負けず嫌い哀歌
俺と志穂とで長々とじゃんけんをし続けていたような気もするが、しかし実際に時間は四五分も経っていない。言い方を変えるならば、俺はほんの四五分もしないうちにここまで追い詰められた、と言いかえることもできるだろう。
「勝ってたのになぁ…、負けじゃないのになぁ……」
俺は、志穂とのじゃんけん勝負に負けた。ここ一番、負けてはならない勝負に負けてしまったのだ。
ただじゃんけんに負けただけではない。野球拳で負けたのだ。しかも五枚の脱衣を賭けた、必勝を期すべき勝負に、おそらくただの偶然によって負けた。
信じていた俺の勝つための仕組みは、ただの偶然によって挫かれてしまったのだ。それはもう、へこむというものだ。誰だって、ぶつぶつと、恨み言の一つや二つ、零したくもなるに決まっている。
「よし、これで勝負はついたな。皆藤の勝ちだ、よかったな。うんうん」
「うん! 勝ったよ~!」
寝転がったまま膝を抱えていじけている俺とは対照的に、志穂はぴょんぴょんと飛び跳ね回って全身で喜びを表現しているようだった。偶然勝った、みたいな形なっただけなのに…、俺が、勝ってたのに……。
「じゃあ、ゆっきぃ、脱いでね」
来た……。
負けたのだから、当然そうなる。
俺も勝ったときは志穂を脱がせたのだ、自分が負けたときは、当然脱がなくてはならない。それが、自身を全裸にする行為であっても、その約束を違えるわけにはいかないのである。
もし違えれば、それは己の覚悟を裏切るということ。確かに俺はほぼ必勝で脱ぐ確立の方が圧倒的に低かったとはいえ、少なくともその覚悟だけはしていた。
さっきは、負けたときはダッシュで逃げるなどと思っていたものだが、そんなことはしてはいけないのである。
相手を脱がせていいのは、自分が脱ぐ覚悟のあるものだけなのだ。
「分かってるよ…、脱ぐに決まってるだろ。四枚でも五枚でも、負けた分だけきっちり脱いでやるよ……」
しかしだからといって嬉々としてその行為に向かうことはできない。何が悲しくてこんなところで全裸にならなくてはいけないのだ。いくら学校の敷地内だからって、そんなことしたら通報だよ、通報。
…、脱いだらすぐに服を持って逃げよう。俺が脱いだという事実さえあれば志穂はそれで満足するわけだし、逃げたとしても文句を言われる筋合いはないのだ。それに、そうすることによって俺自身へのけじめもちゃんとつけられる。
そもそもお座敷芸であるところの野球拳を、こんな野外でしようという発想自体が間違っているのであり、それくらいのことは許してもらわないと困るのである。
というか、よく考えたら、こんなところで脱ぐのか?
こんなクラスのど真ん中みたいな場所で?
そんなことして俺、明日からこのクラスにいられるか?
「…………」
思考停止。
ダメだ、考えるな。
俺は負けたんだから脱ぐしかない。
そのことだけを考えろ。
羞恥心なんて、今はポイっ! だっ!
「くっそぉ……、志穂、絶対許さないからな……!」
俺は一枚目、ネクタイの結び目を解き、思い切り志穂に向かって投げつけるが、そもそもそんなものをまともに投げることなど出来ないわけで、体を軽く反らせただけで簡単に回避されてしまう。
体を反らして紙一重で攻撃をかわすこと、それはスウェー。それはボクシングの高等回避技術。
「ぬ~げ! ぬ~げ!」
志穂は楽しそうだ。シートにぺたっと腰を下ろして手拍子をしながらこちらをじっと眺めている。ついさっきまでの俺を見るようで、なんてバカなことをしているんだ、俺、と軽く自己嫌悪である。
霧子とメイはお茶を飲んでおしゃべりをしているように見せて、その実ちらちらとこちらを見ている。羞恥心はなかなかポイできるものではないので、出来ればこっちを見ないでほしい。
姐さんは硬直している。おそらく本当に脱ぎ始めた俺をどう始末したものか考えているに違いない。姐さんが動き出したとき、俺はきっとやられていることだろう。
そして周囲からも、志穂に敗北した俺が脱ぎ始めたのがそんなに興味深いのか、ちらちらと視線が集まっているのを感じる。
どうして志穂は、こんな中であんなにやすやすと脱いでいたのだろうか。それとももしかして俺は、このまま五枚連続で脱ぐことが決まっているからこんなに注目されているのだろうか。
「負けてない。俺は負けてないんだ。偶然負けたみたいに見えただけで、実際は勝ってたんだ。だから悔しくない、悔しくなんてない」
左右のくつ下を脱ぐ。その二枚を、間をおかずに志穂に向かって投擲する。
しかし志穂は、今度は上体を大きく沈ませ、飛んでくる二枚のくつ下の下を連続でくぐって回避した。攻撃目標を失った俺のくつ下は、すぐに減速してシートの端のあたりに墜落するのだった。
それはダッキング。攻撃を回避しながら相手の懐に潜り込むための、攻防一体のボクシングの防御技術。
「心は負けてない。心は負けてないぞ。魂は勝ってるんだ。だからここで脱ぐのは負けを認めることじゃない。むしろ勝ちだ。ここで脱いでいるのは、むしろ、勝ちっ!!」
かちゃかちゃとベルトを外す。ベルト通しからスッ! と抜いて、くるくると金具を中心にして巻き付けていく。そして俺はそこでできた渦巻状に巻かれたベルトの塊を、志穂に投げつける。
しかし志穂は、それをぺいっ、と難なくはたき落とす。
そして次に脱ぐべきシャツに手をかけ、ボタンを三つ外したから、ふと気付く。
「…、なぁ、ベルトって、一枚じゃないか?」
「ほぇ?」
「はっ? なんだ、三木、何か言ったか?」
「あっ、いや、だからさ、さっきは数えるの忘れたんだけどさ、ベルトって一枚になるんじゃないかなぁ、って。だってくつ下とかネクタイも一枚なんだからさ、それならベルトも一枚じゃない?」
言うまでもなく、これは苦し紛れ。
最初から申告していればそういうことになったかもしれないが、それを今さら言ってどうするという話だ。申告しなかった以上、普通はベルトをズボンの一部として捉え、枚数にはカウントしてくれないだろう。
「まぁ、別に今さらそうやってライフを増やそうなんてことを」
「確かに、そうかもしれないな」
「ベルトもライフにするの? りこたん?」
「いや、そもそもな、皆藤と三木のライフの枚数に差があることは気になっていたんだ。勝負である以上平等であるべきなのだから、ライフの数も同じであるべきだと思っていた」
「俺は一枚脱いで始めたときに残りが五だったから、六で、志穂は八だったからな。確かに二枚違ってる」
「いや、一枚だ。三木、お前はあのとき自分の服が上着、シャツ、ネクタイ、スラックス、くつ下左右と言った。しかし自分の下着を数えていないではないか。まさか穿いていないというわけではあるまい」
「あっ、忘れてた」
それは、確かに本当に忘れていた。しまったな……。
「だから本当は七枚と八枚だ。ということは、そのベルトを入れて八枚同士にすることもできる、が」
そして姐さんは、顎に手を当てて考え事をするように目を閉じた。数秒、そのまま空間が停止、姐さんの沙汰を待つ。
「七枚と八枚でいいな。ベルトは含まん」
「そっか……」
「女子は下着が二枚、男子は下着が一枚。その一枚の差は下着の差だと思えば問題あるまい。そこにさらにベルトのことまで足してしまえば、今度は三木の方が多くなってしまうからな。それに、下着については仕方ないとはいえ、ベルトを一枚とすればそれは不必要にライフを嵩増しするだけでしかない」
「それは、そうだと思う。分かってた。言ってみただけだから気にしないでくれ」
ぷつっぷつっ、とボタンを外しながら、一枚、また一枚と着ている服は減っているのだが、しかし俺は心の中でほくそ笑んでいた。
これは好機。全裸となりライフ切れのパンクを起こしたと思っていた自分に、まさかもう一枚あったとは。数え忘れのもう一枚、いうなら俺も知らない埋蔵金。あるはずのない、寄り切られて超えた徳俵の向こうに、もうひとつの徳俵という異例。
これでまだ戦える。俺は、まだ勝負できる。
俺の理に寄れば、ここからでも比較的容易に逆転可能。志穂がいままで通りに手なりで手を出し続ければ、それだけで俺は勝ち続けられる。
「ベルトは含まないから、これで四枚目だ」
投げたワイシャツはふわっとシートに落ちる。
「志穂、これでお前の勝ちかと思ったけど、どうもまだだったみたいだな」
「そうだよね~、ゆっきぃはズボン脱ぐだけでおしまいだから、まだいちまいあるよ」
「俺は一枚、お前は六枚。圧倒的だ」
何より大きいのは、志穂が全てを賭けた一撃、アクシデントを引き込んで本来の勝負の結果をひっくり返すという偶然勝ちを、俺がしのいだということ。一撃で殺さなくてはいけなかった勝ちの仕組みを持っている俺を、二度は起こせないだろう神憑り的な勝利を持ってしても仕留めきれなかったこと。
「分かるか、志穂。これが逆境…、逆境っていうのはこれなんだよ……!」
いや、逆境ではない。志穂から流れは去った。神憑りは一度きり、二度目はない。いかに神憑り的であろうと、二度目であれば理を持ってして打ち取り得るのである。
「勝負だ、志穂! これから俺はお前に六連勝する! そして勝利するんだ!!」
そして俺は、スラックスを脱ぎ捨てた。パンツ一丁である。しかしまだ全裸ではない。
まだ全裸ではないのだ。一度勝負に負けたが、まだトータルの試合では負けていない。俺はまだ、戦うことができる。
「よ~し、もう一回勝つんだから! まけないぞ~!」
「ふざけるなぁあああああああああああああああ!!」
再び勝負の炎をともし、四度目のじゃんけんに移ろうとする俺と志穂の間に、姐さんが割り込んだ。具体的には俺の腹筋のあたりに中段蹴りを飛ばし、俺を後ろに吹き飛ばしてから割って入った。
俺は思ったよりも不意打ちだった攻撃に、腹筋に力を込めることもできず、吹き飛ばされるままに後ろに向かって転がった。パンツ一丁で服を着ていないので、転がったダメージが直接体に伝わってきて、すごく痛い。
「三木、貴様…、こんなところでこれ以上脱衣するつもりか! 羞恥心など、捨ててしまったということか!」
「止めないでくれ、姐さん。男には、やらなきゃいけない時があるんだ」
「それならば、風紀委員にもやらなくてはならない時があるぞ!」
姐さんは、志穂には目もくれず、ただ俺の方にだけ集中を向けている。確かに、今となっては志穂よりも全裸に近い俺の方が危ない存在であり、姐さんの中で優先すべき排除対象となったのだろう。
いや、俺だって別にこんなところで全裸になりたいわけではない。勝てるからこそ、こんなことを言っているのだ。あとは理で詰められる、もう一度詰め切れるのだ。
「私は止める! 止めるぞ! その覚悟があるのならば、もう一度『勝負する』と言ってみろ!!」
「俺はやる…、勝つんだ! 負けたまま引き下がることは、できないんだ!!」
「その言葉聞き遂げた! 私は風紀委員だ! 覚悟を持って挑むものから逃げはしない!!」
しかし、そこから俺が言葉を継ぐ間は与えられなかった。姐さんは、俺が言葉を出すよりも早く動いたのだ。
「眠っていろ…、三木っ!!」
俺にはその動きが見えた。
見えたが反応はできない。
俺の左側に、姐さんは一歩を踏んだ。体を大きく沈みこませるように上体を振り、そしてその振り戻しを使って力を込めないまま掌底が振りぬかれる。
顎の先を、打ち抜かれた。
これが脳を揺すられるということなのだと、俺はその感覚を初めて知覚した。視界が、ぐにゃりと歪む。
上と下、天と地が混ざる。
体を立てておくことが、できない。
俺は、前も後ろもなく、シートの上に倒れ込んだ。
気絶…、そう、気絶である。
…………
「の、のりちゃん…、幸久君が……」
「大丈夫だ。脳震とうで気絶させただけだから問題はない」
「平気、なの?」
「あぁ、怪我をさせたわけでもないし、しばらくしたら目を覚ますだろう」
『幸久君、このままじゃかわいそう』
「そうだな、服を着せてやってくれ。私は、少し顔を洗ってくる」
「ゆっきぃ~、お~い」
「しぃちゃん、つんつんしてないで服着せてあげないと……」
『ほんとにだいじょぶ?』
「大丈夫だ。力は込めていないから顎の骨が砕けたりはしていないし、掌底を打ったから痛めるようなこともないだろう。まぁ、少なからず痛かっただろうが、それくらいは熱くなりすぎた代償だ」
「ゆっきぃ~、お~い」
「にゅ…、しぃちゃんも手伝ってよぉ……」
『幸久君、重い……』