和惚けして鈍ったか? 血が嘆くぞ、小僧」

「はっ、精進いたします」

「小娘、気付かなんだか?」

「ぉ、お恥ずかしながら…、そのようなことには疎いもので……」

「ふん、揃いも揃って木偶の坊か。それで幸久のそばに仕えるというのだから笑いぐさだ。いや、七星のお荷物の二の星には、そのようなことを察するというのは少々酷な話かもしれんがな。これは済まなんだ、端から出来ぬことなのだ、あまり気にせんでくれ」

「…、不徳の、致す限りにございます」

「はっ! 不満そうだな、小娘。星見も出来ぬ我が身を嘆くか? ん?」

「不徳の、致す限りにございます……」

「恐れながら御前、星見の技術を有する者など、今世では稀にございます。そのようにかりん様を責められるのは筋違いかと存じます」

「黙れ、小僧。せめてものただの嫌がらせだ、その程度のことを察することも出来ぬか、愚図めが」

「申し訳ございません。ですが、そのような叱咤はあまりに酷かと」

「酷でなくては叱咤とならぬわ」

「御前がそれでよろしいのであれば、私は構いませんが」

「それならば、最初から黙っていろ、小僧」

「はっ、承知致しました」

俺は、眠っているはずだ。となると、これは俺じゃないんだろう。

俺の姿で、俺の声で、俺らしくもなく偉そうに一段上から床に正座で座る二人を見下ろしている。いや、おそらく見下している。俺は、こんなことしないし、したくもない。

だから俺はこれを知らない。俺じゃない何かが俺を使って何かをすることはこれまでも何度かあったようだが、きっと今回もそれに違いない。

「明日はたしか、幸久がここ最近よく考えていた『体育祭』というものだったな」

「はい、おっしゃられる通りにございます。明日は一日を使って体育祭が催されます。幸久様はその中でいくつかの種目に参加なされるようでございます」

「あぁ、把握している。おそらくだが、今回のひどい臭気、その体育祭に関わるものと見た。これだけの酷い臭気は、さすがの俺様でも出会って久しい。間違いなく幸久一人では対処できないクラスの不幸か、あるいは不運が降り掛かる」

「それは…、天変地異の類いでしょうか」

「天変地異ではない、間違いない。もしそうであるならば、幸久一人からのみ臭気が上がるということはあり得ない。もちろん、小型の隕石が幸久をピンポイントで打ち抜くとでもいうならば話は別だがな」

「隕石、ですか……? それは、あの、広太さん、私たちはどのようにして幸久様をお守りすればよろしいのでしょうか……?」

「かりん様、隕石が降ってきたならば、それから身を守る術など私たち人間にはありません。落雷と同じです」

「阿呆どもが、隕石など降りはせぬわ。星見は占星の基本、誉れある三の星たる三ツ木の守り神である俺様が、読み違えなどするはずがあるまい。ならばこそ、隕石など降らぬ、降らぬと言ったら降らぬわ」

「それならば、いったいどのようなことがあるというのでしょうか?」

「細かいことは、分からん。しかし何らかよくないことが起こる。それだけは間違いないだろう」

「良くないことが起こるということですが、それは明日生ずるということは間違いないのでしょうか……?」

「それは間違いない。これだけの臭気に合わせ、星もそのように示している。明日の体育祭でそれが生じるということは確実だろう」

「体育祭で起こりうる不運不幸となると、やはり怪我でしょうか?」

「うむ、そうだな、競技を通して怪我をするというのがやはり可能性としては大きいだろう。よし、もしも大怪我をしそうになった場合は、俺様が強制的に意識に割り込み回避することが出来るように取り計ろう」

「よろしくお願い致します、御前」

「それ以外だと、どういうことが考えられるでしょうか?」

「そうですね…、特に体育祭で、と考えるとどうしても怪我の方向で考えてしまいがちですが、明日一日24時間を通して体育祭が開催され続けるわけではありませんからね、通常の危険もある程度考慮に入れることも必要になってくるのではないでしょうか」

「通常の危険というと、どのようなものがある、小娘」

「そ、そうですね、やはり交通事故ですとか、暴漢に教われるですとか、召し上がった食事で食中毒になるですとか、いろいろな危険があるのではないかと思われますが」

「なるほどな、そういった危険があった場合はどのようにするべきだと考えるか、小僧」

「そういった場合は、私どもでは即座の対処を行なうことが出来ない可能性もありますので、基本的には御前に幸久様をお守りいただくのがよろしいかと存じます」

「ふむ、なるほどな、それは一理ある。人の子としてはなかなか頭が回るではないか、小僧」

「もったいなきお言葉にございます、御前。有り難き幸せにございます」

「小娘、貴様は如何に考える」

「…、私では、幸久様を完璧にお守りすることは出来ないかと存じます。やはり広太さんのおっしゃられたように、お力をお貸しいただくほかにはないかと存じます」

「ふん、まぁ、話を総合するとそうせざるを得ないようだな。それでは、それ以外に幸久に降り掛かり得る危険に心当たりはあるか、小僧」

「それ以外と申されますと、そうですね、私としては、ご友人様のトラブルなどが少々気になります」

「友人のトラブル? それはどういうことだ?」

「はい、幸久様はクラスの方々とたいへん仲がよろしくていらっしゃり、とても顔が広くていらっしゃいます。また、常日頃からご友人方を非常に大切にしていらっしゃいますので、幸久様にとってのご不幸がそのご友人のものであるという可能性を切り捨てることは出来ません」

「なるほどな。つまりお前は、その幸久のお友だちが幸久の不運不幸の気にあてられて不測の事態に巻き込まれる可能性もある、ということが言いたいのだな」

「まこと、お察しの通りにございます。必ずしも幸久様ご本人への不運不幸のみが、幸久様にとってのそれであるとは言い難く、その周囲への波及をもその範囲に含めることが求められると愚行致す次第でございます」

「そうか、それも一理あるだろう。しかし、そうなるとそれには誰が備えるのがいいだろうな。如何に俺様が全知全能の神格といえど、なんでもかんでも解決することが出来るというわけではないのだ。悲しいかな、幸久の観に宿っている俺様には腕は二本しかなく、足も二本しかないのだ。悲しいが、出来ることと出来ないことが、当然のようにあるだろうな」

「御前、非常に申し上げにくいのですが、申し訳ありません、我々では幸久様のご友人関係全てを把握することは出来ておりません。となりますと、どのようにいたしましても御前にご尽力いただく以外にない状況でありまして……」

「なんだと小僧! この期に及び俺様に徒労を押し付けようというか!」

「まこと申し訳なく、己の未熟と無力を感じ入るのみにございます。もちろん私どもも出来得る限りの援護はさせていただきたいと思うのですが、いかんせん後手に回ってしまう可能性も捨てきれません。となりますと、どうしても御前のお力をお借りする以外には……」

「まったく…、人の身でありながら俺様に指図するようなことをしおって、本来ならば許されることではないぞ、小僧」

「それはもう、御前のおっしゃられる通りにございます。なれど、我々は人の身に在ればこそ、こうして我が身の不足を理解し御前に頼り、縋らせていただくことも出来るのかと存じます」

「せめて智を有することを誇るか、小僧。まったく、泣き喚く稚児と変わらぬ行いよの」

「それもすべて、己の無力を知るからでこそにございます。幼子が泣き喚くことが出来るのも、己が無力を殊更に示さんがためにございます故。己を知らばこそにございます」

「ふん、ああ言えばこう言う男であるな、小僧」

「口の減らぬ我が身、まったく恥じ入るばかりにございます」

「まったく、本当に不遜極まりないことだ。本来ならば、俺様がこのような徒労に興ずることなどあり得はしないのだぞ、まったく。しかしまぁ、俺様がやらねば幸久が危ないというならば、それは致し方ないことかもしれないな。まったく、あり得ぬことだ、これまで一度たりとも在りはしなかったことだ。本当に、仕方のない男だ、此奴は」

「至らぬこの身、如何様にも処せぬのが歯がゆくございます。しかし、御前、あなた様のようにすばらしきお方にお守りいただき、幸久様もお喜びのことと存じます」

「…、私も、そのように、存じます」

「俺様としても、幸久に死なれては困る。あぁ、死なれてしまっては困るのだ。まったく、手数ばかりかける男だ、幸久は。本当に困ってしまうな。本来ならば俺様がここまでするということはあり得ないことなのだがな」

「御前のご尽力を幸久様にお知らせできぬことが、ここまで心苦しいことだとは、私も思いませんでした。本当に、御前にはお手間とお手数ばかりおかけしてしまい、申し訳ございません」

「そうであるぞ、小僧。神格たる俺様がここまで現世の器のために力を尽くすということは、本来ならば在りはしないのだ。幸久にそれを伝え、深く信心を尽くすことによって初めて俺様への見返りが生ずるというのに、肝心の幸久にそれを伝えることが出来ぬとは、まったく、俺様にとっては文字通り徒労と言わざるを得ないぞ」

「まっこと、御前にはお手間と徒労ばかりを押し付ける形となってしまい、心苦しく思うばかりにございます」

「それならばこそ、己に出来ることが何であるかを考えよ。俺様への負担を少しでも減らすために、小僧、自分が何を出来るかということをな」

「はっ! 承知致しております。少なからず御前のお役に立つことが出来るよう、全力を尽くさせていただきます」

「うむ、それでよい。小娘、お前はどうだ」

「…、私も、可能な限り、尽力させていただきます……」

「ふん、小娘、お前如きの尽力など、高が知れておるわ。俺様と比して、何の力にもなれぬ己を恥じ入るがいい。それでは、伝えるべきことはこれですべてだ。明日もあるからな、幸久はこれにて休ませる。今後とも、幸久のために足らぬ力を振るうといい。それでは明日、楽しみにしているぞ」

「はい、お休みなさいませ、御前」

「…、お休み、なさいませ」

「…、かりん様、おつかれさまでした。御前はこれにてお休みになられたと思われますので、ごゆっくりお休みになってくださいませ」

「広太さん、あの、二三質問をさせてもらっても、いいですか?」

「はい、何なりと」

「幸久様に、凶兆が見えるというのは、本当なのでしょうか?」

「残念ながら、私には詳しいことは分かりません。ですが、あの方がそのようにおっしゃられるならば、おそらくはそうなのでしょう。間違いなく、あの方は三木の、いえ、三ツ木の守護神なのですから」

「占術によって七星の要となった三ツ木の秘中の秘、ですか?」

「秘中の秘と言えるかどうかは分かりませんが、少なからず隠匿されるべき事実かと。この時代に、占術だ守護神だなどと騒がれては、平穏な生活を送ることなど叶いませんでしょうから」

「三ツ木に伝承される占術を、幸久様は行なうことが出来るのでしょうか?」

「えぇ、おそらくは。あの方もおっしゃられておりましたが、幸久様はそれに相応しい潜在能力、器量、胆力を備えておいでです。ですが、幸久様には三ツ木の実情も事情も何もかもお伝えしておりませんので、今の状態ではあの方の力をお借りすることは出来ないでしょう」

「潜在能力だけで、力を振るうことは出来ないのですか?」

「えぇ、そのようです。私もよく知りはしないのですが、それなりの儀を執り行わぬことには力を振るうことは出来ぬと聞いています。おそらくですが、インストールを行なうということなのでしょうが」

「ぃ、いんすとーる……?」

「はい、幸久様の中にあの方がいらっしゃる今の状態は、おそらく『ただいるだけ』の状態に近いのではないかと。儀を通して魂の中にインストールすることによって、あの方のお力を自らの能力として活用することが出来るようになるということかと」

「魂の中に、あの方が入られるということは、あの、幸久様の魂を触媒として現世に顕現するということ、ですか?」

「いえ、むしろ今の状態がそれに近いでしょう。神格として形而上に存するべきあの方が、特に何のアクセスも経ずに形而下に顕現しているのです、何らかを触媒とし何らかを贄に捧げでもしない限り、そのようなことは不可能です」

「それでは、今の状態は幸久様に少なからず負担がかかるのでは」

「はい、かなりの負担がかかっていると思われます。おそらくですが、あの方は幸久様の魂を触媒に、幸久様の体力を贄としていただいて顕現していらっしゃいます。ならばこそ、長時間の顕現は幸久様の体力を大きく奪うことになり、最悪寿命にも影響が出てくる可能性があります」

「寿命に……。となると、出来うる限りあの方の顕現は防ぐべきですね」

「もちろん、その通りでございます。ですが、あの方もあの通り、幸久様を溺愛しておりますので、幸久様に危険が及ぶようなことはないかと。常識的に考えて、あのように儀を経ることなく顕現することができるのです、本当に幸久様に関心がなければとっくの昔に幸久様の身体を乗っ取っているに違いありません」

「それは、そうかもしれませんね。関心がないのであれば、あのように警告をするためにわざわざ出ていらっしゃることもないでしょうし」

「言い方は大げさですが、つまりあの方の思考パターンも私たちとそう変わりません。幸久様のために出来ることをしたい、ということでしかありません。心配性な母親のようなものが、常時張り付いているようなものでしょう」

姑の嫁いびりに近いのではないでしょうか、と広太は笑う。かりんさんはそれを聞いて、分かったような分からないような、少しだけ曖昧な表情をする。理解は出来るが、納得できないような、そんな複雑な表情だ。

広太は、なんだかんだと俺とは生まれたときからの付き合いだ。俺の中のこいつとも、きっと長いことこうして付き合っているに違いない。でもかりんさんは、そうそう容易くそれを受け入れることが出来るだろうか。

存在自体がもはや不条理だし、その力も理不尽きわまりない。そんなものが、パッと自分の前に障壁として現れたと考えるのが、今のかりんさんの状態だと普通か。

まぁ、俺としてはそもそも今のこの状況を把握も理解もしていないのだから、なんとも言い難いのだが、とりあえず無茶なことをするのと、無謀なことをするのだけは気をつけてもらいたい。

俺を危険から助け出すために自分をよりいっそう危険な状況に置くというのは、助けてもらっておきながら傲慢な話かもしれないが、俺としてはまったくうれしくないのだから。

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